第3章 恋と復讐と王子様
055.華やかなりし舞台の上
魔獣の襲撃と崩落事故から数日経ち、ファリア鉱山の人々の生活は徐々に元に戻りつつあると言う。
「そっかあ、良かったね!」
ファラーシャとレイルの二人は、坑道を共に歩いた子どもたちの様子を見に行くことにした。
「あ! この前のお兄ちゃんとお姉ちゃん!」
「元気だった?」
従兄妹同士だという幼い子どもたちは、笑顔でファラーシャたちに駆け寄ってくる。怪我はもちろん、疲労が残っている様子もない。
家の中にどうぞと誘う二人の言葉はありがたいものの辞退した。子どもたちはすっかり元気になったようだが、まだ街の大人たちは忙しく立ち働いている。手間をかけさせたくはない。
「お姉ちゃんたちはこの後もお仕事だから大丈夫だよ。ありがとうね」
「俺たちは街で困っていることがあったら力を貸すように言われてきたんだ、何か変わったことはあるかい?」
「今は大丈夫みたいだよ。みんな疲れてるけど」
そう説明していた少年の顔が不意に曇る。
「今まで通りで……みんなの病気は治らないみたい」
「……そっか」
もともとエルフィスがセルセラに相談したかったのもその件だ。ファリア鉱山を中心に起きている、謎の病の治癒。
遺跡から出てきた魔獣たちに邪魔されたが、逆にその魔獣が鉱山で働く人々の病と関係があるのではないかと、現在もセルセラがエルフィスやアムレートと協力して調査中だ。
「うちの父さんも、もう何か月も起き上がれないんだ」
「……早く良くなるといいね」
「うん……」
ファラーシャとレイルとしては、セルセラが動いているのだからすぐに良くなるよとこの子どもたちに言ってあげたい。
しかし、セルセラ自身からはそうした軽はずみな保証はするなと厳命されている。
絶対に治ると聞かされて、もし治らなかったらあとが辛いだろうと。
その代わり、今も調査中であるためとにかくその病気の情報が欲しいと子どもたちに伝えて詳細を記録する。
「病気はいつから?」
「二年前だよ」
何気ないやり取りの途中で、ふとレイルはこの鉱山街に来てからよく見かける虫の姿が気になって声をあげた。
「ああ、蝶だ」
「綺麗な蝶だね」
庭先の花の蜜を目当てにか、紅の透き通るような羽を持つ蝶がひらひらと周囲を飛び回っている。
「この蝶、しばらく前から見かけるようになったんだ」
「そういえば、この蝶をよく見かけるようになったのも二年前だったかなぁ」
「……へえ……」
◆◆◆◆◆
「遺跡に関する調査は?」
セルセラはエルフィスと共に、今回の魔獣の襲撃の後始末をしながら病の調査と治癒に乗り出していた。
「今のところ村の復興優先で手を付けられていないそうです」
「あの時の変わった魔獣については」
「あれ以来出てきていないようです。死骸は本当にただの魔獣と同じで、私たちでは調べようがないようですね」
(そもそも、アムレート元王子がまだまだ情報を隠している側ってことも考えられる)
エルフィスには悪いが、疑り深いセルセラはまずそこからアムレートを信用していない。
そのアムレートはこの地の領主として、まずは魔獣に襲撃された鉱山街の復興に励んでいる。その間、セルセラとエルフィスはこの地に何が足りないかを洗い出しておくことにした。
「よし、遺跡の調査に関しては専門家を呼び寄せることにしよう。僕は今回、病の解析に回るから遺跡調査にまで手が回らん」
「セルセラ様が派遣する人材なら信用できます」
「ダールマーク王が何か言って来たら、そこは星狩人協会の威光でもって追い返す。危険な禁呪やガーディアンが眠る遺跡に、いくら軍人であっても魔導の素人だらけの調査集団なんか立ち入らせるわけにはいかない」
「他の大陸ならまだしも、青の大陸は魔導士が極端に少ないですからねー」
「これを機に魔導士の価値を見直してほしいもんだがな」
アムレートが遺跡の調査を進められていないのは、そもそもこの国に魔導士がほとんどいないことも関係している。
宗教勢力が強い青の大陸では魔導士を尊重しない。
しかしそのせいで、いざ魔導絡みの事件が起きた際は他の大陸よりも後手になることが多い。
「ところで、セルセラ様は遺跡内で文字を見つけたとか」
「ああ。ファラーシャたちが最後にガーディアンと戦ってた部屋に在った文章だ。古語だったんで解読はすでに他所の学者に任せている」
