第4章 あなたは祈りの姿をしている
083.シェヘラザードの子守唄
「本当に、感謝の念に堪えません」
ブラッタリッドの領主エイリークは、魔獣に破壊された領地の視察から戻ってすぐに一行の前で深々と頭を下げた。
これだけ大きな街の領主に低姿勢に出られて、偽聖女の一行は少しばかり動揺する。
それでも最高の“聖女セルセラ”たるもの、堂々としていなければ。
偽の聖女はそう意識して微笑みを作り続ける。
正直を言えば、体調は思わしくない。先程から軽い眩暈が続いている。
貴族と言えば貴族だが、ブラッタリッドよりも小さな田舎町の領主の娘である彼女は、今日のように大勢の怪我人を癒した経験はなかった。
埃っぽい室内を埋め尽くす血の臭いに気絶したくなるのを堪えながら、何時間も治癒の力を使い続けた。
そのおかげで怪我を治した幾人もの人々から感謝され、偽りの聖女とはいえ、自分にも何かができるのではないかと考えることができた。
体は辛いが、襲撃で負った怪我に苦しむ多くの人々を救えて良かったと思う。
しかしそんな偽聖女の一同は、次に続いた領主エイリークの言葉に酷く驚くことになる。
「特に、聖女ターリア様。あなたのお力で両脚を失った我が母や、街を守るために犠牲となった警備兵の多くが救われました」
“聖女”。
「ターリア」と名乗った少女は、聖女の知り合いではなく彼女自身もまた“聖女”だったのか?
驚愕の叫びをあげることをなんとか我慢して笑顔を取り繕っている彼女たちを横目に、領主エイリークと星狩人ターリアの話は続く。
「息子として、領主として御礼を申し上げます」
「気にするな。目の前に怪我した奴がいれば治すのは当たり前のことだろう? もし礼を言うなら、この“聖女セルセラ”様にな。僕は今回、たまたまその旅にくっついてきただけだから」
自分たちが人々の怪我を癒している間、星狩人たちもあちこち動き回っているのは知っていた。
ボークとイステラーハは襲撃で人数が足りなくなった警備兵の代わりに再度の襲撃警戒や治安維持のための哨戒を手伝っていたようだが、ターリアやタルティーブは領主館の比較的奥の方を行き来していたらしい。
「それより領主様、あんたも少し休んだ方がいいんじゃないか? 怪我人もそうだけど、怪我人の代わりに働きづめだった人たちもそろそろしっかり体を休めた方がいいぜ。でないと今度はそっちが倒れちまう」
「私の憂いは、まさしく母の脚や憐れな少年の腕、負傷した警備兵の将来のことだったので、あなた様が取り払ってくださいました。今夜は久しぶりによく眠れることでしょう。……けれど、そうですね。そろそろ襲撃以来、傷を負っていないからと寝る間も惜しんで日常の作業や看病に明け暮れていた部下や教会の方々を休ませねばならない」
「僕たちはあと一日、二日はこの街に留まるから、なんなら明日は全員一日休みにしてもらって構わないぜ」
「お心遣い、本当にありがとうございます。隣の都市に要請した応援が来るまで二日かかるので、その間は星狩人の皆様のお力を借りてよろしいでしょうか?」
「ああ、明日明後日は僕らが警護を代わろう。ゆっくり休め」
まだまだ襲撃の事後処理に忙しい領主が去ったあと、偽聖女たちは星狩人たちの方を見つめる。
「どうした? あんたたちも今日は疲れたろう? あんな大勢を治した経験は初めてだったんじゃないか? 夕食は部屋に運んでくれるそうだから、ゆっくり休みな」
「ターリア様たちは……」
「僕たち四人は、夜警を交替してくる。警備兵もそろそろ体力的に限界だろうからな。普通の人間は夜ぐっすり寝て朝日と共に起きた方が体の調子がいいんだ」
「ま、俺ら星狩人は鍛えてますから一晩二晩の徹夜ぐらいは軽いですがね」
ボークはこれからが本番だと言わんばかりに軽い伸びをした。
「怪我人の大半が家に帰れるようになったので、家族と過ごしたいものも多いでしょう。我々は襲撃自体には対処していませんし、体力も有り余っていますからちょうどいいでしょう」
「これだけ動き回って体力が有り余ってるだと……!?」
「当然です」
恐れおののくレーフにタルテが澄まし顔で頷く。
「よっぽどの内容でなければ、今日気にかかったことは明日の朝報告し合おう。じゃあな。お休み」
お休みと言いながら、ターリアたち自身は夜警の手伝いに向かう。
「……お嬢様」
乳母のショードヒルドがそっと呼び掛けてくる。気まずい顔をしたレーフも神妙な表情のソルヴァルドも、気持ちはみんな同じようだった。
