天上の巫女姫セルセラ 027

第2章 永遠を探す忠誠の騎士

027.騎士と少女たち

 称号に関するやりとりを終えて本部の外へ出たレイルを、セルセラたち三人はいつからか待っていたようだった。
「話は終わったようだな。街へ行くぞ」
「今からか?」
「ああ。服ができた」
「早いな」
 先日訪れた店へ四人連れ立って訪れる。
「わぁ……!」
 魔導鎧装布と呼ばれるその名の通り魔導で強化された生地を加工した、星狩人用の戦装束。
 先日ドロミットにお勧めされた型を基調に、細部に至るまで自分専用に仕立ててもらった一着を着て、ファラーシャははしゃいだ声を上げる。
「いいじゃねえか」
「似合ってますよ、ファラーシャ」
 深い青い生地に金の刺繍と装飾。
 細部の留め具に使う宝石などの色を瞳の色に合わせた碧で調整してもらったため、一段とファラーシャに似合いの一着となっている。
「もちろん見た目だけじゃなく戦闘機能も高い逸品だぜ」
「セルセラ様から金に糸目をつけずに最高級の鎧装布を使うようご依頼されましたので」
「最高級……」
 自らの巡礼衣装を魔導鎧装布にしているため、多少の相場を理解しているタルテが伝票を見て顔を引きつらせる。
「レイル様の方はどうですか?」
「いや、その……」
 何故か困惑した表情で試着室から出てきたレイルの姿に、ファラーシャが自分の衣装を着た時よりも歓声を上げる。
「格好良い!! すっごく素敵だぞレイル! まるで物語に出てくる王子様か騎士様みたいだ!」
 乙女小説好きの血が余程騒ぐらしく、ファラーシャは単純な語彙ながらとにかくレイルの姿を褒めちぎる。
「……そうか。おかしくないならいいんだが」
 黒は黒でも、光沢のある青みを帯びた黒。
 マントは白だが、こちらも表面が薄青く輝くような生地だ。
 演劇用の舞台衣装では、白は文字通りの純白ではなく水色を帯びた色にするという。
 それと同じく、青みがあるからこそ映える白。
 裏地は藍色で、下部に銀の刺繍で雪の結晶のような紋様が描かれている。
 全体的に落ち着いた印象でまとまっているが、決して地味ではなく、レイルの清廉な美貌を引き立てている。
 もちろん、長旅や過酷な戦闘を想定した星狩人の装束として必要な機能も完備だ。
「全然おかしくなんかないぞ! その格好で助けに来たら、きっとみんなすごい騎士様が来てくれたって感激するぞ!」
「そうだろうか」
「似合っていますよ、レイル」
「……」
 やたらと興奮するファラーシャに、さっきと同じことしか言わないタルテ。
 二人の称賛を受けながら、照れると言うよりは困惑の強いレイルの表情をセルセラは訝りながら観察していた。
「……」
 残りの注文は後日、暇を見てこの大陸に戻り受け取る約束をして、セルセラたちは店を出る。
 この後街に用事があるレイルは一人店の中に残り、先日の紫髪の店員・ウルリークと話をしていた。
「……何故、このデザインになったか聞いても良いでしょうか?」
「我々の決めたデザインはお気に召しませんでしたか?」
「いえ、素晴らしい衣装だと思います。思うのですが」
 そしてレイルは、ここ数日口癖のように繰り返している言葉をウルリークにも告げる。
「俺なんかが……こんな素晴らしい服を着て良いのでしょうか」
 かつて亡くした主君を悼むレイルは、身につける衣装に喪のような黒を希望していた。
 しかし実際に出来上がってきた衣装は、非の打ちどころのない騎士装束。
 不満と言うよりも、ただ単に困惑していた。
 自分が先日、何か伝えそこなったのかと。
 しかしウルリークは、悪戯っぽく微笑む。
「衣服は所詮生活上の道具の一つに過ぎない。どんな服を着ているかが大事なのではありません。どんな人が着ているかが大事なのです」
 彼女の行動は確信的なもの。レイルの注文を理解していなかったのではなく、わかったうえであえてやっている。
 普通なら金を返せと言われても仕方ないが。
「星狩人の正装は、魔獣と相対するための戦装束。喪のような衣装を身にまとって、あなたは生きて帰るために戦おうと思えますか?」
 その言葉にレイルは思い知らされる。
「生きて……」
 人として当然の想い。
 けれど自らが求めた訳でもない不老不死に心身を苛まれる吸血鬼には辛い望み。
 本来勝たなければならない場面でも、死に場所を求めてしまう。
 それが自分の抱える業なのだと。
「どんな服を着るのかは、他人にどう見られたいかと同じこと。他者の目に映るあなたはどんな人間で、あなたの目に映るあなたはどんな人物でしょうか?」
 自分はどんな人間なのだろう。他者からどう見られているのだろう。
 そして、自分自身はどんな人間になりたかったのだろうか?
「あなたが思うあなた、あなたが誰かから思われたいあなたの印象と、その服があまりに乖離したものであるならば、当然お代は頂きません。新たにご希望の商品をお作りいたします」
「いや」
 弔いの喪服を身にまとうことによって戦意を高揚させる戦士もどこかにはいるだろう。
 だがウルリークの言う通り、レイルはそういう人物ではないのだ。
 先程もらったばかりの、他愛もない誉め言葉が耳に蘇る。
 ――その格好で助けに来たら、きっとみんなすごい騎士様が来てくれたって感激するぞ!
 ――似合っていますよ。
 レイルは自然と服の胸元に手を添え、今の考えを口にした。
「これでいい……いえ」
 躊躇いを振り切り、間違えようがない程はっきりと告げる。
「これがいい」
 本当はわかっているのだ。いつまでも、過去に引きずられていてはならない。
 ウルリークはそれを聞くと穏やかに微笑み、優雅に一礼する。
「お買い上げありがとうございました。勇者様の旅のご無事をお祈り申し上げます」
「……こちらこそ、ありがとうございました」

