劫火の螺旋 SS

孤独な玉座、王者の夢想

 話で聞いている分には、砂漠地域の小国の一つなど何の興味も感じなかった。黒い肌を持つ金砂漠の民ならばともかく、より内陸に近い銀の砂漠の民は肌の色も他地域と同じように白く、見た目には帝国の人間となんら変わりないという。
 砂漠地域で特に注意を払わねばならない国は二つ、プグナ王国とベラルーダ王国。注意とは言っても、それなりの注意ですむ。砂漠の中では強国に位置するとは言っても、その二国と南東帝国の国力は比べ物にならない。
 プグナは帝国に敵対的で、ベラルーダは友好的。シャルカント南東帝国皇帝であるスワドにとって、この二国にはそのくらいの違いしかなかった。
 その印象がまったく変わったのは、領土問題でもめる二国に発破をかけるべく友好国であるベラルーダを訪れた時のことである。
 宰相の傀儡であると噂される美しき少年王は、その前評判に違わぬ美貌の持ち主であった。
 艶やかな黒髪に、深いオアシスを思わせる碧い瞳。けれど、その中には仄かな憂いと、底知れない深い渇望を抱えている。
 その瞬間、スワドにはわかったのだ。
 この少年は自分と同類だと。

 ◆◆◆◆◆

「――で、お前はそこまでして何が欲しいんだ? 己が欲望のために身体を売り、自国の安寧まで我が帝国に預けて、それで何がしたい?」
「復讐ですよ」
 事後の心地よい気だるさの中、スワドの胸に頬を寄せてラウルフィカは囁いた。毎日皇帝の本気とも悪ふざけともつかぬ口説き文句を鮮やかにかわす少年王は、その実、初日の宴の後からすでにスワドの寝所に侍っていたのだ。
 衆目の前での振る舞いとは逆に、スワドに積極的に自分を売り込んだのはラウルフィカの方だった。潔癖な美しさを持つラウルフィカの、見た目とは裏腹に慣れた媚びる眼差しを面白いと感じ、スワドは彼が友好国の少年王だということを意にも介さずその身を抱いた。
 穢れを知らぬ純真な花のような風情の少年は、いざ肌を合わせてみれば男に慣れた毒婦の振る舞い。その落差に、スワドはたちまち魅了された。
 だがその魅了と言う言葉は、同じくラウルフィカに入れ込んでいるこの国の貴族、ナブラなどとは全く違った意味だ。ナブラにとっては全身全霊で熱を上げているラウルフィカへの恋情は、スワドにとっては「今現在興味のある、自分を満足させる水準を満たした玩具」の意でしかない。
 そしてそれはラウルフィカにとっても同じことであろう。体は深く繋げても、彼は決して本心は晒さない。
 晒さないからと言って、自分がそれを見破れないとなるとまた別の話となるが。スワドは誰に教えられることなくとも、ラウルフィカの瞳の奥の渇望が、銀髪の魔術師に向けられていることを知っている。
 ラウルフィカがそれをひた隠しにするのが虚勢かどうかはともかく、少なくともこの少年王と皇帝である自分は、そのように薄皮一枚で己の本心をさらさず振る舞うところがとてもよく似ていた。
 薄皮一枚というと違うか、そう、例えて言うなら……胸の内側に穴が空いているような感覚。
 スワドはそのような己を自覚している。ラウルフィカも。だからスワドはその穴を埋めるべく煌びやかな宝玉や趣の違う異国の美姫の数々、歴戦の猛者との戦いや貴族をやり込める駆け引きなどで満たすべく生きている。
 だが、ラウルフィカは。
「私の復讐のためには、この国自体を揺らがすことも躊躇いません」
 麗しき少年王の笑みは不思議な儚さと鮮やかな毒を湛えていた。その可憐な唇が物騒な言葉を吐き、白い手が瞼に触れて血の色の夢を見せる。
 ラウルフィカはスワドとは正反対に胸の奥の穴を、まるで自ら広げるために生きているように思えた。
「そうか」
 スワドは胸にもたれるラウルフィカの腕を引いた。バランスを崩して倒れかかったところを抱き留めると、顎を持ち上げて深く口付けする。
 迷う素振りもなく接吻を受け入れるラウルフィカの冷めた睫毛。
 それを見下ろす自分の冷めた瞳。
 身体は熱く燃えていても、薄皮一枚その下は酷く冷めている。まるで氷のように。
 その氷の下に、スワドは何も持っていない。ラウルフィカはその薄氷の奥に、更に炎を抱えている。
 その炎はいつか氷を溶かし、彼自身を燃やし尽くしてしまうだろう。
 冷めた口付けを交わしながらスワドは思う。自分が見たいのは、それなのだろうかと一瞬考える。だが、何かが違う。
 唇を離して僅かに距離が離れると、近すぎて見えなかったその美しい顔が良く見える。
 底知れぬ虚無を抱えた碧い瞳がスワドを映す。彼の瞳の中には自分が映っている。その自分の瞳の中にはやはり彼が映っている。冷めた眼差しは無限に連鎖する。
「穢れた王の坐す穢れた玉座しか存在しない国ならば、いっそ滅んでしまえばいい」
 そして誰よりも、お前自身が滅びたいのだろう。