偽の聖女は頷く。
きっとこれ以上、気づいてしまった真実から目を逸らすことは許されない。
「明日、あの方々に全てをお話しましょう」
◆◆◆◆◆
翌日、夜警から帰って二時間ほどひと眠りしたセルセラたちは、偽聖女一行に改まって呼び出されたのだ。
「どうした?」
「……我々が、何故“聖女セルセラ”様の御名を騙るような真似をしたのか……すべてをお話ししたいと思います」
「ようやく話す気になってくれたか。それで、どういうことなんだ?」
彼女たちが何かを隠しているのには勘づいていた。けれど自ら話す気になるまでは待とうと決めていたセルセラたちは、落ち着いてそれを受け止める。
目的地へ魔導で一気に飛ばず、馬車を使ってゆっくりと移動していたのは、こうした気持ちの整理をつける時間が偽聖女一行に必要だったからだ。
「……ターリア様は、以前我々は聖女セルセラ様と面識がないはずと仰いましたね。けれど私たちは故郷で、『聖女セルセラ』を名乗る人物に会った事があるのです」
セルセラは口をへの字に曲げながら尋ねた。
「その『セルセラ』はどういう感じの聖女だった?」
「黒髪に黒っぽい瞳をした、今の私と同じぐらいの年齢の女性です。五年前のことでした」
「偽者じゃないですか」
タルテがばっさりと言い切る。
十代二十代の女性の年齢など案外なんとでもなるものと考えても、その条件は明らかにセルセラではない。
明るい緑色の髪のセルセラが髪を染めて変装することがあっても、地毛から遠い黒にはそうそう染めない。どちらかと言えば金髪や水色に染めることが多い。
イステラーハとボークが溜息をつく。
「ま、正直そんなところだと思いましたよ」
「セルセラ様ご本人を知っているにしては態度が変だし、かといってまったく知らなかったものとしても選ばない選択だったからな」
“聖女セルセラ”に対し彼女たちは何かを知っている。けれどその何かが、本物セルセラとは結びつかない。
予想される話のオチとしては妥当なところだろう。
「で、その『偽セルセラ』は何をしたんだ?」
「……父上の領地で、『聖女セルセラ』を名乗って色々と融通させる見返りに、領内の軽い病人を癒していきました」
「けどあの女! 無駄に態度は偉そうだし俺たち使用人に対してはあからさまに見下してきやがったんです! 領主さまにだけ媚びを売って!」
レーフが憤慨する。反応が激しいのは彼だが、ソルヴァルドやショーズヒルドもその「偽セルセラ」のことを思い返そうとして自然と眉間に皺を寄せている辺り、余程鬱憤が溜まっていたのだろう。
「それであんたたちは、その『聖女セルセラ』に反発を覚えて今回、その名を利用することを考えたわけか」
「! ……っ、はい」
悔し気な、けれどどこか申し訳なさそうな複雑な表情になりながらも、今の偽聖女ははっきりと頷く。
自分の内心を言い当てられた羞恥はあるが、あの時覚えた言いようのない不快感もまた、誤魔化すことはできなかったと。
「あんな女を、人々にとっての憧れである“聖女”となど認めたくなかった。あの女にできるくらいの治癒術は私も使える。だから私は……私は……」
あの程度の聖女でいいならば、自分にだってできると思った。思ってしまったのだ。
「は~~、なるほどね~」
「まぁ、気持ちはわからんでもないですよね」
「俺たちだって、星狩人協会のトップがいきなり下品で怪しい男になったりしたら嫌だ」
「それが自分よりも弱そうな相手なら、確かになおのこと腹が立つでしょうね」
一通り経緯を聞いた星狩人たちは、明らかに態度が悪くかつ実力不足の相手に従えない気持ちには共感を示す。
他者の名を騙るのは悪いことだが、自分も似たような事象を前にしたら似たようなことをしないとは言い切れない。
そうしたくなる、その感情を咎めることはできないだろう。
「ではあなた方は、今回何故……自らの間違いに気づいたのですか?」
タルテが核心をつく。そこが一番大事な話だった。
最初に自分が“聖女セルセラ”だと名乗った相手の言うことをただ鵜呑みにしているだけならば、一生それを信じて生きていくことだってできただろう。彼女たちの知る“セルセラ”に反発し、内心で蔑んだままこの場を乗り切ることだって出来たはずだ。
偽聖女は、今頃になってその間違いに気づいた。
どうして、間違いに気づくことができたのか。
「ターリア様が……」
「ん? 僕が?」
