第4章 あなたは祈りの姿をしている
080.二人の聖女
「え? セルセラって偽者だったの?」
「だーれが偽者だってえ? 今までさんざん僕の実力を見てきただろうが」
「冗談冗談」
ファラーシャは明るく流し、レイルは怪訝な顔で呟く。
「いや、しかし、どういうことなんだこれは……」
青の大陸によくある中程度の規模の国家の、まさに中程度の規模の街のこじんまりとした商店だ。
旅路に必要な細々としたものを買い込むついでにいつものように情報収集を兼ねた世間話をしたところ、とんでもない噂を一行は聞かされた。
「“聖女セルセラ”が来ている……? ええと、この街に天上の巫女姫がいらっしゃるということですか?」
レイルは困惑しながらも、視線を戻し商店の女将さんと話を続ける。
「そうだよ。青の大陸にはなかなかいらっしゃらないって聞いたけど、ありがたいことさね」
「あの……ちなみにその聖女様は、いつからこの街に?」
「二週間くらい前だったかしら。街の病人や怪我人を次々と治してくださってね。みーんなあの方に感謝しているのさ。色々な噂を聞く方だけれど、本物はやっぱり優しいんだねえ」
レイルたちは咄嗟にセルセラの顔を見てしまいそうになるのを堪えた。
己の意志を総動員してなんとか堪えた。
「それは良いことを聞きました。女将、聖職者として我々もぜひ聖女様にご挨拶をしたいのですが、今はどちらにいらっしゃいます?」
「街の一番西の宿にいらっしゃるよ」
「ありがとうございます」
タルテが「偽聖女」の居場所を聞き出し、一行はひとまずその辺りの路地裏で思考と感情を吐き出し整理する。
「えーと、どういうこと? セルセラの偽者ってことだよね?」
「だろうな。ただの聖女ならともかく、“聖女セルセラ”ってはっきり言ったからな」
「他の大陸ならまだしも、信仰深いこの青の大陸で聖女をなんでもかんでもセルセラだと言うような雑な風潮も考えにくいですし」
「人助けをしているらしいが、一体何が目的でそんなことを……? 自分の名前じゃダメだったのだろうか……?」
順番に思ったことを吐き出した辺りで、一通り話の整理もついたようだ。
「本人に会ってみよう。でないと何もわからん」
「そうですね。あなたの名前で悪事を働いたとかでしたら問答無用で斬り殺すところでしょうが、まだ向こうがあなたの知り合いという可能性もありますから」
「あのー、タルテ、なんかめっちゃ怒ってる? 顔というか気配が怖いんだけど」
「それは詐欺師本人に会ってから決めます」
「その言い方は、すでに怒っている人間のそれなんだが……」
話をしているうちに、タルテの機嫌が降下したことに三人は気づいた。
怒っている、という状態は決めるとか決めないとかそういう問題なのだろうか。すでにタルテは結構な怒りを溜めているように見える。
確かに物事をいっそ必要以上にはっきりさせたがる毒舌裁定者タルテ様的には他人の名前で偽称する輩は許しておけないに違いない。
だが事態の原因を取り除かないことにはどうにもならない。
「とりあえず、会いに行ってみよう。その偽者の聖女様とやらに」
セルセラ自身がそう決断する。
ただの“聖女”であるならばまだセルセラでさえ知らない本物の可能性はあった。
だが“聖女セルセラ”はただ一人だけ。
何故他でもないセルセラの名を使ったのか、本人に会って事情を聞くしかなかった。
◆◆◆◆◆
街の一番南の宿屋には、確かに玄関脇に人だかりができている。
セルセラたち四人は、近くの路地からまずはその様子をしばらく観察してみた。
宿の入り口の庇の下に室内用の椅子を持ちだして一人の少女が座り、横には護衛か使用人らしき若い男性が二人ついている。
そしてこれまた侍女か使用人らしい中年の女が、宿の中と外を取り次ぎのように何度も出入りしているようであった。
「あれが偽聖女様? セルセラと全然似てないじゃん」
「治癒の術を使えるみたいだが、さっきから怪我の治療をしてもらっているのはみんな軽傷じゃないか?」
「大金をとっているようでもありませんしね。それどころか、見ているかぎり無料で治療しているようです」
「ますます何がしたいのかよくわからないな」
見たところ、それほど怪しい一行ではない。
少なくとも一目で犯罪者であるとか、セルセラの名声を悪用しているとか断言できるほどの不審さは感じなかった。
使用人らしき男二人と中年の女と少女とのやりとりは、この四人にそれなりの付き合いがあると察せられる。
例えば治癒術を持つ少女が攫われ無理矢理働かされているなどという事情もなさそうだ。