遺跡の現地調査にはそれなりの準備が必要だが、文字を解読するだけなら文章の映像をそのまま送ればいい。その件に関しては、セルセラはすでに顔馴染みの学者たちに依頼済である。
魔導学院の卒業生という立場はこういう時に便利なんだよな、とセルセラはしみじみと思う。
最強の魔導士である師匠が自分を魔導学院に放り込んだ時は何故かと思ったが、卒業後の現在もその時の伝手で昔の同級生や先輩・後輩などの顔見知りから専門家へ依頼をしやすくて助かっている。
セルセラは確かに聖女の力という唯一無二の能力を駆使して普通の魔導士よりは圧倒的に実行できることの幅が広いが、それでもできないこともまた多い。その不足を理解し、自分より優れた他人を「使う」ことで常に成果を上げていた。
しかし、今回の未知の病に関しては治療の進捗が思わしくなく、患者の様子を視察したばかりのエルフィスが顔を曇らせる。
「遺跡にしろ鉱山の病にしろ、何かわかればいいんですが……」
「都合の良い奇跡にはあまり期待しないことだ。それより僕たち自身がしっかりと調べよう」
ファリア鉱山の病に関して、初めは鉱毒かと思われた症状も、よくよく調べてみれば原因は違うもののようだった。この鉱山やその奥の遺跡から採掘される鉱物資源の性質に病を引き起こすような毒性はない。
しかし、ならば一体、どこからこの病はやってきたのか。
「なんなんだろうな、この症状の原因は……」
セルセラは患者記録とあらゆる文献を引き比べながら顔を顰める。
「……こういう時こそ、僕じゃなくあいつがいてくれたら心強かったんだろうけどな」
かつて、高名な魔導学院において、歴代最高の頭脳の持ち主と言われる生徒がいた。
彼は医療分野を目指す魔導士で、無事卒業すればその能力で多くの人を救えたに違いない。
だが彼は卒業式より前に死んだ。――魔導実験中の事故から、セルセラを庇って。
「セルセラ様?」
「いや、なんでもない」
泣き言を言っても仕方ない。彼は今ここに存在しない。自分のせいで。
ここにいるのは自分だ。だから自分がやるしかないのだ。自分のせいで彼ができなかったことを。
事態の解決はまだ遠い。
◆◆◆◆◆
鉱山街の患者の治療活動に精を出していたセルセラ一行に対し、アムレートが一風変わった礼をしたいと言う。
「セルセラ様たちを、アムレート殿下が招待したいそうですよ」
「王国自慢の劇団が出演する歌劇にか?」
「はい、ファラーシャさんが物語好きだと言ったらこういうのはどうかと」
エルフィスからそれを聞かされたセルセラたちは二つ返事で承諾する。
「やったあ! 夢だったんだ! 世界のあちこちで面白い物語に触れるのが!」
普段からそう公言して憚らないファラーシャの趣味が、四人の中では一番他者にも紹介しやすく、向こうでも礼の口実としやすかったのだろう。
セルセラやタルテは多芸だが何を好むかは説明し辛いところがあり、レイルもまた難しい話を好まない。
全体的に若く見える集団なので、煌びやかな演劇の世界は紹介しやすい。
病の治療は重要だがセルセラたちとて人間である以上もちろん休日は必要だ。もともとアムレートが雇った医師たちも引き続き治療にあたっていることもあり、休日の数時間を利用してダールマーク王国が誇る演劇の鑑賞会と相成った。
「芸術の国と呼ばれる国は世界各地に無数にあるが、この国はその中でも演劇に特化しているな」
小さな北の国で行える芸能の一つとして、演劇は古今を問わず流行する伝統であった。
気候に恵まれない中、室内で行える。
題として歴史や他国の文化などを持ってくれば、教育代わりにもなると国全体で推奨しているらしい。
セルセラの気性を知るエルフィスが大分助言したらしく、アムレートが用意したチケットは、庶民から貴族まで広く公開される気さくな演目だ。
セルセラたち一行に庶民を追い出して貸し切り状態で舞台を楽しみたいという者はいないからである。
ファラーシャの楽しみ方としては、自分も様々な人々と一体になって演目を楽しめるのがいい。
その代わりに席自体は王族が使用する特別席であり、更に演目は「王子様」や「お姫様」と言った言葉が好きな少女向けの恋物語となっている。
「きゃー! 素敵!」
会場に入るとまだ準備中であったが、あちこちを行きかう人員も歌劇の世界観に合わせた服装をしていた。
