第3章 恋と復讐と王子様
066.生きるべきか、死ぬべきか
「あの人は死んだけど、あなたはまだ生きている」
ファラーシャの言葉に、フェングは皮肉な笑みを返し、実の甥へと話を振る。
「ここで死ぬかもしれんがな。そうであろう、アムレート」
セルセラたちの突入により膠着状態に陥ったディフ監獄だったが、アムレートはまだフェングを殺すことを諦めてはいないようだった。
「アムレート様、おやめください!」
「……従えないよ、ヘルミント」
ヘルミントが声をかけるが、アムレートは首を横に振る。
婚約者の登場には驚いていたが、それだけで諦められるほど、この復讐は安いものではないと言うように。
「……叔父上に聞きたいことがあります。何故、父上を殺したのですか」
「アムレートよ、お前はその理由を知ったからこそ叛乱を起こしたのではなかったのかね?」
「私はあなたが父を殺したことは突き止めました。けれど証拠はなく、理由の方は見当もつかない」
アムレートは、セルセラやエルフィスたちには見せなかった、彼視点での一連の出来事を語り出す。
「ファリア鉱山を管理するうちに、私は遺跡の奥に封印された呪毒と呼ばれる禁呪の存在に気が付きました。そして気付いた。叔父上が何度も私と領地を交換するよう持ちかけてきたのは、このためだったのかと」
何も知らないかと思われていたアムレートだが、土地の管理者として鉱山の奥の遺跡の存在に気づいていたらしい。そこから彼は王子時代の権力を頼りに、今は亡き父王の記録を探り始めた。
「前国王は、具体的に何をしたんだ?」
「天上の巫女よ、あなた方は、王族貴族がどうやって結婚するか知っているか」
「どうって……大抵は親の命令で?」
ファラーシャの好きな絵物語なら浪漫的な恋愛結婚が当たり前のように行われるが、実際には家の当主である親の意向で婚約者が定められることが多い。
「……そうか、だからあんたは気づいたのか」
「まさか、祖父に」
王太子にしか知らされない毒のことを、ただの王子であったフェングがどこで知ったのか。
それは叶わなかった恋の残骸。
恋人であった女性が兄の婚約者になったのは、その父親の命令。
アムレートの父親である前王は、自分の父親に禁呪を使ったのだ。
「結婚するために女性本人ではなく、その父親を操ったのか。え、でもアムレート王子の両親は不仲だったんだよな?」
「……そうです。母は、私の目には正気に見えました」
禁呪を人の心を操るために使うのであれば、結婚相手となる女性本人に使用しなかったのか? セルセラたちのその疑問に答える術は、本人ではないフェングも持っていない。
死んだ前国王。フェングの兄でアムレートの父。その事情を理解し、心を察せるものはもはやこの国には存在しないのだろう。
「兄が彼女とうまくやれなかった理由までは知らぬ。だが私は彼女の父親と我が父王の態度に不審を覚えて密かに調査し、その原因らしきものに辿り着いた。違和感が確信に変わったのはゼィズと出会い、彼の伝手で魔導の知識を得てからだがな」
「この大陸は星狩人協会が一番少ないからな……」
青の大陸は宗教勢力が強く、伝統的に魔導士を忌避する気風があった。それに伴って星狩人協会も少なく、いざという時に魔導士を頼れる窓口が存在する国の方が珍しい。
現在でこそ「聖女」と「魔導士」を兼任するセルセラが「天上の巫女」として宗教勢力の頂点に立っているが、青の大陸には魔導士そのものが少ない。
特殊民族であり、創造の魔術師・辰砂の被造物であるゼィズたちから魔導の基礎知識を得るまで、フェングの禁呪調査にも限界があったのだろう。
「私は兄を問い詰めたが白を切られた。それどころかこちらにも毒を使う気配があったので、殺すしかないと考えた」
「禁呪を憎んだのに、あんたも同じ禁呪を使ったのか」
「ああ、そうだ」
「そんな身勝手なことを……!!」
これまでは謀反を起こしたにも関わらず大人しいくらいきちんとフェングの言葉に耳を傾けていたアムレートが激する。危うい会話のバランスの中、セルセラは更に質問を進めていく。
「何故、別の方法で暗殺しなかった?」
「……恨みに思っていたからだよ。自分が使った手で殺したかったのだ」
「……?」
フェングの言葉に、ファラーシャは何故か強い違和感を覚える。しかしそれは形にならないまま、セルセラたちとフェングのやりとりは続いていく。
「だから私は兄を殺し、お前から王位を奪ったのだ。アムレートよ」
「叔父上は、王位が欲しかったのですか。だから父上をただ殺したのではなく、私から王太子の地位を取り上げたのではないのですか?」
