天上の巫女セルセラ 051

第3章 恋と復讐と王子様

051.巌窟王たちの居場所

 魔獣たちの襲撃を協力して乗り越えたことで、一行はこの砦こと、ペレカヌス島のディフ海上刑務所側の信頼を勝ち取った。
「細かいことはさておき、まずは戦闘で怪我したやつらの治療な。船長、普通の乗客たちの案内は任せていいか。この監獄の責任者と合わせてやってくれ」
 海上の監獄側もセルセラたちが乗ってきた貨客船側も、とにかくこう人数が多くてはまともな話し合いにならない。
 まずは怪我人・病人の治療を優先し、貨客船の客たちを看守たちが住む庁舎の空いている部屋へと案内してもらう。ある程度落ち着いたところで、監獄の所長と囚人の代表格、そして貨客船の船長とセルセラたち一行が集まって話をすることにした。
「こっちは終わったぜー」
「セルセラ、お疲れ!」
 幸い、命にかかわるような怪我や持病の悪化などをしたものは監獄側にも貨客船側にもいなかった。
 セルセラたちは魔獣との戦いまで休息していたことと、もともと体力に自信がある星狩人なのでまだまだ余力を残しているが、貨客船の船長たちはかなり疲れた顔をしている。
 刑務所長も疲労はしているだろうが、この監獄を預かるものの責任として、船でやってきたセルセラたちとの交渉が終わらねば休むことはできない。
 各人の顔色を見て取ったセルセラは告げる。
「で、何がどうしてこんなことになっているのかなんだが、まずはこの監獄側の状況を教えてもらっていいか? こっちに協力してくれたら、礼として僕にできることならある程度融通するからさ」
「安請け合いして大丈夫ですか?」
 タルテに胡乱な目で見られるも、セルセラは平気な顔だ。
「普段国単位であれこれ謀略してるんだ、監獄一つぐらいへーきへーき」
「……お話ししましょう、天上の巫女姫よ」
 刑務所長の説明によると、ここはセルセラたちの目的地でもあるダールマーク王国の監獄で、それほど凶悪な犯罪者は入れられていないという。
 その時点で一行は違和感を覚えた。
「……こんな海の中にある監獄なのに、凶悪犯がいない?」
「普通こういう辺鄙な場所に作ったのなら、それ相応の犯罪者をぶち込むものだと思いましたが」
「凶悪犯がいないと何かダメなの?」
 ファラーシャの問いに、タルテが説明する。
「監獄とは、国家の金で作られ維持されるのですよ。犯罪者を生かしているのは税金なのです。管理や運営費用は安いに越したことはなく、不便な場所に監獄を作った場合、それだけ維持に莫大な費用がかかります。それでもどうしても人里離れた土地や、この海上刑務所のように簡単に脱出できない場所に監獄を作る場合、それだけの手間をかけてでも収監すべき凶悪犯用の施設だと考えるのが普通です」
 しかし、この監獄にはそうした、どんな理由があっても隔離したいような凶悪犯はいないという。
「凶悪犯は全員殺して軽犯罪者しかいない国……とかではないんだな?」
 魔獣が跋扈するこのご時世、国家の規模や性格によってはそもそも大量殺人鬼などの凶悪犯は即日全員死刑という国も珍しくはない。
 しかし所長の説明によれば、そういうわけではなく、本当にこの監獄に収監されている犯罪者の罪状が国内で相対的に見てもそれほど重くないのだという。殺人犯は滅多におらず、詐欺や汚職と言っても被害はかなり小さい方だと。
「確かに先程の魔獣退治の動きも、ただの荒くれ者というより統率の取れた集団だった」
 監獄を襲撃した海棲魔獣たちとの戦闘の様子を思い出し、レイルが言う。
 そこで所長が、囚人たちの代表者として一人の男を紹介した。
「彼は元軍人です。最近魔獣の襲撃が激しくなり我々も自衛が必要となったため、彼と数名の囚人たちが防衛要員として働いています」
「囚人に武器を持たせてもいいのか?」
「我々を脅して脱走でもしかねませんか? でも、どこへ?」
 所長も囚人の男も揃って窓の外へ視線をやると、肩を竦めた。
「……そうだったな。ここは軽犯罪者どころか、凶悪犯も逃げ出せない海の上の監獄だったわ」
