天上の巫女セルセラ 065

第3章 恋と復讐と王子様

065.毒と剣

 ――生きるべきか、死ぬべきか。

 ◆◆◆◆◆

 セルセラたちがディフ監獄に辿り着いた直後、雨が降ってきた。風が急激に強くなり、窓に雨粒を勢いよく叩きつける。
 どうやら、また嵐のようだ。
 風の唸りの中に、ファラーシャは微かな人の声を捉えた。
「歌?」
「何?」
「歌が、聞こえる……」
「歌だって? こんな嵐の中をか?」
「うん……」
 信じられずにセルセラが問いかけると、ファラーシャも自信がなくなってきたようだ。
「お前の聴覚は信用しているが、こんな嵐の中で歌えるのはまず人間じゃないな。近くの海で人魚でも歌っているのかもしれない」
「そうだね。呪歌って感じでもないし、聞こえないならあんまり気にしなくてもいいと思う」
 今はその声の主まで追求している暇はない。どうやらこちらに害を及ぼすものでもないということだけ周辺探査の魔導で確認したセルセラは、放っておけと告げる。
 今はアムレートによるクーデターの収拾が第一だ。
「それで、アリオスたちはどうしてたんだ?」
 セルセラはフェング王やアムレート王子と軽く接触し表側から冤罪砦と兇暴化する魔獣の件について調べていたが、アリオスはディフ監獄で冤罪を着せられた者たちに聞き込みを行い、裏側から今回の事態にあたりをつけていたらしい。
 どの被害者もそれまで働いていた場所や出身地、懇意にしていた権力者の情報などを集めると、国王となる以前の王弟フェングの存在に辿り着いたという。
「そろそろ君たちと連絡をとって動こうとした矢先だったよ。フェング王が砦に逃げ込み、アムレート王子が少数の部隊と共になだれ込んできたのはね」
 一国の王の犯罪をそう簡単に立証できるとは思わない。アリオスの目から見て、フェング王はとても優秀だった。そして数多の人々を冤罪に追いやったとは思えぬほどに、その統治手腕は良政を敷く賢王そのものだった。
 行動の結果からなんとか感情を読み取ろうとするならば、それはやはり彼が毒殺したという前国王である兄への恨みだろうか。
 冤罪を着せられた者たちは、直接的に関わりがあったものからそんなことは本人も露知らぬ者まで、前王の政権において重要な役割を担っていたものばかりだった。
「結局のところ、この砦はなんなんだ? 近海の魔獣の変異が、フェング王の隠し事なのか?」
「そうだね。この砦は、辰砂の作った遺跡の一つだ。近くにある別の遺跡に封印している毒と、この遺跡に封印されている魔獣の幼体を掛け合わせることで、普通よりも強力な魔獣を製造できる」
「魔獣の製造……」
「特殊民族を創ったのと同じ要領の禁呪だ」
「! ああ、だからファラーシャの伯父が必要だったわけか」
 暗い廊下を魔導の明かり頼りに歩きながら、一行はようやくこれまで誰がどのような情報・手段を手に入れ、何のために行動してきたのか、断片を繋ぎ合わせて見えてきた図を思い描く。
「一度、事の初めから確認しようか」

