第3章 恋と復讐と王子様
058.鏡の中の好敵手
「この前の舞台、皆さん気に入ってくださったようで」
「ああ、割と楽しめたぜ」
アムレートの言葉に、セルセラは頷いた。
ファリア鉱山の病の調査と治療はまだ終わっていない。しかし、人は常にその作業だけをしているわけにはいかない。
オノクロタルスの領主であるアムレートは表向き事態の解決に協力的な姿勢を見せてはいるが、最初はセルセラとの協力をエルフィスに持ちかけられても理由をつけて拒んでいたという。
セルセラは、できれば彼から叔父王フェングとの確執について聞き出したいと考えていた。それによって、少なくともディフ監獄の冤罪事件に関する話は進展する可能性があるからだ。
「それなら今度は御礼じゃなくて、普通に見に行きませんか?」
「普通に?」
アムレートの言葉に、セルセラは瞳を瞬かせた。
改めて「普通」を提案されたということは、アムレート側からすると前回の観劇は「普通」ではなかったということになる。
その点を追求したいのはやまやまだったが、ここで言葉尻を捉えてもしらばっくれるだけだと考えている横で、タルテが代わりに返答していた。
「ありがたくお受けしましょう。しかし、どうして?」
「いえその……前回は私の婚約者や叔父との社交に付き合わせてしまったのではないかと」
「ファラーシャが楽しそうだったし別にいいけどな」
セルセラはそう言いつつも、話自体は引き受けることにした。
「そうだな。一度限りじゃ比較もできねーし、もう一回くらい見に行くか」
◆◆◆◆◆
今回はアムレートの婚約者であるヘルミントや、国王であるフェング王は同席せず、セルセラたち一行とエルフィスにアムレートだけの観劇と相成った。
よければ自分も席をはずそうと告げるアムレートを引き留め、セルセラたちからすれば前回とは違った意味で思惑有りきの観劇に赴く。
「前回より上演時間も短く、民衆の生活に密着した気楽に見られる喜劇などどうでしょう」
「脚本は前回と同じ人ですか?」
ファラーシャの問いにアムレートは頷く。
「ええ。あの劇場は今月いっぱいは同じ脚本家の公演を予定しています。別の話が見たければ、他の劇場を用意しますが」
「いえ、先日と同じ脚本がいいです!」
ファラーシャの語調の強さに首を傾げながらも、アムレートはその希望を聞いた形だ。
そして同じ脚本家の脚本を所望した肝心のファラーシャはと言えば、舞台が始まってしばらくすると、舞台上ではなくそれを眺める観客・客席の方へと視線を彷徨わせていた。
「ファラーシャ?」
「まるで誰か探しているみたいだな」
「……」
仲間たちの怪しむ視線に、ファラーシャは笑って誤魔化す。
「単に物珍しかっただけだよ。やっぱり劇場って素敵だね」
「……そうですね」
舞台上ではシンプルな喜劇が続いている。大掛かりなセットでも煌びやかな服装でもなく、どこにでもよくいそうな格好の登場人物たちが生き生きとした会話を繰り広げていた。
「私は正直こっちの方が好きですね」
前回は正直退屈そうな顔を隠すことができなかったエルフィスが、今回の脚本への賛辞を贈る。
「復讐メインの主役だけが輝く重いお話もいいんですが、こっちの方がみんなが生きている感じがして」
エルフィスによる評価を聞きながら、ファラーシャはその光景に、どことなく既視感を覚えた。
この話、このやりとり。
昔どこかで聞いたことがある。
ならば、やはり先日見たものは見間違いなどではなく――。
「私、ちょっとお手洗い行ってくるね!」
勢いがつきすぎた離席宣言に、セルセラがちょっと驚きながら尋ねてくる。
「お、おう。舞台途中なのに大丈夫か?」
「平気! あ、ううん! むしろ平気じゃないから行ってくる! ごめん!」
なんとか返答して席を離れたファラーシャだったが、なんとかできたと思っているのは彼女だけであるとも言う。