 ならば、それをさせまいと私は策を弄する。

 騎士の手で引きちぎられた服から覗く白い肩に、商人の息子がつけた赤い花が鮮やかに咲いている。淡い色の花を思わせる少女のような可憐な容貌のあの少年は、その実ラウルフィカ以上に裏表の激しい毒花だった。
 けれど、彼に対してはスワドはラウルフィカに感じるような熱は覚えない。あれは少年の成りをしていても、その中身はスワドにも引けをとらない雄々しい男だ。危うげもなく罠を張り巡らせる蜘蛛であり、そこに囚われもがく蝶にはなりえない。
 商人の息子の嗜虐的な独占欲の果てにラウルフィカはついに彼自身のものでさえなくなった。レネシャが上機嫌で、カシムが歓喜と罪悪感の入り混じった表情でその部屋を去った後も、スワドだけは空ろな瞳を空に彷徨わせるラウルフィカの傍らに残った。
 項垂れた顎を掴んで持ち上げれば、その拍子に瞳の縁に溜まった涙が滑り落ちた。
 今の彼の目は何も見ていない。
 ただひたすらに虚ろだ。
「どうした? これが望みだったのだろう?」
 お前自身が壊れてしまえば、この国が滅びるのと同じこと。
 復讐が全て終わったと信じ切っていたラウルフィカには完全に不意打ちだったのだろう。この五年間で培った感情の盾も何もかも自分たちは踏み潰して、その柔らかな心を引き裂いた。
 そして流れ出す血の熱さと甘さにスワドは酩酊する。
「全てを壊して、自分自身も壊れてしまいたかったのだろう……?」
 自分とラウルフィカが似ていると最初は考えていたが、もっと自分と似ているレネシャと会ってわかった。それはただの勘違いだと。だってほら、ラウルフィカ相手には、レネシャに対して感じる、あの鏡を見るような嫌悪感を覚えない。
 虚ろな瞳のままのラウルフィカをスワドは優しく抱きしめる。
 ようやく手に入れた。こうまでしなければ手に入れられない。お前はきっとここまでしなければ、私の手の中には堕ちて来ないだろう。
 美しい蝶を手に入れたくてその脚を毟り、翅をピンで留めて標本にしなければ自分のものにできない。そういったところが、スワドとレネシャはよく似ていた。それ故に胸の穴がいつまでも埋まらないとわかっていても、そうした自分を変えることができないところも。
 腕の中に納まる華奢な体を抱き、もつれた髪を手櫛で簡単に梳いてやる。ラウルフィカの唇が何かを呟いたのに気付き、スワドは耳を近づけた。
「――」
 ああ、わかっていたさ。お前が誰を愛しているかなんて。
 小刻みに震えだす体をそっと包んでやる。胸に熱い滴が染みた。
 どんなものでも手に入るのに、本当に欲しいものを欲しいと言えない。それだけは私とお前、本当に良く似ていた。
「それでもいいんだ。私は」
 腕だけは優しく少年を抱きながら、いつもの通りに冷えた胸でスワドは微笑みを浮かべる。
 餓えることには慣れている。渇望こそ我が人生。
 決して満たされることはない。満たされることを望みもしない。
 この世界に『王』は私一人でいいのだから。

 了.