そして、本物のセルセラをおびき寄せてどうこうしようという罠の気配も感じない。
「ここでこうしていても埒が明きません。直接聞きましょう」
「そうだな。別に危険もなさそうだし乗り込むか」
つい昨日攻略してきた遺跡が何者かの罠による可能性があったので一応警戒してみたのだが、この偽聖女一行がその一件に関わっているようには見えない。
あれとこれはやはり別の話だったのだろうか。
セルセラは偽者の聖女に自ら声をかけに行く。
「なあ、そこの“聖女”さんさ」
「はい、何か?」
聖女と呼ばれていたのは、一見して穏やかな印象の少女だ。別に詐欺師や、逆に誰かに無理矢理利用されているような雰囲気もない。
明るい金髪に緑の瞳をしているが、少なくとも髪の方は染めているようである。
セルセラの容姿に似せる気は微塵も感じられないが、何故このような変装をわざわざしているのだろう。
「お前たち、“聖女セルセラ”様に対して失礼だぞ」
「聖女」に近づいてきたセルセラとタルテの二人を追い払おうと、使用人らしき男の一人が口を挟む。
この男は男で、やはり護衛というには隙がありすぎる。武道の心得があるようには見えなかった。
「話があるんだ。ここで口にするのもなんだから、ちょっと中で話さないか?」
「治療の手ならちょうど空いてはおりますが……」
セルセラは少女の耳元で声を潜め、そっと囁く。
(あんたたち、偽者だろう?)
(!?)
その指摘に、偽聖女は明らかに動揺した。
これで最後の「まさかの同名聖女」という可能性も潰え、彼女たちが自覚的に“聖女セルセラ”を偽っていることが明らかになる。
「宿の主人に一室を借りるよう交渉してきます」
心なしか先程よりさらに不機嫌な様子のタルテがずんずんと宿に乗り込み、宣言通り内密の話用の一室を強引に借り上げてきた。
◆◆◆◆◆
「申し訳ありません!!」
「お嬢様!?」
突然の「偽聖女」の行動に、傍についている側が動揺している。
先程彼女だけに囁いた言葉を、セルセラはもう一度、周囲にも聞こえるように繰り返した。
「あんたたち、偽者だろう?」
「!? ……あんたたちは!」
若い男が二人と、中年の女が一人。これで全員だったらしい。一行はあからさまな程に動揺した姿を見せる。
雰囲気からして彼らの関係はどこかの貴族のお嬢様と使用人なのだろう。男二人は、護衛と言うにはあまりにも頼りない。
先程から狭い室内で、セルセラたちがその気になればすぐに首をかき斬れる位置まで、「お嬢様」への接近を許してしまっている。
それも含めて、この一行はまったく本物の聖女らしくなかった。
“聖女セルセラ”を名乗った少女は確かに治癒の術は多少使えるようだが、星狩人のような攻撃や警戒の技術がまったくないのだ。
「そうだ、僕が――」
「本物の聖女を知っているのか!?」
「ん?」
しかしその動揺のあまりか、名乗り出ようとしたセルセラの言葉に、護衛らしき男の一人の言葉がタイミング悪く被さった。
「……ごめん、私正直ちょっと面白くなってきちゃった」
「不謹慎ながら俺も……」
部屋の入口の方で話を聞いていたファラーシャとレイルがこっそりと言葉を交わす。
セルセラ本人にとっては面倒なことこの上ない出来事なのだが、確かに傍から見ればただの寸劇のようなやりとりである。
ファラーシャとレイルからすれば、セルセラがこの偽聖女にどうにかされる可能性は万に一つもありえないため、事態の滑稽さばかりが浮き彫りになる。
「私たちは、ある事情のために、“聖女セルセラ”様のお名前をお借りしているんです」
「偽聖女」は、ひとまずそう説明した。
しかしその説明が、セルセラ本人以上に逆鱗に触れる人物がいた。
「借りる? 借りるですって!? それ、本気で言っているのですか?」
セルセラたちが気づいた時には、タルテの声音は青の大陸の極寒の国々よりも冷たく温度が下がっている。
「勝手に名乗ったのでしょう! お前たちの勝手な都合と欲望で――」
「うわちょっ! まずい堪えろ落ち着けタルテ――!!」
セルセラは咄嗟に三人を引き連れ、どれだけ暴れてもいい場所へと魔導で転移した。
◆◆◆◆◆
セルセラの考える「どれだけ暴れても良い場所」は、本当は暴れては駄目なところである。
というか、タルテの怒りを押さえつけるのにだいぶ力を使ってしまったせいで、さすがのセルセラもうまく狙ったところに出現できなかった。
その結果、四人はセルセラにとって馴染み深い天界の、神々が一同に会して協議を行う巨大な聖堂のど真ん中に魔導転移で出現するという暴挙が発生する。
「ああ、まったくもう――!!」
苛立ち混じりの怒声と共に――力の奔流が吹き荒れる!