「……嘘ですね」
「わかりやすいな」
「ファラーシャ、大丈夫だろうか……」
「確かに気になるが、ここで僕らがついていくと相手さんが出て来なくなるだろ」
前回の舞台の関係者挨拶の時に、ファラーシャが誰かを見つけたことは明白だった。
ここ数日やけにぼーっとしていたのもそれ関連だろう。けれど彼女はその事情を誰にも話そうとしない。
相手が無力な子どもという訳でもない以上、下手に口を挟んでも余計に事態がややこしくなるかもしれない。
セルセラ、タルテ、レイルの三人は常にファラーシャの動向に気を配りつつ、一応普段通りに生活しようという見解で合意していた。
とはいえ、完全にファラーシャから目を離すのも危ない気がすると悩んでいたところで、意外な志願者が現れる。
「じゃあ私が行こうか?」
「ドロミット?」
「いたんですか、あなた」
「ずっといたわよ! 私なら鳥の姿で肩にとまっててもみんな気にしないでしょ?」
元一の魔王ことドロミット。魔族である彼女は十八歳くらいの少女の姿にもなれるが、普段はむしろ小さな白鳩の姿で行動していることが多い。
しかもその性格は気まぐれで好奇心旺盛。
彼女であれば、雑に何か面白そうだったからついていくと言い出しても退けられまい。
「じゃあ頼んだ」
「一応お聞きしますが、舞台は見なくていいんですか?」
「百年も生きてればこのぐらいの舞台、もう何度も見てるわよぉ」
「なるほど……」
三人はそれもそうかと頷いた。
厚意か、それとも本当にただの好奇心か。
白鳩は自然の生き物らしくもない音を立てない飛び方で、この場を離れたファラーシャを探しに行った。
◆◆◆◆◆
今回の席順はセルセラたちが身内で色々話し合えるようにと四人でひとまとめにされている。その分、エルフィスとアムレートが隣り合っていた。
「天上の巫女様はやはり我々とは違いますね」
「その通りだとも思いますし、あれで案外私たちと同じ普通の人ってところもたくさんある。それがセルセラ様です」
エルフィスとファラーシャの間には細い通路が挟まっていて、ファラーシャならばともかく人間のセルセラたちはその位置からでは、エルフィスとアムレートの声を潜めた会話も、聞こうと思わねば聞こえない。
「……エルフィス王の話を聞いていいでしょうか」
「私の?」
「ええ。……王位を争っていたイダス公爵閣下と、どのように折り合いをつけたのか」
天上の巫女一行に対しては先日の件の礼を兼ねた場を提供したとしても、隣国の国王相手ではそうも行かない。アムレートとエルフィスの会話は、総てが国家の対応を決めるための駆け引きや、そのための判断材料である。
薄暗い劇場内は密談の場に適しているとも言える。
セルセラ辺りに説明させると「あれだろ、お泊り会の夜、明かりを消して薄暗い中でする打ち明け話」という雰囲気である。
「折り合いと言いましても……うちの国は長い慣習が王族の子どもの価値観形成にかなり影響しているので、あまり参考にはならないかもしれません。それでもよろしければ」
「かまいません。今は少しでも多く、色々な人の人生の転機に対する判断を聞きたいのです」
アムレートに請われ、エルフィスはあれから二年が経ち自らの中でも過去となり始めた当時の感情を振り返る。
「私……いえ、僕は、もともと従兄弟としてイダスが好きでしたよ。だから争いたくなかった。運命を憎み、竜を憎み、その全てをぶつけることにしたんです」
ファンドーラーの生贄の宿命。王子が生贄となることを選ばなかったら、対立候補が生贄にされる。
当事者たちの仲が悪い場合も内戦寸前の争いを引き起こす地獄だが、当事者たちの仲が良い方がこの場合は悲劇だ。
歴代のファンドーラー王族は建国者である騎士の気質を引き継いだものが多かったため、騎士らしく己を犠牲にして他者を守りたい性格のものが多かった。
