天上の巫女セルセラ 081

第4章 あなたは祈りの姿をしている

081.北の星を目指して

 突然魔導で転移してきて聖堂の窓や下級神を吹き飛ばし、壁や柱に罅を入れる。
 まさしく嵐のような一行が去った後の天界では、彼らがいなくなってようやく力の弱い神々がなんとか起き上がれるようになった。
「まさかのあの『姉上』の御怒りを、ただの人間の少女が治めるとは……」
「伊達に母上の巫女をやってはおりませんね」
 神々の中でもさすがに上級神たちはタルテの怒りを浴びても無様に吹っ飛ばされずに済み、むしろタルテを説得したセルセラの手腕に感心していた。
「だからいつも言っているでしょう? 人間のことは、人間に任せるべきだと」
 主神の妻・月神セーファは上機嫌にころころと笑う。
「我々は神を名乗ろうと、所詮は地上を去った身……力を振るうだけでは地上を救えぬことは、もはやわかりきっている」
 ある神がそう言い、また別の神が溜息を吐く。
「我々にできることは、人間同士の足掻きを見守ることだけだ」
 例えその正体を知らずとも、神の威光を前に一歩も引かぬ者たちの、言葉にはできない強さ。
 それを見守ることだけだと。

 ◆◆◆◆◆

 窓硝子とか神々とかその他諸々を吹っ飛ばした聖堂の後片付けは、セルセラが天界の知己(あの場にいなかった下級神)に色々と頼んできたところで、四人は地上に戻った。

「あ」

 天上でタルテが一通り思いの丈を吐き出している間、当然ながらこちらの偽聖女一行はセルセラたちが戻ってくる前に逃げる準備を始めていたようだ。間に合わなかったが。
「じゃ、事情を説明してもらおうか」
「……わかりました」
 セルセラたちが星狩人だと聞いて観念した偽聖女一行は、ようやく彼女たちの事情を説明する。

