第3章 恋と復讐と王子様
064.城壁の亡霊
「まずい。フェング様からお借りした戦力はあなた方を止めるために街中に……」
「しまったそれでか! さすがに僕たちのせいで王様が殺されたら寝覚めがわりーぜ!」
ゼィズの遺体は、セルセラの魔導で結界を張って保護することにした。
今はアムレートを止めに行かねばならない。
「エルフィス、お前今どこにいる?」
『王城の外です』
「アムレートとフェング王は?」
エルフィスの話によれば、フェング王はすでに王城を抜け出してどこかに逃げたという。
アムレートはその後を追っている。
『でも、おかしいんですよね。二人とも王城の外に出た形跡はありません』
夜間に王城内の使用人や兵士たちの動きから異変を察したエルフィスたちは、ファンドーラー王の権力を使ってアムレートへの面会を申し込んだが、拒否どころか拘束されそうになったので退いたと説明する。
隣国の王なので殺されることはないが、この国の中での出来事に口を出さないよう、事の終わりまで足止めされる可能性は高い。
ここで向こうの言い分に従って身柄を拘束されると、この場面どころか自国の危機にも対処できないということで、エルフィスは自ら引き、セルセラと連絡をとることを選んだ。
謀反の事実を掴んだことは当然ダールマーク側に伝えなかったが、向こうも一国の王とその護衛たちが隣国滞在中に王城の異変に気付かないとは思わないだろう。ここは慎重に、けれど素早く行動しなければ取返しのつかない事態になりかねない。
使用人たちの動きから、どうやらフェング王とアムレートが城内にいないことは掴んだのだが、城外に出た形跡がない以上、城の中に秘密の出口があるとしか考えられない。
「アルライル、フェング王と伯父様は、どういう関係だったの? なんでアムレート殿下が自分の叔父を殺そうとしているの?」
この場で一番情報を持っているのは直接フェング王の人となりを知っているアルライルと見て、ファラーシャは従兄弟に問う。
国王であるフェングとその甥であり、元王子アムレート。
この二者の関係について、セルセラたちもこれまで政治的に調べられる範囲の出来事は調べていた。
新たな情報を持っているとしたら、特殊民族として表に出ずにフェングに関わり続けたゼィズとその息子、アルライルだけだろう。何せ、フェング王はゼィズのために、アルライルに自分の部下を貸し出している。
「父さんとフェング様は、友人だ」
「友人……?」
「俺たちはハシャラートの村を離れてから、謎の毒の解毒法と、あの日村から持ち去られたパスハリツァ叔母様の遺体と、死んだところを誰も見ていないリベラ姉さんを探すために、魔獣退治の裏仕事を引き受けながらこの大陸までやってきた。その関係で、この国にいにしえから伝わる禁断の毒があることも知った」
「禁断の毒だと?」
毒や薬品の事となれば黙っていられないセルセラが口を挟む。
「ああ。人を狂わせ兇暴化させる」
「それって……」
「ハシャラートにかけられた毒と似ている。だが調査の結果、違うものだということがわかった」
「では、フェング王はそれを悪用しようとしたのか」
レイルの推測に、アルライルは首を横に振った。
「違う。フェング様がそんな方なら、うちの父さんと友人になるわけがない。逆なんだ、フェング様の兄である前の王様が悪用しようとしたらしい」
「前の王様って、つまりそれがアムレート王子のお父さんだよね。ってことはさ……」
「アムレート王子の父親である前国王が危険な禁呪を利用しようとして、フェング王が、兄を殺したんだな?」
「ああ、そうだ」
ついに、フェング王が兄である前王を手にかけたという直接的な証言が関係者の口から得られた。
禁呪への対抗策を探していたフェング王は、その過程でたまたま出会ったゼィズ親子と面識を持ち、ゼィズと友情を築いた。
そして禁呪を悪用しようとする兄を、止めることを選んだ。
それがこの国の王位継承の真相だという。
あくまでもアルライルの視点で得た情報なので不明な点は多々あるが、それを否定する材料もない。
もともとアムレートは、叔父を疑っていたからこそ、隣国の王であるエルフィスの助言にもなかなか頷かず、鉱毒被害に対して後手に回っていた。
強い不信と疑惑。叔父が、父を殺したのか。何のために、と。
『アムレート王子は、自らの父上のやっていたことを知っていたのでしょうか』
魔導による通信の向こうで、エルフィスが顔を曇らせたのが声音からわかった。
「知っているようには見えなかったが」
セルセラたちもここ数日、顔を合わせた際のアムレートの様子を思い返す。
「……そういえば、あの時」
