天上の巫女セルセラ 050

第3章 恋と復讐と王子様

050.海の異変

 青の大陸へ向かう船の運航は穏やかだった。紺碧の海上を滑るように進んでいく。
 旅客と貨物の両方を引き受ける貨客船の一種で、大陸間の移動と輸送を手掛ける大手会社の船だ。
 魔獣が世界各地で跋扈するこの時代では、そもそも古の豪華客船のようなものはほとんど皆無に近い。
 人員が増えればそれだけ、警護の人出が必要になる。旅客を増やし過ぎるといざ魔獣の襲撃に遭った際に守り切れないことが多くなるため、船会社もそれに合わせた対応をとることになる。
 そんな海運事情はさておき、天上の巫女ことセルセラは、一等船室で手紙を片手に眉をしかめていた。
「なんだか難しい顔をしていますね」
「それって今回の件の依頼の手紙?」
 タルテにファラーシャ、レイルもセルセラの手元を覗き込む。
 セルセラも特に隠すことなく、以前に知己の国王から送られた手紙をひらひらと振って見せた。
「ああ、エルフィスからのな」
「エルフィス……というと?」
 世間の事情に疎いレイルの質問に、セルセラよりも早くタルテとファラーシャが答える。
「ファンドーラーの国王陛下ですね」
「私知ってる! “屠竜王”って呼ばれてる“生贄の王子”様!」
 タルテの反応はいつも通りだが、ファラーシャは目を輝かせている。「生贄の王子」という物騒な肩書を語るにはきらきらとしたその眼差しに、レイルはますます首を傾げた。
「レイルは青の大陸出身でしょう? ファンドーラー王国自体は当然知っていますよね」
「ああ、俺の故郷であるキノスラよりは大きな国だが、それでも青の大陸では面積、国力共に中程度の国家だったと記憶しているよ。かなり古い知識だが」
 この中では唯一レイルだけが、青の大陸の出身者である。
 しかし、不老不死の呪いにより人としての生を諦め、長年世界各地を半分修行しながらの放浪に費やしていたレイルは現在の大陸事情に疎い。
「確かにその情報、、ちょっと古いよね」
「二年前に大きな動きがあって、数百年分の呪われた慣習が覆されたばかりですから」
「と、言うと……王族を生贄にする伝統に何か?」
 疑問形をとってはいるが、そこまで言われればもともとファンドーラー王国の事情を知っているレイルにも、セルセラの存在と結びつけて察しはついた。
 にやりと笑んだセルセラが、レイルの知らない、タルテとファラーシャの聞いた噂の内情を当事者として説明し始める。
「ファンドーラー王国の成り立ちは、三百年前にその地を荒らしていた邪竜を封印した騎士の血族による建国だ。しかし竜は封印されただけで、完全に倒されたわけではなかった」
「ああ。そのため、王族は数十年に一度、封印を維持するために生贄を捧げねばならないと聞いている」
 残酷な慣習だが、誰も好んでやっているわけではない。
 魔獣、そして彼らを束ねる魔王の存在に長く苦しめられてきたこの世界では、同じような慣習を持つ国は他にもある。
 全ての国を救うことは、魔獣退治を専門とする星狩人(サイヤード)協会でも難しい話だ。封印などの対処に優れた能力者が運よく現れれば対応して解決することもあるが、強い魔獣が封印されている土地はそれだけ弱い魔獣の襲撃を受けることも少なく安定感があるため、結果的に何事も起きないうちはそのままにされることも多い。
 ファンドーラー王国もそのように邪竜の封印と共に存在する王国だった。二年ほど前までは。
「その竜を倒したのが、今の国王で、それを手伝ったのが天上の巫女。つまり、セルセラだと二年前大きな噂になりました」
「本来生贄になるはずだった王子様を救ったのが最強の聖女って、すっごい浪漫だよね~~」
