第3章 恋と復讐と王子様
072.恋と復讐と王子様
セルセラたち一行は、ダールマーク王国で遭遇した様々な出来事の後始末を無事に終え、そろそろこの国を出発することにした。
三の魔王ラヴァルを無事に味方に引き込むことに成功し、禁呪の被害者たちの治療体制も整えた。
アムレートは無事に次の国王となることを議会に認めさせ、フェングは前国王を殺害した罪で生涯幽閉となる。
冤罪でディフ監獄に収監されていた人々は次々に解放されている。
アルライルは天界で静養することとなり、肉体の治療と共に父ゼィズを喪った精神的な負荷ともゆっくり向き合うことになった。
エルフィスの依頼から始まった一連の出来事にケリをつけた以上、天上の巫女一行は再び魔王討伐の旅へ戻らねばならない。
今日の午後にエルフィスが見送りに来るというので、この午前中がダールマークで過ごす最後の時間となる。
セルセラは手荷物をまとめながら、同じ部屋で作業しているファラーシャに尋ねた。
「気は晴れたか?」
「……ううん。まだだよ。本当に倒すべき相手はまだ見つかってない」
今回の事件はほぼ解決したものの、ファラーシャはまだ沈みがちだ。
「私の父様と取引して、一族を滅ぼした本当の敵はまだ見つかっていない」
「そうだな。そいつを止めないとどうしようもない」
「必ず見つけ出して殺す。それまで、終わりになんてしない」
碧い瞳に、強い決意が浮かぶ。
「あまり生き急ぐなよ。魔王討伐の後になるかもしれないが、僕と行動してればお前の復讐相手も必ずいつか見つかるさ」
「ありがとう、セルセラ」
「特殊民族の一族を滅ぼすような相手だ。お前の復讐は、もは世界の治安に関わる問題になってる」
「……そうだね」
セルセラの指摘に、ファラーシャはまたもや俯きがちになる。
「自分一人でやりたかったけど、誰かの手を借りるしかないんだよね」
「……無理はするなよ。お前の父親だってそうだったんだろ?」
ファラーシャがハッとした顔になる。
「うん、そうだ。そうだね。……私は、父様と違う道を行かなきゃならない。ハシャラート最後の族長として」
兄の婚約者に横恋慕し、不正をしたからこそやがてその兄を頼れなくなった父・ルカニド。
ファラーシャは娘として父の恋や愛を否定はできないが、少なくとも族長としての決断は彼を支持しないことにした。
父とは違う道を行く。そのためには、父のように誰も頼れず誰にも相談できず一人になるわけにはいかない。
決意を新たにするファラーシャをセルセラは複雑な表情で見守る。
荷造りをほとんど終えた二人が手持無沙汰な空気を感じ始めたところで、宿の部屋の戸が軽く叩かれた。
「観劇に行かないか」
「レイル?」
タルテと共に隣の部屋をとっているが、朝からどこかに出掛けていたレイルがその手に人数分のチケットを握り二人に声をかける。
「仮面の脚本家殿が手掛けた台本の、最後の舞台だそうだ」
「!」
ファラーシャが息を呑む間に、セルセラはレイルの手元を覗き込んで感心した。
「随分奮発したな」
「アムレート殿下とエルフィス王に協力してもらった」
「レイルって、王族と交渉とかできたんですね」
同じように声をかけられたタルテが意外だという口ぶりで目を瞬く。
「現役ではないけれど、これでも王女殿下の推薦で聖女の護衛を任された聖騎士だったから」
「お前が自分の過去の経歴や特技を活かしてやる気になったのはいいけどさ。……ファラーシャ、どうする?」
「見たい」
一度は気力を取り戻したものの、やはり時々沈み込んだ様子を繰り返していたファラーシャが顔を上げた。
「伯父様の書いた物語を通して、少しでも。この大陸で過ごしていた伯父様のことが知りたい」
レイルはファラーシャの手にチケットを一枚握らせて告げる。
「行こう、君の大切な人の描いた景色の中へ」
◆◆◆◆◆
レイルがアムレートの伝手で手に入れた観劇チケット。
入り口に人魚の銅像が飾られた劇場の貴族用ボックス席には、既に先客としてフェングがいた。
「投獄されたんじゃなかったのか、あんた」
「幽閉前の最後の娯楽だそうだ」
今日はアムレートやヘルミントは同席しておらず、セルセラたちと彼だけのようだ。
エルフィスもおらず、フェングの監視権警護の兵だけが物々しい様子で立ち並んでいる。
「精々楽しめよってことか……。まぁいい、ラヴァル」
セルセラは、なんとか自分への協力を取り付けさせた魔王の名を呼ぶ。
