第3章 恋と復讐と王子様
060.世にある、世にあらぬ
ハシャラートの特徴である、光でできた虫の翅。普段は人に紛れて生活するのに不要なそれを解放し、伯父と姪は碧と青の光の鱗粉を振りまきながらダールマークの夜空を飛ぶ。
「ファリア鉱山……」
話をするために、ひとまず場所を移動しよう。そう言ってゼィズがファラーシャを連れてきたのは、ここしばらくファラーシャたちも幾度となく訪れていたファリア鉱山の一角だった。
それも、どうやら遺跡の出口の一つらしい。
ファラーシャとレイルが魔獣の襲撃の際に避難民と一緒に取り残された時には見つけられなかった場所だ。
何故、ゼィズがこんな場所を知っているのか。
「この山はもともとダールマーク王家の管理下だったからな。遺跡の存在は代々の国王のみが知り、代替わりの際にようやく王子に伝えられるという。現在のこの地方の領主であるアムレート王子が知らないのも無理はない」
「伯父様……もしかして、アムレート王子と知り合い?」
「相変わらずこの手のことには鈍いな、ファラーシャ。今の話の流れで言ったら、私の協力者はフェングの方だとすぐにわかりそうなものだが」
「う」
本を読むのは好きだが恋愛絵巻ばかりで今一つ推理力を始めとする察する力は育たなかったファラーシャは言葉に詰まる。
昔もよく、伯父にはこうして溜息を吐かれた。言葉の上では呆れた素振りの伯父は、それでもファラーシャを始めとする子どもたちに失望しているのではなく、むしろファラーシャたちが彼とはまったく別々の道を行くことを不思議そうな顔で眺めていることが多かったように思う。
「……え? 待って。伯父様がフェング王と知り合い……?」
「ああ」
ファラーシャの脳裏に過るフェング王は、アムレートの誘いで舞台を観劇した際にほんの少しだけ顔を合わせた厳めしい顔つきの壮年の男性というだけだ。
特に深く言葉を交わした訳ではなく、けれど初対面から悪い印象を覚えた訳でもない。
アムレートと対立していると聞いた割に、普通の人だな、と思った。
そのフェング王と目の前の伯父に交流があるという新たな事実に、なんだか頭がついていかない。
「な、なんで今そんな話をするの!? 私が知りたかったのは、あの日、村が滅びた時に何があったのかと、なんで伯父様たちは私を置いて姿を消したのかってことだよ!」
「全ては繋がっている」
姪からの糾弾に、ゼィズは軽く目を閉じる。
「お前が村を出てから天上の巫女たち一行に出会ったように、私も滅びた村を離れ、探しものの途中でフェングやラヴァルに出会った。それだけの話だ」
「ラヴァルって……」
「三の魔王だ。“青髭”ラヴァル」
「青の大陸の魔王……!?」
フェング王以上に想定外の名を出され、ファラーシャはますます混乱する。
「魔王って……じゃあ、じゃあ」
「私とお前は敵同士、ということだな」
ゼィズが笑う。今度は先程昔のようにファラーシャの単純さを指摘した時とは違い、はっきりと皮肉気に。そして彼はこういう時は決して茶化さないのだ。
「なんで、伯父様……あの日、村が滅びた時、何があったの。その後、伯父様とアルライルはずっと今までどうしていたの?」
混乱しながらも、ファラーシャは村の生き残りに会えたらこれだけはずっと聞かなければと思っていた質問をようやく口にする。
「……どうして私たちの村は……ハシャラートは、滅びたの? 誰が滅ぼしたの?」
ハシャラートの村は村人全員が顔見知りの小さな集落だ。
五年前、火の手に気づいて村に駆け戻ったファラーシャはそこで見慣れた同胞の数々の死体を確認する羽目になった。
あの人もあの人もあの人も、死んでいる。幼い友人、その父親に母親、親切な隣人、世話になった老人、誰も彼もその瞳から光は消え失せて、腐敗するのを待つ肉塊と化している。
無造作に倒れ伏す死体の中に父を見つけて絶望し、その後は他の家族――母と姉を死に物狂いで探した。
父の死体はある。母と姉の姿はない。そして、伯父であるゼィズと従兄のアルライルもいない。
最悪の結末と絶望の中にある、一筋の希望。それが転じて地獄となる可能性。何度も何度も色々な可能性を考えては、まだ結果は出せないとその疑問を封じ、表面上は明るい性格を装って旅を続けてきた。
「……お前にはすまない事をしたと思っている」
ゼィズが初めて、姪に対して憐憫の情を見せる。
「私たちの間に起きたことは、おそらくお前の考えの中でも最悪のパターンに一番近い」
「……私たち特殊民族は、創造の魔術師・辰砂が作った生体兵器。だから、人間には余程のことでもない限り、殺されない」
「我々ハシャラートの中に、裏切り者でもいない限り」
ファラーシャはゼィズの交友関係を見抜けなかったが、ゼィズはファラーシャの推測をお見通しだったようだ。さも当然のように告げる。
「我々ハシャラートの滅びを招いたのは、人間の悪意と我々自身の不和、その両方だ。――よく聞け、ファラーシャ」
伯父の口から放たれた言葉は、確かにファラーシャにとって最も過酷な結末だった。
「お前の父、ルカニドは一族の情報を外の人間に売り渡していた。そしてその人間に裏切られ、一族同士で殺し合うよう仕組まれた。ルカニドを殺したのは――私だ」
◆◆◆◆◆
同じ頃、アルライルに足止めされたセルセラたちも似たような話を彼から聞かされていた。
「なるほど、そういう事情だったわけか」
「ファラーシャの話が時々かみ合わないから色々おかしいとは思ってましたけどね。あの子も最初から幾許か、伯父と従兄弟が事態に関わっていることを疑っていたのでしょうね」