「俺はその頃ちょうど山に籠っていて……」
「お前が山にばっか籠もって修行してたのは別にいいから」
 天上の巫女と呼ばれるセルセラは、もともと聖女として活動していたとはいえ、単身で高い戦闘能力を有するとは考えられていなかった。
 星狩人にも攻撃に優れた者もいれば、防御、回復など支援能力に優れた者もいる。
 聖女の肩書から当然後者だと考えられていたセルセラは、七年前にも星狩人仲間と組んで魔王の一人を倒している。しかし、その時は相方が当時最高の星狩人であったため、ここでもやはりセルセラの手柄とは受け取られない。
 星狩人協会の代表者としていずれ世界を動かすことを考えていたセルセラは、魔獣討伐の直接的な武功を欲して、比較的大きな標的を探したという。
 その時期にちょうど、ファンドーラーの生贄の慣習が重なり、当時、このまま生贄となるか、一か八かに賭けて邪竜の封印を解き戦う道を選ぶかで悩んでいたファンドーラー王子エルフィスがいた。
 セルセラはエルフィスと組み、彼が率いるファンドーラー王国軍と協力して邪竜を倒す手伝いをした。
「とはいえ、あの時戦ったのはほとんどエルフィスなんだがな。もともとは生贄になる可能性が高かった王子様は、自分の手で竜の封印を解き、竜を倒して祖国を運命から解き放ったわけさ」
 ここに、ただの王の子から名実ともに「ファンドーラー王」となったエルフィスが誕生する。
「一歩間違えれば自滅していたとも言われそうですが、もともと三百年間続いた封印を生贄だけで乗り切るにも限界でしょうしね」
「そうだな。正直、僕はそれを知っててファンドーラーに行った。あの頃は僕も巫女としては知られていたが、国の政に関わる王侯貴族階級じゃなく、一般市民相手に“星狩人(サイヤード)”として名を轟かせるためにデカい手柄が必要だった」
「計算されつくしたイメージ戦略ですね」
「うん、セルセラ、麗しい聖女様と悲劇の王子様が残酷な運命に立ち向かうお伽噺の美しさへの感動を返して」
 エルフィスとセルセラの物語は、ちょうど二人が同じ年頃の少年少女という背景も相まって、市民階級には美しいお伽噺のように流布されているという。
「現実なんてみんなこんなもんだ。ついでに幻想クラッシャーは僕だけじゃねえぞ? これから、そのお伽噺の片割れことエルフィスに直接会うんだからな」
「そうだった! どんな人なのかすっごく楽しみだ!」
 なんだかんだ言いつつ、ファラーシャはエルフィス王に会うのを楽しみにしていた。
 セルセラは二年前の邪竜討伐に関する打算的な裏事情を赤裸々に明かして浪漫を壊滅してくるが、一方でその一件を機にファンドーラー王エルフィスが自分と王国の救世主たる天上の巫女セルセラを信望し求愛を続けている話は有名である。
 わくわくと再び顔を輝かせるファラーシャとは対照的に、タルテは現在エルフィスが手紙を送ってきた理由の方を気にしていた。
「ところでセルセラ、そのファンドーラー王は結局あなたにどんな依頼を持ってきたのですか? 中央大陸ではフィアナ皇帝の依頼を優先したくらいですから、それより重要度が下がる、ということしか我々は知りません」
「鉱山の利権に関する話らしいぜ。それもファンドーラー側の問題というより、その山岳一帯で国境を接する隣国の方の問題だとか」
「鉱山の利権……ですか。そこに聖女の介入が必要な理由がわかりませんが、あなたも相当手広く聖女商売をしていますから」
「商売……」
 傍で聞いていたレイルが遠い目になった。商売という言葉は、聖女と言う言葉にひっついてはいけない表現の気がする。
 しかし当の本人、セルセラはからからと笑っている。