淡い緑の光と共に突如として現れた知己の姿に、フェングは椅子から転げ落ちる勢いで立ち上がった。
「ラヴァル! お前生きて……!?」
「厳密に言うと違うんだが、まぁそれなりに楽しくはやれそうだぜ」
肩を竦めるラヴァルの横で、セルセラが説明する。
一度死んで魔女の使い魔となったという説明は、もともと魔導に疎いフェングには容易に受け入れがたいようで困惑している。
しかし、最終的に大事なのは今ここに生前と同じ姿のラヴァルがいて話ができることだと、細かい疑問を飲みこむことにしたようだ。
「そうか……だが……良かった。ゼィズがいなくなった今、お前までもと」
「俺はもう十分年寄りなんだが、うるさい小娘に脅されてな。お前こそ、まだまだ寿命が残ってんだから頑張れ。生きてりゃなんとでもなる」
「……そうだな。九十過ぎのお前が、ここからまた聖女と旅をしようと決意できるくらいなのだからな」
他でもないラヴァル自身が以前とまったく変わらぬどこか皮肉気で斜に構えた態度なのを見て取り、フェングもそれまでと変わらず微笑んでその言葉を受け止めるようにしたようだ。
「まったく、誰がうるさい小娘だって?」
「まぁまぁセルセラ。ほら皆さんも、そろそろ劇が始まりますよ」
レイルがセルセラを宥め、フェングやラヴァルそれぞれ自分の席に着かせる。
タルテがパンフレットを閉じて舞台上へ視線を移しながら告げた。
「仮面の脚本家殿は、どうやら旅に出たことにされたようですね」
「!」
ゼィズは覆面作家として本名を出さずに活動し続けていた。
劇場側はパンフレットの中で、かの脚本家は旅に出たためこれからは新作の発表はないと告知している。
それでも今まで彼が書いた脚本は劇場が上映権利を買い取ったらしく、繰り返し公演するのでこれからも御贔屓にと結ばれていた。
ゼィズ本人が劇場側にそう伝えたのか、あるいは劇場の関係者たちは真実を知っているのか?
ファラーシャは少しだけ気にはなったものの、そこまでは調べなくてもいいような気がした。
例え事情を知らなかったとしても、あの夜、ゼィズがこの場所に母の遺体を預けることを選んだことが全てだろう。
知りたいのは伯父がこの地でどう生活していたかではなく、故郷を離れた伯父が何を考えて生きていたのかだ。
今日の演目は短編と長編、締めにまた短編という三本立ての構成らしい。
一本目の短編は気軽に観られる喜劇。
二本目の長編は、この国でファラーシャたちが最初に観た復讐もの。
そして最後はいにしえからの人気作である『人魚姫』をほとんどそのまま描いたものだという。
「あれ……? あの竪琴弾き、ラルムですね」
「本当だ、ラルム殿だな」
いよいよ開演のベルが鳴り響き、帳が降りるように暗くなった劇場内。セルセラたちは、舞台上にひょんなことから知り合った不老不死の吟遊詩人の顔を見つける。
向こうもこちらに気づいているのか、明らかにボックス席のセルセラたちに向けて小さく手を振って見せた。
「どこにでも現れるな、あいつ」
物語の開幕を告げる歌を担当するらしきラルムが、静まり返った劇場にその美声を響き渡らせると、誰もがその世界に引き込まれる。
まずは挨拶代わりに陽気な小話を一つ。
「……」
ファラーシャはそれが、自分たちの故郷で起きた日常の出来事を描いたものであることに気づいた。
(伯父様……)
かつてどこかで見たことのあるやりとりは、演者たちの姿を通して、活き活きと語られる。
これはきっと、ゼィズが愛していた世界。
テンポ良く進む小話は、最後に意外ながらも誰もが気軽に笑える軽妙なオチをつけて終わった。
そして今度は一本目と打って変わり、苦悩する青年の重苦しい復讐劇が始まる。
最初にファラーシャたちとフェングがこの作品を見た時は、誰も彼もがお互いの行状を疑い、探り合って、今思えばせっかくの舞台に集中できていなかったのだろう。
二度目だからというだけでなく今回はすっと内容や演出が頭に入る。
兄王を殺した弟。その弟になびいた王妃。
復讐を決意する王子、弟王の部下の娘である婚約者。
オマージュ元の作品では死んでしまう登場人物たちが、この作品では原作と違う道を選び、お互いに手を取り合って新たな結末を作り上げる。
それが、ゼィズ=ハシャラートの望んだ世界。
本意ではなく弟を殺し、いつかその娘である姪に殺される覚悟をしながら、復讐を遂げて虚しさを抱える魔王と、兄への復讐心と周囲のものたちへの愛情との狭間で葛藤する王弟を友人としていた男の書いた物語。
