天上の巫女セルセラ 082

第4章 あなたは祈りの姿をしている

082.あなたは祈りの姿をしている

 そうして偽「聖女セルセラ」一行を、本物のセルセラが陰ながら支えて進む謎の旅路が始まった。
 態度はともかく経歴としてはまだ新人星狩人のタルテと、先輩であるボーク・イステラーハのコンビも初めて会ったので挨拶し合う。
「……あなた方は“天上の巫女セルセラ”と知り合って長いのですか?」
「もう六、七年くらい前になるのかな。あん時は助けられたよ」
「俺たちは本物のセルセラ様に命を救われたんだ。そんな奴は星狩人協会にはそれこそ星の数ほどいるがね」
 今は「ターリア」を名乗るセルセラが迂闊に口を挟めないのをいいことに、タルテは移動の最中にボークたちからセルセラの過去の話を聞く。
「俺たちは、セルセラ様に救われた」
「だからあの御方に仇なす者があれば容赦はしない。……あんたら、そこんところはわかってるよな?」
 イステラーハが、偽聖女一行に釘を刺す。
 あの御方というか今ここにいる御方なのだが、当然セルセラ本人は素知らぬ振りをする。内心そこまで思いつめなくてもいいんじゃないか? とは考えるものの。
「はい……!」
 イステラーハの言葉に偽聖女はすぐに頷いたが、御付の青年の一人・レーフは不満そうに鼻を鳴らした。
「ちっ! 相手が聖女だからってそこまでぺこぺこする気はねーよ」
「レーフ」
「なんだよソルヴァルド、お前だってそう思うだろ」
「それは今から世話になるこの方々に言うべきことじゃない」
 もう一人の青年・ソルヴァルドはレーフよりは落ち着いた性格で、彼を窘めている。けれど内容そのものは否定していないのが気にかかった。
 セルセラはこの一行に最初に会った時からの違和感を突いてみる。
「なあ、あんたたち“天上の巫女セルセラ”になんか恨みでもあるのか? 本人に会ったこともないだろうに」
「会った事ないって断言できるのかよ」
 最初からセルセラたちを一方的に敵視してきたレーフが何故か噛みついてくる。
「断言できるぞ。僕は聖女セルセラの交友関係は全て把握している」

(((そりゃ本人ですし……)))

 タルテ・ボーク・イステラーハの心の中も一つになったが決して口には出せない突っ込みでもある。
「何っ!?」
 レーフが、いや声に出したのが彼だというだけで、偽聖女やソルヴァルド、乳母のショードヒルドなども少なからず驚いた顔をしていた。
「そもそもこの地方に『セルセラ』が来たこと自体ほぼないぞ。まぁ、いいことなんだけどな。『セルセラ』が頻繁に訪問する地域っていうのは癒しを待つ病人や怪我人が溢れていて、国の管理も追い付いていない地域だ。この辺りはおそらくあんたたちの実家を含めて穏やかな治世が続いている地域が多い」
 普段から青の大陸で活動しているボークとイステラーハも頷く。
「セルセラ様の活動範囲はどちらかというと戦乱が続く紅の大陸や、魔獣の多い橙や黄の大陸が多いんだよな」
「俺たちももともと紅の大陸の人間だ。魔獣ではなく国同士の紛争で死にかけたところをセルセラ様に助けられた」
「敵に切り落とされた手足を再生して、星狩人として生きるのはどうだって勧めてくれたんだ」
「本物の“聖女”様はそんなことまでお出来になるのですか……!?」
「ああ」
「切断された手足の再生は、さすがに聖女の中でも特に高い治癒能力を持つ一部ですよね」
「そうだな。“聖女”だから全員が出来るとは言わない。だがセルセラにとっては当然のことだ」
 偽聖女たちがひたすら“天上の巫女セルセラ”の行動に驚いているのを観察し、セルセラたちの中の違和感は強くなる。
 とはいえ、今の彼らはまだその理由を説明するつもりはないようだった。
「まぁ、その辺りの話はまた今度にしようか」
 偽聖女一行は馬車を使って移動していた。二頭立ての小さな馬車の中に偽聖女と乳母ショードヒルドを乗せ、馬の背では御者としてレーフとソルヴァルドが手綱を握る。
 お忍び中の“聖女セルセラ”という設定で、実際に男二人は護衛も兼ねているという。
 しかし、セルセラたちの見立てでは彼らの腕では魔獣どころかちょっと人数の多い強盗や山賊にも対抗できるとは思えなかった。
「戦力的に大丈夫なのか? これ」
「えっと……あなた方と一緒でなければ他の乗合馬車や隊商の一行に混ぜてもらおうと思っていました」
「ああ、なるほどな」
 魔獣が跋扈するこの世界では、街と街を移動するのも一苦労だ。
 護衛の星狩人がいない地域では、人々は集団となって専用の護衛を依頼する。
 今はセルセラたちがいるからその必要がないというだけだ。さすがに「セルセラ」を名乗るからと言って同等の戦力を用意できるわけではない。
 ボークとイステラーハは自前の馬に乗り、セルセラはタルテを後ろに乗せて箒で馬車に並走するように飛んでいる。
「おっと、さっそくお出ましだ」
 噂をすれば影と言わんばかりに、前方に魔獣の群れが現れた。
「ひっ……!」
「ま、魔獣……!」
 緊張に身を固くする偽聖女一行とは裏腹に、一流の星狩人たちにとっては慣れた獲物だと言わんばかりにセルセラたちは魔獣を倒しに飛び出した。

