008.復讐者の影

「多少の怪我は魔導ですぐに治してやる。ガンガン行け、ガンガン」
「そうしたいのはやまやまですが、こんな罠だらけの遺跡内で無茶を言わないでくださいよ」
 ひらひらと手を振るセルセラにタルテが溜息で返す。襲ってきた魔獣の集団を殲滅した一行は、更に先を急いでいた。
 通路内ではどうしても戦闘できる空間が限られるため、途中途中で襲い来る魔獣の相手はほとんどファラーシャがこなしていた。
 紙屑を引きちぎるより簡単に、獣型の魔獣を素手で屍に変える。
 白い石造りに魔獣の血の痕が点々と飛び散った通路を進みながら、ファラーシャはセルセラに尋ねた。
「なぁ、セルセラ。これから先、どうすればいいんだ?」
「止まれ!」
 ほとんど同時に、並んで先頭を歩いていたレイルが警告の声を発する。
「なんか変なのがあるな」
「これは……」
 レイルが睨み、ファラーシャがのんびりと指さした先には変質した遺跡の通路があった。
 出口が近いらしく、通路の先からは光が差し込んでいる。その薄っすらと光に照らされた部分が、金属的な輝きに覆われている。
 石壁の通路のあちこちから生えている無数の巨大な釘。
 先程、鵞鳥の騎士の登場と共に遺跡の外観を覆いつくしたものとどうやら同じらしい。
「この程度なら避けながら進むこともできるでしょうが……どうしますか?」
 タルテはセルセラに聞いた。
 一行のまとめ役はすっかりセルセラになっている。
「行くに決まってる。何を調べるにしても、とりあえずあの鵞鳥の騎士に接触するのが一番早い」
 遺跡は広く、最奥に辿り着くまでに絶対に通らなければならないポイントは限られている。
 迂回して別の通路を行くこともできるが、セルセラはこのまま釘の生えた道を進むことを選んだ。
「少し試したいことがある」
 レイルが剣を振るうと、釘は真っ二つに斬れた。
「特に罠のたぐいはない、大きさを除けば普通の釘……か?」
「そのようだな。……これに関しては釘自体が罠というより、何等かの魔導が術者の制御を離れてこうした形で顕在化しただけに見えるな」
 レイルが斬った釘に触れて感じ取った魔力の残滓から、セルセラはそう推察する。
 意図して術者が設置したと見るには、これらの釘はあまりにも無造作に放り出されている。
「制御を離れて……?」
「その術者って誰なんだ? 何のためにそんなことしたんだ?」
「そこまではまだわからねぇよ」
「……」
 一番後ろを歩いていたファラダは相変わらず怯えたような困り顔で、通路上に生えている無数の釘を見つめている。
「この先を調べる。行くぞ」
 通路の奥、地下二階への階段が彼らを待ち構えている。

 ◆◆◆◆◆

 迷宮の名にふさわしい分かれ道へとやってきた。
「迷路の攻略法って知ってるか?」
「片手を片方の壁につけたまま歩くというものですか?」
「それが一つ。もう一つは、単純に入り口に糸を結び付けておくことだな。ゴールに辿り着けるかどうかはともかく、少なくとも元来た道へは帰れる」
 タルテの口にした方法は片手が塞がるので、戦闘の時に少しどころでなく困る。
 今回はその攻略法を捨て、セルセラは魔導で自らの杖の先に若葉色の光の糸を紡いだ。
「我らを導け、アリアドネの糸よ」
 この世界が創造される前の古代神話の一つに伝わる女の名を取り入れた呪文を唱え、迷路の入り口に魔導の糸を結び付けて出立する。
 迷子になるのは魔獣の方も避けたいのか、迷路の中では魔獣にもほとんど出会わなかった。
 暇になったセルセラは、他の面々に話を聞いてみる。
「お前たち、この遺跡に来るまでに麓の街や村で最近変わったことがあったとか聞かなかったか?」