 青の大陸の北東にある王国、ダールマーク。
 この国は主に藍の大陸や紫の大陸との交易を担う港を持つ、青の大陸の玄関口の一つだ。
 しかしその国内にある古代遺跡には、「毒」とそれを活かすための「魔獣の幼体」という兵器――すなわち禁呪が封印されていた。
 隣国ファンドーラーに邪竜と生贄の習慣があったように、ダールマーク王国には禁呪の保持と対処という運命が課せられている。
「天界のザッハールたちと協力して調べたところ、毒の方は魔獣だけでなく人をも変異させることがわかったよ。変異にはいくつかの段階があって、使用量に応じて効果が若干変わる。まずは精神の変化を始め、徐々に肉体へと左右する」
「呪われた人間がだんだんと衰弱して亡霊のような顔立ちになり、やがて悪鬼そのものになる、みたいなことか?」
「そうだね。そういうイメージが近いかもしれない。逆に言えば最初の精神の変化段階だけで止めれば、傍目には何が起こったかさっぱりわからないわけだ」
「政敵の失脚を望む王侯貴族が、喉から手が出る程欲しがるでしょうね」
 アルライルの説明によれば、最初に王家が持つ毒を悪用しようとしたのは前国王だという。
 アムレートの父親だ。
 もともと兄に恋人を奪われた件で恨みを抱いていたフェングは、兄の悪事を知って感情の抑えが利かなかったのだろうか。
 兄を殺害し、自分が国王となり、禁呪の管理者になろうとした。
 「呪毒」と「魔獣の幼体」、二つの禁呪を管理する遺跡を押さえようとしたが、片方は国王である兄からその息子で元王子のアムレートに引き継がれたため上手くいかなかった。
 漏れ出した毒の影響で周辺の魔獣に影響を与えていたファリア鉱山が「呪毒」の遺跡。
 そして成長した幼体が狂気を発症しやすい魔獣として周辺の海域に影響を及ぼしていたのが、ここペレカヌス島のディフ監獄。
 ディフ監獄に収監された罪人たちの多くは冤罪で、フェングが兄を殺しその権力を排除するために必然的に犠牲とされた人々だった。
「この国は建国からまだ二百年も経っていない。これまでの王たちは禁呪の制御を目的としていたが、ついにそれを悪用する王が現れてしまったんだよ。それがアムレート王子の父である前王だ」
「辰砂は何故そんな禁呪を残したんだ?」
「弟子の僕たちにも、お師匠様の気持ちはわからない……。それが本人じゃなく、魂の欠片である転生体の一人なら尚更ね。その辺の追及は後にしよう」
「そうだな、今は事件の解決を目指そう」
 魔導士としての探求心は後にして、ダールマークのクーデターを止めなければならない。
「フェング王は兄王が毒を悪用したことを知ったが、どうやって得たのかは知らなかった。だから一度は甥に相続を許した土地であるファリア鉱山を、後から取り上げようとした」
「だが、父を暗殺したのは叔父ではないかと疑っているアムレート王子はその申し出に応じない」
 状況が膠着していたところに当のファリア鉱山で問題が起き、山を共有する隣国ファンドーラーのエルフィスの知るところとなった。
 そしてエルフィスの救援依頼によって、この国にセルセラたちがやってきた。
「時期的に恐らく、フェング王が兄の謀略を知り、禁呪や魔獣について調べているところでファラーシャさんの伯父上と知り合ったのだろうね」
「……そうなんでしょうね」
 魔獣は背徳神の影響で生まれる存在、特殊民族は創造の魔術師・辰砂の被造物。
 二つの生物は、一見対照的ながらどこか似通った部分がある。
 ゼィズと協力して禁呪の研究を進めていたフェングにとって、セルセラたちの到着が転機となったのは間違いない。
 そして同時に、その転機は叔父が父を殺した証拠をつかみその失脚、あるいは――殺害を計画していた元王子・アムレートにとっても好機となる。
「まったく、この国の奴はどいつもこいつも。人の存在を勝手に警戒して勝手に影響されて勝手に面倒事を起こしやがる」
「……」
 セルセラは苛立たし気に吐き出し、レイルたちはコメントを差し控えた。
 ファラーシャはまだ一人、複雑な顔をしている。
 事態の整理がちょうど終わったところで、更に砦の奥へ向かおうとしたセルセラたちに呼び掛ける声があった。
「おーい! 巫女さん!」
「お! この間の!」
 セルセラたちの乗った貨客船が島に辿り着いた時、魔獣退治を通じて面識を得た囚人たちが駆け寄ってきた。
「みんな無事だったか?」
「無事だけど、突然王様が逃げてくるは、そのあとを前の王様の王子様が追ってくるはでわけがわかんねーよ!」
「しかも周囲の海ではまた張り切った魔獣が襲い掛かってくるしな!」
「また魔獣が?」
 一行は慌てて窓から嵐の屋外の光景を見やる。セルセラたちが外を通り過ぎた後に魔獣が発生していたらしい。
「今回は海からやってきたわけじゃなく、この砦の中に直接現れた……いや、もともと砦の中にいたんだな」
「フェング王が遺跡の仕掛けを動かしたんだろうね。これまで周辺の海に棲む魔獣が狂暴化していたのはあくまでも呪毒を扱いきれない余波だったのだろうけれど、今度は明確な意思を以て、古代遺跡の禁呪を起動させた」
 武装した囚人たちは、真剣な面持ちでセルセラたちに相談する。彼らは詳しい事情を知る事よりも、現状の解決策として直接的な戦力を求めた。
「魔獣の数が多すぎる。あんたたちも手伝ってくれないか。俺たちだけだと戦えない奴を逃がすだけで精一杯なんだ。いずれ敵の数に押し切られる……!」
「僕らは、その原因である国王と元王子をなんとかしに来たんだ。とはいえ、確かにこの状況をあんたたちだけで切り抜けるのは難しいだろうな」
 嵐の中応戦する囚人たちの様子を見て、彼らだけでは持ちこたえられないことを悟る。
「二手に分かれよう」
 レイルの提案に、タルテが賛同してさっさとその役目を引き受ける。
「そうですね。セルセラ、私が彼らと一緒に外に向かいます。私はここの国の事情にほぼ関係ありませんから。あなたはファンドーラー王やファラーシャたちと共に、フェング王とアムレート王子を止めに行ってください」
「わかった。お前の小器用さを信用しよう」
「タルテが強いのは知っているが、俺も行った方がいいか?」
 この悪天候の夜に人々を守るなら人手が必要ではないかと声をかけたレイルに、タルテは視線でさりげなくファラーシャを示す。
「いいえ、レイル。もしかしたらあなたが必要な時が来るかもしれません。……頼みます」
 伯父を手に掛けた直後に、その伯父と友人だったというフェング王と対峙せねばならない。いざという時にファラーシャの抑えとなる人間が必要かもしれないというタルテの無言の懸念に、レイルははっとした顔になる。
「……わかった。気を付けてくれ」
「誰に物を言っているのです? 私に不可能はありませんよ」
 恐ろしいほどに自信家な台詞を吐くと、タルテは顔見知りの囚人たちを促して踵を返す。その背中にセルセラは声をかけた。
「任せたぞ、タルテ」