その点では、歴代の生贄の中ではエルフィスが一番邪道な性格をしていたとも言える。
「エルフィス王が行動なさらなかったら、イダス閣下はどうしていたと思いますか?」
「実際に聞いてみたのですが、実はイダスの方も似たようなことは考えていたらしく、ひそかに戦力を蓄えていたようです」
「……それほどまでに、御心が同じだったのですか」
「はい、嬉しいことに」
エルフィスにとって間違いない幸運だったものはセルセラとの出会い、そして、従兄弟のイダスが自分と同じような志で行動していたことだった。
「……そうですか、やはり信頼関係にはその土台が重要なのですね」
アムレートはそれを聞くと、微笑みながらもどこか悲しそうな顔で礼を述べる。
「感謝いたします、エルフィス王。とても参考になりました」
「アムレート殿下には従兄弟はいらっしゃいませんよね」
「ええ。珍しいことに。叔父上は子どもを作らなかったので」
「フェング王の年齢ならまだ実子を作ることは可能でしょうが、後継者もなしに王位を継ぐというのも、珍しい話のような気はしますが……」
エルフィスは今更ながらその点を気にした。やはりこの国の王位継承に関しては、他の国に見慣れない不自然な部分があり、フェング王が何らかの謀を行ったように思われる。
「私にもまだ子がおりませんから、その点では私と叔父は対等だったのかもしれません。けれど私は、叔父上が何を考えているか、いまだにわからないのです」
「そうでしたか……」
二人がひっそりと雑談とは呼べない会話をしている間にも、舞台は進行していた。
そろそろ場面は結末へと差し掛かる。
陽気な男二人が自らの女房に頭が上がらないと女房の恐ろしさ対決をしながら、実は最後でその女房たちは双子でどちらも同じ顔、同じ性格をしていると明かす構成と成っている。
会場が健やかな笑いに包まれたところで、舞台は終わった。
「やはり私は……」
アムレートの小さな声は、観客の拍手に紛れて聞こえない。
エルフィスが詳細を問いただす前に、セルセラがアムレートのもとへやってきた。
「なあ、公爵閣下、ちょっとここで感想戦をしないか?」
人払いしてゆっくり話したいの意図を読み取ったアムレートが頷く。
◆◆◆◆◆
肩にドロミットを乗せたファラーシャは、劇場内をうろつきまわっていた。
劇場は劇場でも演劇を見るためのホールではなく、そのホールに通ずる廊下や関係者のための控室がある付近だ。
舞台の大音響も壁一枚隔てただけで、別世界のように遠く感じる。
足元の絨毯が酷く柔らかく音を吸い、まるでふわふわとした夢の中を歩いているようでもあった。
「ちょっとファラーシャちゃん、そっち行くと見つかるわよ」
「ドロミットはどうして手伝ってくれるの?」
「面白そうだから」
宣言通りファラーシャと合流したドロミットは、そのままファラーシャの人探しを手伝うことにした。
ファラーシャ一人では難航しそうな調査は、ドロミットのおかげで順調に進んだ。
けれど探し人――脚本家の姿は見当たらない。
ついには役者の控室らしき部屋にまで入り込んだが、そこには誰もいなかった。当然と言えば当然なのだろう。公演の真っ最中である現在、クライマックスを前にして出演者一同は控室ではなく舞台の袖の方に詰めている。
がっかりして肩を落としたところで、背後から声をかけられる。
「そこは関係者以外立ち入り禁止だ」
ファラーシャにも気配を掴ませず背後へ立った相手。
それこそ、前回の脚本家と同じぐらい、これまでファラーシャが探し求め、会いたかった相手。
最初に声を聞いた時にはわからなかった、彼女が知らぬ間に声変わりしたのだろう。
「アルライル……!」
「久しぶりだな、ファラーシャ」
ファラーシャにとって、従兄弟にして許婚。
アルライル=ハシャラートが、そこにいた。