他でもない“セルセラ”本人だが、まだそのことに気づかれた様子はない。この場で自分が呼ばれるとは思わなかったセルセラが「ほけ?」と間抜けな顔をする。
「ターリア様がこの街の領主様に“聖女”と呼ばれた時、わかったのです。……あなたはきっと、自分から聖女だと名乗ったわけではない。ただ人を救い続けて、だから自然と人々から“聖女”だと尊崇されるのです」
彼女たち自身も偽者に騙されていた。本物の聖女を知らない一行は、この旅で本物を見たことでようやく気づいたのだ。一番大きな間違いに。
“聖女”とは、そう名乗るから“聖女”と呼ばれているわけではない。
誰かを救ったから、相手にとって“聖女”と呼ぶに相応しい存在だと認められているのだ。
自ら名乗らずとも、聖女が聖女であるならば、誰かがいつかそう呼ぶ。
それは例えセルセラでなくても同じこと。
「……ようやく気付いたのですね」
「はい。私はきっと、そのせいで本物の聖女セルセラ様の偉大さも、彼女に向けられた様々な人々の純粋な想いも、たくさんのものを裏切り、踏みにじってしまった……本当に申し訳ありません!」
自らの意志でセルセラを名乗った偽者の聖女は、深く頭を下げて一行に詫びる。
いつもは不満だらけのレーフもこの時ばかりは主人と使用人仲間たちと共に神妙な顔で頭を下げた。
室内にタルテのこれ見よがしな溜息が落とされる。
「で、どうしますか、ターリア」
「タルテこそもういいのか? 不正に怒っていただろう?」
「怒っていますよ。ですがその裁きは、先に五年前の偽聖女とやらを殺してから考えることにします」
「なんでもかんでも殺さんでいいから、できれば詐欺に対する実刑は奪い取った金銭の回収辺りにしてくれ」
今度はその怒りをセルセラも止めなかった。殺すより金を回収して欲しいが、まあ欲望のために天上の巫女を偽称する輩は正直死んじゃってもいいかな……ぐらいは思うのださすがに。
「僕たちの行動は最初から変わらない。“天上の巫女セルセラ”の望みは、その名の通り聖女として事件を解決すること、これだけだ。星狩人はその意志に従う」
偽聖女たちが“セルセラ”を名乗った理由が明かされ改心も示されたが、だからといってこの一件を途中で放り投げる気はない。
「“天上の巫女セルセラ”と“聖女セルセラ”の名乗りの違いも大事ですよね。“天上の巫女”はただ一人ですが、“セルセラ”は同名異人の可能性があり、その人物が“聖女”であれば条件を満たせるわけですから」
「天上の巫女であるって嘘をつくのは感心できないが、名前はセルセラですと偽名を名乗るだけならまあ誰でもやってることだよな」
「まあそうだな」
ボークとイステラーハは今まさに「ターリア」の偽名を使っているセルセラを眺めながら曖昧に頷く。
「よろしいのですか……?」
最初は不安そうな顔をしていた偽聖女一行は話の流れを理解し、おずおずと尋ねてくる。
「ああ。一度ついた嘘なら最後まで突き通せ。姉さんを助けたいんだろう?」
「……はい!」
「よし」
セルセラはパンっと手を叩き話をまとめた。
「救いを求める人々に対して全体的に聖女の数が少なすぎる。天界はみんな忙しすぎるんだ。だからセルセラの意向としては、多少名を偽ろうがその相手が事件を無事に解決してくれるならそれでいい」
普段から猫の手でも借りたいほどに天上の巫女は忙しい。偽者だろうがなんだろうが治癒師として働いてくれると言うのならば存分に利用させてもらう。
「最後までやろう。あんたには一度名乗った“聖女セルセラ”の名の重みを背負い続けてもらう」
「はい。これ以上本物のセルセラ様の御名を穢さぬよう、精一杯努力させていただきます」
「……言っておくけど、本物のセルセラだって別に聖人君子ってわけじゃないからな」
「それはまあそうですね」
「ああ、うん、はい」
逆に期待が高まりすぎているような気がしてセルセラが釘を刺せば、間髪入れずにタルテ、ボーク、イステラーハが同意する。いやお前らは形だけでも否定しろ。
「え……?」
目を丸くする偽聖女を置いて、セルセラは事の始まりに一番怒っていたタルテへともう一度確認する。
「タルテも、それでいいな」
「……あなたがそれでいいなら、今回は従いましょう」
再度嘆息しながらも頷いたタルテに、セルセラは笑みを返した。
こうして、セルセラたちと偽聖女一行は旅を再開する。
目的地であるバード王国は、もはや目と鼻の先に迫っていた。