 ◆◆◆◆◆

 アリオスの案内に従って監獄砦の深部に向かえば向かうほど、その様相は今までにも幾度か見てきた辰砂の造りし古代遺跡へと似通ってくる。
 石の壁は苔生し、人が住む施設ではなく、魔獣の巣へと。
「アムレート様!」
「ヘルミント!?」
「何故お前がここに……!」
 セルセラたち一行の登場、エルフィスたちファンドーラー兵の介入は警戒していただろうアムレートも、婚約者であるヘルミントが一緒にいるとは夢にも思わなかったという顔だ。
 フェング王の護衛である、ヘルミントの兄・レアティーズも同じく驚いている。
「フェング陛下も、お二人とも争うのはおやめください!」
 ヘルミントはその場の全員に向けて叫び、セルセラが言葉を重ねた。
「事情は全部とは言わないがあらかた聞いてきたつもりだ」
「天上の巫女姫」
「今度はあんたたちの本音を聞かせてほしい。斬り合うのはお互いの事情を把握してからにしろ! 誤解で戦って片方死んだなんて間抜けな結末だったら僕があちこちに面白おかしい噂として言いふらすからな!」
「えげつないよ! セルセラちゃん!」
 辛辣かつ的確なツッコミに定評のあるタルテを置いて来てしまったので、代わりというわけでもないがアリオスが突っ込む。
 セルセラと直接面識のあるアムレートとフェングはまだ落ち着いているが、フェングの護衛であるレアティーズやアムレートの連れてきた兵士たちは動揺していた。
「前国王を殺したのはフェング王、あんただな。そしてアムレート元王子、その事実を知った王子は、フェング王に今まさに復讐しようとしている」
「ええ」
「ああ、間違いはない」
 フェング王が逆に尋ね返して来る。
「私からも一つ聞きたいことがある。ゼィズはどうした」
「……!」
 王とゼィズは親しい友人だった。アルライルの言葉は嘘ではなかったらしい。
「伯父様は死んだよ。私が殺した」
 一瞬の動揺を抑えこみ、ファラーシャはなんとか言葉を吐き出す。
「そうか。奴はもう体が限界だと言っていたからな……ここ数年は戦闘はせず脚本家として過ごすよう勧めたが、自分を追ってきた姪に引導を渡されたのであれば、奴も本望であろう」 
 フェングはファラーシャを責めるでもなく、ほんの一瞬だけ目を閉じて友の死を悼んだようだった。
「あなたと伯父様は、友人だと聞いたのだけれど」
「ああ……そうだ」
 ファラーシャを見るフェングの眼差しは、なんだろう。その場にいる誰もが、上手く言い表すことができなかった。セルセラたち一行もエルフィスや彼の連れている兵士も若く、壮年に差し掛かった国王の真の胸の裡を思い描くことは難しい。
「これでもゼィズとは普通の友人だったさ。私は彼が羨ましかった。皮肉なものだ。ゼィズと弟の仲は決して悪くなかったという。兄と仲が悪かった私より、弟を愛していたはずの彼の方が先に死ぬとは」
「……」
「ハシャラートを実験体にしようとした敵さえいなければ君たちの村は今でも続いていただろうに」
 ファラーシャたちの想像以上に、フェングはゼィズたちの事情をよく知っていた。その口振りは確かに友人らしい物言いで、彼がそれだけあけすけにゼィズと語り合っていただろうことを推測させる。
「身分も種族も超えた友人との時間だけが、私の安らぎだった。彼が死んだ今、私を理解してくれるものはもはやこの世にはいないだろう」
 静かな自嘲が、時の流れに埋もれそうな古代遺跡にぽつりと落ちた。