「「「「わぁあああああああ!!」」」」
「「「「ぎゃぁああああああ!!」」」」
タルテの解き放った怒りの波動により、聖堂の窓硝子が見事に全部吹き飛ぶ。
それどころか、その場にいた神々の内、下級から中級辺りの神々もタルテに力負けしたらしく、軒並み吹っ飛ばされて聖堂の壁にカエルのように叩きつけられていた。
「うわぁ……」
「だ、大丈夫なのかこれは」
ファラーシャとレイルは顔を引きつらせる。
このタルティーブ=アルフという人物の正体がとんでもない存在であることはセルセラ、レイル、ファラーシャの三人も薄々気づいてはいたのだが、ここまで来ると本当に尋常ではないことを思い知らされる。
「セルセラよ……」
「ごめん、フィドラン様! 緊急避難させて!」
フローミア・フェーディアーダのフルム神族には、創造の女神を除くと太陽神フィドランと月神セーファの主神夫妻に加えて、上級から下級まで様々な神々が存在する。
しかし中級以下の神々などは、魔力の扱いや戦闘力などに関しては人間であるセルセラよりも下だという。
元より創造の魔術師・辰砂のように突出した人間が神々の力を超える事例はあった。セルセラはさすがに辰砂程とはいかないものの、下手な神々よりは様々な分野で高い能力を持っている。
同じように戦闘能力に一転特化しているレイルも、戦闘においては下手な闘神よりはよほど強い。
とはいえ、やはり神様は神様だ。
フルム神族はそれぞれの持つ権能において、人知を超えた超常を地上に知らしめる。
……のだが。
それらの前提条件をことごとくふっ飛ばして、中級から下級の神々をも一撃で文字通り吹っ飛ばした、タルテの正体がとんでもないのだ。
「落ち着けよ、タルテ」
「これが落ち着いていられますか! 詐称されたんですよ、あなたの名を!」
可哀想な神様たちにはそれでも神様なんだから自力で這いあがってくれと放置しつつ、セルセラはとりあえずタルテを言葉で宥めにかかる。
「わかってる。僕が一番よくわかってるよ」
「偽りは不正の入り口! 決して許しておくにはいきません! あの者たちに今すぐ死を!!」
「そ、それはさすがに過激じゃないかなーって」
ファラーシャが果敢にも申し立てをするが、それこそ射殺されそうな眼差しで睨みつけられる。
「仮に今回の被害者がセルセラではなく、無辜の一般市民でも同じことが言えますか? 向こうは貴族のようでした。立場の弱い一般市民ならば、そのまま己の名で悪評を広められたり、一方的に罪を着せられても逃れることすらかないませんよ」
「それは……確かにそうだけど」
タルテの主張は確かに正しい。ファラーシャが相手を擁護しようとしたのは、向こうがセルセラと争えばどの分野でも勝てる見込みのなさそうな一般市民だからというのが理由だ。
詐称された被害者が同じような一般市民あるいは偽聖女より立場の弱い存在ならば、やはりそれは悪いことだと指摘しただろう。
「しかし、殺すのはやりすぎだと」
「だから放っておくのですか? 問題の発覚は、すなわち被害の発生と同義なのですよ? レイル、あなたのそれは、あなた自身がその実力故に決して切実な被害に遭わないが故の驕りではないのですか?」
取り締まりの過激さは問題ではないかと、おずおずと口を挟んだレイルは逆に自分の中の疚しさを指摘されて息を呑む。
「……すまない、俺が間違っていたようだ」
例えレイルやファラーシャ本人たちにそのつもりがなくとも。
名を乗っ取られた側がセルセラではなく、乗っ取った側が貴族の少女ではなく、「ただの無力な十四歳の少女」であった場合に同じことを言えないのならば、その内容は決して公平ではない。
セルセラを含む自分たちが強者である故に大した害を被らないという、驕りから出た発言となる。
二人にタルテの怒りを鎮めることはできなかった。
そして今回の「当事者」であるセルセラが口を開く。
「タルテ、それでも僕は、あいつらの話を聞きたい」
「どういう理由で?」
「困ってるみたいだったから」
――申し訳ありません!!
