7.魂の約束
シェイは絵本を読み進める。かつての魔王と姫君の物語を。魔王の名前が最近彼にひっついている傍迷惑男そのままなだけに、どうにも他人事とは思えない。
そして絵本を読み終えて気付いた。
ああ、この話は悲劇だったのだ。
◆◆◆◆◆
「あんたが魔王?」
「お前が……王女?」
砂漠地域一帯を荒らし回る魔王を鎮めるために、ある王国が一人の姫君を差し出した。
王女の命と引き換えに、国を御救いください、と。
否、正確に言うならばその国だけは見逃せということだ。王女一人を犠牲にして。
魔王ラウズフィールは当初、王女のことなど歯牙にもかけなかった。彼にとって人間はどれもこれも同じに見えた。老いも若きも男も女も、皆一様に同じ。みんな変わりない。
血と殺戮を好みながら、自分が何故それを好むかすらどうでも良かった。ただ本能に従って殺すのみ。
国のためにと捧げられた王女は、魔王にそんな態度でいてもらっては困る。自分がここへ来た以上、魔王が祖国への襲撃を止めてくれなければ何の意味もない。
「人の話を聞けってのよ! このすっとこどっこい!」
シェルシィラ姫は、魔王を恐れることもなく、自ら関わろうとする奇特な人間だった。彼女はしつこく魔王に話を求め、魔王に会いに来た。
そして王女は魔王を怒らせ、困らせ、そして笑わせることのできる唯一の人間になった。
「なんだ、あなたも笑えるんじゃない。いつも凍りついたように無表情だったから、笑い方を知らないのかと思ってたわ」
「……お前が愉快過ぎるだけだ。こんな人間見た事ない」
人と魔。捧げられた者と貢がれた者。敵と味方。あらゆるしがらみは二人でいる時には消え去り、いつしかそこには愛と名付けられた穏やかな感情が芽生え始めた。
けれど平穏はまた、強欲と傲慢をも呼ぶ。
魔王が王女を手に入れて油断したと見た王女の祖国が、魔王の勢力に襲撃を仕掛けたのだ。
王女の存在にこれまで知らなかった想いを与えられた魔王は、自身の配下に人間を襲うなと指示していた。我々は戦いを忘れ、穏やかに生きて行こうと。忠実な部下たちは命令をよく守り、武器を手に取ることもせずに死んだ。
多勢に無勢で城を囲まれた時、魔王は自らの敗北を悟った。だがシェルシィラ姫を失いたくはなかった。王に交渉しようとも、王は魔王の話など聞かない。一度は殺されるだろうと思いながら魔王に捧げた娘を今また政略結婚や国の威信として必要だから返せと言う父王に、魔王の話を聞く情などなかったのだ。
王女も国に帰ることなく魔王の傍にいると宣言したが、その願いは聞き届けられなかった。
だから彼女は、自国の兵士の手によって今まさに魔王の首が落とされようとした瞬間自らもまた短剣で胸を突いた。
「ねぇ、ラウズフィール。……私、次に生まれ変わるなら男の子がいいな……」
「シェルシィラ!」
魔王の血を吐く叫びが終わるよりも早く、王女の命が死という名の流砂に滑り落ちて行く。いまわの際に彼女は囁いた。
「そしてね、今度こそあなたを守るの」
王女が息を引き取った瞬間から魔王は僅かな抵抗すら放棄し、さほどの間をおかずに愛した王女の後を追うこととなった。
◆◆◆◆◆
「シェイ! 襲撃だ!」
ラウズフィールの声が聞こえた瞬間には、シェイはもう武器をとり駆けだしていた。
神殿のある町まであと少しだというのに、案の定隊商狙いの盗賊が襲撃を仕掛けて来たのだ。ラウズフィールは商人たちに馬車の中で大人しくしているように指示を出し、先陣切って盗賊へと攻撃を仕掛けている。
――その腕は確かに、“魔王”と呼ばれても納得できるほどに強い。
そんなラウズフィールほど戦いに優れているわけではないが、シェイも武器を相手に向ける。小柄で細身、体力も持久力もあるが腕力はなく、攻撃は重さに欠ける。だからこそ速さと技術を磨いた。
隊商はどうしても荷運びの関係上、縦に長い列を作る。守る立場としては一か所に固まって欲しいのだが、そうも言ってはいられない。この状況で幸運なのは、盗賊連中があまりばらけずに一直線に向かってきているということだろう。