 ◆◆◆◆◆

「私には、医師となった姉がいるのです。しかし、この先のバード王国の王子、王女様たちが謎の奇病に倒れたのを治療しようとしてできなかったため、投獄されてしまいました……」
「バード王国? 大陸北部では一番の大国だが……」
 偽聖女の言葉に、青の大陸出身のレイルが反応する。
 バード王国もレイルの故郷キノスラも今いるこの街も、大陸の北部地域だ。
「奇病ね。その姉さん以外の医者は?」
「幾人かいたそうですが、誰も治すことができなかったそうです。全員が今も牢屋に閉じ込められていると」
「それで医師ではなく別のやり方……つまり、聖女の名を求めた訳か」
「はい……」
 現在もバード王国では王子たちの病を治せる聖職者や魔導士を探しているという。
 医師が何人いようと解決できなかった問題を抱える国に乗り込み医者となった姉を助け出すために、偽聖女一行は最高位の治癒師である「聖女」として自分たちを売り込むことを考えたようだ。
「私は、姉を救いたいのです。けれどいきなり実績のない架空の聖女を名乗っても門前払いされるかもしれない。だったら……」
「それで、わざわざ“天上の巫女セルセラ”を名乗ったわけか」
「はい……」
「度胸あるねー。よりによってセルセラを名乗るなんて」
 ファラーシャの嫌味というよりは心底驚いたという台詞に、一行は居心地悪そうにお互いの顔を見合わせる。
「ばかげていますよ。偽者の分際でただの聖女どころかよりによって“セルセラ”を名乗ろうというのも勿論、その名にどんな危険が付随するのかもまったく考えていないのですから」
 タルテは相変わらず手厳しい。
「セルセラは星狩人協会の幹部の一人だ。バレたら星狩人協会から罰が下されるとは考えなかったのかい?」
 相手がまだ若い娘なので怯えさせないように言葉を選びながら、けれどレイルも偽聖女一行の目論見の甘いところを突く。
 何か重大な問題が起きた時に単独で解決できる可能性の高いセルセラは、すぐに出動できるよう常に星狩人協会と連絡を取り合って居場所を報告している。その把握を混乱させるような真似をすることは、果たして許されるのであろうか。
「いえ、あの……」
 偽聖女はレイルの指摘に上手く反論できず、最後には俯いてか細い声を絞り出す。
「そこまでは、考えていませんでした……」
 彼女たちとしては、そもそもこの計画がこんなに早く発覚するとは考えていなかったのかもしれない。
 確かに今この街にいるのはセルセラの元々の予定というよりも、エルフィスに青の大陸に呼ばれたことやレイルの故郷キノスラに立ち寄ろうと考えたことの間に、ウィラーダたちと協力して攻略した遺跡の件などが挟まった上での偶然だ。
 ただなんとなく、セルセラは偽聖女一行の反応におかしなものを感じた。
(この反応……バレることをまったく考えていなかったってわけじゃないのか。むしろ、バレてもかまわないと思っていた……か?)
 レイルに対して彼女が口にした「そこまで考えていなかった」という言葉は、半分は真実だが半分は嘘だと感じる。
 今ここでこうしてセルセラたちに問い詰められている事態は予想外だったが、全てが終わった後などいつか事が発覚する分には別に構わないと思っていた節がある。
 もう少し探りを入れてみるかと、セルセラは更に質問を重ねた。
「あんたはどこかの貴族の娘だろう? 周りの人間はもともとの使用人か」
「はい、私の計画に協力してくれているものです」
「御付の人たちって危険だからって止めたりしないの?」
「姉を……救うためでしたから」
「私たちにとっては、どちらも大切なお嬢様ですから」
 セルセラは偽聖女一行の顔を順繰りに一通り眺める。
 まだ色々と隠し事はあるようだが、少なくともその姉を救いたいという気持ちは本物のようだ。
 ならば、自分たちのやるべきことは一つだ。
「……よし、話はわかった」
 セルセラは一星狩人として、対応を決定する。
「星狩人協会としては、勝手に“聖女セルセラ”を名乗られるわけにはいかない。ただ、あんたたちが姉を助け出したいという気持ちはわかった。だからこうしよう、僕たち星狩人が同行するから、“聖女セルセラ”を名乗った責任を、自分たちでとってくれ」
「え……」
「“聖女セルセラ”としてバード王国へ向かい、問題を解決せよ」
 偽聖女たちは、その言葉に驚いて目を瞠る。
「よろしいのですか!?」
「お前ら何か企んでるんじゃねーだろうな……痛ってえ!」
 口を挟んだ使用人の男を、タルテがあくまで素人用に加減した鞭で軽くひっ叩く。
「口を慎みなさい。傍迷惑な謀事をしたのはそちらの方でしょう。我々は本当ならこのままあなた方を警吏に突き出しても一向にかまわないのですよ」
「わ、わかったよ」
「……レーフ」
「わかりましたよ!」
 偽聖女にレーフと呼ばれた使用人の男はようやく引き下がる。
「あんたたちはバード王国で姉を助けるまで“聖女セルセラ”を名乗り、その義務を果たす。僕らは本物のセルセラを知るものとしてあんたたちが姉さんを助けるのを手伝う。無事に助け出せたら、ちゃんと身分詐称の裁きを受けてくれるよな? ま、無事に事態を解決できればその功績を以って大目に見てやるよってこと」
 セルセラは偽聖女の誠意を測るようにその眼を見つめる。
「は、はい! ……御温情に感謝いたします。でも、どうしてそこまで?」
「普通に仕事だが。あんたたちは姉を助けるだけかもしれないが、僕たちは話を知ってしまった以上、できればバード王国の病人も救いたい」
 困惑していた偽聖女が、その言葉に軽く頬を叩かれたかのようにハッとした顔になる。
「……っ、そう、ですね。お医者様にも治せなかった王子様たちの治療も、誰かがしなければならないんですよね」
「そういうことだ。それも含めて『問題を解決せよ』ってことだからな。別々に行くよりも、協力し合って一緒に行った方がいいだろう」
 セルセラはそうして、次の行動のための話に移った。
「じゃあ、午後にでも早速出発するか。この街ではもう十分に聖女として名を売っただろう? 僕たちもちょっと準備することがあるから、あんたたちも支度を始めてくれ」