 ◆◆◆◆◆

 客足の途絶えた静かな店内に、くすくすと笑い声が響く。
「まったく、ラウルフィカさんって面白い人材を発掘する天才ですよね」
 美しい紫髪の店員は、金髪の青年の後ろ姿が消えると同時にがらりとその口調を崩す。
 豊かな胸元と細い腰の艶めかしい女性の姿とは印象の違う砕けた物言い。
 そして、その物言い通りに姿が変わっていく。
 彼女から、彼へと。
 大人の女性から、線の細さを残す少年へと。
「大願成就ももう間近、か。……別にあなたたちの目的は魔王を倒すことでもないでしょうに」
 神々の眷属として千年以上を生きている青年の名を親し気に呼んだ彼――魔族のウルリークは、遥か天上の知人たちへと思いを馳せる。
「ま、地上が滅びるのは俺も困りますし、こんなことでいいならあの子たちに少しぐらい手を貸してあげましょうかね」
 友人の弟子であり、星狩人としての装束だけでなく、聖女としての衣装も全部この店で注文してくれるお得意様の少女。
 と、その仲間たち。
 類は友を呼ぶと言うが、実に個性的な面々が揃ったものだ。
 彼らを見ているだけでしばらくは楽しめるだろう。
「天上の巫女に吸血騎士、特殊民族の蝶の姫に、最後の一人は……」
 待ち望んだものがやってきた。それは人か時代か、あるいは他の何かか。
「この先が楽しみですね」
 悪戯を通りこして意地悪気な笑みを浮かべると、近づく人の気配に一瞬でそれを消す。
「いらっしゃいませ」
 次の瞬間には、そこにいるのはただの愛想の良い店員の女性でしかなかった。

 ◆◆◆◆◆

「家畜の血を売ってほしい? 何に使うんだい?」
「連れが料理好きなんだ」
「ブラッドソーセージでも作る訳か? わざわざ手作りしないでも、買った方が早いのにな。ほらよ」
「ありがとう。恩に着る」
 古びた銀貨をわたし、レイルは獣の血の詰まった袋を受け取った。
 慎重に誰もいない場所を探してその中身を煽る。
 栄養補給と言うには、鼻を衝く鉄錆の臭いはあまりに生臭い。
 新しい衣装に早くも血臭が染みつきそうで、一気に気持ちが沈み込んだ。
 吸血鬼。
 血を吸って生きるもの。
 血を飲まねば生きていけないもの。
 魔族のように先天的な吸血の習性を持たないレイルには、人間を襲うことは心理的に難しい。
 どうしても街中に赴かねばならない時は、屠殺場で殺す家畜の血を買うことにしていた。
 それ以外で血を摂取する機会は極端に少ない。
 全ての現実から逃げて山籠りしていた間は、食事すら極力摂らずに済ませていた。だがこれからはそうもいかないだろう。
 健康には自信があったはずだが、この体になってからは貧血のせいで常に体が重い。
 足元の地面に落ちた影から憂鬱が這い上がってくる。
 こうまでして生きなければならない。
 役目を果たせず、主君を亡くし、もはや生きる意味などないのに、他者の血を啜ってまで生きねばならない。
 優美な衣装。
 神秘の力を秘めた武器。
 優れた星狩人の称号。
 本当に自分はそれらに相応しいのか。本当に自分がそれらを得てしまっても良いのか?
 自問は尽きない。誰かの口から答らしい言葉を聞いたところで、心から納得することができない。
 けれど、自分の未熟さを、弱さを、罪を、思い切って他者に打ち明ける勇気もない。
 流されているだけだ。八十年前から何一つ変わっていない。
「……エスタ様」
 主君の顔を思い返す。
 自分はまだ彼女に――聖女に縋っている。