盗賊たちが組織だった動きをしない理由の一つにラウズフィールの存在があった。敵が来たと見さだめた瞬間、彼はシェイに声をかけ商人たちに馬車の影に隠れて伏せるように言い置き、真っ先に走り出して盗賊たちが荷を奪うためにばらける前に攻撃を仕掛けたのだ。
普段はおちゃらけている青年のどこにあんな力があったのか、ラウズフィールの攻撃は素早く正確、そして一撃が重く、一度食らった人間はなかなか起きあがって来られない。
彼は返す刀で二、三人まとめて斬っているため、盗賊たちは隊商を襲いに来るというより、ラウズフィールの攻撃から逃れてこちらに来るような形だった。シェイの役目は逃げる人々の最前線で、ラウズフィールの攻撃から零れた盗賊たちにトドメを刺すことだった。
しかしやはり人数が違う。あちらは数十人の盗賊でこちらの戦闘員はほぼ二人。
残りの敵の数が十人に満たなくなったところで、背後で悲鳴が上がった。シェイは逃げ遅れた女性が盗賊に腕を掴まれているところに駆け寄った。
「放せ!」
「この野郎!」
女性は逃げたが、シェイはその男と一対一の戦闘になった。騎士のように正面から戦うのは、シェイの得意とするところではない。あくまでも奇襲や不意打ちがシェイの戦法だ。さっきまでもそうやって微妙に相手の視界からずれた場所から攻撃を仕掛けたのだ。しかしこの場面ではそうもいかない。
敵の武器は幅広の曲刀、それに斬られる、と思った瞬間。シェイの頬に生温かい液体が降ってきた。
「ラウズフィール!」
「ぐっ……」
いつの間にか傍に来ていたラウズフィールが、シェイを庇って相手に背中を斬られた。それでも攻撃を忘れず、すぐに振り返ると盗賊の腕を斬り落とす。トドメはシェイが刺した。
「ラウズフィール! しっかり!」
「あたりまえでしょ」
慌てるシェイの動揺とは裏腹に、意外にもしっかりした返事がラウズフィールから戻ってきた。斬られるのは初めてじゃないから大丈夫などと、のんびりと非常識な答を返す。
盗賊たちはほとんどの仲間がやられて、引き返すことを決断したようだ。辺りから人の気配がなくなる。
「あー、痛かった」
「何を呑気なことを、早く治療を……! あれ?」
シェイがラウズフィールの傷口を改めて覗くと、そこに傷はない。
「いや~、あっは。実は特殊体質で」
「これって、お前が魔王の生まれ変わりだからなのか?」
絵本で読んだばかりの名を告げると、ラウズフィールの笑顔が凍りついた。場を誤魔化すためのおふざけが剥がれ落ち、真剣な表情になる。
「そうだよ」
「簡単には死なないんだな?」
「ああ。だから気にすることなんて何もない」
その瞬間、シェイはラウズフィールの頭を殴った。
「いたっ!」
「気にするわボケ! 心配くらいさせろよバカ! 感謝すらさせない気なのか?!」
シェイの口調は怒っているが、その顔を確かめたラウズフィールはぎょっとした。銀の瞳からぼろぼろと涙が溢れている。
「さっきだって……お前は僕を庇ったりして……だからそんな傷負うことになるんだよ、このバカ。守ってくれなくたっていいんだよ」
「……私はお払い箱かい? シェイ」
「ちげーよ! お前はちゃんと人の話を聞けってんだよ! このすっとこどっこい! そういうことじゃなくて!」
口調は強がっているが、シェイの眼差しにはラウズフィールが無事で良かったという安堵が溢れている。自分がどれだけ彼を心配したかわかっていない青年に対し、シェイは叫んだ。
「お姫様じゃあるまいし、僕だってお前のことくらい、守れるんだからな!」
――ねぇ、ラウズフィール。私、次に生まれ変わるなら男の子がいいな。
――そしてね、今度こそあなたを守るの。
ラウズフィールは目を見開く。ああ、そうか。
遥かな昔の確かな絆は、今、ここにある。
君に出会ったことは、決して不幸でも無駄でもない。
「無事で良かった。ラウズフィール……」
彼の胸に抱きつき、シェイはとめどなく涙を零す。その華奢な肩を抱きながら、ラウズフィールは心の底から、その言葉を口にした。
「シェイ」
「ん?」
「生まれてきてくれてありがとう」