048.騎士は跪く

「俺のしたことは結局、誰も守れず、救えず……二人の少女を無用に苦しめ殺すことになっただけだった」
 エスタ。ゲルトルート。
 彼が救えなかった聖女と、彼が殺した魔王。
 知られざる罪がここにある。
 だからレイルは死を望んでいた。彼の望みは人間に戻り、そして死ぬこと。
 自分にかけられた不老不死の呪いを解き、ただの人間に戻せる聖女を探していた。
 そして彼は、あれから八十年後の今、セルセラと出会った。
「今でもわからない。あの時どうすれば良かったのか」
「……」
 森を静寂が包む。ここは異国の森。樹々の影は深く、それなのに明るい、レイルの知らない地理と気候。
 随分と遠くまでやってきたものだ。
「なぁ、セルセラ」
「なんだ」
 過去に囚われた騎士は、問いかけても詮無いことを、今を生きる聖女に尋ねずにはいられない。
「もしもあの時お前がいたら、彼女たちを救えただろうか?」
「レイル!」
 タルテが刺すような制止の声を上げる。
 それは聞いてはいけないことだ。
 レイル自身にとってはもちろん、セルセラにとっても良くない。
 いくら最強の聖女とはいえ、自分が生まれる前の悲劇の全てを救えと言われてもセルセラも困るだろう。
 人には受け入れねばならない運命というものがある。
 いつまでも“もしもこうだったら”などという可能性に縋っていてはならないのだ。
 ファラーシャが隣で言葉もなくおろおろとしている。
 しかし問いかけたレイルと、問われたセルセラの方はどこまでも冷静だった。
「できるだろうな」
「やはりそうか……」
「僕がその時代にいたら、そもそも前情報もなしに魔王に戦力を突っ込ませるようなことを許さない。最初の一国は仕方ないが、お前の国がお前を差し向けたのは当時の情勢ではかなり後発だろう。僕がその場にいれば、その状況自体が成立しない。星狩人協会と各国の連携網を整理し直したのは僕だしな」
 今の時代は、あの頃にない技術も増えた。
 “庚申の虫”によって星狩人たちの得た情報を管理しているのもその一環だ。
「魔王と対峙した時に先走ったお前のお仲間の騎士たちも救えただろうよ。攻撃を受けた直後ならむしろ好条件で蘇生できる」
「そうか……」
「その後の魔王の残党の襲撃だって、最初から可能性を指摘して対抗策を練っておく。そもそも能力にばらつきのある聖女一人に魔獣全部を任せるより、もっといい方法はいくらでもある」
「……」
 ほんの少しレイルの話を聞いただけで天上の巫女は当時考えられた可能性をつらつらと数え上げ、その対抗策まで口にする。
 同じようなことができなかった自分が悪いのだと、レイルが再び無力感に囚われそうになった時、言った。
「だがな、レイル。同じことはお前自身にも言えるんだぜ」
 実感を伴った深い溜息が、レイルの知らないセルセラの苦労を如実に語る。
「僕にだって、目の前で救えない奴がいた。その時そこにいたのが、僕じゃなくてお前なら救えただろう相手が。いくらでもいる」
 レイルはセルセラの能力を称えるが、セルセラだってレイルの純粋な強さが酷く羨ましい。
 セルセラにしかできないことはある。けれど、セルセラにはできなくて、レイルならできることもあるのだ。
「だからこんなのは、考えるだけ無駄なんだよ。お前だって、本当はわかっているんだろう?」
「ああ。そうだな。……でも、そこまでなんだ。ここから先、俺はどうしたらいいのかわからない」
 セルセラは近くの木の影を見てもう一度溜息をつく。
 先日の夜中にハインリヒと見かけた時と同じく、ゲルトルートの幽霊はこそこそと隠れながら今もレイルを見守っている。
 彼女がレイルを過去に捕らえている。
 そして彼女自身も、ずっとレイルに囚われている。
 だから――。

