天上の巫女セルセラ 062

第3章 恋と復讐と王子様

062.流れる花

「ふうん、つまりお前の父親は、初めから死ぬつもりだったと」
 セルセラたちとアルライルの対話は続く。
 彼の口から語られた魔王側の裏事情は、この件を別にしても有益なものだった。
 三の魔王を通して五の魔王とゼィズ・アルライルが面識を持っていたのには驚いたが、その彼女でも、結局ゼィズの肉体の変異を完全に治療することはできなかったらしい。
 それを聞いてセルセラは、ならば自分も同じだろうと判断した。
 五の魔王は魔王の中でも唯一、医療知識を持っていると聞く。その能力はセルセラと互角だとも。
「魔王たちは仲たがいをしている。六の魔王は全ての魔王から嫌われている。六の魔王に対抗するため、他の魔王たちは手を組んでいる」
「いつ聞いても魔王側の事情はおかしいな」
「緑の大陸を渡り、青の大陸へ。俺たちは呪毒を解く方法を求めるうちに、射手の魔王へ出会った。彼から黒の魔王を紹介され、一時的に毒の進行を抑えられるようになった」
 そろそろ限界を迎えるこの時期にファラーシャと再会したのは、幸運だったのか。不運だったのか。
「戦えば一気に変異が進んで死ぬ。それを知っていて……父さんは……」
「……君は」
 淡々としたアルライルの言葉が、彼の感情の揺れを映して途切れがちになる。そこにレイルは口を挟んだ。
「父親を止めないのか」
「……俺は、ハシャラートとしては能力が低い。生まれつき身体が弱かった母親に似て、昔から頑丈ではなかった。父は俺を守るため、そして慣れない地で今までとは違うやり方で糧を得るためになおさら戦いに明け暮れていた。俺のために」
 自分を守るために戦い続け、そのせいで毒による変異が進んだ父ゼィズに、ずっと足手まといだったアルライルが言えることなど何もない。
「――本当に?」
 前へと進み出たのは、意外なことにタルテだった。
「本当に、言えることはないで終わる気ですか」
「他人ならば合理性や正当性だけで関係を築いても良いでしょう。けれど、親子とはそんなものなのですか。あなたは助けてもらった恩人としてではなく、ただ父としての父に、言いたいことは何もないのですか」
「タルテ」
 思わずセルセラが制止を挟む。普段は家庭事情などという言葉に興味なさげなタルテにしては本当に珍しい反応だ。
「……俺もタルテと同じ意見だ」
 タルテの後を引き取って、レイルが再び言葉を紡ぐ。
「俺は自分が子どもの頃に両親を亡くしたから……事故で、どれほど仕方のないことだと頭では理解していても、寂しくてたまらなかった」
 両親としたかった話や、やりたかったことの数々は、その先の人生でも何度も思い返された。
 レイルの故郷、キノスラの気候は厳しい。一年の約半分ほどは冬に覆われた国。青の大陸の北部の国は皆そうだった。その環境では、天候によって不幸な事故もたびたび引き起こされた。
 喪ってからやり残したことに気づいても、どうにもならない。
 そして世の中には予兆や前兆もなく家族を喪う人間もいるが、アルライルに関してはそうではない。
「君が、ファラーシャの伯父の息子だというのなら、ただ息子として伝えたいことを、ちゃんと伝えた方がいい」
「……どうして」
 アルライルが苦し気に表情を歪める。創造の魔術師の御業によってつくられた端正な面差しは、くしゃりと歪むと途端に人間らしくなった。
「どうしてあんたたちは、そんなことを気に掛けるんだ。俺は、ファラーシャの味方をするあんたたちを止めようと思ってきたのに」
 今でもアルライルの背後に、フェング王の部下の兵士が控えている。彼らは真剣な顔をしているが、それでもやはりどこか困惑している。
「僕らはそんな味方とか仲間とか甘い関係じゃねーよ。利害が一致してるから手を組んでいるだけだ。今回はファラーシャの奴が僕らに話さなかったことも多いしな」
 セルセラは呆れたように肩を竦めた。
「で、お前はなんで父親に本当の気持ちを言えないんだ?」
 気負いない口調で核心に踏み込んだセルセラに、アルライルは俯く。
「言えるわけがない。だって、俺は……ずっとファラーシャに嫉妬してた。婚約者なのに。支えてくれって言われてたのに」
「婚約者!? っ、ああ、いや、なんでもない続けてくれ」
 そこまでは聞かされていなかったセルセラが驚いて思わず声をあげる。タルテとレイルも予想外の言葉に目を丸くした。
 あれ? ファラーシャのやついつも「金髪の王子様」にこだわってたよな、と思わず三人は目を見かわす。
 時折見せる懐かしげな表情に、てっきり故郷で好意や縁があった相手がそうなのだろうと邪推していたのだが、アルライルはファラーシャの理想とはかけ離れた黒髪だ。
 三人の驚きを余所に、アルライルの話は続く。
「あの日、父さんは俺を守るために叔父さんを……ファラーシャの父親を殺したんだ」
 五年前のあの日、胸を過ぎったその歓喜と絶望。
 暴走するルカニドが真っ先に手を掛けようとしたのはその場で最も無力なアルライルだった。
 その一瞬、ゼィズは弟と息子を天秤にかけて、息子を選んだ。
 救いようもなく変異してしまった弟と実の息子なら当然の選択という者もいるかもしれない。
 けれど、ゼィズはもともと弟であるルカニドに甘かった。
 アルライルは、自分さえいなければゼィズはルカニドを生かしたまま制圧し、何十年かかっても取り戻す方法を探したと思っている。父自身は常にそういう強さを持つ人だった。
 その選択肢を奪ったのは自分。

