劫火の螺旋 01

2.服従

 ベラルーダの王子、ラウルフィカの自我はそもそも酷く曖昧なものだった。
 有体に言えば気弱ということだろう。たった一人の世継ぎの王子として育てられはしたが傲慢になりすぎることもなく、むしろ穏やかで争いを好まない大人しい気性の子であった。
 誰かを蹴落としてまで欲しい物や、相手も自分も不愉快になりながら通したい意地などまるで持っていなかった。生まれながらにいずれ全てを与えられることが約束されていた王子は、他人を羨み、ましてや恨む感情など知りもしなかったのである。
 有頂天になれるほど才能豊かではなく、卑屈になるほど無能でもなく。「普通」に「優秀」な子ども。それがラウルフィカ王子。人々の期待を裏切るほど愚かではないが、けっして周りの度肝を抜く破天荒な存在にはならぬだろうとも予想されていた。
 あまりにも理想的であり、だからこそ言いかえれば王子としては凡庸で個性のない人物。ラウルフィカはそういう少年だった。
 そう、この時までは。

 ◆◆◆◆◆

 五人の男たちに代わる代わる抱かれた後二日間、ラウルフィカは寝込むこととなった。
 彼の様子を診た医師は、両親を亡くした心労が今頃やってきたのだろうと告げた。先王の葬儀を終えて、一般市民は喪に服すのをやめて国内が落ち着いてきた頃。一気に疲れが出ても無理はない、と。
 その医師はゾルタたちとは無関係だった。だから、ラウルフィカの体中隅々まで診察したわけではない。他に明らかな理由が見当たらなかったためにそう結論づけたのだろう。
 その日の午後、今度はゾルタが別の医師を連れて来た。全ての事情を知る医師は、何も言わずにラウルフィカの身体に処置を施した。
 何人もの人間が見舞いと称してラウルフィカの下に来た。話の合間にラウルフィカは、例の五人の噂について聞いた。
 二日経ってラウルフィカはようやく寝台から起きあがれるようになり、玉座のある謁見の間で彼は正式に宣言することとなった。
 宰相ゾルタをはじめとする代表者たちに、自らの権力の一部を譲りわたすことを。一部とは言いつつも、これでラウルフィカ自身は実質的に宰相たちの傀儡となることを宣言したも同然だった。