「生きて答を探していくしかないだろ」

 レイルがセルセラを見つめる。
 彼の主君によく似た、けれど主君より遥かに美しく、強く、残酷な表情を浮かべる少女は殊もなげに言う。
「その答は、そう簡単に見つからねえんだよ。それがわかるなら、そもそも背徳神だって妹神に自分の信者を虐殺されたくらいで邪神にならねえんだよ。神が何千年経っても答を出せない問いに、正解なんてない」
 誰かにとっての正しい答は、他の誰かを救うことを約束しない。
 だからと言って、他人のために簡単に曲げられる主張にも真実などないだろう。
「僕たちにできるのは、あくまでも僕たち自身にとっての答を出すことだけだ。――レイル、お前は本当はどうしたいんだ?」
「俺は……」
「お前が本当に知りたいのは、自分自身の心なんだろう? だから誰に何を言われても救われないんだよ。お前が求めているのは、他人の言葉じゃなくて、自分自身で見つけ出すしかないものだ」
「しかし、八十年間探しても見つからなかった。俺にできるのは、剣を振ることだけ――」
「阿呆かお前は」
 呆れ顔で一刀両断し、セルセラはなおも続ける。
「山奥に引き籠もって一人で剣振ってたところで何がわかるって言うんだよ。お前が知りたいのは他人との関わりで発生する問題なんだから、他人と関わらなきゃ見つけるも何もないだろ」
「……先程は自分で見つけ出すしかないと言わなかったか?」
「言った。でも人間が答を見つけるには、結局同じ人間同士で関わり合って、誰かと同じところや違うところを見つけて、比べて、考えて、最終的に自分はどうしたいのか選んでいくしかないだろ?」
 そしてまだ十四歳の少女が、百年近くを生きた不老不死に告げる。

「お前は何もかもこれからだ。これから、生きて答を見つけていくんだよ」
「――」

 今すぐゲルトルートの亡霊を消して、呪いを解き、レイルを殺せばそれで問題は消える。
 消えるだけだ。それは解決とは言わない。
 優しい言葉など欠片もかける気のない魔女は、荊の道を吸血鬼に指し示す。
「そうか……お前が言いたいのは、そういうことだったのか」
 本当に理解しているのかどうかはともかく、少なくともレイルにも一定の解は得られたようだ。

 どうやったら人を救えるか?
 そんなもの、誰かを本気で救おうとしてみなければ、わかる訳がないに決まっている。

 かつて、二人の少女を救えなかったと後悔し続けるレイルが本当の意味で救われるのもまた、誰かを本気で救えたと思えたその時なのだろう。
 だから。
「そろそろ出発するぞ」
 話は終わったとみて、セルセラは立ち上がる。
 休憩は終わりだ。日が暮れるまでに次の街へ着くために出発しなければならない。
 ハラハラしながら二人のやり取りを見守っていたファラーシャとタルテも立ち上がり旅支度を始める。
「そうだ、セルセラ」
 片付け物をしながら何事か考えていたレイルが、再びセルセラの名を呼んだ。
「なんだ? 死にたがりの吸血鬼。方針変更で僕から離れてちゃんと自分の旅をしたくなったって話なら歓迎するぞ」
「いいや。自分の答を出したいなら尚更人と関われと言ったのはお前だろう? ……だから、俺はお前についていく」
「いらん。勝手に人をお前の聖女の代役にするんじゃない。僕を誰だと思ってんだ!」
「最強の聖女、天上の巫女姫だろう?」
 ぷりぷりと怒るセルセラをレイルは鷹揚に微笑んで受け流す。余計なやりとりを挟みつつ、ようやく本題に入った。
「そうではなくて、お前に一つ聞きたいことがあったんだが」
「聞きたいこと?」
「ああ。……お前の星狩人としての称号は何なんだ? 俺に話が来た時、タルテやファラーシャのことは聞いたんだがお前の話を聞きそびれてしまって」
 レイルと同じようにタルテやファラーシャも一等星の称号を授けられることが決まっている。
 ただし、すでに星狩人として実績を積んでいるはずのセルセラの称号は一等星ではない。
「ああ。それか」
 レイルがシリウスの打診を受けていることを知っているセルセラは、普段はあまり使わない称号の話に思いを馳せた。
「実績から言えば別に僕がシリウスを名乗ってもいいんだが、やっぱり“最強”の称号はもっと戦闘に特化した人材が掲げた方が浪漫があるって話でな」
「浪漫の問題なのか」
「男の浪漫の問題だってよ。僕は別に、強けりゃなんだっていいじゃないかと思うんだが」
 戦闘能力自体は低くないが味方のカバーや人命救助に当たることが多い支援系のセルセラよりも、もっと純粋に戦闘で強い存在の方がシリウスには相応しいんじゃないか? というのが協会本部の考えだ。
 協会本部、つまりラウルフィカを始めとしたセルセラの身内であり、セルセラとヤムリカ以外全員が男。
 いつの時代も“最強”という称号は男心をくすぐるものである。
「だからそういうのはお前たちに任せて、僕は二等星だけど特別な星ってことで独特の立ち位置を保っている」
 旧世界と現在の星の環境はかなり様変わりしているが、慣例的に最も明るい星をシリウスと呼んだり、当時の文化を通じてイメージは伝え続けられる。