 ◆◆◆◆◆

「ねぇねぇセルセラ、あの人たちに自分が本物だって言わなくていいの?」
 偽聖女一行が借りているのとは別の部屋を借りて場所を移し、いつもの四人きりになってから、ファラーシャは不思議そうに尋ねた。
 あの場でこそ空気を読んで黙っていたが、どうしてセルセラは自分こそが本物だと言わなかったのか?
 同じ疑問は当然レイルとタルテも持っている。
 最初に「本物のセルセラ」ではなく「セルセラを知る者」と勘違いされたセルセラは、その誤解を正さずに何故か別人を演じながら偽聖女一行への同行を決定した。
 いつセルセラが「自分こそが本物」だと言い出すのか待っていた三人は、「あれ?」と思いながらも、余計な口は挟まずとにかくセルセラの行動を見守っていた。
「僕が本物のセルセラだと知ったら話せなくなりそうな裏事情がまだまだありそうだからな。向こうが先に勘違いしたんだし、このまま様子を見てみようかと。そこで一つ提案があるんだが」
「どうした?」
「レイルとファラーシャ、お前たち二人は別行動にしろ」
「「え」」
 セルセラがわざわざ準備のためにと尤もらしいことを言って偽聖女一行とは別の部屋を借りたのは、この話をするためであった。
「僕はこれから『ターリア』と名乗るけど、お前たち二人はその偽名を自然と呼べるか? 咄嗟の時でも」
 セルセラの質問に、レイルとファラーシャ二人は秒で回答する。
「無理です」
「無理だ」
 己を知る者の素直な答だった。正しい自己認識と正直で何よりである。
「焦って普通にセルセラって呼んじゃうと思う~」
「だと思ってな。ちょうどいいから、ここで別行動にしようぜ。レイルはもともと故郷のキノスラに寄る気だったんだろ? そっちについて行けよ、ファラーシャ」
「うん、わかった」
「ありがたいが……そもそもお前が仕事をしているのに俺が故郷に寄ってもいいのだろうか」
「構わねえって。八十年故郷に帰れてない奴が変な気を遣うな。僕の方は、星狩人協会から援軍を呼ぶ」
「援軍?」
 レイルはつい先日知り合い、行動を共にしたばかりの星狩人の名を挙げた。
「ウィラーダたちか?」
「あいつらはもともと隣の街に用があるって言ってたから別。他にもこの近くに僕の馴染みが来ているのを天界に確認したから、そいつらに協力してもらう」
 レイル、ファラーシャ、タルテの三人は今年星狩人になったばかりなので知り合いもほとんどいないが、セルセラはこれでも星狩人歴十年だ。成長してからは幹部の一人としての仕事を務めるようになったこともあり、協会のほぼ全員が顔見知りだ。
「なんならドロミットとハインリヒもそっちにつけておくか。こいつらがいればいざという時も連絡に困ることはないからな」
「はーい」
「ご主人様の命令なら、なんでもお手伝いします!」
 小さな白い鳩とふわふわの白い子犬がどこからともなく現れて、ファラーシャとレイルの肩に乗る。
「さて、タルテはどうする? お前は偽名の呼びわけも器用にやるだろうから、どっちでもいいんだが」
「あなたたちに同行しますよ。そうでなければ、見届ける意味がない」
 例え目の前に突然魔王が現れたとしても動揺して偽名を呼びそこなうような可愛げとは無縁の毒舌巡礼タルテは、迷わずセルセラと偽聖女への同行を選択した。
「決まりだな、じゃ、それぞれ行動を開始するか」

 ◆◆◆◆◆

 青の大陸を中心に活動している二人、星狩人ボークと星狩人イステラーハのコンビは、天上の巫女セルセラからの手紙によって呼び出された。
 二人とも年齢は二十代の半ば。ボークは腰に剣を佩いた大柄な男で、濃茶色の髪と瞳をしている。イステラーハは細身の弓使いで、くすんだ金髪に灰色の瞳だ。
 星狩人としては珍しくないスタイルに、ありふれた容姿。それはこの二人がセルセラの暗躍に付き合わされる理由にもなっている。
「最近はとんとご無沙汰だったのに、よりによって青の大陸でターリアお嬢に呼び出されるとは珍しいな」
「ああ。あの御方も今度は一体何に首を突っ込んでいるんだか」
 偽名の「ターリア」を名乗るセルセラに振り回されることに慣れている二人は、さして気負いなく指定された街に合流した。
 しかしやはりセルセラ本人の姿を見た時は思わず叫び声が出た。

「おーい、ボーク~~! イステラーハ~~!」
「「聖女様――!?」」

 駆け寄って登場してきたセルセラがまるで修道女見習いのようにウィンプルで髪を覆い隠した露骨な変装スタイルだったからだ。
「おう、元気な掛け声だな! こちらの“聖女”様をお呼びするのに不足はないって感じだ」
「あー、あ~~、はいはいそうっス」
「掛け声は大事ですからね」
 手紙とセルセラの振る舞いから一瞬で状況を読み取った二人は、なんとか話を合わせる。セルセラの無茶ぶりは割といつもの話なので、この手のやりとりにも慣れてしまった。
「あの……よろしくお願いします……?」
 いきなり初対面の星狩人の男たちから大声で呼ばれたと思わされている偽聖女は驚きながらもとりあえず挨拶はした。育ちの良さを感じる。
「経緯は手紙に書いた通りだが、こっちが“聖女セルセラ”一行だ。僕とタルテとお前たちは、この一行を補佐して目的を遂げさせるのが役目だ」」
「お姉さんを助けたいんですよね」
「まぁ……そういうことなら協力するっすよ」
 偽聖女は後ろに使用人の三人を従え、星狩人たちに対して深々と頭を下げる。
「本当に、お世話になります」
 そして一行は、バード王国に向けて出発した。