 ◆◆◆◆◆

 ラウルフィカは名実共にベラルーダ宰相となったゾルタの部屋へと向かっていた。
 王宮に仕える高官の一部には、王宮内に専用の部屋があるのだ。ゾルタももちろん、王宮内に一室を与えられている。起きあがれるようになったら部屋へ来るようにと命じられていたのだ。
 唇をきつく噛みしめ、ラウルフィカはゾルタの部屋へと向かう。途中険しい顔をする彼に声をかけてくる者もいたが、実はまだ気分が悪いなどと言って誤魔化した。
 気分が悪いのは本当だ。それが身体的なものではなく、本当に精神的な気分であることが問題だった。
 まだ幼さの残る国王を迎えた宰相の部屋は、下品ではなく豪奢に飾られていた。動かしにくい大きな調度品は今も昔も価値の変わらない名工の手によるもので、小物には最近の流行を取り入れている。
「いらっしゃいませ、国王陛下」
 ゾルタは応接用のテーブルの方で酒を飲みながら主君たる国王を迎えた。ラウルフィカは無礼な態度に内心怒りを感じながらも、表面上は無言を貫く。
「こんな夜に、堅苦しい格好ですね」
「そうでなければ、私は相当の無礼者と見られるだろうな。もしくは、お前と何か怪しい関係でもあるのかと疑られる」
 ラウルフィカの返答に、ゾルタが口角をあげた。
「それでいい、陛下。あなたは適度に小賢しくあれば」
 ゾルタはおかしそうに笑う。
「聡明なラウルフィカ様、あなたはわかっておられるのでしょう? あなたが我々を告発したとしても、誰のためにもならないことを。そう、あなたのためにすら」
 ラウルフィカはゾルタを睨んだ。
 そう、憎らしいことに彼の言うことは正しい。最年少のザッハール以外は皆、自力でその地位を築き上げた国内有数の権力者。有能なのはもちろん、周囲にはどこまでも善人の仮面をかぶり続け信頼を得た人物たちだ。
 ラウルフィカはこの二日間、見舞いに来た貴族や使用人たちなどから彼らの評判を聞いたのだ。返って来る答は「良い方です」との言葉ばかり。正確に言えば商人のパルシャは強欲で一部には煙たがられ、魔術師ザッハールもおちゃらけた態度が鼻につくと目上にはとことん嫌われているようだが、後の三人は突き崩す隙がない。
 特に宰相ゾルタと公爵ナブラの両名は表向き完璧な人間を演じていた。誰に語らせても、この二名の評価は覆らない。貴族社会で生きる彼らはそれほど慎重に己の名声を築き上げて来たのだ。
 まだ十三歳の、他者の才能と比肩できるほど突出したものを持たない少年王如きが対抗できる人物ではない。
 今ここでゾルタたちが実は悪人だと声高に訴えれば、権力者の座から放逐されるのは彼らではなく自分の方だろうと、ラウルフィカは王国の現状を正確に理解した。
 性格がどうであれ、ゾルタたちが有能なのは間違いない。今ここで彼らを排斥して、その後ラウルフィカに何ができるというのか。彼らの代わりに真面目に国政をとる者を選出することすら、ラウルフィカにはできない。
 無力だった。絶望的な程に、今のラウルフィカは王として無力だった。
 ゾルタたちに従わないのならば、素直に自害するくらいしか穏便な方法は存在しない。
「あなたは大人しく、私たちに従えば良いのです。そうすれば、悪いようにはしない」
「あんなことをしておいてか」
「あれは遊びですよ、殿下」
 わざとラウルフィカを殿下――王子時代の敬称で呼び、ゾルタは無知な子どもに言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「あなた様はこの先いくらでも、人に対して頭を下げねばならぬ場面がある。表向き国王と臣下という立場であっても、裏で謝罪を強いられることもある。それができねば、問題を大きくするだけのことも」
 ゾルタは立ち上がりラウルフィカの前まで来ると、顎を掬うようにして持ちあげた。僅かに仰のかせて、視線を合わせる。
「あなたは美しい」
 これほど言われて嬉しくない褒め言葉もないとラウルフィカは思った。
「あなたは美しい。そして王だ。この二つが揃えば、あらゆる者が機会こそあればあなたを屈服させたいと願うでしょう。あなたが泣いて哀願する姿は、どんな極上の美酒より相手を酩酊させるのです」
「腐っている……!」
「大人の世界とはそういうものです。しかも哀れなことに、あなたにそれを拒む権利はない。むしろこの時点で我らにしっかり教え込まれた方が、のちのち引き裂かれる傷が浅くて済みますよ」