 魔導での移動手段に長けるセルセラは、歩く必要のないところは道程をすっ飛ばしてしまう。それでは付近の情報が集まらない。
「それなら近くの街で聞いたぞ。最近変なことがいっぱいあるって」
「私もです」
「俺は別に」
「……」
 セルセラの問いに反応したのは、ファラーシャとタルテの二人だった。セルセラと(レイルとも)出会った時も二人でいたのだ。同じ方向から来たので同じ話を拾っているのだろう。
「私たちが登ってきた側の山の麓の街では、飼い犬が狂暴化したり、窓辺の植物が枯れるとか言ってたぞ」
「その話が気になって最近街を出入りした者たちはいないか聞いてみたのですが、星狩人志望の他に、魔獣狩りがいたそうです」
「……!」
 タルテの言葉にファラダが密かに反応する。その様子を横目で確認しつつ、セルセラは話の続きを聞く。
「魔獣狩り?」
「ええ。関所の人間が星狩人試験の受験者か? と聞いたらそうではないと答えたそうなんです。硝子の街の方へ向かっていたそうですが……」
 それ以上は街の人間も踏み込めず、結局その魔獣狩りのその後は知らないようだ。
「硝子の街だと! そこは今魔王の根城になっているじゃないか!?」
 レイルが驚くが、詳しい話はタルテもファラーシャもわからないと言う。
「だから街人も気になったのでしょう。これ以上は不明です」
「なるほどな……」
 魔獣狩りとは、星狩人協会に属さない魔獣退治人の総称だ。
 ただし今回のように辰骸器の取得を兼ねている試験はともかく、星狩人の資格だけを取ることはそれ程難しくない。
 そのため魔獣狩りとは、なんらかの事情により星狩りの資格を取れなかった、あるいは取らなかった者として星狩りよりも格下に見られることが多い。
「星狩人協会の本部や支部が遠い地域なら資格を持つ星狩りじゃなく魔獣狩りが増えるのもわかる。だがここは協会本部のすぐ近くだ」
 ラウルフィカたちが何をもってこんな不便な場所に支部ではなく本部を置いているのかはともかく、この近くで資格をあえて取らない魔獣狩りがいるのは珍しい。
「そのことは覚えておこう。……もうすぐ迷路の出口みたいだぞ」
 石造りの通路の先の出口、四角く切り取られた光の方へ彼らは歩いていく。
 釘や硝子の破片で怪我をしないようなんとか通路を抜けた先には、中庭のような景色が広がっていた。
 樹々の立ち並ぶ庭園だが、その頭上はドーム状の天井に覆われている広い空間。ここは確かに遺跡の中だ。
「血まみれの釘とは、一段と不気味ですね」
 タルテの言う通り、先程までの通路に生えていた釘の様子がこの中庭では変化していた。
 床や建物、恐らく天井にも生えている無数の釘が、血を被ったようにところどころ赤いのだ。
 だがのんびりと周囲を観察している時間はなかった。
 ――正面から、強い魔力の気配を纏う何者かが近づいてくる。
「やれやれ。ついに『敵』さんのお出ましか」
「俺が相手をしよう。お前たちは後ろへ」
 それまで大人しくしていたレイルが、すっと一行を庇うように前へ出る。
 この吸血鬼の青年は基本的に控えめで人の前に出るタイプではないが、一たび周囲に危険が迫ると真っ先に盾になろうとするのである。
「私も行くぞ」
「魔獣相手に慈悲はありません。例え相手が一人や一匹でも、袋叩きにさせていただきます」
 ファラーシャとタルテも前に出る。
 後ろに庇われると言うよりは単に前に出なかったセルセラと、一人どう動けばいいのかもわからないファラダが後列に取り残された。
「あ……」
「じっとしてれば。無駄に怪我したくはないだろ」
「その」
「それともお前に、あれが止められるのか?」
