劫火の螺旋 01

6.取引

 警備兵の隙間を縫い、ラウルフィカはふらふらとした足取りで中庭へと向かった。
 王宮内の警備は厳しく交代の時間も不規則だが、幼い頃よりこの城で暮らしていたラウルフィカにはその場の空気でどこに人がいるのかわかった。現在この城でもっとも身分が高く守られるべき存在でありながら護衛の目を盗み、植物の植えられた庭へと出る。
 背の高い樹とその足元の茂みに身を隠すようにしながら、ラウルフィカは庭の奥へ奥へと進んだ。
 破かれた衣服、傷だらけの肌。下着すら身につけていない。まとった布には血と、精液がついている。
 こんな姿を誰かに見られるわけにはいかない。
 けれど、そのまま部屋に戻って何事もなく休む振りをすることもできなかった。
 彼はすでに心身ともに限界だった。
 庭の東屋の一つに辿り着き、椅子に縋りつく。
 叩かれた尻は腫れてじんじんと痛み、まともに座ることなどできない。鞭打たれた胸の傷も酷く、慎重に触れないようにしながら椅子の上で組んだ腕に顔を伏せる。
「う……うっ、うっ、うう……!」
 一人になると途端に惨めな気持ちに襲われ、ラウルフィカはたまらず涙を流し始めた。
「もう……いい。何もかも、どうでも……」
 国のため、民のため、志半ばで死んだ父王のためにも五人の男たちの協力を得て国を治める覚悟だったが、その思いは呆気なくも打ち砕かれた。
「もう……嫌なんだ……」
 持ち出した荷物の中には護身用の短剣が入っている。
 ラウルフィカはそれを鞘から抜くと、切っ先を自らの首元に突きつけた。
「父上……母上……」
 不甲斐ない息子を御許し下さい、ラウルフィカは小さく呟く。
 無責任だと罵られようとも、自分の代でこの国の血を絶やすことになってもいい。もう構わない。
 自分は国王の器ではなかったのだ。国のために自らの心も身体も全て犠牲にできるほど、この国に尽くす覚悟がなかった。
 ひんやりとした刃の感触を首に感じながら目を閉じる――。
「陛下」
 顔をあげると、そこには月の化身がいた。
「ザッハール……」
 夜の闇の中に、銀髪の魔術師が静かに佇んでいる。月光を背負い仄かに青く染まったその姿は神秘的で、まるでこの世ならざる者のようだった。
 ラウルフィカは一瞬目を奪われる。
 その隙にザッハールが彼の手から短剣を奪い取っていた。
「返し――」
「死ぬ気だったのですか、陛下」
 責めるでもない静かな口調だからこそ、ラウルフィカはその言葉に後ろめたさを覚える。
「……悪いのか? こんな目に遭って、全てを奪われて、死ぬほど辛いと思っては、いけないというのか?!」
 だがそもそも、目の前の男は自分を弄ぶ五人のうちの一人。ラウルフィカはザッハールを睨みつける。
 短剣を奪われたところで、もう関係ない。生きたいのならばともかく、今のラウルフィカはただ全てから解放されるための死を願っている。
 今となってはもはや、どんな脅しも無意味。
「もう……私を解放してくれ」
 膝立ちのままのラウルフィカは両手で顔を覆う。
 静かに佇むザッハールと跪くような姿勢のラウルフィカ。その姿は何も知らぬ者が見れば、まるで聖者に少年が赦しを請う構図のようにも見えただろう。
 しかし見た目こそ美しく聖者然とした男はどこまでも俗物であり、跪く少年は一国の王だった。
「逃げるのですか? 全てを捨てて……」
「逃げてはいけないのか? 何故、私がこんな目に遭わなければならない……」
「陛下」
 喚きだして暴れたい。それをしようにもまだ身体のあちこちが痛い。破れた衣服に夜気が肌寒くまとわりついてくる。
「……少し、じっとしていてください」
 ザッハールが言い、ラウルフィカの身体に触れるか触れないかのところに手をあてた。温かい光がその手のひらから零れ、ラウルフィカの身体につけられた傷を癒していく。
 そう言えばミレアスとパルシャが話していたか。どんな怪我をしたところで、ザッハールが治せばいいのだと。
「傷を癒してどうするつもりだ……。今度は下手に死なれでもしないよう、私を閉じ込めでもするつもりか? お前たちは王と言う名の傀儡を必要としているのだから」
 叩かれて腫れていた臀部も鞭の痕も、全ての傷をザッハールが癒し終わる。ラウルフィカは彼を引きとめようと、その腕に爪を立ててしがみついた。
 気の触れかける寸前の歪な笑みでザッハールを見上げる。
 青い瞳は縁を赤く染め潤んでいた。傷は治っても身体には疲労が溜まっている。鞭で打たれたせいもあり、熱を出しているのだ。
