神様の思召すまま

3.来る者去る者拾わされる者

「そんなこと言わずに!」
「嫌です」
 刀を向けてくるネリアに背を向けてシェイは自分の荷車のもとへ向かう。こんな茶番には付き合っていられない。
「あなたが戦わないと言うなら、ラウは私のものになるのよ!」
「僕本当関係ないですから。どうぞ好きにしてくださいよ」
 そもそも僕らは男同士だ。運命とか恋とかそんなのありえないと気づいてくれ。
 しかし話はそう簡単には運びそうになかった。いやもともと凄い方向に行っているので今更かもしれないが、嫌な予感と共に振り返って小太刀を抜くと、ネリアがシェイに斬りかかって来る。まさしく間一髪。
「だから僕は本当に関係ないんですってばぁあああ!」
「あなたに関係なくても、ラウがあなたを気にいってるの! だったら私は彼を手に入れるためにあなたを倒す!」
「その前に説得とか金積むとか関係を問いただすとかもっと踏むべき工程があるように思います!」
 いくらなんでも人にいきなり斬りかかって来るのはどうなんだ。
「ネリア! やめろ!」
 元凶であるラウズフィールが止めに入るが、まったく制止にならない。ネリアはかまわずシェイに斬りかかって来る。
「このバカ男はねぇ、私と婚約しているにも関わらず、逃げて逃げて逃げてこんな砂漠くんだりまで逃げて! ようやっと追い付いたと思ったら運命の相手を見つけたですって? そんなの認められるわけないでしょうが!」
 彼女の苛立ちはもっともなのかもしれないが、こちらにぶつけるのはやめてほしい。
 女性に暴力を振るうわけにもいかず、シェイは防戦一方となった。もともと一通りの護身術は叩きこまれたとはいえ、剣の腕で優れているわけではない。
 本当に誰かとめてーという心境なのだが、ネリアは引いてくれない。叩きのめすわけにもいかないが斬られてやるのも御免で、シェイにはどうしようもなくなった。
 そして今の今まで忘れていたが、足場は砂なのだ。ちょっとした手元の狂いでざっと崩れていく。
「うわっ?!」
 シェイは足元が急に崩れたことにより、体勢を崩した。運悪くそれはネリアの攻撃の瞬間と一緒で、受け止めきれなかった太刀筋は見事に急所を狙っている。
 まずい、と思って目を閉じた彼のすぐ近くで金属の触れあう音がした。誰かのたくましい腕が、倒れかけたシェイの背を支えている。
「そこまでにしてくれ、ネリア」
「ラウ!」
 恐る恐る目を開けると、シェイを助けたのはラウズフィールだった。その手に握られた短いナイフが、正確にネリアの刃を受け止めている。もう片方の腕がシェイを抱きしめていた。
 彼はシェイの耳元で、シェイにだけ聞こえるよう小さく囁いた。
 巻き込んでごめんね。
 シェイが砂の上で呆気にとられているうちに、ラウズフィールとネリアの会話は続く。
「もう、やめにしよう。ネリア」
「ラウ、あなた何を言って……」
「私のことは諦めてくれ。何度も言ってるだろう」
 その一言にネリアが傷ついた顔をするのが見えた。けれど構わずにラウズフィールの言葉は続く。
「私は決して、お前と一緒に生きることはない。私に必要なのはシェルシィラの生まれ変わりだけ」
「それはあなたが“ラウズフィール”の生まれ変わりだから?」
 ネリアが静かに刀を引いた。ラウズフィールを睨みつけ、挑むような眼差しで問いただす。
「そうだ」
 シェイにはこのやりとりの意味がさっぱりわからない。かろうじてわかったのは、ラウズフィールは前世でもラウズフィールという名前だったことくらいだ。しかしそれにどんな意味があるのかはわからない。
 わからないことだらけだ。けれどシェイの気も知らず、初対面で男相手に求婚した非常識男はシェイを巻き込んだまま話を続ける。ラウズフィールにがっちり抱きしめられていて抜け出そうにも抜け出せない。
「私が君を選ぶことはない。君と共には生きられない。君は素晴らしい女性だ。それは知っている。でも私は、決して君と神の前で誓いあう気はない。……私はもう見つけてしまったんだ。彼女の生まれ変わりを」
 やっぱり勝手に巻き込まれているシェイの気も知らず、ラウズフィールが真剣な眼差しで見つめてくる。ようやくまともな体勢に抱き起こされたシェイは、いやいやながらもラウズフィールの方を見た。眼差しは真剣だが、今――……。
 シェイは思わず、ラウズフィールの瞳を真剣に見返した。
 ただ顔を見合わせたというには、少し長い時間、それは傍から見れば仲睦まじく見つめ合っているようにも見えただろう。
「……どうしても私じゃ駄目なの?」
 縋るようなネリアの声に、ラウズフィールは冷たく答える。
「ああ」
 小さな風が辺りの砂を巻き上げて行く。それが止む頃に、ようやく彼女は一声発した。
「わかったわ」
 まるでこの日を予感していたとでも言うような、寂しそうな笑顔をラウズフィールに向ける。そして彼女は次にシェイを見た。
「運命の相手なんて信じてなかったけれど、ラウが言うなら本当なんでしょうね。この人はずっと、あなたを待ってた」
 それでも彼女は、もしもラウズフィールの前世の恋人とやらが目の前に現れなければ、何が何でも彼の妻として収まったに違いない。出会えもしない前世の相手など待つくらいなら、その方がずっと幸せだ。
「さようなら、ネリア。今までありがとう」
「……さよなら」
 そして婚約者同士は、静かな別れを終えたのだった。

