Fastnacht 36

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「――ところで、我はどこで寝ればいいのだ?」
「あ、考えてなかったわ」
 未来を見通す目を持つはずの月女神の言葉に、リューシャは内心で激しく突っ込みを入れていた。
 ここは天上。天上という空間。
 常春の陽気をした、穏やかな場所。
 かつて地上から去った数多の神々やその眷属たちが暮らす理想郷。その大地も空も水も作り物だが、だからこそ酷く美しい。
 ――それはどうでもいいのだが。
「辰砂がいるのなら我もここで暮らす。……で、寝床は?」
「昔の破壊神は木の枝とか草の陰とか適当なところで気づくと眠っていたわね」
「我は鳥か虫か何かか……」
「肉体のない神だとそもそも眠ると言う行為を必要としないし」
 破壊の神として復帰することになったリューシャは、彼の記憶の一切を忘却したアレスヴァルドにはもはやいられない。その他諸々事情はあれど、究極的にはただ辰砂と一緒にいたいという理由で天界に戻ることとなった。
 天上、天界と呼ばれる場所には創造の魔術師・辰砂も住まう。彼と神々の因縁を思えば複雑な話だが、辰砂がそうして神と張り合える実力を持つだけに両者は地上の人間から見れば仲良く揃って異端なのだ。
 破壊神は元々神々の中では末弟ということもあり、どこの派閥に属するという立場ではなかった。昔もそうだが“リューシャ”という人間としての人格で生きる今は尚更だ。自分の納得しないことで動くような性格ではない。
 今と昔で正反対とすら言える破壊神の性格の変化に、久々に顔を合わせて兄姉たちは軒並み度肝を抜かれていた。
 とはいえ派手な自己紹介を終えた直後には、自由を愛する風の神やお祭り騒ぎの好きな愛の神が爆笑していたのだから結局今も昔も変わりはしないのだろう。昔の破壊神が気に入らなかった神は今の破壊神も気に入らず、結果的に今の破壊神を受け入れたのは昔の破壊神と親交の深かった神々だ。
 たくさんの「おはよう」と「おかえり」をかけられて、人であった少年はようやく神へと還る。
「とりあえずは月神宮に入れてあげるわよ。ちょうど住人が増えたところで色々と模様替えをしているから」
「何なら一緒に寝てやってもいいぞ」
 リューシャは月女神の申し出に頷きつつ、ラウルフィカからのありがたいお誘いは丁重にお断りする。
「陛下と一緒に寝るとか破壊神様ずるい! ……いや、むしろ俺もそこに混ざりたい! 美少年と美青年に挟まれたいはぐわっ!」
 ラウルフィカの軽い冗談に乗った銀月は、本人からきつい一撃をもらっていた。身長や体格という面では若干銀月が勝るのだが、護身程度に武術も嗜んでいた王と研究者気質の魔術師では前者の方が素手の戦闘力は高い。
「喜べ、リューシャ。ひとまず今夜の寝床が確保されたぞ。ザッハール、貴様は床で寝ろ」
「陛下、俺も一応寝台に入りたいです……」
 あれだけ熱烈な告白があった後も、ラウルフィカと銀月の関係はこのようなものだった。あの場面の目撃者となってしまった面々はいつもと変わらないやりとりに溜息をつく。
「何というか……平和ですね」
「平和だな」
「この光景を平和と言って本当にいいのか? 皆して毒されていないか?」
 四阿で呑気にお茶を啜るルゥとシェイの一言に、リューシャは突っ込みを入れる。
「まぁ銀月を寝台から追い出すのはどうでもいいとして、破壊神様ならどうしようもなくなったら最後の手段として辰砂の寝台に潜り込めばいいんじゃないでしょうか」
「もがっ!」
 お茶請けの焼き菓子はなんとティーグの手製だという。一人素知らぬ顔で甘味を堪能していた辰砂は、ラウズフィールの発言に菓子を喉に詰まらせた。
