006.旅人たちの事情

「あの」
 先行して遺跡に入るセルセラたちの背を見送るアンデシンに、受験者の一人が話しかけてくる。
 実力者として紹介されたものの、アンデシンの外見は人間で言うなら十代の少年だ。他の強面の星狩人たちよりは話しやすいと思われたのだろう。
「さっきの凄く綺麗な子が……あの、例の……」
「“茨の魔女”セルセラかって? そうだよ」
「あれが……!!」
 セルセラを直接見たことはなくとも、その名を知る者は多い。
 ここ二年程で大国の魔獣絡みの問題をいくつも解決し、魔女・星狩人として名を挙げたセルセラだが、彼女には元々もっと有名な肩書があった。
「星狩人協会の“聖女”……!」
 畏怖、羨望、嫉妬。
 人々はその名に様々な感情を向ける。
 そして協会の秘蔵っ子は、それを知りながら今日も表面上は痛痒の一つも感じていないかのように振る舞うのだ。
「せめてお前と完全に対等な立場でいられる相手がいればなぁ」
 共に星狩人となった十年前からの付き合いである同期は、実年齢は大分年下の少女の苦労と強がりをよく知っている。
 セルセラの名を聞いてひそひそと周囲と噂話を始めた星狩人候補生たちの様子を見ながら、彼らとは全く違う態度で臆することもなくセルセラについて行った者たちのことを考える。
「あの三人は有望株だと思うんだよね」
「そうだな」
「巫女殿に迷わずついて行ける者たちじゃからな」
 こちらの考えていることなどお見通しなのか、仲間たちからも頷きが返った。

