040.人魚の鎮魂歌

 つぎはぎの怪物。
 誰もが「それ」を見た瞬間に思い浮かべる言葉だ。
 怪物の皮膚は、文字通りいくつかの人の皮膚をあちこち縫い合わせたような継ぎ接ぎ。
 骨格は人間のものではなく、民家ほどもある肉の小山のような姿をしている。
 その小山のつぎはぎの表面に小さな腕や足が生えていて、顔にはその巨体に不釣り合いな小さな眼球が無数に浮かんでいる。
 そして怪物の表皮のところどころには、他の箇所より幾分生前の面影を残す「顔」が浮かんでいた。
「うわ……なんだこれ……」
「怪物……」
「……あれが、ディムナの言ってた怪物か。だが。この姿は――」
 レイルとファラーシャは即座に辰骸環(アスラハ)を起動した。
 セルセラも周囲の人々を守る結界を展開し、怪物の攻撃に備える。
 突然現れたわりに動きののっそりとした怪物から目を離さないまま、近くにいた葬儀社の人間に問い質す。
「おい、あれはなんだ」
「し、死体を盗んでいく怪物だよ! あれがどこから来たかなんて、誰も知るもんか!」
 まだ子供が死ぬ前から葬儀社がやって来たのは、怪物に死体を盗られないためだったと葬儀社の人間は説明する。
 死の淵にいた子どもはすでにセルセラの治療によって峠を越した。
 盗むべき死体はない。怪物が何によって子どもたちの死体を見分けているかわからず、この先の行動も予測がつかない。
「目的のものがないならこのまま帰ってくれると言うのならいいが……」
 レイルの希望も虚しく、回収すべき死体を見つけられなかった怪物は、何かの液体に濡れた肉の鞭のような腕をしならせる。
 肉の鞭は無造作に石畳を砕き、周囲の人々が悲鳴を上げた。
「ちっ……! 戦闘開始だ!」
 セルセラは言いざま、街人を守るための結界をもう一枚展開する。
 すれ違うように結界の外に出たレイルが、剣で怪物の触手を斬り払う。
「効かない……!?」
 しかし怪物は自らの腕の一本が斬り払われたのを見ても意に介さず、ずるずると不気味な音を立てて診療所へ一歩ずつ近づく。
「これでどうだ!」
 無防備なその背中に、ファラーシャが矢の雨を降らせた。
「ええ~! これも駄目?」
 背に無数の矢が突き刺さりハリネズミのようになった怪物は、まるで痛みを感じていないかのように動き続ける。
「攻撃が通らないというより、痛覚がないようだな」
 セルセラの脳裏を人工物と言う言葉がよぎる。
 不自然なのだ。目の前の怪物は、外観よりもその反応が動物らしくない。
 虫か、あるいは機械のように感情を排して本能と反射だけで行動している。
 魔獣の中でも無機物に黒い星が宿り生命を得た物はいるが、それともまた違った行動パターンだ。
「攻撃が効いていないわけではないなら、足を斬れば移動を止められるはず――」
 診療所の中に死体はないとわかっているのか、いないのか、怪物はずるずると歩み続ける。
 一太刀で斬り伏せようと、レイルが辰骸環“雪の剣”を構える。しかし。
「やめてくれ!」
 その腰に男が一人縋りついた。
「なっ……!」
 最強の剣士も、守るべき背後の人々に対しては無警戒でいた。悪意のない行動には、容易く背後をとられる。
「一体何を――」
「あれはうちの子だ! ……うちの子なんだよ!」
 涙交じりの男の言葉にレイルは驚き、正面の怪物を振り返る。
 つぎはぎの肌の一部に人の――子どもの顔のようなものが浮かび上がっているのを見て取り総毛だった。
「しかし、あいつをこのままにしておくわけには……!」
 怪物はべちゃべちゃと音を立てて移動する。
 つぎはぎの合間、腐り、溶けだした肉がぼたりと垂れる。
 その巨体だけでも人間を踏み潰せばただではすまない。
 しかし、レイルには自分が剣を振るうのを止めようと必死で縋りつく男を振り払うことはできなかった。
 背後を見れば男だけでなく、他にも何人も、目に涙を浮かべて怪物を見上げている街人がいる。
 今まで怪物に子どもの遺体を奪われた親兄弟たち。
「何をやっているんですか、レイル!」
「タルテ!」
 別行動で教会を回っていたはずだが、戦闘の気配に気づいたのだろう。通りの向こう側からやってきたタルテが、即座に状況を見て取り街人を振り払えないレイルを叱責する。
 その手の中で紅い耳飾りが次の瞬間には柄の長い槍斧へと変わり、怪物の背を斬り裂いた。
 ファラーシャの矢には動じなかった化け物は、何故かタルテの槍斧には反応した。