 ◆◆◆◆◆

 なんやかやでその後シェイはラウズフィールと砂漠を歩いている。
 こんな怪しい身勝手な男とはさっさと離れたいものだが、このルートを通るのならばどうせ行先は一つなので別れるも何もない。それに先程わけのわからないやりとりにいきなり巻き込まれた身としては、後始末として理由を聞く権利くらいあるだろう。
「ネリアは、幼い頃に決められた許婚で……」
 荷車を引くシェイの隣でせめてもの詫びだと一緒に車を引くラウズフィールが、訥々と語り出す。
 彼はネリアを説得している時、シェイに目で合図を送ってきた。どうかこのまま言い訳につきあってくれ。彼女が諦めるよう手伝ってくれと。
 ネリアに対してちゃんと愛情があるように見えるのにあまりにも必死なその視線に負けて、シェイは内心サブイボを立てつつも彼と見つめ合うなどしてしまったのだ。こうなったら訳くらいは聞かせてもらおうではないか。
「私はベラルーダと言う国の貴族の出だ。知っているか? こことは違うけれど、そこも砂漠のある国で……私は昔から問題児でね、いつも周囲に煙たがられていた。そんな私に唯一積極的に関わってきたのがネリアだった」
 ネリアと別れたのはまだ少し前のことだというのに、まるでずっと昔からこうなることがわかっていたとでも言うように、語るラウズフィールの瞳はすでに過ぎ去った過去を懐かしく見つめている。
「私は周囲の人々を不幸にする力を持っている。血を見ると我を忘れて暴れてしまうんだ。これもどうやら前世からの因縁らしくてね。ネリアに対しても巻き添えで怪我くらいならさせたことがある」
 だから一緒にいられなかったのか。一緒に生きることはできなかった。
「……彼女のことが好きだった?」
 ぶしつけとは思いつつもシェイが尋ねると、ラウズフィールは一瞬きょとんとした後に切ない笑みを見せた。
 ああ、きっと。もしも運命とやらが許すのであれば、彼は彼女と一緒に幸せになりたかったに違いない。
 けれど彼はとうとうネリアへの想いをはっきりと言葉にすることはなかった。代わりにこんなことを言った。
「君とここで会って、ちょうど良かったよ。彼女を上手く丸め込むことができたからね」
「……僕が前世の恋人だと言ったのは、本当? なんでそんなことがわかったの?」
 それまで何年もラウズフィールを想い続けたネリアが、何故あの場であんな簡単に引き下がったのだろう。シェイにはそれが不思議だった。シェイはラウズフィールと打ち合わせて名演技をしたわけでもなく、ただそこにいただけだ。
 それでネリアが何か感じるものがあるとしたら、その理由は恐らくシェイではなくラウズフィールの方にあるだろう。付き合いの長いネリアが感じた、彼が持つ確信、真実。まさか自分は本当に――。
 しかしそこで、変態美青年はにやりと笑った。
「え? 何、本気にした?」
 彼は子どもをからかうような目でシェイを見下ろしてきた。こちらが呆然としているのを喜ぶようににやにやとしている。
 シェイはカーッと頬に熱が集まるのを感じた。その熱の名を怒りと言う。
「嘘かよ! じゃあ本当に僕はとばっちりを受けただけなのかよ!」
「そこらの女の子にあんなこと言ったら、それこそ洒落にならないじゃないか」
「男にだって言うな!」
 なんだか一気に気が抜けて、更に怒りが湧いてきた。あれだけ盛大に人を巻き込んでおきながら、全部嘘?! 初対面の人間に前世からの恋人だのなんだの抜かしたのが、全部嘘?!
 馬鹿にしているのも程がある。もう付き合ってなどいられない。それでネリアに斬られかけた僕の緊張感を返せ。
「お前なんか大嫌いだ! 早く僕の前から消えろ!」
「無理だよ。オアシスのある町へは同じ道を通って向かうんだから」
「消えろー!」
 シェイは叫びながら、足元の砂を怒りにまかせて蹴りあげるようにしてずんずんと歩く。荷車の重さですら今は気にならない。
 神殿へのおつかい一日目、こうしてシェイは「運命」どころか、あまりにも性質の悪い男に出会ったのだった。