 ◆◆◆◆◆

「風の糸よ、汝が叡智で我らに道を示せ」
 石壁が延々と暗闇へ続く通路に立ち、セルセラが短い呪文を唱えると、魔導は淡い緑の光となって発動した。
 片手に握った指揮棒のように細い杖から光の糸が遺跡内部を埋め尽くすように無数に伸びて、その最奥を探っていく。
 一度放たれた光は遺跡中を廻り再びセルセラのもとへ戻ってくると、宙空に一つの図面を描き出した。
「この遺跡の地図ですか?」
「なんだかお宝探しみたいだな!」
 タルテが目を瞬き、ファラーシャが顔を輝かせる。
 しかし彼女たちの前に現れたのは宝の地図という浪漫溢れるものではなく、この遺跡内部で不審な動きをする仕掛けや生物の熱源、怪しい高エネルギー体などを探った罠地図だ。
「怪しいのはここと、ここか」
 自分たちや他の星狩人と受験者たちの生体反応を除いても、あちこちで獣のような動きをしている熱源がある。更に遺跡の奥深くの部屋には、どうやら創造の魔術師・辰砂の試練の中身らしい、複雑な装置に囲まれた空間がいくつもあった。
 遺跡の一番奥にある部屋に鉱物の反応があり、これが今回の試験で本来持ち帰らなければいけない辰骸器の原料だろう。
「これだけ巨大な遺跡の見取り図をこんな一瞬で……魔導士とは、みんなこんなにすごいのか?」
 この世界は東側三つの大陸は魔導士の影響が強く、西側三つの大陸は宗教勢力が強い。
 レイルは西の生まれなのか、魔導をあまり見る機会のない者の反応をした。
「ふふん。このセルセラ様を普通の魔導士と一緒にされちゃ困るな。僕にとっては、遺跡の内部を探るくらいお手のものよ」
 表情の薄い顔にそれでも驚愕を浮かべたレイルに、セルセラは調子に乗って告げた。
「僕はいずれ、世界一の魔導士になるんだからな!」
 しかし間髪入れず、ファラーシャの無邪気な突っ込みが刺さる。
「いずれってことは、今は違うってことだな!」
「ぬうう……!」
 ファラーシャの指摘は正しい。現在フローミア・フェーディアーダ一の魔導士はセルセラではなく、その師である界律師・紅焔(こうえん)だ。
 魔導士の歴史は古く、その変遷の中で幾度か呼称が変化した。最も古くは魔術師と呼ばれ、創造の魔術師・辰砂を「魔術師」と呼ぶのもかつての名残だ。
 そして『黒き流星の神話』以降、魔獣に対抗するために魔術師の操る術が有効だと、魔術師の地位が全世界的に見直され向上する過程で、「魔導士」へと呼び方が変化した。
 更に、魔術師を超えた魔術師、魔導士の中でも特に偉大な魔導士を、「界律師(かいりつし)」――世界の律を知る者と呼ぶ。
「そうだよ、今の最強は僕じゃなくて僕の師匠だ。だがいずれ、あの師匠だって僕が追い抜いてやる」
 セルセラが昔から世界一の魔導士を目指している理由は、他でもない彼女の師こそが現在最強の魔導士であるからだ。
 魔導士の頂点に立つ存在の背を、セルセラは幼い頃から見続けている。
 もっとも、その師に言わせれば、「自分の師匠は自分とは比べ物にならないほど凄かった」らしい。
「へー、それがセルセラの夢なのか」
「夢というか、目標だな。具体的にどのような手段で師匠を追い抜きその成果を世に示すか、思考し実行し達成すべき目的。憧れとかいう生温い言葉で終わらせる気はないぜ」
「なんだかよくわからないけど、とにかくセルセラは一番強い魔導士になりたいんだな? うん、がんばれ!」
「……軽すぎる応援をありがとうよ。そういうファラーシャはどうなんだよ? お前は何でわざわざここに来て、星狩人になろうと思ったんだ?」
 星狩人認定試験はこの遺跡以外でも受けられる。単に星狩人になりたいだけなら、むしろ他の場所で通常の試験を受けた方がいいくらいだ。辰骸器取得者選考試験に万が一落ちたら、改めて星狩人の認定試験を受け直さなくてはならない。
 今回の試験も、受験者はこれから星狩人一本で食っていくつもりの者より、他で経験を積んだ傭兵や元軍人らしき様相の者が多かった。すでに魔獣狩りの戦闘経験者が何らかの理由で星狩人を目指そうと思った時に受けることが多い。
 尤も、年齢の話をしてしまうと他でもないセルセラ自身が若いのであまり他人のことも気にしないが。
 ――タルテは聖職者として巡礼をしながら魔獣狩りをするために星狩人の資格と手っ取り早く戦力になる辰骸器を欲している。
 ――レイルは星狩人の地位自体には興味がなく、ただ単にセルセラの血を狙ってついてきている。
 ――セルセラはいずれ師を超え世界最強の魔導士となるために、そしてもう一つの目的のために、辰骸器を欲している。
 では、ファラーシャは?
「私? 私か……私は……」
 反射的に口を開きかけたファラーシャは、けれど少し考えた末に吐き出そうとした言葉を引っ込める。
 あからさまに隠したいことがある様子に、セルセラだけでなく他の面々もそれ以上踏み込むことはできない。
「内緒だ」
 ファラーシャは唇の前でそっと指を立てる。微笑んでいるのに、その顔はどこか悲しげだ。
「……そうか。なら仕方ない。さっさと先へ進むぞ」
「うん。……聞かないのか?」
「言いたいのか?」
「ううん。言いたくない」
「じゃあ良いだろ。こんなの、ただの雑談してしかないんだからよ」
 セルセラはさっさと歩きだす。一瞬きょとんとしたファラーシャも、すぐに後を追うようについていく。
「変わった人ですね」
 二人の背を身ながらタルテが言い、レイルは聞き返す。
「どちらが?」
「全員です」

 ◆◆◆◆◆

 深い山奥。一際立派な時計塔が中央広場に佇む古い街並み。がらんとした人気のない城の中。
 女性は白いドレスの裾を翻して中庭に降りる。
 近くの木の枝から飛び立ち寄ってきた小鳥を器用に指の先に止まらせながら、まるでその話を聞いているかのように小首を傾げた。小鳥のように。
 月光のような極淡い金髪に、透明度の高い硝子のような薄青い瞳。清楚な白い衣装は、どこの姫君かと見紛う美しさ。
「そう……」
 否、聞いているかのようにではなく、彼女には、鳥たちの話す声が人の言葉と同じように聞き取れるのだ。
「もうすぐ……ね」
 細い指先から小鳥が飛び立つ。
 青空に舞い上がった小さな体から抜け落ちた白い羽根をそっと拾い上げて口元に寄せ、彼女は呟いた。
「もうすぐ、ここに勇者たちがやってくる……」
 抜けるような高い空と同じ色の瞳は、遠いその先をただ密やかに見つめていた。

次話 007.竜の骨、骸の器
天上の巫女セルセラ 表紙へ
前話 005.賽は投げられた