「ギャァアアアアアアア!!」

 臓腑に響く咆哮が轟く。
 怪物の傷口で青い炎が燃えた。
 爆風が、怪物の振りまく悪臭を一気に吹き飛ばす。
「タルテ、あの怪物の正体はっ」
「知ったことではありませんよ!」
 タルテは先程の街人の言葉を聞いていなかったわけではなく、聞いた上でそれでもレイルに戦えと促しているのだ。
「あれが盗まれた子どもたちの死体でできているから? だから!? そのために、今生きている人間に殺されてやれと言うのですか!」
「それは……」
 タルテの厳しい物言いに、レイルも周囲の街人たちも反論の言葉を持たない。
 皆本当はわかっている。
 感情がついていかないだけなのだ。
「そこのあなた! 星狩人(サイヤード)の行動を邪魔するからには、その化け物に殺される覚悟があるんでしょうね?」
「そんな、俺はただ……」
「そんな気もなくただ周囲の人間を危険に晒したいだけだと言うなら、全てから耳を塞いで家に閉じこもっていなさい!」
 ぴしゃりと言うタルテの言葉に、周囲の人々は泣くばかりでもはや誰もまともな反応ができない。
「ああああ。めちゃくちゃじゃないか! もー!」
 レイルが動かないので一人必死で矢の雨を降らし続けて怪物の行動を制限していたファラーシャが、やけくそ気味に腕を動かしながら叫ぶ。
「セルセラ! どうするんですか!」
「ちょっと待て! 今そいつの思考を読み込んでるから! 周囲の奴らは、そいつの中が結局中身も怪物になってたら諦めろ! そうでない時は……!」
「そうでない時は!?」
 タルテが鸚鵡返しに尋ね返した時、セルセラの脳裏に怪物の感情が伝わってきた。

 もういやだ。
 どうしてこんなことをしなくちゃいけないの?
 かえりたい。かえりたかった。
 いたい。くるしい。くらい。つらい。
 ぱぱ、まま。
 ぼくらはどこにかえればいいの?

 困ったことに、怪物は中身まで人々を嬉々として襲う怪物ではなかった。
 何かに操られて望みもしないのに遺体を盗み、人々を襲うよう命じられた哀れな……つぎはぎの死体に囚われた子どもたちの魂の集合体。

「そうでない時は……どうしようか?」
「しっかりしてくださいよ!」

 中身が怪物なら魔導で有無を言わせず焼いてしまうつもりだったセルセラも咄嗟に言葉を喪った。
 本来天界に迎えられるはずだった子どもたちの魂は、地上で怪物の中に繋ぎ止められている。
「あれを倒せば、どの道全ては終わるのでしょう?」
「待て待て、タルテ。お前の攻撃だと中の子どもたちの魂まで消し飛ばしちまうから」
「やっぱり、いるんだな! うちの子が!」
 塵一つ残さず消えてしまえば彼らも楽になるのかもしれない。
 けれど罪もない子どもの魂にそこまですることはセルセラの巫女としての信条に反する。
「とりあえず捕獲だ! 捕まえてそれから後のことを考えるぞ!」
 もたもたしていてはタルテが問答無用で攻撃に出るだろうと、セルセラはひとまずの指針を定める。
 街に被害を出さず当面の問題を解決できるなら、何も殺害を急ぐ必要はないのだ。
「レイル、怪物と街の奴らの距離を引き離せ!」
「りょうか――」
 タルテの強硬策よりはセルセラの一時しのぎ的判断の方が同意しやすい。
 そう考え動き出そうとしたレイルは、再び腰を捕まえられてあやうくつんのめりそうになる。
「やめてくれ! 殺さないでくれ! もうあの子は十分に苦しんだんだ……!」
「あの、大丈夫ですから、手を放し――」
 今の会話を聞いていなかったのか理解できなかったのか、縋りつく街人が邪魔になって動き出せない。
 その合間にもずるずると怪物がこちらに近づいてくる。
 セルセラたち星狩人は、怪物が人々に危害を加えたら、今度こそ本当に殺すしかなくなってしまう。
 戸惑うレイルや舌打ちするセルセラの耳に届いたのは、この場面でもよく通る、透き通っているのに力強い声。