「まぁ、ただでさえ自分が疑いたくもないのに伯父を疑ってる状況で、他人の口から遠慮のない意見を聞く度胸はファラーシャにはなさそうだ」
「そうですね。特殊民族として肉体的には頑強でも精神的には軟弱ですから」
「二人とも……厳しすぎるだろう……」
しかしレイルも鉱山での会話で一度疑問を覚えた身である以上、強くは言えない。
セルセラもタルテもレイルも、結局はファラーシャのことを気にしているからこそ、その言動の矛盾に早い段階で気づいていたのだ。
人よりも遥かに強大な力、頑強な肉体を持つ特殊民族の一族がどうして滅びたのか。
一族が滅んだと言いながら、ファラーシャは時折身内の話をする。レイルが鉱山で聞いたように、従兄弟の話などは特に不自然なものだった。
どういう心境と前提条件があればそうなるのかを突き詰めて考えていくと、結局ハシャラート一族の滅亡は少なからず内部崩壊の要素が含まれるという結論にしかならなかった。
ファラーシャの態度は、復讐者というには空元気の側面が強い。
一族を滅ぼしたのがただの敵と言える他人や、その可能性が高ければ復讐者の態度はもっと憎悪を滲ませるか、逆に憎悪を押し殺す方向に行くだろう。
しかしこれまでセルセラやレイルたちが見てきたファラーシャにはどこか、自分でも自分の一族の滅亡という事情に向き合いたくないような態度が見受けられた。
一族の滅亡と家族の死に、少なからず伯父と従兄が関わっていることを薄っすら察していたからだろう。
伯父が裏切るはずはない。けれど、生きているならどうしてファラーシャを探そうともしてなかったのか。
その辺りの話を、ファラーシャはセルセラたちにも言えなかった。
「で、他にも何かあるんだろう? お互いここまで来たからには、最後までこの件について片を付けるつもりで話し合おうじゃないか」
セルセラはアルライルに、話の先を促した。彼の背後ではやはり、フェングの兵士たちが神妙な顔で待機している。
◆◆◆◆◆
「世界は常に動いている。その動向を見ながら一族の命運を預かる族長の任は重い。ルカニドは苦労していた。外界の人間たちと手を組むことで村を豊かにしようと。村はそんな挑戦を見守っていた。例え少しぐらいうまく行かないことがあろうと、これも時代の変遷であろうと……」
風向きが変わってきたのは、村が滅びる一年前だったか。
ルカニドが外交交渉の失敗で、村の財を外の人間に安く買いたたかれていることが発覚した。
これまで彼らハシャラートの一族はほとんど村の中だけで生活を完結させ、外の人間たちとは最低限の取引しかしていなかった。
そのため外界での黄金や鉱物資源の適正価格や取引のやり方について、何も知らなかった。
そのことに気づき、損失を取り戻そうと補佐したのは兄であるゼィズ。
村人は「しょうがない」と言う者と、「もともとルカニドが族長を継いだこと自体が間違い」なのだと言う者に分かれた。
「私自身は、よくある失敗の一つとしてその事態は流すつもりだった。だが村の者たちの間には、この頃から明確な断絶が生まれ始めた」
これまでもなんとなくゼィズ派とルカニド派に分かれていた傾向が更に強くなった。
「総ては今より二十年前、族長決めの決闘にまで遡る」
今回の事態は、もともとゼィズが族長であれば発生しなかったという考えを持つ者たちは、ルカニドが族長であることに二十年前の出来事から遡って正当性を疑い始めた。
「ルカニドには、あの戦いで不正をしたという疑惑がずっとあった」
「不正……?」
ファラーシャは困惑する。ルカニドの娘である彼女にとっては寝耳に水の話だ。
「父様は、母様と結婚するために決闘で頑張って、それで……」
「ああ、その時、私の武器に細工をして決闘に勝利したという疑いを持たれていた」
ファラーシャがルカニドの娘だからこそ、大人たちも父への疑惑や不信感をその子どもにまで背負わせぬよう、厳重に守られていた結果だと、今更になって知る。
「……父様は、本当に母様が好きだった」
「……だからこそだ。私の許婚だったパスハリツァと結婚するために、実力はないのに不正をしたと見られていた。だからこそ、族長として正しい実力はないのだと」
「ほん、とうに?」
「真実はわからない。私はルカニド本人の口からそれを聞いたことはない。だが疑惑はずっとあったようだ」
ルカニドは兄の婚約者を手に入れるため、決闘でゼィズが不利になるよう、武器に細工をしたのだと。
「愛が真摯だからこそ疑われる」
「……」
ただの恋愛問題ならお互いがその結果に納得していれば良かったかもしれない。
しかしゼィズとルカニドの決闘には、その後の一族の運営がかかっていた。
不正までしてその座についておきながら結果を出せないルカニドへの村人たちの苛立ちは日に日に募っていく。
「今思えば、他でもない私自身が、身内可愛さにルカニドを贔屓していたのかもしれない。そのせいで族長がふがいないとまっとうな主張をする勢力の言い分を見逃した」
ゼィズの言葉の中に、後悔が滲む。
兄としての彼は弟を庇った。けれど、かつて族長の座を争ったものとして、その姿は正しくなかったのかもしれない。
「もはや外と取引すること自体を諦めた方がと進言するものが多くいた。しかしルカニドはあきらめず、交渉を持ち続けた。その中に、私や他の村人たちに隠した取引先があったようだ」
自らを認めさせるために、自らの未熟さや過ちを取り繕い隠す。信用されないから信用できない。お互いに疑心暗鬼になっていく。
「ルカニドは、特殊民族としての一族の血を売り渡していた。私が気づいたときにはすでに遅かった」
――自分の身を削ってまで村の情報を売るやつがあるか!