 泣きたくなる理由はそれだけではないけれど。
「陛下……」
「それともザッハール、明日はお前の番だからか? 他の四人はそれぞれ私を抱く時間を持ったのに、お前一人がいいように使われるだけ使われて終わるのが嫌だったと?」
 嘲るように言い捨てると、腕を強く引かれた。
「ラウルフィカ!」
 仮にも玉座に在る者の名をザッハールは呼び捨てにし、もう片手で今度はラウルフィカの顎を捕らえるとその唇を奪った。
「ん――」
 成すすべもなくラウルフィカはザッハールに口付けを許すこととなる。華奢な少年には、細身とはいえ立派に成人した男性の腕を振り払うこともできない。
 触れ合った唇から熱いものが滑り込んでくる。ラウルフィカの全てを絡め取ろうとでもいうような、情熱的な口付け。
「は……」
 ようやく解放されたラウルフィカが真っ先に求めたのは呼吸だった。長い口付けのせいで、酸素が足りない。頭が酷くぼんやりとする。
 腰が砕けてその場にぺたりと座り込んだラウルフィカの前で、ザッハールが跪く。
「ラウルフィカ陛下、俺の魔術には弱点があります」
 現状がよくわかっていないラウルフィカの目を真っ直ぐに見て、ザッハールはいきなりそう切り出した。
「俺はこの国で最高の魔術師。けれどその唯一の弱点として、“自分の怪我は治療できない”という制約があります」 
「制約……」
 聞いた事がある。魔術は己の魂に誓いを組み込むことでより強くなると。
 だがザッハールは何故よりによって今、この瞬間こんな話をしているのだろう。
「このことをあなたに教えるのは、俺のあなたへの忠誠です」
「忠誠……だと?」
 ゾルタたちと一緒になってラウルフィカを凌辱した男の口から飛び出るには、あまりにも不似合いな言葉だった。
 疑わしげなラウルフィカの視線にもめげず、ザッハールは続ける。
「俺が何故今回宰相たちの計画に参加したか、おわかりになりますか?」
「……そんなもの、知るわけがない」
 長い指を伸ばし、月の化身のような男は藍闇の少年のおとがいに優しく触れた。
「あなたが欲しかったからです。ベラルーダ国王ラウルフィカ様」
「――」
 ラウルフィカは目を見開いた。
 さわさわと夜風に揺れる木々の葉が擦れ合う音がやけに耳につく。
「何を……」
 反射的に、ラウルフィカは後じさりザッハールから距離をとろうとした。目の前の男の顔が、急に見知らぬ者のように思えてくる。
 怖い。
 ゾルタやナブラたちに犯された時より、ミレアスに暴力を振るわれた時より、今が一番怖い。
 無理矢理身体を開かされたときはもちろん辛くはあった。けれど今のような、得体の知れない恐れを抱くようなことはなかった。
「逃げないで」
 ザッハールに言われずとも、ラウルフィカの背の後ろには東屋の椅子があってそれ以上奥には行けない。
 けれどザッハールはそれ以上ラウルフィカが離れるのを許さず、腕を伸ばして少年の身体を引き寄せてしまう。
 半ば押し倒されるような形で、ラウルフィカはザッハールの腕の中に囚われる。至近距離から彼は囁いてきた。
「あ……」
「ラウルフィカ様、聞いてください。――俺が、あなたの手足となります」
 美しい男の美しい声は、まるで悪魔のようだった。
 そう、これは間違いなく悪魔の囁き。
「あなたは本当にこのまま死んでもいいと言うのですか。あなたを穢した奴らに、復讐の一つさえすることもなく」
 復讐。
 これまで思いつきもしなかったその言葉がザッハールの口から発された時、ラウルフィカの身体にぴんと一本の筋が通ったような感覚を覚えた。
「復讐……」
「そうです。例え弱みを握られていようと、あなたはこの国の王。方法さえ選べば、あいつらを出し抜く方法などいくらでもある」
「お前があいつらを今すぐ皆殺しにでもしてくれるっていうのか?」
 そんなことできはしないだろうとせせら笑うと、ザッハールは底の見えない不思議な笑みで返した。
「もちろんそうして差し上げてもよろしいのですが、それではあなたも共倒れだ。人格的にはともかく、宰相殿たちは今のこの国にとって必要な人間。せめてあなたが一人でも国を支えることができるようになるまでは、生かしておいた方が役に立つでしょう」
「だがそれまで何年かかる? 私はまだ子どもだ。王になる能力などない無力なガキだ。大人になって、この国を治められるようになるまであと何年必要だと言うのだ。十年? 二十年? ……そんな時間を、あいつらに玩具のように弄ばれるのを耐え続けろと言うのか!」