「商売か。言いえて妙だな。天上の巫女としての僕の活動は、結局自分をどう売り出してどう受け入れられ、交渉目的の相手と連携しやすくするかの取捨選択にすぎない。それを商売上の戦略とみなすならまさにこれ以上の表現はねーな」
「セルセラって、なんかすごい噂いっぱいあるよね。私も噂でしか聞いたことないからよくわかんないけど」
「すまん俺は噂すら知らない」
「セルセラの業績に関しては、基本的に一国の王族が行う性質のものを、一国の王族程度足元にも及ばない広範囲かつ最高の質で行っていると考えればいいと思いますよ。例えば世界各国に孤児院や救護院を作って経営していますよね」
「ああ」
 当事者が語る自分と、他者が見る自分というのは、嘘ではなくともそれぞれ違う像を描いていることがあるものだ。
 タルテが集めた噂やその分析は、時にセルセラ本人の報告よりもレイルやファラーシャの理解にとって役に立つ。
「それは凄いな……」
「せかいかっこく」
「星狩人としては魔獣退治が本業だが、僕の能力的には治癒回復、防御方面に特化しているからな。せいぜい聖女の印象を良くするために、広くあちこち手を出してるぜ」
「孤児を利用して次代の星狩人を育ててます?」
「当然そういう計算もあるな。魔獣の襲撃で家族を亡くす人間がいなくならない以上、その後の生活基盤作りや雇用の創出に加えて、命がけで魔獣と戦う商売である星狩人側に人材の流入を狙う」
「一石二鳥という訳ですね」
「毎度思うけどセルセラの仕事の話って、お題目は綺麗でもやってることは実利一辺倒! って感じ」
 ファラーシャの素直な感想に、横でレイルも言葉はなくともうんうん頷いている。
「他には学者業でもかなり活躍していませんか」
「ああ。これも治癒方面の魔導術式の開発や、薬草学の研究が主だったもので、それこそ孤児院や救護院の経営知識を参考にしているぜ」
「つまり自らが集めた孤児で術式とまだ承認の得られていない薬の実験をしていると」
「その言い方だとなんか怪しいことしているみたいだ」
「たーるーてー」
 皮肉の強さに定評のあるタルテの言い様は、冷静は冷静なのだがこれだけ聞くかえって偏った印象を受けそうである。
「冗談ですよ。あなたが専門分野に関していくら論文を発表して世界全体の学識と日常生活に貢献しているかくらいは存じています」
「私、一周回ってまずタルテがなんでそんなにありとあらゆる噂に詳しいのか気になってきたんだけど……」
「それに関しては、別に特に面白い話などありませんよ」
「考えてみると、私たち、正直あんまりお互いの事情知らないよね」
 数か月前に出会ったばかりの四人は、自分たちの事情を詳しく説明しあったことはない。
 過去を隠しているわけではないが、この程度の付き合いではまだまだ聞くことのできない背景や感情が山程ある。
「そうだな」
「そうですね。私も“天上の巫女”に関する一般的な知識は有していますが、“セルセラ”について知っているとは言えませんし」
「そんなもんじゃないか。出会ってまだ三ヶ月と言ったところだし」
 ファラーシャの言葉で改めて、四人は自分たちがお互いに関する知識も理解もほとんどないことを思い出す。
「その期間で魔王を二人も倒してるんだから、戦闘面に関しては上出来すぎるほど上出来だ」
「お互いのことは、これから知って行こうか!」
「ですが……」
 過去のことは知らなくとも、現在の実力はこの短い期間で互いに把握したと言える。
 ファラーシャはそれで十分満足したようで、一度は前向きにこの会話を終わらせようとした。
 そこにタルテが何事か口を挟みかけたが、結局その内容まで言葉にすることはできなかった。