 ラウルフィカの顎から手を離し、ゾルタは再び先程の席へと戻った。そしてもう一杯、杯に酒を注ぎながら言う。
「それでは、私と遊んでいただきましょうか、ラウルフィカ陛下」
「調子に乗って!」
「あなたに拒否権はないのですよ」
「そうして、貴様らは私を壊すのか?」
「まさか」
 いよいよ哀れなものを見下す目で、ゾルタがラウルフィカを見る。
「完全に壊れてしまっては意味がない。あなたはどこまでも正気のまま、私たちに服従するしかないのです」
「なるほど。それが貴様らの一番の腕の見せどころというわけか。私に首輪をつけてどこまでも従順な犬のようにしつけると」
「良いお答ですよ、陛下」
 ゾルタは不意にベルを鳴らし、使用人を呼び寄せた。
「例の物を」
「こちらになります」
 手際良い奴隷の一人が差し出したものに、ラウルフィカは訝しげな顔をした。あれは何だ?
 腕環に見えるが、それにしては長さを調整する留め金が見あたらない。それなくして着脱できる仕組みにも見えない。
「あなたが口にした通り、これは首輪ですよ、陛下」
「何……」
「本当に首につけては寝苦しいでしょう。ですから、腕環にしました。ここにある文字が読めますか?」
 その文章を読んだ途端、ラウルフィカの頭が瞬間的に沸騰する。
 よりにもよってそこには艶麗すぎて読みづらい飾り文字の古文で、ラウルフィカがゾルタの所有物だなどと書かれているではないか。
「ふざけるな。こんなものをつけられるわけがない!」
「何度も言わせないで下さい。あなたに拒否権はありません。それともここから逃げ帰りますか?」
 杯を飲みほしながら、ゾルタは気だるげに言う。
「本音を言うと、パルシャ以外の者たちはこの国の権力などにさほど興味はないのですよ」
「どういう意味だ」
「我々はさほど真面目に生きているわけではありませんので。一族の発展にもこの国の平穏にも自らの進退にも興味はありません。死刑になりたがるほど捨て鉢ではありませんが、蟄居命令程度ならありがたく受け取って領地で自堕落な生活に耽る方がよほど楽で楽しいですよ。ですからあなた様がもしも本気で私たちを放逐しようと、私は嘆きも悲しみもしません」
 それがどういう意味なのか、ラウルフィカにもわかる。
「そう、国王陛下。この関係の鍵を握るのはいつだってあなたの方なのですよ」
「くそっ」
「私にはあなたのもたらす権力など必要ない。ですが、あなたには私の力が必要ではありませんか?」
 今ここでソルタに去られて困るのはラウルフィカの方なのだ。ゾルタはそう告げる。
「権力に興味がないのではなかったか?」
「権力に興味はありません、ですがあなたに興味はある」
 ゾルタは暗く笑う。
「あなたが私の足元に犬のように身を投げ出して服従する姿が、私を酷く高揚させる。そのためならば、私はこの国の宰相として君臨するのも悪くはない」
 目の前で苦悩する単純すぎるくらいに純粋な王子、いや、少年王が愛しい。この愛しさは、翅をもがれて死に向かうだけの小さな虫に対するような愛しさだ。
 玉座が手に入りそうで入らない、世襲宰相というむず痒い位置。しかも仕えるべき主君はこれほどに子ども。それがゾルタを苛立たせる。主君によく仕えよという父の言葉が鬱陶しくて仕方がなかった。こんなガキに仕えて何になる。
 そして彼は閃いたのだ。従うのが嫌ならば、従わせればいいのだ。そしてこの少年王自身の口から、どんな屈辱を与えられてもゾルタの力が必要だと言わせればいい。
 そうすれば長年の鬱屈は晴れる。ゾルタはそう考え、今度の計画を決行した。
 ラウルフィカは美しい。この美しい少年王を屈服させ自らの下に組み敷くのは、どんな美女を抱く時よりもゾルタを興奮させる。
 二日前は素晴らしかった。何も知らぬラウルフィカを犯した時のあの快感。きつすぎるほどの少年の身体は、どんな女の名器も敵わないだろう。
「さて、返答は?」
 ゾルタに笑顔で促され、ラウルフィカは歯噛みした。美しい唇が血の色に塗れる様まで艶めかしい。
「好きにしろ」
「言葉が足りないのではありませんか?」
 ラウルフィカの頬が恥辱に赤く染まる。
「わ……私を好きにしろ。好きにしていい」
「――我が君の御命令のままに」