「北の空で輝く不動の星――“ポラリス”が僕の称号だ」

「……そうか」
 北極星。それはいつも必ず空の同じ場所にあり、旅人たちが道を歩む目印となる星。
 導きの星。
「……お前にぴったりな星だな」
 例えこの空で最も輝けるものでなくても、その存在は誰かにとっての救いとなるのだ。

 ◆◆◆◆◆

「本当にいいのだな?」
 ラウルフィカの問いに、アンデシンは笑顔で頷く。
「ええ。当然のことです」
 星狩人協会本部の会議室。手元にある資料は、先日の辰骸器取得者選考試験関係のものだ。
 遺跡変容の元凶を倒したセルセラたち四人はもちろん、蔓延った魔獣を倒した他の受験者たちも無事に大半が試験に合格し星狩人の資格と辰骸器を使う資格を手に入れた。
 セルセラたちがその後魔王退治に出かけたごたごたもあり、今ようやく試験に関わる最後の処理をしているところである。
 アンデシンは目の前の書類にサインしてラウルフィカに差し出す。
 受け取ったラウルフィカは小さな溜息を一つ吐き、書類の一番下に責任者として許可を出すため自らの名前を書き加えた。

「それでは――“灰かぶりの魔王”及び“鉄帯の魔王”討伐の功績により――星狩人レイル・アバードに一等星の号“シリウス”を称する」

 シリウスは全天で最も明るい星の名。
 星にちなんだ号を与える星狩人協会の中でも、特に最強の星狩人に贈られる称号。
 協会にとっても、この称号を持つ者が現れたのは実に百年ぶりだ。
 凍った時を死にながら生きてきた騎士の物語が、再び進み始める。