「お前が信じるかどうかはわからんがな、私は王位そのものへの執着はなかった。二十年以上前の、あのことがなければ。けれど私の中に自らの方が兄より優れているという自負がなかったとは言わない」
フェングの心の内の感情、特に恋人を奪った兄への憎悪や対抗心は、様々なものと結びついてもはや最初の思惑がどんなものだったのか、彼自身にもわからなくなっているのかもしれない。
「もしもお前が兄と同じであれば、お前も私に毒を盛るであろうと考えた。だが……お前が選んだのは秘かに毒を盛ることではなく、正面から揮う剣だった」
「……何故」
アムレートの声が震える。
「何故、もっと早く、言ってくれなかったのです」
絞り出すような叫びだ。聞いている者たちは皆そう思った。
「命の奪い合いになる前に!」
「アムレート様……」
ヘルミントがアムレートの名を呼ぶ。誰も彼に、かける言葉を見つけられない。
皆もだんだんと気づいてきた。
謀反を起こしはしたが、アムレートは本当は、争いたくなどなかったのだと。
誰が不正をし、何を裁かなければならないのか。何を信じ、何と戦うべきなのか。それを、ただはっきりさせたかっただけなのだと。
フェングが絵に描いたような物語の悪役ならば、アムレートの方も父王を殺された復讐を当然の正義に美化できただろう。しかし、罪は父の方に在った。ここで叔父を殺しても、その苦い真実は残る。
「言葉だけで解決できる事態ばかりではない。私は、私の中の憎しみを押さえられなかった」
答えるフェングの声には、肉体ではなく精神の疲労が滲んでいる。
セルセラたちも難しい判断を迫られた。
「禁呪の存在を表に出すってことは、成り立ちから言って、ここの王家の正当性を揺るがすことになるだろうよ」
エルフィスも困った顔をしている。
「フェング王の立場から言えばアムレート王子を完全に信用することができないのは仕方ありませんしね……」
ダールマークという国の王が誰であろうと、本当の意味ではセルセラやエルフィスは関係ない。もちろん隣国であるファンドーラー王の立場や世界の権力者に指示を下す天上の巫女の立場からすれば付き合いやすい国王であるに越したことはないのだが、それは同じ役割を果たせるならどの人間であろうと構わないということでもある。
そして元王子である甥の潔癖さは、皮肉なことに実の父親である殺された前王よりも、兄を殺して王となった弟、フェングとよく似ている。
「その行く末がこの結末だ。さぁ、私を斬れ! アムレート!」
「フェング王!」
ファラーシャは先程一瞬覚えた違和感の理由を理解した。
彼は最初から死ぬ気だったのだ。彼の友人である自分の伯父、ゼィズのように。
フェングは最初から、裁きを欲していたのだろう。
簒奪を行った罪人と呼ぶには、その覚悟はあまりにも悲壮で、諦めが強かった。
彼の願いを聞き届けるつもりか、アムレートが叔父に向けて剣を掲げる。
「アムレート様!」
「いけません! アムレート王子!」
ヘルミントとエルフィスが叫ぶ。
復讐の連鎖が一人の王子を手招きしている。
ここで殺せば、今彼を支配する憎しみからは解放されると。
けれど、その向こうにある悪魔の笑顔にも気づいている。
感情に任せた軽挙は、その後一生つきまとう影となる。
「アムレート様!」
ヘルミントはアムレートのもとへと駆け出す。
「来るな!」
婚約者は拒絶の言葉を返した。
「……いいえ!」
一度足を止めたヘルミントは、一瞬の苦悩の末、それでも意を決して再びアムレートの許へと向かう。
周りの兵士たちは戸惑いながらも、彼女が近づかないよう、形だけでも剣を向けるしかない。
誰もが困惑しているのは、肝心のアムレートが迷っているからだ。
「来ないでくれ、ヘルミント」
叔父を斬るために掲げた剣を彼はまだ下ろすことができない。そのせいでまるで歩み寄るヘルミントに剣を向けているかのような恰好になる。
「君が……君さえいなければ、私はもっと早く、叔父上を見限ることができたのだ」
「ならば、私はあなたの隣にいて良かった――そしてこれからも、お傍にいます」
ヘルミントを傷つけることは、当然アムレートの本意ではない。
けれど彼女を大切にするとき、アムレートはまた、彼女の父親が仕える自分の叔父についても受け入れ、復讐を諦めねばならない。
復讐か、恋人か。
元王子は古の物語のように、決断を迫られる。
「いいや、ダメだ、頼む、来ないでくれ。私からも叔父上からも離れて、君は……君だけは、どこか遠い場所で、私よりもっと君に相応しい、別の男と幸せになってくれ」
ヘルミントに何も言わず謀反を決行したアムレートはついに、別れ話を切り出した。