原作は名作悲劇として名高く、それを幸福な結末へ改変してしまうことはあるいは酷い侮辱か、もしくは比べる意味もないただの駄作なのかもしれない。だからなのか、一応この脚本はオマージュ元のキャラクター名を採用していない。
しかし、それ故に、ゼィズの生涯をかけた覚悟の意味を知った者たちの中に、それらの登場人物たちが演じる何気ない言葉の一つ一つが突き刺さった。
『ああ、私に幸福になる権利があるというのか。この手を血に濡らした私に』
『どこまでも共に行きましょう。愛しております』
『私は後悔などしていない。これは必要な戦いだった。それでも虚しい。ただ、虚しい』
『生きましょう。それでも……生きて戦い続けましょう。誰でもない、自分自身と』
大仰な芝居、安っぽい台詞、捻りのない結論。
役者はただ台本をなぞるだけ、舞台はただの子供騙し、上辺だけの他人の人生。
皮肉に見ようと思えばいくらでもそんな見方はできるだろう。それでも。
そこに、その場面を生み出した、彼の心が宿る物語。
一人の男が生きた証、いつか誰かに伝えたくて、伝えられなかった言葉たちの集積。
悲劇を受け止め共に乗り越えることを選んだ恋人たちの行く末に幸あらんことを願い、観客たちは盛大な拍手を送る。
フェング王が目頭を押さえて俯き、ラヴァルは唇を噛みしめている。
美しくも悲しい復讐劇の余韻が覚めやらぬ間に、本日最後の短編が幕を開けた。
お題は『人魚姫』。海に面したこの国ではあまりにも馴染み深く、きっと知らぬもののいない物語。
人魚の呪いを受けた吟遊詩人が、妙なる調べと共に歌を紡ぐ。
それは叶わぬ恋の物語。そして揺るがぬ愛の物語。
想い報われずとも決して、愛する人を傷つけることを選ばなかったものの物語。
原作の童話と違うのは、王子を刺し殺せば無事に生きて海へ戻れると教えられた人魚姫の葛藤の描写に力を入れた部分だろう。
吟遊詩人の美しい声が、その心の内の苦悩と憎しみ、切なさ――それら全てに勝る愛を高らかに歌い上げる。
――例え、想いが報われずとも。
――例え、私が救ったことすら知られずとも。
この愛を、決して手放しはしない。
――自らが生きるために王子を殺す、海の魔物には戻らない。
ファラーシャの頬を涙が伝った。
「伯父様……」
小さな小さな呟きを、居並ぶ者たちは皆、聞かなかった振りをする。
穏やかに奏でられる鎮魂歌の響きに、事情を知らぬ人々もなんとなく、あの仮面の脚本家を見かけることは二度と叶わないことを察する。
それでも日々は続いていく。
過去には戻れない。美しい海の底の楽園にも、砂漠の向こうの故郷にも、還れない。
それでもきっと、幸せだった。
――誰もが少しずつ間違えて、もはや取り戻すことはできない。お前たちはもう、この血に囚われるな。好きなように生きろ。
――愛していたんだ、お前を、お前の母を。私は族長の座を譲っても、メリサのおかげで代わりに愛を知ってしまった。彼女が遺してくれたお前がいつも傍にいた。だから……少しも不幸ではなかった。
聞きたかった答えがここにある。
――だから私は、還らない。そして魔物にも、戻らない。
人魚姫の家族はきっと、どんなことをしても彼女に帰ってきてほしかったのだとしても。
――あなたの教えてくれた愛が、この胸にある限り。
『さよなら、故郷よ。さよなら』
主演女優の歌声が竪琴の音に乗って終わりを告げた。
劇場を万雷の拍手が包みこむ。小さな嗚咽を飲みこんで。
これからも、日々は続いていく。
◆◆◆◆◆
「皆さん、今回は本当にありがとうございました!」
フェングを王宮に送り届けるついでにアムレートやヘルミントにも挨拶を済ませ、そして城門の前でもともとこの一件の依頼主であるエルフィスの見送りを受ける。
「体調は大丈夫か?」
「はい、セルセラ様の治療のおかげで、もうすっかり元気です!!」
観劇に参加こそできなかったものの、確かにエルフィスの声音はいつもの活力を取り戻している。
「僕も暇じゃないんだから、妙なことに巻き込まれるのもほどほどにしろよ?」
「はーい!」
エルフィスとセルセラの二人は、一国の王と聖女とは思えぬやり取りを繰り広げる。
全てのことに一応形としての区切りはついた。細かい調整はまだもう少しこの国に残るエルフィスに任せ、セルセラたちは魔王を倒す星狩人としての旅を再開する。
セルセラに対していつも通り恋情と信仰の入り混じった挨拶を交わしていたエルフィスは、最後にファラーシャへと言葉をかけた。
