022.聖なる巫女と呪われた騎士

 聖堂の扉を体当たりするかのように乱暴に開く。一瞬騒然となりかけた葬儀の参列者たちは、けれどそれが聖女の最愛の騎士の姿だと知って言葉を失った。
「レイル……」
「陛、下。エスタ様は……!」
 青褪めたレイルの顔は今やほとんど見えない。この場に駆け付ける前、世話役と医者たちに無理やり巻き付けられた包帯の下では爛れた肌から赤い血が滲みだしている。
 本人はほとんど気にしていなかったが、剣の腕と共にその美貌でも知られたレイルの凄惨な姿に、参列者たちは一様に衝撃を受けて凍り付いてしまっていた。
 しかし彼らよりなお冷たい氷の中にいるようなのは、雪でできたかのような白い棺の中にいる少女。
 血の気の引いた白い肌。神に心臓を捧げたために胸に空いた傷口を隠すため、レイル以上にきつく包帯を巻かれた体を、香りの強い百合の花が彩り何もかもを誤魔化そうとしている。
「あ……あああああああ!!」
 棺に取りすがり泣き喚くレイルを、誰も止めることも、咎めることもできなかった。
 聖女は死んだ。
 国を救うために、文字通りにその身を犠牲にして。
 騎士が魔王を倒し、国に平和が訪れると人々は期待した。
 しかし、魔王の部下が残党を率いて王国を滅ぼそうと攻めてきたのだ。
 最強の剣士が戦えない今、魔獣の軍勢に対抗する力は片田舎の小国にはありはしない。星狩人協会への救援要請もしたが間に合わないだろう。
 王国を守るために立ち上がったのは、まだ幼い聖女。
「陛下、妃殿下、王女殿下。これまで良くしていただいて、本当にありがとうございました。短い間ですが、お世話になりました。レイルのことをよろしくお願いします」
 いつ果てるかもわからない呪詛に苦しむレイルの姿を脳裏に浮かべつつ、エスタはこれまで自分を保護してくれた国王一家に、飾らない自分の言葉で別れの挨拶を告げる。
「聖女様……」
 何度も考え直すよう国王を始めとする周囲の人々に説得されたエスタだが、意志を変えることはなかった。
 二人が最後に顔を合わせたのは、ようやく激痛が引き暴れ疲れたレイルが意識を喪失していた数時間。
 横たわる彼の血に濡れた顔を覗き込みながら、聖女と呼ばれた少女は己の騎士に告げる。
「愛しているわ、レイル。あなたを絶対に死なせたくない。だから――ごめんなさい」

 行かないで、と願ったのは自分なのに、彼を置いていく。
 それでも絶対、あなたに生きていてほしい。
 だからどうか、逝かないで。

 己の騎士を死なせたくない。そのためだけに、十四歳の少女は神に命を捧げて国に平和を取り戻す。
 レイルが目を覚ました時には全てが遅かった。
 魔獣の軍勢は聖女の犠牲に応えた神の力により滅ぼされ、主の死に顔が彼を出迎える。
「……お守りできず、申し訳ありませんでした。エスタ様……俺は、聖女の騎士失格です……」
 白い棺の傍らで、瀕死の身体でもこれだけはと身に着けていた剣をレイルは鞘から抜く。
「やめてレイル!」
 いち早くその意図を察した王女が制止の言葉をかけるがレイルは聞く耳持たない。警護の兵や祭壇の前の司祭もレイルを止めようとするが国一番の剣士の動きには間に合わない。
 躊躇わず切り裂かれた頸動脈と、神聖な聖堂に弧を描いて飛び散る血飛沫。
 まだ痛みが引いたばかりで力の入らない腕では、肋骨を裂いて胸を刺すよりやわらかい首を斬る方が簡単だった。労力は僅かでもあっという間に死が訪れる――はずだった。
「……は……?」
「レイル……!?」
 流れ出した血の色の鮮やかさとその量とは裏腹に、レイルは死ぬどころかその場に倒れる気配すらない。まともに見てしまった貴族の何人かが卒倒するほど深い傷口で、まだ首が繋がっている方が不思議な状態にも関わらず。
「まさか……」
 周囲を構わぬレイルの耳には人々の恐怖も戸惑いも騒めきも遠い。国王夫妻と王女が絶望的な表情で呻く中、ようやく自分を三日三晩苦しめた呪詛の正体をレイルは理解した。
「そうか。そういうことだったのか……!」