 奪ってしまった。父の弟を。従兄妹の父親を。
 ただ生きるために、大切な人たちから、大切な人を、奪ってしまった。

 もともと言えなかったわがままが更に口をつくことがなくなった。
 脳裏をいつも罪悪感が支配する。己の命にそんな価値があるのかと。
 幼い頃に聞いた村人たちの話を繰り返し思いかえす。

 ――だが縁組で言えば、先代の思惑通りゼィズとパスハリツァが夫婦になった方が良かったんじゃねえか。

 ゼィズは本当は、ファラーシャたちの母・パスハリツァと結婚するはずだったのだ。

 そうすれば自分もファラーシャたちも生まれては来なかっただろうが、少なくともハシャラートの村が滅びることはない。
 一人の男が失恋するだけで済んだだろう。
 婚約者に秘かに嫉妬し続けたアルライルには、勝負に勝つために不正をしてまで兄の婚約者を手に入れたルカニドの気持ちがまったくわからなかった。
 その出来事さえなければ、こんな結末にはならなかった。だと言うのなら。

 恋なんてしなければ良かったのだ。それが全ての破滅をもたらした。

 その恋の果てに生まれた自分の命もファラーシャの命にも、アルライルは希望を見いだせない。
 それでもファラーシャはまだ幼いころから族長候補として戦いの才能を見せつけて別の希望を大人たちに見せていたのだから、まだいい。
 やっぱりこの世にいらないのは自分だけだ。
 そんな自分の言葉が、今更父だけでなく、誰に届くと言うのだろうか。
「……さっきの反応、あなたたちはファラーシャの『金髪好き』を知っているんだな」
「う! バレてる!」
 目を泳がせるセルセラたちの前で、アルライルは深く溜息をつく。
「あいつの好きな“金髪の王子様”の原型は、うちの父さんだよ。昔からよく『伯父様と結婚する!』って言ってたから」
「それは……周囲は色々な意味で返答に困っただろうな」
 今唐突に明らかになったファラーシャの金髪好きの原点。それは伯父であるゼィズの存在。
 伯父本人もその息子である婚約者も父も母も姉も全員の度肝を抜いたファラーシャの無邪気な笑顔を、アルライルは思い返す。
 ゼィズは当時の幼子の発言に、「私より、息子と結婚してほしいところなんだが」と苦笑していた。
 「アルライルももちろん好きだよ?」と首を傾げるファラーシャに、叔父がどことなく居心地悪そうにしていた。
 叔母のパスハリツァは、「あの子も大きくなればアルライルの良さがわかるわよ」とただ笑っていた。
 父の婚約者を奪った叔父が、婚約者に振られたような形になった自分に対して気まずげだった意味は今ならわかる。
 けれど、叔母の慰めの言葉は、アルライルには真実になるとは到底思えなかった。
 再会した時の反応でわかった。
 ファラーシャはきっと今でも……ゼィズに特別な想いを抱いている。
「父さんのためにもファラーシャのためにも、最後はあの二人で決着をつける必要があるんだ」
 どちらにせよ先の長くない父は、姪に殺されることによって、その父である弟を殺した罪を雪ごうとしている。
 自分がその場にいても邪魔だ。アルライルにはそうとしか思えなかった。

「そんなの嘘だ!」

 そんなアルライルの想いを、全力で否定する言葉をレイルはぶつける。

「レイル?」
「なんか……あなたにしては厳しい顔をしていますね……?」
 セルセラやタルテですら不思議そうにしている。
 これまでのレイルの性格を考えれば、先ほどのようにさりげなく穏やかに相手を諭そうとすることが予想できた。魔王ですら相手が女性や動物だと剣の腕が鈍るほどの柔弱……もとい、優しい男だ。
 レイルがこんな風に誰かを糾弾するところを二人は見たことがない。
「君の父親は確かに戦闘に集中することを、ファラーシャに討たれることを望むかもしれない。ファラーシャは君を戦いの邪魔だと考えるかもしれない。それは確かにそうだ。でもだからって……大切な人の死に目に、家族が会えないような事態をファラーシャが望むわけがない!」