 ◆◆◆◆◆

 血臭を消すため一通り街はずれを歩いてから宿に戻ると、隣室のファラーシャに呼ばれた。
「おかえりレイル! 出発の相談をするからこっちの部屋に来てくれ!」
 別の部屋のタルテはもちろん、本部で寝起きしているはずのセルセラもすでに集まっている。
「よし、来たか」
 地図を広げたセルセラは、中央大陸へ向かうと告げる。
「理由は? やはり二の魔王狙いですか?」
「それもあるが、どっちかというとこっちが本題」
 セルセラの手には二通の封筒があった。誰かが彼女に宛てた手紙だ。
「誰からですか?」
「ディムナとエルフィス」
「フィアナ皇帝とファンドゥーラー王?」
「そうだ。あの二人が僕と関わりが深いことはお前も知っているだろう?」
「白の覇帝と屠竜王。どちらもあなたが救ったと有名な国の君主ですね」
「ああ」
 レイルはこっそりファラーシャに尋ねる。
「ファラーシャは知っているか?」
「ええと、フィアナ皇帝って言うのは中央大陸の大きな帝国の皇帝陛下だって言うのは知ってる。ファンドゥーラーは……なんだろう?」
 疑問符を浮かべる二人を置き去りに、セルセラとタルテの間でさくさくと旅程が決まっていく。
「中央大陸には海の魔獣を掃除しがてら船で渡る。向こうも護衛の魔獣狩りを探しているから、こっちの実力次第で運賃の交渉が可能だ」
「こちらは安く別の大陸に渡れて得、向こうも安全に航海できれば得という訳ですね」
 現在、大陸間の移動は酷く難しいものとなっている。他でもない、魔獣の襲撃が理由だ。
 魔獣が現れる前より移動が困難なのは陸地でも一緒だが、海では更に段違いの危険が伴う。
 逃げ場がない海の上では、魔獣の襲撃を避ける手段がない。手練れを集めても大型の魔獣に船を沈められれば一貫の終わり。
 だからセルセラのように広範囲を魔導で守護することのできる魔導士は、航海では重用される。
「異論はないな」
「ああ」
「うん」
 元より目的らしい目的を持たずにセルセラについていくことだけを決めているレイルと、仇を探そうにも今はまだ手がかりの一つも持たないファラーシャはセルセラの決めた方針に頷くだけだ。
 話が一段落したところで、三人はセルセラに小さな袋を押し付けられた。
「これ持っとけ」
「なんですかこれ」
「わー、いい匂い」
 爽やかな芳香を放つ桃色の袋を見つめてファラーシャは微笑み、タルテとレイルは首をかしげる。
「見ての通り……嗅いでの通りの香り袋だ。消臭効果が期待できる」
「……」
「へぇー。要はポプリだな。ありがとう!」
「ローズマリーにレモングラスと……自然な香りですね」
 二人はは素直に受け取ったが、レイルは香り袋と聞いてまさか、と思った。
 昼間血の匂いを消すためにあえて遠回りして宿に戻ってきたことを思い返す。
「セルセラ」
「明日の朝食はブラッドソーセージとレバニラとほうれん草のシチュー」
「!」
 どれも貧血に良いとされるメニューの羅列に、レイルは息を呑む。
 この分では、彼が先程何をしてきたかも全部バレている。
 気まずい顔のレイルに対し、セルセラはふっと軽く嘆息する。
「身体が資本の星狩人とも思えない青白い顔しやがって。とにかく鉄分を摂れ鉄分を」
 自らの体内に血液が大量にあれば、わざわざ他者から奪う必要もない。
「僕は、お前が今更何をしようと知ったこっちゃない」
「……ああ」
 香り袋を渡したのは、レイルが今日のように血を飲んで戻って来てもその臭いを気にするなと言うこと。
「……ありがとう、セルセラ」
 ふいと視線を背けたセルセラは、そのままタルテやファラーシャと話し出す。
「これ、セルセラが自分で作ったのか?」
「そうだ。伊達に緑の魔導士と呼ばれちゃいないぞ」
「薬草知識を活かして強力な消臭効果を発揮している訳ですか。さすがですね」
「すごいなぁ。私もこういうお洒落なもの作ってみたい」
「ただの布袋に草や花を乾燥させて詰め込むだけだから簡単だぞ」
「私の不器用さを舐めるなよ!」
「えばってどうする」
 賑やかな少女たちのやりとりを聞くうちに、レイルは気持ちが解けていくのを感じた。
 彼が身構えるほどには、周囲は彼のことなど気にしていないのだ。良い意味でも悪い意味でも。
「レイル? どうしました?」
「いや……なんでもない」
 彼が誰も救えずとも、関係なく世界は続いて行く。
 一人でまるでこの世の終わりのような悲壮な顔をしていても何にもならない。
 まだ自分に何ができるかわからなくても、それだけは確かなことだった。