天上の巫女セルセラ 071

第3章 恋と復讐と王子様

071.尼寺へ行け

 ゼィズの息子、アルライルの身柄はセルセラが天界で預かることに決められた。
「呪毒の治療にはそれなりの施設が必要なんだが、今まさに魔王討伐の旅をしている途中でどこか特定の国家に設置した病院に毎度立ち寄るのは難しい。それならいっそ天界にいれば僕が家に帰るついでにファラーシャも会いに行けるだろう。まあ天界は広いから、会いたくないなら会わないでもすむけど」
「いろいろありがとう、セルセラ」
「いいってことよ。特殊民族の行末に関しては、僕も正直色々と噛んでおきたいところだったし」
「完全部外者の意見ですが、私もその方がいいと思いますよ。彼はハシャラートの男性にしては小柄ですが特殊民族なのに変わりはありませんし、周囲との軋轢で精神をすり減らすよりその辺りの対応力に優れた天界の施設で治療をした方がいいでしょう」
 タルテは特殊民族と人間の暮らしとの面から指摘する。
「父親と違って異種族と完全に仲良くやれるような社交性なさそうですし」
「タルテ……」
「アルライルは……まぁ、うん、その通りだと思うよ。セルセラが天界に作ってる施設の責任者って大体会長なんでしょ? あの人なら大丈夫かなーって……」
 魔王討伐を望みあちこちを旅しているセルセラは、アルライルの変異問題に関しては責任を負うつもりだが、内面のフォローまでする余裕はない。
 できる限り地上のわずらわしさとは無縁の平和な場所でとにかく静養させるしかないと考えた。
 地上で話をしている時からセルセラたちも感じていたが、アルライルはファラーシャの従兄と言う割に性格が大人しい。
 愚痴を表に出せずに溜め込みそうな感じだよな、の一言である。
 別にセルセラたちの邪推や勘違いというわけではないらしく、元婚約者であるファラーシャもそれは否定しない。
 ちなみに、ファラーシャとアルライルの婚約に関しては両親が死んだことで自然消滅状態だ。
 ファラーシャとアルライルの関係は、お互い相手に複雑な想いを抱えつつも決して仲が悪いわけではないのだが、それはそれとしてお互いに昔からこの相手と恋愛ができるとは思ったこともない、という状態らしい。
 セルセラたちはファラーシャからもアルライルからも似たような答を聞いている。
「こういう場合、生死不明の婚約者に想いを残して……とかそういうのはファラーシャは一切ないんですね」
「うん。私の好みのタイプはどちらかと言わずともアルライルより伯父様」
「金髪碧眼の王子様(元族長候補)だもんな……」
 今までまったく名前を聞いたことはない相手ではあったが、ファラーシャがそれまでどれだけ絵物語の金髪で文武両道の意志強い王子様が好きかを死ぬほど聞かされていたセルセラたちはすぐに納得した。
 アルライルは悪い性格ではなく、ファラーシャもアルライルを嫌っているわけではない。
 だが、ただひたすらファラーシャの好みとは正反対なのである。見事なまでに。
 なまじアルライル自身もそれを自覚しているので、余計にファラーシャのことは嫌いではないが女としては見れないという溝が深まっていくようである。
「というか、そういえばアルライルがどういう女の子が好みかって、私、知らないんだよね~」
「まあ普通に婚約者同士の間で本当は自分じゃなくてどういう相手が好みかなんて話しないよな」
「これからはそういう話ができる、ということなんじゃないか?」
「どうせ向こうの趣味も、単純明快なファラーシャとは正反対なんでしょうよ」