――止めないで、兄さん。俺は、ここでやらねばずっとあなたの影のままだ!
「我々は創造の魔術師・辰砂に造られし生体兵器。人間と共存するにしても、お互いの領分は守らねばならぬ。ルカニドはそれを超えた」
血液には、科学的見地からも、魔導的見地からも様々な情報が詰まっている。
血を渡すということは、特殊民族としての自身の設計図を渡すようなものだ。
「それで……」
ファラーシャはじっとりと嫌な汗が背に流れるのを感じた。
父であるルカニドの判断が本当に正しければ、村は滅びていなかったはず。
そうでないと言うことは、父は失敗したのだ。
「結果的に言えば、ルカニドは騙されていた」
ゼィズが苦痛を堪えるように眉根を歪めた。
「あいつと取引をした人間たちは、我らと交流を求めたわけではなく、我らの強さの秘密が知りたかっただけ。そしてルカニドの血から、ある毒を作り出した」
「毒……?」
「生物を変異させる毒だ」
ファラーシャは目を見開く。
冤罪砦近くの海で船を襲った魔獣。
アムレート領で鉱山の遺跡から溢れ出した魔獣。
ハシャラートの村の、無残な亡骸。
「まさか……」
「お前の想像通りだ」
その場にいなかったことがファラーシャの不幸で。
その場にいなかったことがファラーシャの幸福。
「取引相手はルカニドの血から作り出した毒の威力を、他でもない我らの村で試した。あの時――我々は毒で変異した同族同士で殺し合ったのだ」
ハシャラートは滅びるしかなかった。
人間とは比較にもならない強靭な生体兵器の一族を滅ぼしたのは、彼ら自身だったのだから。
「私が無事なのは、アルライルのおかげだ」
「アルライルの?」
従兄のアルライルはどちらかというとハシャラートにしては体が弱い。戦場や一族同士が血を血で洗う混乱の最中に何かできるとは思えなかったが……。
「あの子は毒に敏感で、早々に体調を崩しかけた。私はアルライルの様子から何か只事ではない事態が引き起こされたと気づき、防御結界を発動していた。そうでなければ、私も同じように死んでいただろう」
しかし、ゼィズとアルライルだけで、変異して自我を失い同族で殺し合う者たちを止められるわけがない。
「……伯父様」
そしてゼィズは、先程告げた衝撃的な、けれどファラーシャがこの五年間ずっと、覚悟し続けていた予想をもう一度繰り返した。
「お前の父・ルカニドを殺したのは――私だ」
「……」
「自我を失くしたルカニドは私たちにも遅いかかった。だから殺した。手加減などできなかった」
族長直系ではないが、もともとゼィズ・ルカニド兄弟の血は直系に近い。
ルカニドは一族の中でも歴代有数の実力者であるゼィズと比較されがちなため、まるで実力自体が低いと勘違いされた節もあったが、逆に見るとルカニドより明確に戦闘能力で勝るのはゼィズくらいだった。
「お前の仇は、間違いなく私だ」
ファラーシャの父を殺せる可能性があったのは、もともとこの伯父くらいだったのだ。
覚悟は、していた。ずっと。
けれど一抹の望みがある限り、その口から真実を聞くまでは、伯父を恨みたくはなかった。
そして実際、彼が事態の原因の一要素ではあっても、彼が全ての元凶というわけではない。
「私は仇の跡を追い、この大陸へやってきた。そしてフェングとラヴァルに出会い、協力して情報を集め――あの時持ち去られたパスハリツァの遺体を見つけた」
棺の中、眠るように穏やかな顔で横たわっていた母の死にまつわる話に、ファラーシャは再び辛い現実に向き合わねばならない覚悟を固める。