 一方その提案を受けたリューシャはと言えば、瞳をきらきらと輝かせている。
「その手があったか!」
「らーうーずーふぃーるー」
「あ、すみません。つい」
 ある意味ラウルフィカと銀月以上にややこしい関係なのが今のリューシャと辰砂である。辰砂も破壊神のことは可愛がってはいるが、それがリューシャから彼に向けるものと一致はしていない。
 隙あらば抱きついて愛の言葉を囁くリューシャの攻勢に最近はむしろうんざりしてきている姿も見られるのだ。
 それでもリューシャはめげない。あくまでもめげない。ほとんど眠っていたとはいえ数千年越しにようやく和解して気持ちを伝えることができた今諦めてなるものかと、日頃から猛攻撃を繰り広げている。
「辰砂!」
「却下」
「どうして!」
「どうしてもこうしても。うちの狭い小屋にお前なんぞ寝かせる余分はない」
 世界最強の魔術師とはいえもともと質素な暮らしをしていた辰砂の住居や生活は今でも驚く程慎ましい。自分一人寝る場所があれば十分だと言う考え通りに、簡素な寝台と机があるのみの空間である。
「まぁ俺たちもかなり無理して寝てますからねぇ……」
「あ、銀月、馬鹿!」
 うっかりと口を滑らせた銀月に対し白蝋が慌てて制止をかけるがもう遅い。
「へぇ……ほぉ……銀月たちは、辰砂の家で一緒に寝ていると言うんだな」
「その言い方は語弊がある!」
 面倒に巻き込まれてはならないと、紅焔がぶんぶんと激しく首を横に振り否定する。
「話に区切りがつかない時とかわざわざ自分の狭い小屋に帰って一人分の食事をするのが面倒な時とかに泊まらせてもらってるだけですよ」
 ここまで来たら話すしかないと、白蝋が溜息交じりにそう答える。
「でも辰砂の家に泊めてもらっているのは間違いないんだな」
「……」
「まぁ、そうとも」
「言えますが」
 別に一緒に寝ているわけじゃない……と師に対して邪な想いの欠片も抱いたことのない三人は破壊神の嫉妬の視線に耐えながら誓う。
「ああもう、鬱陶しいなお前は!」
「ぶっ!」
 見当違いの悋気を起こすなと、辰砂はリューシャの顔面に盆を叩きつけた。
「辰砂ぁ……」
 リューシャが涙目になっているのはその仕打ちを悲しんだからなのか単純に叩かれた顔が痛いからなのか。
「まぁ寝床の件は単純に月神様のお世話になることで解決するとして……“辰砂様と一緒”問題は長引きそうですね」
「そうだな」
 ルゥとシェイは気にせずにお茶を飲み続けていた。ぎゃーぎゃーと騒がしい男たちを尻目にさっさと焼き菓子を消費していく。
「まぁ……今は照れていても、あのお二人もそのうちなるようになるでしょうね」
 新しい皿を円卓に置きながらティーグがそっと笑う。
 ふいに悪戯心を起こしたものか、ルゥがシェイに話を持ちかけた。
「辰砂様が結局リューシャ様可愛さに折れるに菫の花の砂糖漬けを一壺」
「じゃあ僕はリューシャが我慢しきれずに辰砂様に飛び込むに月の民の特産民芸品を一つ」
「飛び込むの定義は?」
「そりゃあ……」
「二人とも、何を不埒な賭けをしているの」
 ラウズフィールが呆れたようにシェイの頭に手を置いて撫でる。そんな歳ではないとシェイはラウズフィールを恨めし気に見上げるも、その頬は赤い。
「ああ、平和ねぇ」
 いつの間にか月女神が茶会に交じっていた。確か最初は様子を見に来ただけと言っていたような気がするのだが、リューシャの方が脱線して彼女のことを放置しているので暇になったらしい。
「まぁ、いいのではないですか?」
 ルゥは女神のカップに花色の茶を注いでやりながら、幸せそのものの顔で言う。
「これからはあの二人にも、無限の時間があるのですから」

「Fastnacht」了.