 ◆◆◆◆◆

 アルライルは天界の医療施設にいた。
 セルセラが作り上げ、セルセラが選んだ人々で構成されている。
 天界の人間たちの中でも神々の眷属となることを選んだ者たちなので、見た目より年齢がいっていて特殊民族の青年一人預かったところで大仰に騒ぎ立てたりはしない。
 アルライル本人は父や従妹と比べて自分は地味で華のない容姿だと感じているが、ハシャラートなので一般の人々からするととびぬけて美しい。
 普通の病院に入院したりすればやはり問題を引き起こしただろうが、天界ではどこを歩いてもその辺に人外の美貌の持ち主、というよりそもそも人間より遥かに優れた存在である神様がいるので、特殊民族の一人や二人増えたところでどうということもない。
 ただ、穏やかだった。
 その穏やかさの中で、アルライルは再び過去を回想する。

 ◆◆◆◆◆

 以前見た夢の中で、アルライルは村の大人たちが、叔父であるルカニドが族長決めの決闘の際に不正をしたという話をしていたのを聞いた、その後の話だ。
 アルライルはパスハリツァからも事情を聴いたことを思い出す。
「ルカニドのズルには気づいていたわよ。私も、当然ゼィズ本人もね」
「え……」
 当事者中の当事者、兄弟二人の間で争われた叔母がごく当たり前のように言うので驚いた。
「叔母さんは、なんで」
 戸惑うアルライルに、パスハリツァは子ども相手だと誤魔化すのではなく、彼女自身の気持ちを真剣に教えてくれたと思う。
 「メリサを見ていて考えたの。私は本当に、彼女ほどにゼィズのことを愛しているのかって。私たちは親の決めた婚約者で、自分で相手を選んだわけではないのだもの」
 パスハリツァももちろんゼィズのことは嫌いではない。彼と結婚すれば、完璧に自分を幸せにしてくれるだろうことはわかっていたと言う。
 ゼィズ自身も似たようなことを言っていた覚えがある。
「そんな時にルカニドが私と結婚するためなら卑怯な手段も使うことを知って……私は、私を愛してくれる人を愛したいと思ってしまったの」
 彼女は、ゼィズに与えられる安寧よりも、ルカニドと共に苦労して生きる道を選んだ。
「今でも私は、あの時の選択は正しかったと思っているわよ。ゼィズとメリサが結婚して、あなたが生まれてからは尚更ね。私はきっとメリサほどゼィズを幸せにしてあげられなかったもの」

 ――ゼィズとパスハリツァがうまくいかなかったんじゃない。ルカニドとメリサが相手の心を射止める努力をしたんだ。

 ……きっと最初から、父の親友が言った言葉が正しかったのだ。
 ゼィズとパスハリツァは似た者同士で、お互いの間に家族のような穏やかな愛情は持っていたが、それは恋ではなかった。
 ゼィズとパスハリツァの二人は、自身の全てを焼き尽くすような恋を、他の相手から教えられた。だから何も後悔なんてしていない。ルカニドが不正をしようがしまいが、それでみんな幸せな結果になったならばいいのだろうと。
 戸惑いながらも一生懸命理解しようとしているアルライルを見て叔母は笑う。
 実力がある分根は楽天家なゼィズと違って、アルライルは繊細な分よく人の心に気が付いて懊悩するメリサの方に気性が似ている。
 ゼィズとメリサは息の合う組み合わせなのだが、ルカニドとパスハリツァの娘ファラーシャは両親どちらに似ても行動的な楽天家なので、ファラーシャとアルライルが組み合わせると男女逆転状態になる。
「ファラーシャの金髪の王子様好きには本当に困ったものね。でもあれは恋物語に憧れているだけで、このままこの村で平和な日々を過ごしていれば、いつかきっとあなたが一番大切だって気づくはずよ。それとも……」
 将来的にはともかく、現状だとファラーシャ相手ではアルライルの方が振り回される力関係は確かに親として見ていて不安なところもあった。
 そして婚約者として定めておいてなんだが、将来的にこの二人が上手くいかなかったとしても、パスハリツァとしてはそれはそれで良いと思っている。
 だって自分とルカニド、ゼィズとメリサがそうであったように、未来は誰にもわからない無限なのだから。
「もしかしたらあなたもファラーシャも日々を過ごすうちに変化して、あなただってもしかしたら、将来は金髪の、ファラーシャとは全然違う女の子を好きになってしまうかも」
 戸惑うアルライルの前で、パスハリツァはそう言って微笑んだ。