 ◆◆◆◆◆

「凄い……! 皆さんお強いですね……!!」
「ま、そりゃこれくらいはな」
「あの……怪我はないですか? せめて治療くらいは……」
「大丈夫だ。このぐらいで怪我なんかしねえよ」
 二、三日ほど、旅は順調すぎるくらい順調に進んだ。
 途中で立ち寄った二つほどの小さな村ではそれほど大きな病や怪我の人間もいなかったが、聖女を名乗れば歓待された。
 一人だけ偽聖女の手には負えないほど重病の患者を、セルセラは村人に気づかれないよう代わりに癒す。
 偽聖女が後で驚いた顔で尋ねかけてきた。
「あ、あの、ターリアさんも治癒術を使えるのですか……!?」
「ああ」
「お強いので、私てっきり戦闘をする星狩人の魔導士の方かと」
「星狩人は、癒し手でもこのぐらいは戦えないと話にならないからなあ」
 事実である。別にセルセラ程の魔導士ではなくとも、星狩人の癒し手は今回の旅に出現した魔獣ぐらいなら苦労の程度差はあれ必ず討伐することができるはずだ。
 それを聞き偽聖女の顔がほんの少し曇る。
「私は治癒術を持っていることが、数少ない取り柄です。でも……世界は広いのですね」
 相手が今まさに名を騙っている“セルセラ”とは知らぬまでも、目の前にいるターリアを名乗る星狩人の方が、治癒術師としても自分より上だと理解したのだ。
「そうだな。強い奴も優れた奴も、一つの大陸から出たこともない狭い経験の中だけだと信じられないぐらい大勢この世界にはいるんだぜ」
「……そうですね。青の大陸は信仰を重視する風潮により、星狩人協会が少ない。知っていたつもりでした。でも、実際にこの目で皆さんの活躍を見てしまうと……」
 彼女は彼女なりに、今回の出来事を通じて出会った星狩人一行の実力を見て、考えることがあったようだ。
「私はやはり、間違っていたのでしょうか。最初から星狩人協会に依頼をしていれば良かったのでしょうか?」
「それはまだわからないぜ。あんたは、自分で姉さんを救うって決めたんだろう? ……途中で投げ出す気か?」
「いいえ!」
「良い返事だ。なら今はとにかく先へ進もう。ほら、そろそろ飯だ飯!」
 乳母のショードヒルドがこの土地特有の海獣の肉を使った料理を作るのを、基本的に料理好きのセルセラは上機嫌で手伝いに向かった。