――私たちは、ある事情のために、“聖女セルセラ”様のお名前をお借りしているんです。
「例え僕の名を騙る罪を犯そうと、あいつら自身も『困ってる』ようだったから。僕は――“聖女”の役目として、救わなければならない」
罪人を裁いて殺さなければならないことと、罪人が事故で死に至る傷を負った際に放置することは、結果は同じでも行為として同じではない。
そこに医師がいたならば、司法に罪人の罪を公正に裁いてもらうためにも、きっと罪人の命を救うだろう。
聖女であるセルセラの役目も同じだ。
聖女の役目は人を裁くことではなく、人を救うことなのである。
「お前は正しいよ、タルティーブ=アルフ。正義は確かにお前にある。だが、例え相手がもしかしたら最後は死刑に処されるべき罪人であったとしても、目の前で重傷を負っていた場合、その傷を治すのが“聖女”としての僕の役目だ。だから」
セルセラはタルテの正しさを否定しない。
ただ、ここでもどこでも、いつだって“聖女”である自分を示す。
「あいつらの話を聞かせてくれ。全ての判断は、その後になされるべきだ」
「……いいでしょう」
その結果、今回はタルテが折れるようだった。
確かに物事は誰が対象だったとしても公平に判断されなければならない。
しかし真の公平さは、問題の当事者を決して置いてけぼりにはしないのだ。
セルセラが当事者として偽聖女たちに向き合うと言うのなら、セルセラがこの件に関して第三者の意見を求めるまでは、他者は口出しできない。
「その罪が命で償うに等しい場合は、やはり私は彼らを殺しますよ」
「ああ、その時は好きにしろ。でもそれまでは、事態の判断は当事者である僕が握る」
聖女として人を救い、星狩人として治安の維持にも関わる。
その対象を紛うことなく犯罪者だと断定できてようやく、その先の断罪者が必要となるのだ。
「僕はまだ、あいつらの話を聞いていない。僕が話を聞き、僕が事態を決める。名前を使われたのは僕だから。……けどさ、なぁ、タルテ」
そこでセルセラは声音を今までの真剣なものから、気安い仲間へのからりとした明るい呼びかけに変える。
「怒ってくれて、ありがとう」
「――は?」
いつの間にか天界の聖堂内は、神々も人も静まり返り、二人の話を邪魔することなく聞き入っている。
「僕は“天上の巫女”として、築き上げたこの地位で果たすべき役割を果たさねばならない。いつだって。……それでも、お前の中では僕もあいつらも、平等に一人の人間なんだろう。だから怒ってくれたんだろ?」
それが本当の公正さである。
この人は強いから蔑ろにして良くて、この人は弱いから守らねばならない。そんな不公平な判断はありえない。
罪は罪。裁きは裁き。
守る労力が強者と弱者で変わるのは自然なことだが、その人が守らねばならない存在かどうかは、その人自身が間違ったことをしていないかどうかによる。
裁かれるべき存在は、正しく裁かれねばならない。
「そんなものは当然のことです」
「それでもありがとうな。僕のために怒ってくれて。この先もしかしたら同じような被害に遭うかもしれない、名もなき弱きものたちの、平和のために怒ってくれて」
――あなたは強いから自力で切り抜けられるだろう。だから嫌な目に遭っても全体が平和であるために我慢しろ。
そんな主張は理不尽の極だ。強者に寄生し搾取する側の詭弁に過ぎない。
本当の正しさは、強きも弱きも区別せず、平等に扱う。
だからタルテは己の魂に課せられた役目に従いそうする。
その役目はセルセラの仁義と時に衝突するが、決して矛盾しない。
「いつかまたお前の『怒り』が必要になるかもしれない。でもここは、“聖女”が先に役割を果たすために譲ってくれ。その果てにお前による死の裁き自体がなくなれば万々歳。それが、僕の役割だ」
罪は裁かれねばならない。
だがすべての罪人を最初から死刑にする必要はない。
己の罪を悔い改め、自ら償う決意ができるものを殺す必要はないはずだ。
そしてセルセラは、己が相手に罪を自覚させることができると信じている。
話の順番も、重要度も、決して間違えたりはしない。間違えたらその時こそ裁く者――タルテの出番となる。
「わかりました。ひとまずこの件は、あなた自身に預けましょう。お手並み拝見といきましょうか」
溜息と共にタルテはこの件を一端「保留」することを了承した。
そして“聖女セルセラ”は、いつものように不敵に笑って宣言する。
「任せろ! 僕はどんな時だって、最も納得行く結末を探してやる!」