「ファラーシャさんも、頑張ってくださいね、復讐」
「エルフィス王」
「復讐はきっちり果たしてこそですからね! 私がお役に立てるかどうかはわかりませんが、怪しげな兵器開発をしている国の情報があったらお教えしますね!」
「……うん! ありがとう!!」
「さすが自分で因縁の邪竜の鼻面に鎗の穂先をぶち込んだ王様の言うことは違いますね」
ファラーシャの事情に多少関わることになったとはいえ、一国の王がそこまでの申し出をするとは思わなかった。タルテが感心とも呆れともつかぬ口調で論評する。
「あとそれと」
エルフィスは気にせず、わざわざ他の三人を遠ざけた後、ファラーシャの耳元でこっそり囁く。
「レイルさんとの恋路も頑張ってくださいね。応援してます」
「ななななななんで気づいて」
監獄上空でのファラーシャとレイルのやりとりをセルセラとタルテは見ていたが、エルフィスはそこまで知らないはずだ。
何故自分の気持ちがバレているのかと、ファラーシャは盛大に動揺する。
「やっぱりほら、好きな人の一番傍にいる異性の存在は気になるじゃないですか! でもそのレイルさんのことをファラーシャさんがここ数日じっと熱い眼差しで見つめていることにも気づきまして。ファラーシャさんがレイルさんを落としてくだされば、私はレイルさんじゃなく他の恋敵を叩き潰すことに専念できます!」
「我欲じゃん! 我欲じゃん! 王子様のくせに腹黒い!」
「王子様だったのは二年前までで、今は国王ですからね! 善意だけで王様なんてやってられませんよ!」
エルフィスは年頃といい見た目といい王子様然とはしているのだが、如何せん中身が結構俗物である。
しかし、ある意味ファラーシャとしてもエルフィスとの協定はありがたい。
「まあ……私としても正直レイルの側に人間としては世界一の美少女だっていうセルセラがいるのは……って思ってたけど」
「外見だけ見たら特殊民族であるあなたの方がお綺麗ですけどね。普通の女の子なら不老不死の最強剣士を押し付けるのは政治的にどうかなって思ったんですけど、ファラーシャさんなら別にいいかなって」
「雑だ! エルフィス王の中での私の扱いがめっちゃ雑!」
「同盟しないんですか?」
「いえ、ぜひとも協力させてください!!」
お互いの目的のために、ファラーシャとエルフィスは固い握手を交わす。
「何やってんだあいつら」
「なんとなく察しはつきますけどね」
「ファラーシャはエルフィス王と友達になったんだな。元気が出てきたようで何よりだ」
わざわざこの会話のためにぎりぎり声を拾えない距離まで離れさせられた三人は、握手をする二人を見ながら怪訝な顔を向ける。
セルセラとタルテはまだいいが、レイルはきっとにこにこしている場合ではない。ファラーシャと違い、エルフィスは自分の恋敵を積極的に排除する気満々である。
とはいえそれも、あくまでも年頃の少年少女たちが青春を送る上で必要な駆け引き。
他愛もない嫉妬や小さな策謀を押し隠し、今この瞬間を、誰かと生き抜く。
「セルセラ様――!! みなさーん!! 本当にありがとうございました――!!」
笑顔でぶんぶんと手を振るエルフィスと別れ、セルセラたち一行は、青の大陸のもう少し北部へと向かうことにした。
「せっかくだから、一度俺の故郷に寄ってもらっても良いだろうか」
「いいぜ。墓参りでも王族への挨拶でも好きにしろよ」
当面の目的地はレイルの故郷、キノスラだ。そこから今度は、青の大陸を出て紫の大陸へと向かうことになる。
ちなみにこの時は、その手前の国でとある問題が起きることをまだ四人は知るよしもなかった。
「青の大陸は魔導士を嫌うから星狩人協会も少ない。だがそうとばかりも言ってられねーよな。僕ももう少し頑張らないと」
ラヴァルは無事説得できたが、ゼィズのことはやはりセルセラの中でしこりが残っている。
もっと強くならなければならない。決して後悔したくないなどという、自分自身のために。
「行きましょうか、次なる土地へ」
「おう!」
「うん!」
「よろしく頼む」
どこからか竪琴の音が聞こえてくる。
劇場の屋根の上、四人をそっと見下ろしながら人魚の吟遊詩人はかつて一人の脚本家が残した物語に捧ぐ旋律を奏で続けた。
これからも日々は続いていく。
その残酷な永遠へと立ち向かう勇者たちの背を、祝福するように。
第3章 恋と復讐と王子様 了.