 一行の視線は、前方から悠然と歩いてくる黒い影に吸い寄せられた。
 黒い兜。黒い甲冑。黒い剣。
 硝子片を踏み分けて進んで来るのは、生の気配がしない黒い影の騎士。
 その騎士は数羽の黒い鳥を従えている。
 ――騎士と同じく、影でできたような鵞鳥だ。
 どう見ても鵞鳥の騎士の関係者。新手の刺客か、何かの意味がある幻影か。
 影の鵞鳥の姿を見て、ファラダが小さく震える気配がした。
 魔獣は背徳神の魂の欠片を取り込んだもののことなのでどんな生き物でも魔獣になる可能性はある。だが、鵞鳥の魔獣は珍しい。
 あらゆる生命への憎悪を煽られ戦いへ赴かされる魔獣の素体は、やはりもともと強くて獰猛な獣であることの方が多い。
 鵞鳥も警戒心が強く大声で鳴き騒ぎ嘴で攻撃を仕掛けることから番犬代わりに使われることはある。それでも虎や狼、獅子や鷹に比べれば魔獣の素体として選ばれにくいのだろう、鵞鳥の魔獣はセルセラたちもあまり見たことがない。
 ただし。
「鵞鳥自体は長く人間に飼われてきて、人間の生活には相当馴染みが深い」
 黒い騎士の周囲に飛び交う鵞鳥。そして遺跡を変容させた血まみれの釘と硝子片。
(……待てよ。ガチョウに釘。確かこれって……)
 セルセラの頭を何かがよぎったが、その思考の端を捕まえる時間は与えられなかった。
 目前に迫った黒い影の騎士が、一行に攻撃を仕掛けて来たからだ。
 ガキン、と音を立ててレイルの剣が黒影騎士の刃を受け止める。
「風よ! 戦士に汝の加護を与えよ!」
 セルセラがすかさず杖を振りレイルに防御支援の魔導を投げる。更に全員に防御術をかけて、ファラダを先程来た通路出口近くまで引きずるようにして戦線から下がった。
 鵞鳥の騎士に近い姿をしていることが関係あるのか、先程まで襲い掛かって来ていた魔獣とは比べ物にならないほど黒影の騎士は強い。
「でも、あいつらの敵じゃない」
 レイルやタルテは黒影騎士の動きをなんなくいなし、隙ができたところをファラーシャが横から殴りつける。
 カラン、と黒影騎士の兜が落ち、やはり影のような長い髪が宙を舞った。
「……! 女性……?!」
 騎士の中身は顔の造作などまったくわからない、のっぺりとした影人間だったのだが、髪や体格の感じから、その姿が女性であることは自然と一行にも感じ取れた。
 剣を握るレイルの腕が驚きに少しばかり鈍る。黒影騎士はその隙を見逃さない。
 一瞬にして距離を詰めて斬りかかろうとしたところを、タルテの槍が阻み、即座に背後に回ったファラーシャが再び殴りつける。
「何油断しているんですか! レイル!」
 戦闘中に動きを止めたレイルを、タルテがぴしゃりと叱りつける。
「すまん」
 レイルは素直に謝った。
 ファラーシャを庇った時といい、レイルはどうやら女性が相手だと調子を狂わされるようだ。
 そうこうしているうちに、ファラーシャが黒影騎士を追い詰める。十分に弱らせたところで、タルテが槍でトドメの一撃を放った。
 黒影の騎士は悲鳴の一つも上げずに消える。影が霧になるように、真っ黒なその姿が宙へと散り散りになって消滅した。
 騎士が消えるのと同時に、周囲でがぁがぁと泣き喚いていた鵞鳥たちも消えていた。
「……で、何だったんだ? あれ」
 黒影の騎士は消えたが、それ以外の遺跡の変容は収まらなかった。
 セルセラはそろそろ事態をはっきりさせようと、隣の男に向かって話しかける。先程黒影の騎士と、その周囲の鵞鳥に反応していたファラダに。
「なぁ、ファラダ。何か知ってるだろ、お前」
「……!」

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