「!」

 ドンっと床から突き上げるような感覚と共に、船が大きく揺れたからだ。
「なんだ!?」
「座礁か!?」
「甲板に上がりましょう。我々であれば、何かできることがあるはずです」
 緊急事態の予感に、四人は顔つきを引き締め、まずは何が起こっているのかを把握するために船長や船員がいるはずの甲板へと駆け出した。
「おい! どうした!?」
「魔獣が! 魔獣が船に!」
 日が暮れかけた空。泡を食う船員の言葉に暗い海面へと目を向けると、水棲の魔獣がひしめいている。
「安心しろ! こういう時のための星狩人(サイヤード)様だ!」
 セルセラたちは辰骸環(アスラハ)を手早く武器に換え、船を襲う魔獣たちの迎撃を開始する。
 先程船を下から突き上げたらしい、鯨型の大きな影を真っ先に狙い撃ち、万が一にも船を沈められないようにする。逃げ場のない海上では、船を破壊されることは死と同義。
「船体に穴が!」
「げ」
 しかし、先程の大型魔獣の最初の一撃ですでに船体が破損していたらしい。
 周囲の魔獣は減らしたものの、船の甲板が急速に傾いていく。
「どうするの!? セルセラ!」
「魔導で運べるか!?」
「この客船を持ち上げるのは無理だ!」
 最悪の場合、転移の魔導で全員を天界に連れていくという手もあるが、できる限り使いたくない手段ではある。
「どこか近くに島でもありゃあ、引っ張っていくくらいなら……」
 目的地である青の大陸まではまだ少し距離がある。さすがにそこまで貨客船が沈没しないよう支えるのはさしものセルセラにも厳しい。
 宵闇に加えて急速に流れてきた黒雲が嵐を運ぶ空の四方を睨みながら、タルテは灯台の明かりを見つけた。
「セルセラ! あそこです!」
「こんなところに島? 地図に載っていたか?」
 だが迷っている時間はない。こうしている間にも少しずつ船体に水が入り込んでいる。
「船長! あそこへ行くぞ! 船体はそれまでの間、僕が魔導で支える!」

 ◆◆◆◆◆

 風を操る術を得意とするセルセラは、結界で保護した帆船を強引に進ませる。
 灯台の立っていた小さな島は、一般的な村落らしきものの代わりに巨大な石造りの建物が一つ聳え立っていた。
「ここは……」
「何者だ貴様ら!!」
 石造りの建物は、その外観から言って砦のように見える。どうやらこの島の住人は、皆その砦の中に住んでいるようだ。
 しかし、地図にも載っていない島に、重厚な要塞という組み合わせから、セルセラはそれをただの軍事施設ではなくもっと別のものとして判断する。
 砦から出てきた人々に一斉に武器を向けられる。その様子からまた疑念が強まる。
「ここはもしかして……監獄、か?」
「そうだ。お前たちは何者だ。ついにくそったれな国が俺たちの処分でも決めたか」
「ええと……」
「我々はあなた方の敵ではない」
 貨客船の船長たちはすでに疲弊しており、一方砦の住人たちは殺気立っている。セルセラは自ら前に立ち、砦側の代表格の男と交渉を試みた。
「僕たちは旅のものだ。中央大陸から青の大陸へ渡るための客船が魔獣の襲撃により使えなくなったんでここまで来た」
「魔獣か……」
 砦側の方でも、魔獣の襲撃という言葉に心当たりがあるような反応をした。
 その時、計らずしもセルセラたちの言葉を証明するかのように、再び海棲の魔獣たちが襲撃を仕掛けてきた。
「くそっ!! こいつらまた……!」
「あの時も思ったのですが、この魔獣たちは何か、普通の魔獣と様子が違うような」
 タルテが怪訝な顔をしながら手元の槍で次々と魔獣を仕留めていく。
 魔獣は確かにこちらを襲撃しているのだが、同時に同族どうしで傷つけあい、セルセラたちが屠るまでもなく勝手に数を減らしてく。そして、随分と狂暴である。
 魔獣相手には敵も味方もない。貨客船側から降りたセルセラたちと、砦の武装兵や囚人と思わしき粗末な衣装に簡易な鎧をつけた者たちは入り混じり魔獣を迎撃していく。
「危ない!」
 砦の兵士たちが鮫型の魔獣に頭から飲みこまれそうになったところを、ファラーシャが鮫型の腹を横から殴り飛ばして救出した。
「お前たちは……」
「通りすがりの星狩人。これで信じてもらえるか?」
 狂乱した魔獣たちが襲撃をやめるまで、セルセラたちはひたすら戦い続けた。普通なら向こうも撤退していくだろう大打撃を与えても、今回の魔獣たちはなかなか退かなかった。
 見える限りを血に染め、ようやく敵を狩りつくした頃にはすっかり夜となっていた。
「とりあえず中に入れてくれるか? 怪我人がいたら手当しよう。あの魔獣に関して情報交換と行こうじゃないか。そっちにも悪い話じゃないだろ?」
 セルセラの言葉に、一行の圧倒的な強さを目にした砦側の責任者や兵士たちは頷いた。