 ◆◆◆◆◆

 順調な旅路に暗雲が立ち込めたのは、青の大陸では大き目の都市ブラッタリッドでのことだった。
「……血の臭いがします」
「立ち込めるってほとじゃないが、これは数日前に大きな襲撃があった感じだな」
「ああ」
 五感に優れるタルテが街に入る前から臭気に気づき、様子を遠目に伺ったボークとイステラーハの顔も険しくなる。
「え!?」
 セルセラは箒の上から偽聖女を振り返った。
「出番だぜ、“聖女”様。今日はどうやらこれから忙しくなりそうだ」
 街の中は幾つもの建物が瓦礫となり果てていた。それを避けて歩く人々は疲れ切った顔をしている。
 人の数自体が少ないと思ってその辺りに立っていた警備兵に尋ねてみれば、確かに三日ほど前に魔獣の大規模な襲撃があったらしい。
 それほど強い個体はおらず街の警備兵たちが奮戦して魔獣の集団を退けたが、それでも大規模な魔獣の軍勢の襲撃で夥しいほどの負傷者が出た。
 幸いにも死者は出ていないらしいが、それも時間の問題という感じらしい。直接的に死んだ人間がいないというだけで、重傷を負った者の中にはそろそろ峠の者も多いという。
「教会の治癒術を使える聖職者たちが駆けずり回っている。だが絶対的に人手が足りないんだ」
「傷病者はどこに集められている?」
「城の中だ。領主エイリーク公が場所を提供している」
「案内してくれ。僕らは旅の聖女一行だ。怪我人を癒そう」
「何!? それは何たる僥倖! 頼んだ、皆を救ってほしい!」
 セルセラたちは警備兵に案内され、ブラッタリッドの領主館へと赴く。
「これは……」
「なんて酷い……」
 普段は美しく穏やかな雰囲気を持つ洋館であろう領主館は、今は血と消毒薬の臭いと忙しなく行き来する足音、そして時折聞こえてくる呻き声に満ちていた。
 セルセラは室内の状況に目を走らせ、並べられた負傷者たちの状況を整理して偽聖女一行に指示を出す。
「あんたたちはここの人たちを順番に治療してやってくれ」
「は、はい!」
 偽聖女は言われるがまま、この中では比較的怪我の軽い者たちを癒し始める。
「あの、ありがたいのですが、奥にもっと重傷なものたちが――」
 領主館に努めているのだろうメイドの一人が、もどかしさを抱えた表情でセルセラに訴えた。
「わかっている。すぐ僕が行く。案内してくれ。ボーク、イステラーハ、こっちは任せた」
「了解」
「お任せください」
「ターリア、私はすでに治療を担当している教会の方々から詳しい話を聞いてきます」
「頼んだ、タルテ」
 そしてセルセラは、できるだけ怪我の重い、今まさに命の危機に瀕している者たちが集められた一角へと向かった。

 ◆◆◆◆◆

 偽聖女一行が名乗ったのだろう。領主館は聖女が来たという噂で騒めき始めた。
 セルセラはそれを聞きながらも自分の治療に専念する。
「ほら、もう痛いところはないだろう?」
「助かった……本当に助かった……ありがとう、ありがとう」
 深い傷、鎮痛剤も追い付かない痛みに数日悩まされていた患者たちは口々に礼を言う。
「あんたは何者だい?」
「今の僕は誰でもないのさ。さて、これで全員治療し終えたか?」
 室内には様々な苦痛が満ちていた。魔獣から負わされた傷が深すぎる者は、聖職者の治癒術でも回復が追い付かずに苦しみ、比較的怪我の軽いものは、それでも痛む傷をもっと重傷の患者を優先的に癒すために我慢させられる。
 患者の怪我の重さや治療した人数の多さは当然セルセラの方が上だが、偽聖女が治療している人々もここ数日苦しんでいたことに変わりはない。
 この状況なら素直に治癒師が二人いて良かったと言えよう。
「凄い腕ですね……あなた様は、なんでも癒せるのでしょうか?」
 セルセラの治療を近くで見ていた、もともとこの街に住む聖職者の一人、フェニカ教修道院の尼僧が縋るような眼で見つめてくる。
「どうした、まだどこかに患者がいるのか?」
「治療自体は、もう終えています。私たちの治癒の腕では、どうやってもあれが限界でした。今のところ、予後も決して悪くはありません。――でももしかしたら、あなた様なら、あの方々も救えるのかもしれません」