 ◆◆◆◆◆

 ゾルタがまずラウルフィカにしたことは、少年王に首輪代わりの腕環をつけさせることだった。
「あなたがいつでも、私のものであることを忘れないように」
 腕環は溶接して、腕環自体を壊さなければ二度と外れないようにする。
「ああ、本当は首輪も惜しかったのですよ。この白い首を金の首輪が飾る姿はどれほど美しいか。けれど、外せない首輪はさすがに負担が大きいと聞きますからね」
 屈辱的な一文入りの腕環をつけられたラウルフィカは、憎々しげにゾルタを睨みつける。
「首輪は、本物をつけましょう。次にお会いする時のために、最高級の犬の首輪を探せましょう」
 ラウルフィカの青い瞳が、憎悪に燃えた。ゾルタは素知らぬ顔で、次の「遊び」に移る。
「私のことは、ご主人様と呼んでくださいね」
「ゾルタ! 貴様!」
「ご主人様、ですよラウルフィカ。あまり私を苛立たせるようなら私は領地に帰りますよ。私のことをご主人様と慕う可愛い奴隷たちがいる領地に」
 仮にも国王を呼び捨てにし、ゾルタは薄汚い期待の眼差しでラウルフィカが口を開くのを待つ。
 一瞬きつく目を瞑って何かを堪えるような顔をしたラウルフィカは、決意の眼差しで口を開き舌を動かす。
「ご……ご主人、様」
「もう一度」
「ご主人様」
「もう一度」
「ご主人様」
「私の名を」
「ゾルタ様……」
 青い眼差しこそきついものの、ラウルフィカは感情を殺してゾルタの求めに応じる。
「では、服を脱いでもらおうか」
「!」
「さぁ。ご主人様の手を煩わせる気ですか?」
 屈辱に打ち震えながら、ラウルフィカは前合わせの衣装に手をかける。
 肩から布地が滑り落ち、白い肌が露わになる。
「下もだ」
 下半身も下着まで脱ぎ、ゾルタの前で全てを晒す格好となる。
 脱げないのは、外せないのは先程つけたばかりの金の腕環だけ。
 恥ずかしいところまで全て見られて、ラウルフィカの身体が小さく震えている。この男の前で裸になるのは初めてではない。それでも、触れられることもなく裸身を晒し続けるこの緊張状態がラウルフィカには耐えがたかった。
「ふふ。大人しく言う事を聞いた奴隷へのご褒美に今すぐその身体を抱いてあげたいところですが、後ろはまだ回復しきっていないでしょう?」
 ゾルタの指摘に、ラウルフィカはびくりと震えた。彼の手により連れられた医師によって薬を塗られたとはいえ、つい三日前に引き裂かれた場所は回復にはまだ一日を必要とするだろう。
 あの時の痛みを思い出し、ラウルフィカの身体は恐怖に震える。どんなに意地を張っていても、肉体の苦痛はやはり怖い。
「今日は後ろを使うのはやめておきましょう。その代わり、可愛い犬に、ご主人様に奉仕してもらいましょうか」
「奉仕?」
 言葉の意味が、ラウルフィカにはわからなかった。
 ゾルタが衣服の前を寛げる。取り出された彼自身のものを指し、無情に告げる。
「舐めてもらいましょうか」
「え?」
「さぁ、おいで」
 ふらふらと近寄ったラウルフィカを、椅子の前に座らせる。
「口に含んで、丁寧に舐めるんですよ」
「な、な」
「よくあることです」
 ゾルタはぐい、と少年の頭を押して、その口に彼のものを含ませる。
「んん!」
「歯を立てたりしたら……わかりますね? さぁ」
 すでに立ち上がりかけたものを口に含まされて、ラウルフィカは苦悶の声をあげる。ここでゾルタを怒らせては元も子もない。含んだものの味やら何やらは強いて考えないようにして、必死で口の中のものを舐める。
「もう少し技術が欲しいのですがね」
 単調に舌を動かしているだけの拙い口淫に、ゾルタが呆れたような吐息を零す。
 到底少年の口には収まりきるはずもないものを含まされて、ラウルフィカの方は必死である。溢れた唾液や先走りの液が口の端からぽたぽたと零れて太腿を濡らすのを構う余裕もない。
「は……ぅむ……」
 ゾルタは頬杖などついたまま、ラウルフィカの舌技を味わっている。堪能するほどの技巧はないが、美しい少年、それも一国の王が自らの股間に蹲って必死で奉仕しているその姿だけで、滾ったものがはちきれそうになる。ああ本当に、首輪を用意できなかったのだけが心残りだ。
 艶やかな黒髪を乱暴に掴んで、ぐいと前に押す。
「ん――――っ!」
 ラウルフィカが唇を離して咳き込む。辺りに白濁が飛び散った。
「ごほっ、かはっ」
 喉を押さえて苦しむラウルフィカは、吐き気を抑えるのに精一杯でゾルタの動きに気づかなかった。
 ばしゃっと冷たい液体を頭の上からかけられてラウルフィカは呆然とした。
 酒臭い。黄金色の滴がぽたぽたと髪を、顎を伝って落ちる。
「洗って差し上げましたよ、陛下」
 ゾルタは空の杯を手に愉悦の笑みを浮かべていた。
「――いい姿だ」
 惨めなその姿こそが、何よりもラウルフィカを打ちのめしゾルタを喜ばせた。