「逃げ出せないのに暴れても無駄だし、自分より弱い看守たちが魔獣の襲撃でぼろぼろになっているのに、檻の中でじっとしているのもな。この砦の看守たちが全員やられたらどうせ次は俺たちの番なんだ。丸腰で魔獣に追い詰められるくらいなら武器を持って打って出るついでにお前らも守ってやると、看守長に交渉したんだ」
「あんた、刑期を終えてもここに無事再就職できそうだな」
「ははは。さすがにそれは遠慮しておくよ」
 軽やかに笑う男は、そのまま街を歩いていてもおかしくないぐらい「普通」だった。
「じゃあ実際にあいつらと戦っているあんたに聞きたいんだが、さっきみたいに海棲の魔獣が明らかに他より狂暴化して襲ってくる原因に心当たりはあるか? それともこの海域では魔獣は普段からこんなに狂暴なのか?」
「普段からああではないな。魔獣の襲撃自体は今までもあったが、その時は普通に看守たちが対処できていた。おかしくなったのはここ二年ぐらいの話だ」
「へえ……あんた自身はどれくらいここにいる?」
「四年くらいだな」
「所長、この監獄はできてどれくらい経つんだ? 結構新しい建物だよな」
「四年と少しですよ。彼はこの監獄の始まりから収監されている」
「そうか。一応参考にさせてもらうぜ」
 特定地域の魔獣が狂暴化したというなら、早めに原因を突き止めて対処しないと他にも影響が広まる恐れがある。
 セルセラは海棲魔獣に関する調査を天界に持ち帰って続行することを約束し、とりあえず今回船が直るまで世話になることへの謝礼の話に移った。
「急な話で随分苦労してもらったし、何でも好きなものを言えよ」
「なら遠慮なく」
 監獄の長と囚人の長が相談しているという不思議な光景だ。
 商談がまとまると、セルセラは囚人の男と握手を交わす。
「ありがとな。助かったぜ」
「こちらこそ、礼を楽しみにしている」
 しかし男の手を握った瞬間、セルセラはハッとして顔色を変えた。
「セルセラ、どうかしたか?」
 ファラーシャが不思議そうに尋ねる。握手の手を離さない少女の姿に、男も怪訝な様子だ。
「僕は……触れた相手の思考や記憶をわずかながら読み取る力を持っている」
「!」
 突然の告白に、男は慌てて手を放す。しかしセルセラはそれに構わず続けた。
「ついでだからと、あんたの記憶からその犯罪の記憶ってのを念のために読み取ろうとした。でもな、ないんだ」
「ない?」
 ない? 何が? ――罪の記憶。犯罪をした事実が?
「あんたたち、この監獄の住人は本当に犯罪者なのか?」
 刑務所長と囚人は思わず目を見交わした。
「ようやく交渉がまとまったと思ったが、どうやら始まりだったようだ。まさか巫女という存在は、そんなところまで見抜いてくるとはな」
 囚人は溜息をつく。
「聞いてくれるか、天上の巫女。この監獄が始まるより前の、私たちの話を」

 ◆◆◆◆◆

「と、いうわけなんだけど、手伝ってくれるか? アリオス」
「それは大変だったね」
 海上刑務所から調査のために一度天界に戻ったセルセラは、保護者の一人に事の次第を報告した。
「もちろん、僕でよければ手伝うけど」
「助かる」
 白い髪に赤みがかった茶の瞳を持つ青年姿の魔導士・アリオスは、セルセラにとって養い親たる師に次ぐ身内だ。
 セルセラについてやってくるファラーシャたちは今までも天界でちょこちょこ顔は合わせていたが、はっきりと自己紹介をしたのは最近の話である。
「これが僕のママだ。魔導士アリオス、あるいは界律師の白蝋」
「「「ママ……?」」」
 セルセラの師匠・シファは魔導士を超える存在“界律師”の一人でもある。界律師としては“紅焔”を名乗っている。
 アリオスもまた界律師であり、その名は“白蝋”。
 二人は共に“創造の魔術師”こと辰砂に師事した魔導士であり、お互い仕事先で過ごす時間の方が長いとはいえ、今も共に暮らしている。
 シファが赤子であったセルセラを拾って連れ帰ったとき、同じ家で一緒にセルセラを育てたのがこのアリオスだ。