煌びやかな衣装にファラーシャは目を輝かせる。後の三人はまぁファラーシャがいいならいっかと適当に付き合う心づもりだった。どうせ他にやりたいことがあるわけでもなし。
「演目は恋物語と聞きましたが……」
案内された席へと座ると、タルテがパンフレットを開きながら、一瞬微妙な顔になる。
「これはどちらかというと、復讐物語のような」
復讐、という言葉にレイルたちは思わずファラーシャの様子を窺ってしまう。
だが当の本人が一番気にしていない様子だ。
「あ、本当だ。あらすじを聞いていただけだと気づかなかったけど、この話、『ハムレット』みたい」
「言われてみれば、そんな感じもするな」
「つまり、オマージュものということでしょうか」
「最近、流行りの脚本家を起用しているんです」
セルセラたち一行とエルフィスを含む五人が色々と言い合っているうちに、アムレートが一人の女性を伴って現れた。
「皆さま、改めまして此度は感謝を」
「それはもう十分聞いたぜ。困ったときはお互い様だから気にするな。今日の舞台はありがたく楽しませてもらうぜ」
「アムレート閣下、お隣の麗しい方の名をおたずねしてもかまわないでしょうか」
エルフィスの問いに頷き、アムレートは女性を紹介する。
「私の婚約者、ヘルミントです」
「皆さま、初めまして」
ヘルミントは二十歳に届くかどうかという年頃で、少女の面影を残す、ふんわりとした雰囲気の愛らしい女性だった。
服装もちょうど物語のお姫様のように華やかなドレス……つまり、乙女小説好きのファラーシャの好みそのものだ。
「素敵なドレス……! お二人はとってもお似合いですね」
「ありがとうございます。でも皆さまはドレスなど着ずともお美しくて、思わず驚いてしまいましたわ。皆さまも御夫婦……恋人同士でしょうか」
「こら、ヘルミント。初対面の高貴な方々に」
「あー、僕らはただ腕っぷしが強いだけで高貴とか全然関係ないからその辺は遠慮しなくていいぜ。ただ恋人とかそういう関係はない」
「あなた方の恋の話なら、そこのファラーシャが聞きたがるかもしれませんが」
「聞かせていただけるんですか! 一国の王子様とその婚約者のお姫様のお話!」
「どうどうファラーシャ、元王子、元王子だから。僕らの中の認識はそれで良くても、今日は現国王も一緒なんだろ? 聞かれたらちょっとまずい」
「あ、そ、そうだったね。アムレート閣下でした」
趣味の合いそうな女性の登場に思わずはしゃでいたファラーシャだが、セルセラたちの言葉に目の前のアムレートが叔父と複雑な関係にあることを思い返して訂正する。
「気にしないでください。我々も変わりたては戸惑っていたもので、余程公的な儀式の場でもない限り多少の言い間違いは気にしませんよ。どうしてもと言うなら、アムレートと名前で呼んでいただければ問題ありません」
「じゃあ、アムレート様って呼んでもいいですか」
「ええ、ファラーシャ様。私も皆さまをそのように呼ばせていただきますので」
一同は和やかに会話しながら、開演の時刻を待つ。
「恋のお話も色々とお聞きしたいのはやまやまですが、本日はまず舞台を楽しみましょう。若い女性に好まれる演目は何かとアムレート様に聞かれて、私がご紹介した話なんです」
「すごく面白そうだなって」
せっかくだから話の合う者同士でおしゃべりをしたいと、ヘルミントはファラーシャと隣の席になった。アムレートはエルフィスやセルセラに一応の確認は取ったが、婚約者には甘いらしく彼女の好きにさせていた。
「脚本家の方は、超古代の古典文学を取り入れて新しい作品として描きなおすのを得意としていらっしゃるんです。今日のお話も元は悲劇的な結末であるものを、幸福な終わり方に綺麗に改変してみせたもので、私、何度見ても終幕のたびに心の底から拍手を送ってしまうの」
「楽しみです……!」
女性同士が盛り上がる最中、周囲の様子を確認していたアムレートが叔父の登場に気づき、婚約者を促した。
「おっと、叔父上の御到着だ。ヘルミント、挨拶に行かねば」
「そうですわね。国王陛下もこのような舞台を楽しんでいただけるでしょうか」
「……さぁ、どうだろうね」
叔父甥の関係はさておき、五十絡みの男の趣味に関してはさすがにアムレートもどう返答していいものか困ったようだ。