 ◆◆◆◆◆

 尼僧に案内され、セルセラは屋敷の奥の人通りが少ない区画へと足を踏み入れる。
「あら、どなた様?」
「奥方様……この方は旅の治癒術師様だそうです」
 案内されたセルセラは、どうしてここだけ他の患者たちと離されているのか理解した。
 老婦人のドレスに隠された足の部分、そして寝台に半身を起こした少年の左腕。

 ――在るべき場所に、在るべきものがなかった。

 真新しい傷口には、まだ血の滲む包帯だけが丁寧に巻かれている。
 瓦礫に潰されたり魔獣の攻撃で使い物にならなくなった体の一部を切断した患者たちが、この部屋には集められていた。
 傷口の処理自体は、腕のいい医師や法力使いたちが行ったのであろう。老婦人も少年も、寝台で眠っている数名も今の体調自体はそれほど悪くはなさそうだ。
 だが己の手足が失われたという現実は、肉体の痛みを差し引いても恐ろしい喪失感をもたらす。様々な事情を鑑みて、他の重傷者たちとは別の部屋にされたのだろう。
「我々の腕ではここまでが限界でした。あなた様なら、もう少しなんとかできないでしょうか」
「あらまぁ、そんな無茶なお願いを……」
 老婦人はどうやら領主の身内らしく、奥ゆかしい物腰ながらも市井の人々とは一線を画した品を持つ。
「でもそうね、年老いた私はまだしも、この坊やたちにはもっと良い治療を受けさせてもらいたいわね」
「あの……僕、大丈夫だよ! こっちの腕はまだ利き腕じゃないからなんとかなるって! それより、もっと傷の大きい人たちが、今も苦しんでるからって!」
 まだ薄く血と消毒薬の臭いが漂う室内で、彼らは健気にそう告げる。
 今は街全体が大変な時だとわかっているのだ。十にも満たぬ少年まで。
 腕を、脚を、切り落としてでも生き延びられただけ良いのだと。
 清潔だが薄暗い室内で、無理をして笑って見せる彼らの顔は貧血気味で白い。
 寝台に眠る男たちは屈強で、街の警備兵なのだろう。切断した手足だけでなく鍛えられた腹や背の傷も深い。
 鎮痛剤が切れたら襲う激痛も、明日への不安も。
 怖くないものなど、いないのに。
 セルセラは老婦人と少年にゆっくりと歩み寄り、そっと二人の手を取った。
「我慢しなくていいんだ、もう」
「え?」
 そしてその口から、ただの優秀な魔導士では使えない文言――創造の女神への祝詞が零れ落ちる。
「――偉大なる我らの神よ、我が祈り聞き届けたまえ。我は伏して奉り、御身の慈悲を希う――」
 自らが傷つき苦しみながらも他者を思いやる、その心の美しさに依って、どうか。
「彼らに欠けたるものを返したまえ」
 白い光が二人の傷口に、蛍のように静かに集まっていく。
「あ……あ……まさか……!」
「おお、神よ……!」
 セルセラが知らなくとも、神様は知っている。
 彼らの失われた手足の記憶を。
 元の手足と同じではないが、同じ。寸分違わずそっくりなものを、返してやれる。
 ――六の魔王のせいで一度死んだことをセルセラは恨んでいる。
 だが、その過去があればこそ、この力が使えるのだ。
 運命、自分の過去を受け入れざるを得ないと思うのはこういう瞬間だった。
 生贄術師は自らや他人の一部を捧げて創造の女神に希い奇跡を行うもの。
 最初の一人が女性だったため、彼女たちはいつしかこう呼ばれるようになった。

 聖女、と――。

「まさか、あなたは“聖女”様なのですか……!?」
 光が止んだ時、老婦人には両の脚が、少年には左腕が戻っていた。
 セルセラをここまで案内してきた尼僧も、さすがに失われた手足の復活までは想定していなかったのか、まさに神の奇跡を目にしたように驚いている。
 老婦人は恐る恐る両足で立ち上がり、少年は己の左腕を何度も握ったり開いたりしている。
 寝台で寝ていたはずの男たちも目を覚まし、驚いてその光景を見ていた。
 驚き顔の尼僧にただ微笑んで返したセルセラは、同じように手足を失った彼らに呼びかける。
「さ、次はあんたたちの番だぜ?」