 ◆◆◆◆◆

「あ、お目覚めですか。おはようございます~」
 短い午睡から目を覚ましたアルライルに、のんびりとした声がかけられる。
「あなたは……」
「ヤムリカと申します。星狩人協会の会長ラウルフィカの養女で、副会長を務めていますわ」
 顔を薄いヴェールで覆い隠した長身の女性の姿に、以前にも一度自己紹介されたことを思い出して謝る。
「そう……でしたね。すみません、こんな姿で」
「いえいえお気にせず。セルセラは滅多に帰ってこられませんが、その分お薬を用意して安静にできる環境を作ってくれたので、心穏やかにお過ごしください~」
 天上の巫女とは今回の一件に関する事情聴取をされたくらいで、後はほとんど関わっていない。
 呪毒の治療をしてもらっている恩はあるのだが、アルライルにとっては顔を合わせてもどう対応していいかわからない相手なので正直ほっとしたことも確かだ。
「心穏やかに……か」
「無理なら別に荒れ狂ってもいいですよ。人に迷惑をかけない限りは好きにしてて」
「……いいんですか、荒れ狂って……」
 少し話しただけだが、相手の性格がこの時点でちょっとおかしな感じである……今まで自分の側にいなかったタイプであることにアルライルは気づいた。
「あなたも……特殊民族ですか」
「ええ。占いの民、タンジームの一員ですよ。私には未来が見えるのです」
「未来……」
 思いがけない言葉に、アルライルは目を丸くする。
 確かにそのような能力を持つ一族が存在することは聞いたことがあるが、実際に会ったのは初めてだ。
「そう、未来は無限大です」
「未来が予知できるあなたでさえも、そう思うのですか?」
「見えるからこそだと思いますよ。人間の行末はむしろ頭で考えた計画通りいかないことの方が多いのです。どこかで予想もしなかった驚きが、運命をもたらして、いつの間にかこれまで見えてすらいなかったレールを、気づけば自分の意志で全力疾走させられているんです」
 ふふふ、と楽しげに笑う女性は、アルライルがこれまでの人生で出会ったことのないミステリアスなタイプだ。
 その妖しい微笑に、どきりと思わず鼓動が跳ねる。
「それは、辛いことではないのでしょうか」
「さぁ、どうでしょう? その人の気持ちは、その人にしかわからないのでは?」
「未来視は辛い力だと言われますが」
「私にできるのは見えた事柄を伝えるか、伝えないか、それだけ。そして伝えたとしても、それを辛い悲劇か、乗り越えられる試練か、判断するのは結局本人ですもの」
「そんなものでしょうか」
「ええ」
 ヤムリカが唇に人差し指を当て、もう片手を誘うようにアルライルに差し出しながら一段と妖しげに微笑む。

「――あなたも、お知りになりたい? この世界の甘美な未来を」

 背筋にぞくりと汗が流れる。
 得体のしれない緊張感に支配される。
 けれどアルライルは、その感覚が嫌いではない自分に気づいた。

「……今は、遠慮しておきます」
「そうですね。『今』はお体を大切にしてください。聞きたいことがあれば、私は大概この天界の星狩人協会支部にいるのでどうぞ気軽にお呼びください。――深淵はいつでもあなたをお待ちしております」
 言いたいことだけ言うと、ヤムリカはあっさりと去っていった。
 アルライルは彼女が帰った後、その胸の高鳴りについて考える。

 ――あなただってもしかしたら、将来は金髪の、ファラーシャとは全然違う女の子を好きになってしまうかも。

「父さん、母さん、叔父さん、叔母さん……ごめん」

 そりゃあファラーシャみたいな相手を女としては見られないはずだよな、と。
 彼は人生十八年目にして、己の性情を初めて自覚したのだった。