 ◆◆◆◆◆

 ――エレオド王国。
 大きな窓から差し込む明るい光が余計に暗い影を落とすような構造の執務室。
 書棚を背に坐し、机の上で軽く腕を組んだゆったりした体勢のエレオド王ヨカナーン。
 王の両脇に侍る軍人、ヤトレフ将軍とルプス将軍の二人。
 彼ら三人は、やがて兵士に付き添われて執務室の扉を潜った一人の男を出迎える。
 長い栗色の髪を一つにくくり、片眼鏡をかけた白衣の男。
 一時はアジェッサの遺体盗難事件の犯人として軍部に連行された異端の科学者、ロベルト=コーニス。
「やれやれ、本当に切られたかと思いましたよ。まぁ、陛下程のお方がみっともない保身に走って私の頭脳を手放すはずもないのでじっと耐え忍びましたが」
「すまなかったな。だがそうでもなければあの聖女を欺くことは出来なかっただろう」
 エレオド王はロベルトの身柄を犯罪者として預かることをフィアナ皇帝づてで天上の巫女に申し出た。
 そしてその通りにロベルトを確保し――すぐに釈放した。
 一度は逮捕したのだから、エレオド側でロベルトの処分を決めるという約束に嘘はない。
 形として財産の没収などが行われたものの、本人はさっさと釈放されまたすぐに多額の研究費用を与えられていたとしてもだ。
 さて、魔王退治に星狩人協会の運営、他にも様々多忙な天上の巫女は事件の後、どこまでこれらを気にするだろうか。
 今は彼女がロベルトのことを脅威と見なさずに侮って放置してくれた方が都合がいい。
「――私の言った通り、被験者の確保のための殺人にまで手を染めなくて良かっただろう?」
「ええ。その点は陛下に感謝いたします。天上の巫女姫の慈悲深さは噂として伝え聞いておりましたが、実際に対面してみて印象が随分と変わりましたよ」
 直接面識のない者たちにとって、天上の巫女は「残酷」と「慈悲深い」が同居する複雑な人物だと言われている。
 もしもロベルトが実験に使う死体が必要だからと言って人を殺せば、セルセラの追求はこんなものでは済まなかったに違いない。
 二度と科学者として活動できないよう処分の結果を最後まで監視するか、手っ取り早くロベルトを殺して話を完全に終わらせたことだろう。
 薄っぺらな「優しさ」とは程遠く冷徹なまでにどんな物事にも対処するが、その一方で弱い者や罪なき者を決して見捨てることができない損な性分の最強聖女。
「……それで、どうだった? 天上の巫女は?」
「素晴らしい方でしたよ。私とは主義が異なるのが残念でしたが、その知識と力は申し分ない。あの年齢で人体と生命の術式の理解において、この私と並んで他の追随を許さない一流の研究者となる訳です」
 巫女としての才能があるとはいえ、セルセラは間近に怪物を見た短時間でロベルトが研究に研究を重ねた“つぎはぎの怪物”という魔導の術式を解き明かして見せた。
 貴重な研究成果が失われたことは残念だが、天上の巫女の実力を計るにはこれ以上の機会もない。
 ロベルトはいつにない興奮した様子で切々と天上の巫女の素晴らしさを語る。
 素人にもわかりやすい美貌でも功績でもなく学者方面の見解なので、エレオド王にも両将軍にもほとんどさっぱりだったのだが。
「――で、肝心の研究の成果は? せっかく作った怪物は失ったんだろう?」
「所詮は実験体の一つですからね。新たに発見された貴重な資料という訳ではないんですから、元からどうなろうとかまいませんよ」
「そういう……ものなのか? だってあれは……」
 ロベルトを連行するまで詳しい事情を聞かされていなかったヤトレフ将軍は、その後改めて怪物の正体を知らされて驚愕した。
「問題はありません」
 暗い執務室に影絵のように溶け込みながら、異端の科学者と呼ばれる男はあっさりと言ってのける。
「科学とは再現性のあるもの。実験体が失われたならもう一度作ればいいのです。それが例え“私自身の遺伝子を持つ子ども”でも」
 他者に見咎められず最も簡単にロベルトが子どもの死体を手に入れる方法。
 それは自分自身の子どもを材料とすること。
 今は天上の巫女に“カティア”と名付けられた子ども自身はそのことを知らず、また天上の巫女もあえて両親の事情を深く詮索はしない。
「おお……私の血を引く赤子の霊魂が今は天上の巫女の手で育まれている。これこそ史上最大の悦楽……! 私自身の手で経過を見守ることはできずとも、あの巫女姫であれば実験体の変化・変容をあまさず記録してまた一つ学問の発展に役立ててくれることでしょう……! 素晴らしい……!」
「……」
 エレオド王と二人の将軍はものすごく言いたいことがあったのだが、この話をこれ以上広げたくなかったので賢く沈黙を守った。
 今はそれ以上に重要なことがある。
「研究は続けられそうか?」
「ええ。すでに重要な資料はアジェッサの街からこの王城の地下施設に運び込んであります。実験の記録も、そろそろ次の段階の検証に入ります」
「では貴殿はしばらくここで大人しく研究を続けていてくれ。ほとぼりが冷めるまでは、目立つことはしたくないのでな。研究上の要望にはできる限りで応えよう」
「御助力、感謝いたします、国王陛下。必ずやご期待に沿えるよう、このロベルト、全身全霊を尽くしましょう」
「頼んだぞ」
 一礼して退出するロベルトを穏やかな表情で見送ったヨカナーン王は、一転して冷たい声音で吐き捨てる。
「おかしな男だが、噂の天上の巫女を少しでも苦戦させたなら頭脳の方は確かなようだな」
「でも陛下、本当にあんな男を使うつもりなの?」
「優れた魔導士を置けないこの国では、あんな奴でも貴重な人材だ」
「……変人に崇拝されている天上の巫女姫に同情いたします」
「それは結構だ。ヤトレフ、ルプス。お前たち二人は天上の巫女とそれなりに面識を持っただろう。また顔を合わせる機会があったなら、それとなく接触して様子を探れ」
「御意」
「りょうかーい」
 主従の後ろぐらいやりとりは、影のわだかまる執務室でしばし続く。
 光が強い程暗い影ができるとの言葉もあるように、誰かが光に向かって歩き出すのを決めた世の中ではまた、誰かが暗い影の中へと歩き出して行くのかもしれない。

 第2章 了.

天上の巫女セルセラ 表紙へ
前話 047.いつか呪いが解けるまで