「耳を塞いで」

 そして、街に響いたのは美しい歌声と竪琴の音だった。

「――さぁ、お眠りなさい」

 人々がばたばたと倒れていく。傷はなく、皆一様に安らかな顔をして眠っているようだ。
 レイルの腰に縋りついていた男も倒れかけ、慌ててレイルはその身体を支えた。
 セルセラが背後の屋根を振り返る。
「ラルム!」
「少しはお役に立ちましたか?」
 診療所の屋根の上で竪琴を持ち上げて微笑む人魚の吟遊詩人。
 拘束が解けた今のうちにとレイルは早速動き出したが、それ以上に怪物の行動が早かった。
「え!? どこ行ったんだ!?」
 ずっと矢を番えていたはずのファラーシャでさえ、逃げる怪物を建物で視界が遮られた一瞬に見失う。
 レイルやタルテ、セルセラもすぐに怪物の後を追って周囲を探るが、その巨体は見つからない。
「可能性があるとすれば転移の魔導陣か、もしくは……」
「地下の隠し通路だな」
 地下道に通じるらしきマンホールを指してセルセラが言う。その辺りで、怪物がまとっていた腐臭を放つ液体の跡が途切れている。
 アジェッサは地下道で有名な街だ。
 知識としてそのことは頭にあったが、今すぐにこのマンホールを空けて怪物の後を追うのは厳しい。
 入り組んだ地下道は慣れない者にとっては迷宮に等しく、準備もなしに突っ込んではろくな結果にならないだろう。
「魔導陣が発動した気配はない。そのために必要な媒体も見つからない。ただあいつは突然現れたし、常にあの姿とも限らない。もっと小さくなれるなら狭い道だって通れる」
「あるいは、あの怪物を封じて持ち運んだり召喚して人を襲わせる協力者……いえ、使役主の存在も考えられますね」
「ああ」
 セルセラとタルテが揃って無理と判断したので、レイルとファラーシャも地下道探索を諦め武器を戻した。
「ところで皆さん、どうやら援軍のようですよ」
 屋根から降りて近くに寄って来ていたラルムが、先程タルテがやってきた通りの向こうを示す。
「あなた方は……」
 神父服の人影が、警備隊を引き連れてやってきた。

 ◆◆◆◆◆

 周囲の人々が全て避難して人気の絶えた店の軒先。
 男はまだそこで珈琲を飲んでいる。
 まるでこの世界に誰もいなくなってしまったかのような光景を意にも介さない。
 彼はきっと本当に世界の終わりが来ても、このように一人のんびりとティーカップを傾けているに違いない。
 通り二本向こうの診療所前では、つぎはぎの怪物と呼ばれる存在が星狩人たちと戦っている。
 戦闘音が止んで戻った静寂に、男は惜しみない拍手を送った。
「さすが天上の巫女姫御一行様。倒せないまでも撤退させるまでの手並みは鮮やかとしか言いようがありません」
 建物や石畳の破壊される音に怪物の悲鳴、謎の美しい歌声や魔導が展開される独特の空気の震え。
 その全てが、男――ロベルトにとっては穏やかな日常を彩る音楽のようなもの。
「これで、事態は次の段階に移行するでしょう」
 飲み終えた珈琲の勘定をテーブルの上に置き、彼はようやく席を立つ。
「またお会いできるのを楽しみにしていますよ、天上の巫女姫」

 ◆◆◆◆◆

「暢気なものだよね」
「ええ」
「今回は天上の巫女一行に助けられた形になるね」
「前回は……いえ、なんでもありません」
 獣の耳を帽子の下に押し込めた少年と、生真面目な表情をした女性の二人は、喫茶店の軒先にいる男を遠目に監視し続ける。
「あの怪物が暴れるようなら、僕たちも出張る羽目になるところだった。そうしたら奴に気づかれる。ここで逃げられるのは業腹だよ」
「……ええ」
 獣耳の少年――狼将軍ルプスは、同僚のヤトレフ将軍に笑いかける。
「さて、行こうか。もう一仕事」