レイルは最初にゼィズ脚本の舞台を観劇した際の違和感を記憶から掘り起こした。
復讐にまつわる場面でフェング王は居心地が悪そうにしていて、アムレートはそれを観察しているようだったと感じたことを。
「アムレート王子は、ずっと叔父を疑っていたんだな。父親を殺したのではないかと。しかしおそらく、証拠を掴めず確信はなかった」
「でも、アルライルの話が本当なら、もとは王子の父親が悪いんじゃない?」
「フェング王が本当にただ正義の人なら、兄を告発して、アムレート王子に王位を継承させれば良かっただろう。それともアムレート王子も父親と共犯だったのか?」
セルセラはアルライルに確認を取る。
「はっきり聞いたことはないが、王子はおそらく無関係だ。そして……フェング様は、兄王に対し不満を抱えていたらしい。王位を奪ったのが正義ではなく対抗心からだと言われても否定はできない」
通信の向こうからエルフィスが代表してアムレート側の事情を推測する。
『そうなるとアムレート殿下の視点では、突然父親が叔父に殺され、本来自分が継ぐはずの玉座を奪われたと感じ、父の死に叔父が関わっているのではないかと疑ってずっと調査をしていたということになりますね』
「そこへこの国に、僕たちがやってきた。アムレート王子はそれも利用したんだろう」
「……王子が舞台を二度も勧めてくれたのは、一度目は私たちを利用した罪悪感だったんじゃないかと思う」
ファラーシャも、観劇の時に覚えたアムレートへの違和感を思い出す。
アムレートはきっと、セルセラたち一行を利用しながらもそのことに罪悪感を覚え、次はごく普通に楽しんでほしいと、二度目の観劇の手配までしたのではないかと考えた。
さしものセルセラも目の前で事件が起きたならばともかく、誰かが誰かを疑っているだけでは行動を起こすのは難しい。
自分たちが、甥が叔父を試すのに使われたことにも気づかず、アムレートに復讐のための絶好の機会を与えてしまった。
復讐心とはとかく厄介なもの。
たった今ここで、ファラーシャがこの五年、村に滅亡をもたらした真実と向き合うことを選んだように。
それがどれほど虚しい行いか自覚していても、決して自分の意志だけでは止められない。
「これ以上のことは本人たちに聞いた方が良さそうだな。とりあえず王城へ行こう」
「――俺は、フェング様の兵へ城への帰還を促します」
「ああ、頼む」
アルライルは自らが借り受けたダールマーク兵の所在に責任を持たなければならない。もしもアムレートが謀反に成功してしまった場合、彼らも責任を問われてしまう可能性がある。本来いるべき場所に戻っていてもらわねばならない。
「そうだな。できれば後から合流してくれ。僕たちは一足先に、ダールマーク王城へ!」
セルセラを中心にその身を包む緑の風の魔法陣が発動し、四人をオノクロタルスの遺跡から王城へと運んだ。
◆◆◆◆◆
「セルセラ様!」
「エルフィス、中はどうなってる?」
「中で戦闘の気配もありますが、そう大きくはありません。フェング王とアムレート殿下がどうなっているかはわかりません」
エルフィスの発言が曖昧な理由はセルセラたちにもわかった。
「城にいる気がしねえな。これだけの部隊を引き連れて来たなら大なり小なり戦闘をする前提で仕掛けたんだろうに」
アムレートは確かに配下の兵士たちを引き連れて王城に乗り込んだらしいが、その兵士たちも王城を制圧するとはいかず、あちこちでどちらかと言えば王城側の兵士と小競り合いですらない怒鳴り合いを続けている。
「何らかの手段で、外に出たのでしょうか」
ファンドーラー一行はほとんど監視されていたというが、現在では騒ぎが大きくなってきて一応は賓客である彼らに気を遣うどころか、何かを隠す余裕もないらしい。
エルフィスが自国から引きつれてきた兵は二十名にも満たず、決して多くはない。その半分を使用人たちの護衛につけてファンドーラーへ帰還するようすでに指示を出したという。残る十人程度は、いざダールマークに敵対行動を取られた際、王であるエルフィスを命を賭けてでも逃がすための護衛だ。
どこか慌てた顔で行き来する使用人たちを蹴散らす勢いでセルセラたちが城内を進んでいると、途中で意外な姿を見かけた。
「巫女様!」
「ヘルミント!」
アムレートの婚約者、観劇の際にファラーシャと意気投合した貴族令嬢・ヘルミントだ。
「あんたどうしてここに」
「たまたま父に用事があって……」
セルセラたちは国王がいそうな場所を探して、王城の奥へ奥へと突き進んでいた。ここはすでにかなりダールマーク城の深部だ。
「待てよ、あんたの父親って確か……」
「フェング王陛下の側近で、名をボローニアスと申します」