 セルセラにとってはシファと同じく親にも等しい存在であり、家を空けることの多い師匠シファよりも魔導関係の相談に乗ってもらうことは多い。
「えー? 僕がママなのかい? シファじゃなく?」
「師匠はあれでも一応父親って言わないと拗ねるから」
「そうだねえ」
「そうなんだ……」
 「拗ねる」という子供っぽい反応に、ファラーシャたちはまだ見ぬセルセラの師匠に関して想像を働かせる。
「私たちも何度かこうして天界に出入りしましたが、セルセラの師匠とは一度も遭遇したことありませんね」
「その、師匠殿も星狩人なのか? いつもはどこで何を?」
「今は確か巨大地震を引き起こす化け物鯰を退治しにどこかの大陸に出てるはず」
「なんて??」
 アリオスの説明に、三人は思わず聞き返す。
「うちの師匠は火力特化型だから、周囲にあまり人がいないけれど放置しておくと甚大な被害をもたらす系の存在を相手にすることが多いんだよ」
「天界で言うのもなんですが、神話時代から生きている魔導士は行動も神話的ですね……」
 竜や魔王さえ屠るセルセラたちも戦闘力に関して自信はあるが、あくまでも人々の中で人を苦しめる敵を討伐するのが仕事だ。
 一方の紅焔は、ほとんど誰にも知られぬところで、秘かに人類の脅威を取り除いているという。
「人にほとんど知られないってことは、誰かを助けても感謝されたりはしないってこと?」
「それは少し寂しいような。不満などはたまらないのだろうか……?」
「シファはそういうの全然気にしないからなぁ」
 ファラーシャとレイルが思わず気にしたところで、アリオスがしみじみと頷く。
「そっか……孤高の人なんだね」
「見返りも得ようとせず強大な力を人々のために尽くすなんて……」
「おい、ファラーシャ、レイル。うちの師匠に対してなんか物凄い美化された想像をしてるみたいだが、あの人たぶんそういうんじゃないからな?」
 二人の想像の翼が羽ばたきすぎて地を離れそうな域に達したので、セルセラはやはり釘を刺す。
「セルセラの師匠である、という最大重要要件を忘れていますよ」
「ま、シファには君たちもそのうち会えるだろうし、そうしたらわかるよ」
 アリオスはそうまとめると、それはさておき、と話を本題である青の大陸の海棲魔獣の狂暴化と、その襲撃を受けていたダールマークの海上刑務所の事情に戻す。
「監獄について、何か聞いたことはあるか、アリオス」
「いや、僕はその辺の出身でもないしね。正直青の大陸にはあまり近寄らないな。中央大陸で青の大陸寄りの港にもそんな情勢は入ってきていないはず」
 天界にいない時のアリオスは、基本的に中央大陸の都市国家オリゾンダスにいることが多い。
 しかし中央大陸側からは青の大陸に大きな異変が起きたという話は聞いていない。それに関しては、実際に中央大陸から青の大陸に移動しようとしたセルセラたちの耳に入らなかったことからも明らかだ。
「罪なき者を犯罪者と仕立て上げて監獄に送り込む、か。狙いが気になるな」
 あの後セルセラが片っ端から砦中の犯罪者の記憶を読んだが、確かに冤罪のものが多かった。
一部本当の犯罪者もいたが。
 刑務所長は真面目な性格で、冤罪を訴える犯罪者の声に耳を傾けはしたものの、どんな訴えも上に握り潰されて解決にはいたらなかった。
 あの後、セルセラは囚人の男に聞いた。
『あんたは何をしてこんな目に遭っているんだ?』
『貴族の婚約者にコナをかけられた』
『……そりゃあご愁傷様だ、色男。良い女に出会うためには、まずここを抜け出さないとな』
 冤罪の条件はばらばらだが、犯罪者とされた者たちの経歴にある共通点があることに一行は気づく。
「国の中央で働いていたもの、そして特定地域の出身者か」
「おそらく国側は何らかの条件に合うものをあの監獄に送り込んでいる」
「しかし、その監獄自体は危険な場所ではないんだろう?」
「そこなんだよな……。あの魔獣は確かに様子がおかしかったけど、最近になって発生したらしいし別に監獄だけを襲ってるわけじゃない」
 王国側。魔獣側。どちらも少しずつ怪しい動きがあるが、どうも点と点が繋がらない感じだ。