 ◆◆◆◆◆

 神父ルチルは、ラルムの歌声で眠った人々を起こすと、説得してひとまず家に帰らせた。
 そして五人を教会に招き、事情を説明しだす。
 先程教会を訪れ説明を聞いたタルテも、情報を共有して整理するためもう一度神父の耳に話を傾けた。
「この土地では、昔から死んだ子の魂が戻ってくるという伝説があるのです。上手く行けば死んだ我が子にもう一度会える。けれど罪を犯した子や罪人の子は怪物になって戻ってくると……」
 部屋の窓を開けて裏手の山を指し示した。
「この裏山の中腹に、古い祠があります。そこに死んだ子を埋めるのです」
「本当に戻ってきたことがあるのか?」
 ファラーシャの率直な問いに、神父は首を横に振る。
「少なくとも街の公的な記録には、そのような事実は認められていません」
「なーんだ」
「では、何故そのような伝説が?」
「実際に昔その辺りで殺人か死体遺棄か何かの事件が起きたようです。そこから付近で幽鬼らしきものを見たという証言が人々の口伝えに伝わってきました。けれどそれももはや百年以上前の話だそうです」
「確かなことはないとはいえ、人々の心に死んだ子が怪物となって帰ってくる伝承は刻まれた。……物語は、それだけで一つの力を持ちます。我々吟遊詩人はその物語の力で人々を動かすのですから」
 またしてもちゃっかりと席に交じっていたラルムが吟遊詩人の観点から話を補足する。
「要は噂話も伊達じゃないってことですね」
「そう言われると身も蓋もありませんね」
 詩人の装飾的な言い回しは、現実主義を通り越した冷酷聖職者にざっくりとまとめられた。
「けどまぁ、バカにはできないよな。実際にここや付近の街で死んだ子どもたちの肉体と魂を集めた怪物がこの辺りを徘徊している訳だし」
「伝説が本当だったってことか?」
「あの怪物は……誰かが死んだ子どもを山の祠に埋めたから生まれたのですか?」
「……」
 ファラーシャとレイルの疑問に、室内は一瞬、沈黙に包まれる。
「私は……あれが伝説の怪物そのものだとは思えません。言い伝えでは怪物になって戻ってくるのは悪人の子や罪を犯した子のはずですが、私が知る限り最近この街で亡くなった子どもたちは、どの子も良い子でした」
 ルチル神父は言い切った。
 普通の家庭の普通の子だったと言っても良いだろうが、どちらにせよ怪物となって罰されるほどの悪行をなした子どもはいないはずだと。
「僕も怪物の中の魂を探知した時にそう感じた。あの中に邪悪な魂はいない」
「そもそも、あのような怪物がいきなり自然発生することは考えられませんね」
「何かきっかけがないとな。あの怪物の場合は、魔導的な人工物だと思うぞ」
「人工物?」
 ファラーシャがきょとんと瞳を瞬く。
「子どもたちの魂は怪物に囚われて逃げられないと言うより、怪物を核としてお互いに離れないようくっつけられている感じだった」
 見た目通り、つぎはぎの怪物。
「では、あの怪物は誰かが伝説を利用して生き返らせようとした死者ではなく、意図的に死体を改造したというのか!?」
 レイルが僅かに声を荒げる。最近ようやく血色が良くなってきたはずの顔が、今は怒りで青褪めている。
「その可能性が高いと僕は見る」
「そんな……!」
「だからこそ、私たちが止めるのですよ」
 それが神々による天罰ならば受け入れねばならないだろう。
 しかし今回の事件は、誰かが意図的に子どもたちの魂を捕らえ死体を操り街に危害を加えている。
「このままにはしておけないよな!」
 ファラーシャが不敵な表情でバキバキと指を鳴らした。星狩人たちの気合は十分だ。
「なぁ、神父様」
「なんでしょう、天上の巫女姫様」
「セルセラでいいよ。それより、街の地図と地下道の地図が欲しい。そこに今回の事件の被害者の情報を加えてくれ。僕たちはあれを追う」
 怪物をすぐに倒せなくても、その行動を邪魔することぐらいはできる。セルセラたちが怪物を追いかけまわしている間は、アジェッサの街で子どもの遺体が盗まれることはない。
 一刻も早く、怪物の本拠地を突き止めることが必要だ。
「……わかりました。用意いたしますので、少しお時間を頂けますか?」
 そのまま部屋を出て行こうとした神父だが、一度立ち止まり室内を振り返った。
「……セルセラ様、星狩人の皆様」
 どこか思いつめた様子で、それでも真剣に願い、深々と頭を下げる。
「どうか、街の人々を苦しめるこの事件を解決してください」
「ああ、もちろん」
 レイルたちは目と目を見交わして頷き、セルセラがいっそ貫禄さえ漂わせて首肯する。
「この件はもう僕の手のひらの上だ。事態の解決は全力でしてやるさ。例え」

「例え、どんな結果になったとしてもな」

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