アムレートは婚約者である彼女を大事にしていた。それなのに襲撃に巻き込むのかと驚いたが、ヘルミント側は父親の立場もあってそもそも普段から王城に出入りしているという。登城予定はなくとも、婚約者のアムレートではなく自分の父親に会うために城を訪れていたらしい。
「単刀直入に聞く。あんたはアムレートが叔父を襲撃する計画を知っていたか」
「知りませんでした」
襲撃と言う言葉にヘルミントは一瞬だけ相当驚いた顔になったが、城内の混乱状況自体は気にしていたのだろう。原因を知ってむしろ肝が据わったらしい。真剣な表情でセルセラたちに向き合う。
「じゃあ今回の出来事に関して、フェング王側の事情を何か知っているか」
「あの……私の考えすぎかもしれませんが」
ヘルミントはほんの少し躊躇う素振りを見せたが、、相手が神にも等しき宗教的権力者、“天上の巫女”であることを思い返し、次の瞬間には全てを話すことを決意したようだ。
「フェング陛下は、前王陛下の妃……アムレート様のお母上を愛していらっしゃったそうです」
「は?」
「え?」
「……さっきも聞いたような話なんだが」
今日は兄弟同士の恋敵関係についてよく聞く日だ。
だが、それこそが、生まれも境遇もまったく異なるゼィズとフェングが友人と断言されるまでに交友を紡いだ理由なのかもしれない。
「愛する女性を兄だからという理由で前王陛下に奪われたことを、恨んでいらっしゃったのかもしれません。私とアムレート様が婚約のご報告をしたときには温かいお言葉をかけてくださったのですが。……アムレート様は以前から、フェング王陛下が前王陛下を弑したと疑っていたのかもしれません……」
ゼィズたちハシャラートの大人世代の問題の根幹は、ファラーシャの父・ルカニドが兄の婚約者に惚れたこと。
そしてこの国では、やはり弟が兄の妻を愛していたと。
「アムレート様の御両親である前王夫妻の夫婦仲は冷え切っていたそうです。妃殿下はアムレート様が子どもの頃にお亡くなりになりましたが、アムレート様には本当に愛する人を妃に迎えて仲睦まじく暮らしてほしいと、いつも言っていたそうです」
ヘルミントの口ぶりからすると、故前王妃は夫と不仲だったがその恨みを周囲にぶつけるタイプではなく、むしろ息子には自分たちと同じようなことにならないように言い聞かせていたようである。
「なるほどな。そういう土台があったからこそ、フェング王は兄の不正を知って耐えられなくなったと」
「一方で、母王妃からまっすぐ育てられたアムレート王子は王子で、叔父を疑いたくはなかった。けれど父親の不審死に関して調査したところ、叔父王の関与の証拠が集まってしまったと」
タルテが面倒そうに溜息をつく。死者に鞭打つのは酷だとは言うが、元凶がどう考えても故前王なので、できるならばそちらの方を締め上げたかったくらいだ。
叔父と甥は、ある意味で似た者同士だったのだろう。
どちらも初めは、憎しみを堪えようとした。
けれど相手の不正や不実を知って、許すことではできなくなった。
「ヘルミント嬢、あんた、アムレート王子を説得できるか?」
「巫女様」
「僕は正直言って、この国の王位には興味がねえんだよ。国を立派に治められる奴なら叔父だろうが甥だろうがどっちでもいい。天上の巫女としてこの国の人間に求める決着の付け方はただ一つ。できるだけ被害を出さないように、だ」
セルセラはヘルミントを真正面から見つめる。
「あんたはアムレートを説得できるか」
「します」
できるかできないかではなく、する、とヘルミントは答えた。
「アムレート様を愛していますから。アムレート様の意志は大事です。けれど、私はそれ以上にアムレート様の命が大事です」
すっと姿勢を正し、例え婚約者の王子がその地位を失っても愛し続けた娘は言い切った。
「必ずあの方を説得して見せます」
セルセラは口元だけでニッと笑う。
「そうか。いい覚悟だ。一緒に来い!」
◆◆◆◆◆
ヘルミントを連れて王宮の奥へ駆けつけたセルセラたちは、ついに両者の居所を知る者と出会った。
「陛下と殿下はこの先だ」
「空間転移用の魔法陣とは、御大層なもん持ってるじゃねえか」
「だが、あなた方を通すわけにはいかない」
ヘルミントが前へと進み出る。
「お父様」
「レアティーズがフェング陛下の護衛についている。私はここで見張り役だ」
ヘルミントの父親にしてフェング王の腹心の部下だという壮年の公爵、ボローニアス卿は宣言した。
レアティーズとはヘルミントの兄の名であり、フェング王の護衛を努めているらしい。
「天上の巫女よ、お帰り下さい。この国にはあなた様を必要とするようなことは何も起こっていない」