「どうせこれからあの国に行くんだし、王族に会って直接話を聞いてくる。その方が早い」
「その間、僕は実際に海上監獄を訪れて現地調査をすればいいんだね」
「頼む。アリオスならそういうこと得意だろう」
「隠されているものを見つけ出すのがって? まぁ、自信がないとは言わないけどね」
 仕事の話が一段落したと見て、ファラーシャがアリオスに話しかける。
「アリオスさんはどこの出身なんですか?」
「先程の話を聞く限り、青の大陸周辺ではないようですが」
「中央大陸だよ。だから今も中央中心に仕事をしている。ただ、魔導を学んだのは緋の大陸だ」
「天界の他の方々の出身はばらばらですか?」
「そうだね。君たちも知っているだろう、ラウルフィカ様とザッハール、それにシェイくんとラウズフィールは黄の大陸出身だけど、ルゥくんとティーグさんは青の大陸出身だ。シファは緋色の大陸出身。セルセラちゃんを拾ったのも緋色の大陸だってさ」
「へえ……」
「セルセラ、緋色の大陸人だったのか」
「とはいえ、僕も中央大陸生まれだからって故郷で過ごしているわけではないんだけどね。僕たち天界の眷属はすでに人間を辞めて久しいから、故郷になんてもう何百年単位で帰ってないよ。待つ人もいないし」
 アリオスの何気ない台詞に、ファラーシャはついつい自分の故郷のことを思い返した。
 何者かに滅ぼされたハシャラートの村。この手で墓穴を掘り葬ってきた夥しい数の死体。
「待つ人、か……」
 彼女を待つ者はもういない。
「ごめん、余計なことを言ってしまったね」
 アリオスは自分の意志で家族を捨て、地上を捨てた。ラウルフィカたち、天界の神々の眷属は大半がそうだ。
 けれどファラーシャは違う。明日も当たり前のように続くと思っていた日常を奪われ、あまりにも惨い突然の別れを突き付けられた。
「いえ、いいんです。……私もそのうち、故郷のことをそんな穏やかな顔で話すことが出来るんでしょうか」
「きっとできるよ。時間は誰の上にも平等に流れる。一見何も変わっていないように見えても、永遠など存在しない」
「永遠は存在しない……」
 レイルはレイルでその言葉に反応する。
「そうだ。君は不老不死なのだっけ? 永遠のように辛い時間があっただろうことは否定しないけれど、それでも永遠は存在しない。良くも、悪くも。その苦しみにもいつかは必ず終わりが来る。君が望もうと、望むまいと」
「……」
 今のレイルには、アリオスの言うことを否定もできないが、素直に信じることも難しかった。
「記憶は風化する。ただ、自分の中に心残りがあるとそれに長く囚われることもある。僕たちは、その人を間近で見てきた。僕たち自身の活動も、故郷はともかく師である辰砂には囚われていると言える。……だからできればいつどんな時も、後悔はできるだけしないようにしたいよね」
「後悔をしたくないのは、みんな同じなんですね」
「そうだよ、みんな同じだ……そして、だからこそ逃れるのは難しい」
 ファラーシャの問いかけに、アリオスは頷く。
 辛気臭くなってきた雰囲気を打ち払おうと、セルセラがパンッと一つ手を叩く。
「ま、お前たちの事情に関しては悩みすぎるのもほどほどにな。時には自分の進むべき道、取るべき選択について真剣に考えたくなることもあるだろうが、今はそうじゃないだろ? 普段やるべきことをやっておかないと、いざって時に余計後悔することになるぞ」
「相変わらずセルセラちゃんの台詞は十四歳とも思えないよね~」
「この台詞を十四歳で口にできるようになるのが僕のここまでの努力と計画性の証だ。いつ何時も『今日という日の花を摘め』!」
「そうだね! まずは青の大陸に行って、色々依頼をこなさないと!」
「エルフィス王と合流して王家に接触して、裏で海上監獄のことを調べないといけませんからね」
「……そうだな。悩んでいる暇など、今の俺たちにはなかったな」
 人はきっと、まず今日を全力で生きねばならない。
 アリオスはそんな若人たちをにこにこと見守りながら、自分も地上に赴くための準備を始めた。