 ――あの娘のもとには行かせない。

 魔王の呪詛の声が耳元で蘇り、聖女の騎士は――。
 否、主君を騎士として守ることができず、呪われて不老不死の吸血鬼となったただの男は、再び絶叫した。

 ◆◆◆◆◆

「俺は国を出た。主君との思い出がある祖国に留まるのが辛かった」
 聖女の力は国内の全ての魔獣を消し飛ばし加護の力で包みこんだ。その後訪れた星狩人の魔導士の話によれば、キノスラが魔獣被害に頭を悩ませることは数十年はないだろうという話だった。
 ならばその間に聖女も、最強の騎士ももう必要ない。
 レイルは国を捨て、人の気配のある場所からも離れてどこかの山奥に籠もった。
「ずっと剣の修行をしていた。そうすれば何も考えずにいられたから」
 かなりの頻度で寝食を忘れ、当時でさえ魔王を倒せるほどの剣の腕を更に磨く。
 それでもレイルの心が晴れることはない。
 祖国の冬の吹雪のような冷たい氷の花が常に胸の裡に降り積もり続けていく。
 その冷たさに耐えられなくなる何十年かに一度、レイルは山を下りて呪いを解く方法を探して回った。
「どんな高名な魔導士も聖職者も、魔王のかけた呪いを解くことはできなかった」
「そりゃそうだろうな」
 これまで大人しく話を聞いていたセルセラが相槌を打つ。
 ただでさえ呪いという怨念の集大成を解くのは難しいと言うのに、仮にも魔王と呼ばれる存在が己の生命をかけた呪いをそう簡単に解ける術者はいないだろう。
 不老不死の呪いが解けず、一度知り合った人々に次に会いに行った時は墓標が出迎えるような生活をレイルは何十年も続けた。
 吸血鬼の肉体の頑丈さとは裏腹に、心が擦り切れて狂いそうになる。
 “先視の民(タンジーム)”の預言者ヤムリカと出会ったのは、そんな頃だった。