「僕たちの目的はむしろあんたの主君を救うことなんだがな。これでも聖女として、できる限り犠牲は減らしたい」
「それが正義であろうと、我々の主はフェング王陛下。あなたに従うわけにはまいりません。陛下は私に直接命じられた。アムレート殿下との決着をつける時が来た、誰も通すなと」
頑なな態度を見せるボローニアスを前に、セルセラは背後のヘルミントへと場所を譲った。
アムレート説得の前に、ヘルミントは実父を説得することとなる。ここを突破せねば、アムレートのもとへたどり着くことはできない。
「通してください、お父様」
「ヘルミント」
「私は婚約者として、アムレート様を迎えに行かねばなりません。だって」
娘は父に向けて、彼女の目から見た父親世代の姿を告げる。
「それが出来なかったから、フェング王陛下は永く苦しまれたのではありませんか?」
フェング王の愛した女性は、王位継承権を持つ兄王に奪われた。
国を傾けてまで愛を貫く選択は、当時の恋人たちにはできなかった。
もともと軋轢のある兄弟だったら、悪評にまみれた兄弟であったらその選択もあり得たのかもしれない。
けれどこの国は平和で、いっそ平和過ぎたのかもしれない。自分たちの意志を無視して決まっていく政治的な選択に異を唱えることなど、年若い王子とその恋人にはできなかったのだろう。
――だから今、積もりに積もったその恨みで、兄を殺し、甥に殺されようとしている。
「……それがわかっていて、お前はあのお方の御心を裏切るつもりなのか?」
「フェング王陛下が我々後の世代のことを想って耐えてくださったからこそ、我々は我々のやり方で、己の運命と戦わねばなりません」
ヘルミントを援護するように、ダールマークと国境を接するファンドーラー王が口を開く。
「あ、私もその意見に賛成です――。因習は打ち破るためにあるものですよ!」
エルフィスの口調は軽いが、実際に己の命を懸けて生贄の慣習を打ち破った少年王の意見に、ポローニアスは僅かに動揺を見せる。
その反応を見届けて、一応足止め役としての相手の顔は立ててやったとセルセラが動き出す。
「これ以上は揉めてらんねえな。悪いが強行突破と行こうか。どうするヘルミント嬢?」
「大怪我はさせないでくださいね」
「ま、待て!」
セルセラはポローニアス一行に捕縛の術を掛ける。肉体を傷めつけるようなものではないが、事態が収束するまでしばしこの部屋で不自由な思いはしてもらおう。これを機に青の大陸でも王宮付き魔導士の一人や二人雇うようになればいいのだ。
そして一同は、ボローニアスたち腹心の部下が守ろうとした、フェング王の居場所へと繋がる魔法陣へと飛び込んだ。
「なんという度胸だ。行き先を聞きすらしないとは」
「閣下……」
「彼女たちには我々は殺すどころか、負傷させる価値すらないらしい」
その中に元王子の婚約者である娘の姿も交じっていたことを考え、ポローニアスは深いため息をつく。
「しかし、国体を変えるにはあのぐらいの度胸が必要なのであろうな。ファンドゥーラーのエルフィス王がそうであるように」
「……御息女は、たくましく……いえ、御立派になりましたね」
部下の言葉に、ボローニアスは苦々しくもどこか晴れやかな気持ちで頷いた。
「ああ、未来の王妃も務まると思ったほどだからな……」
◆◆◆◆◆
ポローニアスたちの本心は知らず、魔法陣に飛び込んだ先でセルセラたちが辿り着いたのは意外な場所だった。
「あの砦」
「ディフ監獄……!?」
セルセラたちが青の大陸に向かう途中で遭遇した嵐、船の損傷を受けて何とか修復できる場所を探そうと立ち寄ったのがペレカヌス島のディフ監獄だった。
「ということは、あの砦の異変ももとはフェング王……ダールマーク王家に関わるものだったのですね」
「狂気を誘発する毒、ってことだったよね」
「それで強引な冤罪がまかり通ってたってわけかよ」
「監獄の人たちは無事なのだろうか」
フェング王を追いかけて、アムレートが手勢を引き連れて乗り込んだはずだ。囚人たちも監獄の管理者たちも騒然としている気配は伝わってくるが、詳細は砦の外からではわからない。
「セルセラ!?」
「アリオス!」
冤罪事件の調査に赴いたセルセラの養父の一人・アリオスが、セルセラたちの気配を察知して出てきたらしい。慌ててこちらに駆け寄ってくる。
驚いてはいるがそれほど険しい顔をしてはいない辺り、どうやら監獄側にはまったく事情が伝わっていないようだとセルセラは察する。
「みなさんどうやらお揃いで。さっきアムレート王子たちも来たみたいなんだけど?」
「移動しながら説明する。ついて来てくれ」