天上の巫女セルセラ 079

第4章 あなたは祈りの姿をしている

079.眠れる獅子の尾を踏む

「前世からの付き合い、使命に宿命、ねえ」
 シェイとラウズフィールが語ってくれた昔話を振り返りながら、セルセラは宿で独り言ちる。
「生まれ変わるも何も、僕の場合、今生で六の魔王には殺されかけた恨みと殺意しかねーからな」

 ◆◆◆◆

 ――十一年前。

 ――セラちゃん……セルセラちゃん、しっかりしてください。
 ――もうすぐ……もうすぐお師匠様が帰ってきますからね! そうしたら、きっとすぐに良くなりますから……!!

 天界の小さな小屋の中で、ルゥが泣きそうな顔をしながら幼いセルセラの看病をしている。
 山のような布団に埋もれたセルセラは熱のために真赤な顔をして寝込んでいた。
 普段月神の眷属として天界で活動している星狩人協会上層部の面々は、男所帯ながらも紅焔の拾った女の子を、四苦八苦の末なんとかここまで育て上げてきた。
 そんな彼らに、最大の危機が訪れたのは間違いなくこの時だっただろう。
 セルセラは魔導の才こそ早いうちに認められたものの、いたって普通の子どもだった。
 この時までは。

 ――そこをどけ! 僕は“娘”のもとへ帰らなきゃならないんでね!!
 ――ならば尚更、通すわけにはいかぬな。

 黄の大陸、この世の全てを干上がらせるような乾燥した砂漠の大地。
 黄金の砂漠の中心に建つ古城に、六の魔王と呼ばれる存在がこの六百年君臨している。
 とある病に効く薬草が、この乾いた砂漠でしか採取できない。
 薬草の採取に来た魔導士・紅焔――セルセラの師匠は、それを阻む六の魔王と死闘を繰り広げた。

 ――お前ら目障りな蠅共を叩き潰すにはいい機会だ。

 六の魔王の目的は、単に嫌がらせだ。
 魔王である彼よりも長くこの世に存在し続け、「星狩人協会」を組織して度々討伐隊を差し向けてくるラウルフィカ一味は目障りな集団だった。
 その一人であり現在最強の魔導士でもある紅焔が六の魔王の領域である砂漠を訪れた際に、ここぞと目的を妨害してきたのである。
 紅焔の目的が薬草探し、それも子どもの死病に効く薬草であることから、セルセラの命がかかっていることも当然六の魔王は理解していた。

 ――セルセラ!
 ――セルセラちゃん!!

 屈強な男たちも天才魔導士も、病には勝てない。
 六の魔王の妨害によって師匠の紅焔は間に合わず、セルセラの命は一度この肉体を離れた。
 もともと天界にいたためにすぐ近くにいた死神が、顔見知りの彼らにも視認できない魂の手をそっと引いて天界の宮殿のどこかへと歩いていく。

 ――死神様、僕はどこに行くの?
 ――遠いところに。静かで、何もない世界に。

 セルセラが死と言うものに触れたのはこれが初めてだった。
 そしてその世界から引き戻されたのも。
 目の前に佇む顔馴染みの死神よりももっと頭上から、その時のセルセラには「ひろくて、おおきい」としか言いようのない気配が降って来る。

 ――……誰?
 ――……神様? この世界を創った……?

 ――母上!

 死神の驚愕も意に介さず、この世界を創り給いし創造の女神は、たまたま天界の魔導士に拾われそこで死んだ一人の少女に手を伸ばす。

 ――人の子よ、あなたの命運はここで尽きる。
 ――けれど、私の願いを聞いて、私に力を貸してくれるのであれば、私はいまひとたび、あなたの命をこの地上に繋ぎ留めましょう。
 ――私の声を聞き、私の力を振るい、この地上を平定する器となってください。

 幼い子ども向けにこれでも平易な言い回しを選んで持ちかけられた契約に、小さなセルセラは頷いた。
 魔導士とは、己の魂の奥底から世界の理に通じる力を引き出すもの。
 しかし人が自らの魂を最も知覚するのは、魂が肉体を離れる死の瞬間だと言う。
 強大な力を持つ魔導士は、生命の危機に瀕するという切っ掛けを得たものが多い。
 意図せずその状態になったセルセラは、死の淵から創造神との契約により、生贄術師こと“聖女”の能力を得て息を吹き返す。

 ――これが、“天上の巫女”誕生の直接の経緯となる。

 ◆◆◆◆◆

 あれから十一年。
 三歳で一度死に、蘇って今は無事に十四歳となったセルセラは時々考える。
「もしもあの時、死にかけることがなかったら僕は今頃どうしてたんだろうな?」
 六の魔王がもうほんの少しだけ善良で、師匠の紅焔が薬草を持ち帰るのが間に合っていれば。
 一度死んだからこそ生贄術師の力を手にすることができた、今の“聖女”たるセルセラはここにいなかったに違いない。
「女神様のことは好きだし自分の力は嫌いじゃないけど、でも僕の性格的には本当なら、六の魔王のクソ野郎を真正面からぶっ飛ばす力が欲しかった」
 養父である師匠以上にセルセラを女の子らしく育てようと頑張ったルゥが聞いたら頭を抱えそうな台詞である。しかし、正直これがセルセラの本心だ。
 ウィラーダやグレンツェントたちとやたらと気があったらしいレイルの様子を見ながら、選べなかった仮想の道に思いを馳せる。
 彼らのように剣を振るって直接的に敵を倒す力はセルセラにはない。魔導を鍛えに鍛えて並の星狩人とは比べ物にならない攻撃力も兼ね備えてはいるが、やはりその道の熟練者には敵わないのだと思い知る。

 もしも“聖女”でなかったら、そこにはどんな人生があったのだろう?

 ◆◆◆◆◆

 そして翌日。
「おや、あんたたち知らないのかい? 今この街に“聖女セルセラ”様が来ていらっしゃるんだよ!!」
「うん???」
 ウィラーダたちと別れ、レイルの故郷キノスラへと、もうあと三つほど街を超えればたどり着けるという場所で。

 セルセラは街の住民との何気ない会話から、自分の「偽者」の噂を聞くこととなった。