 それは、ファラーシャの気持ちの類推ではあるが、同時にレイル自身の過去が叫ばせる言葉だ。

 両親の事故。
 自分の知らぬ間に国を救うことを決めて、レイルが呪いによる苦しみから目を覚ましたらすでに棺の中だった主君。
 大切な人の最期に、いつだってレイルは立ち会えないままだった。会えないまま彼らを逝かせてしまった。
 だからこそアルライルの選択が赦せない。

「君はいつまで、そうやって自分の気持ちから目を逸らして、臆病なままでいる気だ!」
「!」

「優等生ぶって自分の心を殺すことばかり覚えたって、誰も本当の意味で救えやしないのに! ――ここで君がその場にいなかったら、結局ファラーシャが全部一人で背負うことになるんだぞ……!
「それは……!」

 ファラーシャにとってアルライルは戦いの邪魔かもしれない。
 けれどファラーシャは、アルライルがゼィズの最期を看取りたいという気持ちを否定することはない。
 理由をつけてそこから逃げていたのは、他でもないアルライル自身だった。

「俺は……」

 横面を張られたような表情で、アルライルはレイルの顔を凝視した。
 目の前にいる金髪の美しい男、いかにもファラーシャの好みそうな男。
 けれど自分と彼の一番の違いは、容姿ではなく、本気でファラーシャのことを考えられるかどうか、その内面。

 セルセラとタルテは目を見かわす。
「要するに、優等生同士の会話ってことですよね、これ」
「この二人、性格的に似たようなタイプだよな」
 少し話しただけでもわかるが、アルライルはファラーシャの従兄というには非常に性格が大人しい。
 我が儘を言わず、周囲に合わせて。それはおそらく己自身への評価の低さから来ている。
 レイルは剣士としての自信があるのでアルライルとは少し違うが、過去に主君を守れなかった挫折から、己の存在をどうでもいいと考え自分で自分を抑圧している。
 だからこそ、アルライルに今必要な言葉がわかるのだろう……と、セルセラたちは考えた。
「今回は任せた方がいいでしょう。私たちではファラーシャの複雑な心理は追いきれない」
「僕ら捨子だからな」
 この世にはお互いの問題を絶対的に理解できない間柄というものもある。
 実の親の顔を知らない二人は、唯一その感覚を知っているレイルに任せることにした。
 レイルがアルライルに、もう一度尋ねる。
「君は、本当にいいのか。自分の父親と、自分の婚約者の果し合いから目を逸らしたままで」
「……いやだ」
 他者の気持ちを慮り、自分の心を押し殺してきた青年はようやく本心を口にする。
「父さんはもちろん、ファラーシャのことだって……女性として見ることはできなかった。でも、今でも身内だと……家族だと思ってる!」
 父の死に目に顔を合わせず、従兄妹に伯父殺しの罪をただ背負わせるためだけに生き永らえたわけではない。
 話に決着がついたところで、気持ちを切り替えさせるためにセルセラがパン、と大きく両手を打ち鳴らす。
「よし、腹は決まったな。じゃあ行くか、二人のもとへ!」
 進み出たタルテが、糾弾とも慰めとも全く違う「権利」をアルライルに主張する。
「ファラーシャは普段この面子で唯一仲間だのなんだの共同体意識を持ち上げているというのに、いざ自分の目的が近づいたら我々に何も言わずにこれですよ? 我々だってそこに文句を言う権利くらいはあります」
 そしてレイルが、アルライルに手を伸ばす。
「これが最後なら尚更、本当の気持ちを言いに行こう。……俺たちも、何一つ相談してくれず出て行ったファラーシャに自分の気持ちを伝えるから」

 ◆◆◆◆◆

 セルセラはこの数ヶ月で慣れ親しんだファラーシャの気配を追う。
 もともとダールマーク国内にいるのはわかっているのだ。この程度の距離、セルセラの風の魔導で移動すれば一瞬だ。
 他の三人と共に、以前訪れた遺跡へと空間を一挙に跳躍する。けれど。
「ファラーシャ!」
「みんな……」

 一足遅かった。
 辿り着いた現場の緊迫感に、四人は直感的にそう悟る。

「アルライル……」
「父さん!」

 ファラーシャもゼィズも、見てわかるような大きな怪我は負っていない。
 けれどゼィズは自らの頭を抱えるようにして苦しんでおり、ファラーシャはその状況に手が出せない様子だった。

「ダメだ、離れろ、私はもう……!」

 駆け寄ろうとした息子を、ゼィズは最後の力を振り絞って制止しようとした。
 その叫びに、骨や筋肉の蠢き潰れて再構成されていく音が、真夜中の山中にやけに響いた。

「ぐあああああああ!!」

「父さん!」
「伯父様!」

 背を突き破って蝉の翅が飛び出し、皮膚は緑がかった色へとゼィズの肉体が変異する。
 ハシャラート最後にして、最強の化け物はついに産声を上げた。