「そんなこと、絶対にありえません!」
ヘルミントは、その願いを一蹴する。
「この国は毒から始まった。私は、父の不正から生まれた。ここにいてはならない存在なのだ」
「生まれにどんな事情があったとしても、私が傍にいたいのはあなたです。何があっても、どんな場所にいても」
「君が傍にいては、私は復讐の地獄を歩めない」
「そんなもの、歩まなくていい!!」
ヘルミントは剣を向ける兵士にも構わず前に進んだ、少しの躊躇いも見せない彼女の気迫に、主の婚約者を傷つけるのを怖れた兵士たちは次々に剣を下げていく。
ようやくアムレートのもとへ辿り着いたヘルミントは告げる。
彼女とアムレートの距離は、もはやアムレートが掲げている刃の長さほどしかない。
「お傍にいます。ずっと傍に。私があなたの地獄への道行を止められるというのなら、なおさら。それでも、もし、あなたが地獄への道を歩むと言うのなら――私も一緒に行きます」
死ぬ気だったのは、フェングだけではない。
セルセラたちが感じ取ったのは、アムレートの絶望だ。
謀反は当然失敗する可能性も高い。
アムレートとて生半可な覚悟で行動を起こしたわけではない。フェングの動きを常に見張って、彼がゼィズのために兵を送り城の防衛が手薄となった機会をわざわざ狙うくらいだ。
それでも、成功するとは限らない。
失敗した時には、当然死ぬ覚悟があった。
だからこそ彼は婚約者を遠ざけた。
けれど遠ざけられたヘルミント自身は、どこまでもアムレートに付き従うことを決意している。
「生きる時も死ぬときも、どうか、私をお傍に」
アムレートの手から剣が滑り落ちた。
剣への恐怖を振り払う愛が、毒を癒していく。
「ヘルミント……!」
「アムレート様!」
恋人たちは抱き合い、復讐の王子はついに復讐を捨てる。
先程まで、もはやどちらかが生きるか死ぬかの戦いを繰り広げるしかないと対峙していた叔父に宣言した。
「叔父上、私はこの禁呪のことを国民に全て明らかにします」
「アムレート」
「あなたの罪も、父上の罪も全て。我々がこの国の王族として相応しいか、改めて問われなければならない。そしてあなたには、自分の犯した罪を償っていただく」
「ふ……ふふふっ、ははは!」
アムレートは正しき王の器となることを選んだ。
いつの間にかディフ監獄を襲った嵐は去り、海面は穏やか。
東の空から日が昇る。朝だ。
長い夜がようやく終わりを告げたのだ。
砦の外で、魔獣を倒し終えた囚人や看守たちの歓声が響いてくる。
「私は、この国の王となる。禁呪の件を明かせば、臣と民には反対されるかもしれないが……」
フェングにより、一度は王位を継ぐ立場から遠ざけられたアムレート。
けれど彼は、そのように生まれたからではなく、誰かに望まれたからでもなく、ただ自分の意志で、その玉座を自ら得ることを決断する。
「父の子に生まれたから何の苦労もなく立場を継ぐのではなく、この国を始めた者の血を持つものとして、責任をもって、己の意志で国を治める。先祖の遺してくれたものを受け継ぎ、先祖が棄てきれなかった悪習を超えて」
「やれるものならば、やってみるがいい。だがお前は、私が兄を殺したことを立証することはできないだろう」
正しき裁きを行うには、客観的な証明が必要だ。王の一声で罪の有り無しが定められるならば公正さという言葉はなくなる。
「私にはもう誰もいない。友人も、愛するものも。だからこの毒の秘密だけは、私の死と共に墓へと持っていくつもりだった」
フェングはそこで何故かちらりとファラーシャを一瞥する。
それには気が付かず、アムレートは返答する。
「暴いてみせます」
「いい度胸だ。ならばその覚悟――見せてもらおうではないか」
フェングが何かの合図をした。その正体を見極めるよりも早く、アムレートを庇おうと動いたのはエルフィスだった。
「危ない!」
瞬間的な緊張が砦の一室を包む。些か芝居がかったフェングの仕草とは裏腹に、室内には何も起きない。そう思われた。
しかし。
「エルフィス陛下!」
「エルフィス!?」
アムレートを庇ってフェングの前に立ち塞がったエルフィスがその場に崩れ落ちる。何かに苦しむように。
「まさか……禁呪か!」
エルフィスの症状は、呪毒を一気に浴びたもののそれだ。
「フェング王!」
「少し予定は違ったが、隣国の王は、お前が王となるならば何を差し置いても救わねばならぬ存在」
フェングはセルセラの呼びかけにはもはや答えず、倒れたエルフィスにも視線をやらず、ただ一心に甥であるアムレートを見つめている。
「ここから先は、お前たち次第だ」
どこから迷い込んだか、一匹の蝶がひらりと舞った。