「あなたの胸に希望を宿せしは小さな花。聖なる魔女が、永き桎梏からあなたを解き放つ」

 その“聖なる魔女”と出会うことだけを心のよすがに、レイルはこの十年を耐え忍んだ。
「セルセラ、お前は……俺の主と顔立ちが似ている」
「は?」
「あの時……初めて出会った時、俺がお前をすぐに予言の相手だと思ったのは、聖女であったあの方と重ねていたからだったんだな……」
「いや知らんがな。僕様みたいな超絶美少女がそうそういてたまるかよ」
「確かに造作だけならお前の方が美しい。髪と目の色が違うし雰囲気は正反対だ。だが……」
 想い出の世界に入りつつ勝手に納得している様子のレイルに、セルセラが片眉を吊り上げる。
「あのー、一つ気になったことがあるんだけど聞いていいか?」
「なんだよファラーシャ」
 何故かレイルではなくセルセラの方を見て手を挙げたファラーシャに水を向ける。
「なんで最初から星狩人協会を頼らなかったんだ? 小さな国でよっぽどお金がなくても、多少は後払いで引き受けてくれるはずだろ?」
「ああ。そこか……八十年前だから、単純に時期が悪かったんだろ」
「時期?」
 当事者であるレイルではなく、星狩人側の歴史も頭に叩き込んでいるセルセラが説明する。
「ああ。星狩人協会は百年ほど前に、六の魔王討伐に失敗して壊滅寸前に追い込まれているんだ。そこから二十年やそこらじゃ、まだ組織を立て直すのに必死で今みたいな余裕はなかったはずだ。当然金もないから依頼料も高かっただろうしな」
「そうなのか?」
「そうだと聞いている。依頼料と言うより、純粋に魔王に対抗できるだけの人材がいなかったと」
 百年前、六の魔王は当時一番の星狩人を殺し、その勢いで手練れのほぼ全てを殺しつくした。後進が育ち協会を立て直すには大分時間がかかったらしい。
 強い星狩人が死ぬと言うことは、その技術を後の世代に引き継ぐ者もいなくなったということである。
「星狩人協会がどのぐらいで態勢を立て直したかはわかりませんが、少なくとも協会の勢力が劇的に伸びたのは、ここ十年ぐらいの話ですよね」
 星狩人協会とは切っても切れない縁を持つ聖職者側の観点からタルテが告げる。
「ああ。僕が生贄術師としての能力を得たのと、ラウルフィカが養女としてヤムリカを拾ったのがそのぐらいだからな」
 ヤムリカの預言の力で少しでも被害が起きる前に対処するようになり、セルセラの魔導と生贄術で被害者や犠牲者の回復や復帰を早める。
 星狩人協会の権力が増したのは、二人の少女の力を得たここ十年の話だ。
「そういうことなのか。だからレイルは試験のことも知らなかったんだな?」
 同じ山籠り修行派でも、星狩人の存在を知り試験を受けて制度を利用する気のあったファラーシャと、星狩人の存在にまったく興味がなかったレイルはそこが違う。星狩人に対する信頼に差があるのだ。
「そうだな……」
 いまだ己の過去を覗き込んだままの瞳で、レイルが虚ろに答える。
 それにまた苛々しながら、セルセラがレイルに問いかけた。
「で、結局お前の望みはなんだよ。呪いを解いたってお前の主は生き返って来ないって言うのに」
「え? 呪いを解くことそのものが目的なんじゃないのか?」
 いくらセルセラが最強の聖女と呼ばれていても、さすがに八十年前に死んだ少女を生き返らせることは無理だ。
 けれど聖女としては、一国を救ったレイルの主君でも比べ物にならないほどの実力を持つセルセラなら、吸血鬼化の呪いを解くことだけはできる。
 しかし。
「呪いを解いたところで、帰るところがないんだろ? 山籠りなんかしてたっていうなら他に行く場所もないだろうし。……それで何故、今更、何のためにお前は呪いを解こうとする? その先に何がある?」
 主君が死んだのは八十年前。知人も全て同じくらいの年代の人間。まだ生き残っている者もいるかもしれないが、長生きしてもそろそろ皆寿命だろう。
 レイルに帰る場所があり、待っていてくれる人がいるのであれば今すぐ呪いを解いてやっても構わない。けれど彼にはもう、迎えてくれる人がいないのだ。
 言いながらセルセラは、薄々察していた予想を確信する。
「先は、いらない」
 レイルの薄い唇から零れ落ちた、淡く溶けて消える雪の花よりも儚い言葉。

「死にたい」

 還る場所も迎えてくれる人も、復讐する相手すらももはやこの世にいない孤独な騎士は、ただそれだけを望んでいた。
「俺は、吸血鬼として呪われた永遠を生きるより、人として死にたい」
 主を守り切れなかった無能な騎士であるどころか、その後を追って殉じることすらできなかった。
 もう敬愛する聖女は死後の国ですら彼を待っていてはくれないかもしれないが、それでも。
「そのためにずっと……呪いを解く方法を探していたんだ」
「……!」
 半ば予想できた答にも関わらず、ファラーシャとタルテは、息を呑んで言葉を失う。
 外見ではそれほど年齢差がないように見えるが、目の前の青年に見える男はまだ十代の彼女たちには計り知れない時間を生きてきたのだから。
 しかし、当の願いを向けられたセルセラは。

「いい加減にしろ、この大馬鹿野郎。誰がお前の願いなんか叶えてやるもんか」

 呪われた騎士の切なる望みを、呆気なく斬り捨てたのだった。

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