 できるはずがないと言い放ったラウルフィカは、ザッハールの胸を突き飛ばす。押されて僅かに身体を揺らした男は、しかし説得を止めなかった。
「あなたには才能がある。一年二年とまではいかないが、五年も経てば立派な王となるだろう」
「五年でも十分な長さだ。その間奴らに弄ばれ続けるのであれば今ここで舌を噛んだ方がマシだと思うにはな」
 耐えられるはずなどないと、自らの意志の弱さを露呈しても構わないとばかりにラウルフィカはザッハールの言葉を突っぱねる。
 再び顔を覆ってしまったラウルフィカを、ザッハールがにじりよって抱きしめる。
「陛下……」
「私に構うな。お前が本当に一欠片でも私のことを好きだと言うなら……このまま死なせてくれ」
「ラウルフィカ」
 名を呼ばれてぐいと顔を引きあげられる。再びザッハールの唇に呼吸を奪われていた。
「ん……んんっ、んう……」
 滑り込んだ舌が口内を蹂躙する。伸びて来た舌がラウルフィカの舌を絡めとり、口腔をくまなく探られる。
 歯列を割って入ってきたものの貪欲さは、蟲の巣穴に嘴を差し込む鳥のようだった。中にあるものを残らず食いつくそうと考えているかのように、舌が、奪っていく。食われるのを待つ哀れで無力な少年は、ただその身を縮こませるしかないのだ。
 お互いの唾液が混じり合い、口の端からぽたぽたと零れていく。
「はぁっ……、は、はっ……なに、を……」
「何って、キスですよ。言ったでしょう? あなたが欲しいと」
「……ザッハール……」
「あなたが好きだから、あなたに死なれてもらっては困るんです」
 まだ呼吸の整わないラウルフィカを、ザッハールは抱き寄せ優しく地面に押し倒した。
「や……やめろ、やめて……」
 ここ数日でこの後に来るものの予想がついてしまったラウルフィカは青ざめる。まだミレアスに犯された時の恐怖が残っているため首を振ろうとするが、ザッハールの手は止まらない。
 申し訳程度に巻き付けられた布を剥ぎ、先程癒えたばかりの裸身を晒していく。
「綺麗だ……ラウルフィカ様、あなたは本当に美しい」
 ザッハールはラウルフィカの細い足を掴むと、その甲に口付けた。局部を晒すような格好で思いもかけなかった場所に唇を落とされ、ラウルフィカは混乱のあまり顔に朱を昇らせる。
「な、や、やめっ」
「ラウルフィカ様、いいことを教えて差し上げます。男にとって、貞節などさしたる意味を持ちはしません。それが王ともなれば特にね。誰と寝ようが気にすることはありません」
「だが……」
「ふしだらなことだと考えるから辛くなるのですよ。所詮は遊びの一つだと、割り切って楽しんでしまえばいいんです」
「遊びだなんて、そんなの」
 ザッハールの手が伸び、ラウルフィカのものをそっと掴んだ。
「う、くっ、やめろ!」
「まだ抵抗なさるのですか?」
 ザッハールの手で優しく擦られ、ラウルフィカは身体の昂ぶりを覚え始める。治療の効果が出て来たのか、体調はそろそろ万全に戻っているのだ。刺激されれば反応してしまう。
「野の獣だって、より優れた子孫を残すために何度もつがいを変えるのです。気になさることはない」
「に、人間は獣ではない! 私はそんな風に堕落したくはない!」
 ザッハールのあまりの言いように反論したラウルフィカは、しかしそれこそ獣のような瞳とかち合うことになる。
「何を仰いますのやら。――人間とは、この世で最も救いがたい獣の名前ですよ」
「うぁ!」
 ザッハールの手に力がこめられ、ラウルフィカは短い悲鳴をあげた。
「あっ、あっ、もう……!」
 親指の腹でぐりぐりと先端を刺激され、ラウルフィカは自分の中で欲望が膨れ上がるのを感じた。
「で、出る! 離し……」
 言う間に発された液体が、ラウルフィカの下半身を覗き込むようにしていたザッハールの顔にかかる。ラウルフィカは一瞬呆然として、次いでさーっと血の気の引く感覚を覚えた。
「す、すまん」
「いいえ。構いませんよ。あなたのものなら……ね」
 ラウルフィカは赤くなるやら青くなるやらで忙しない。しかしザッハールは微塵も動じずに、手に残ったそれと顔についた分を指先にとり舐め始めた。
「なっ……! お、おい、やめろ! そんなもの口に入れるなんて!」
「構わない、と言ったでしょう? あなたの出したものなら、俺はなんだっておいしくいただきますよ」
 くすくすと笑って、ザッハールはラウルフィカに見せつけるようにしながら白濁の液を舐めとってゆく。ザッハールの赤い舌が伸びて白い液体を掬うたびに、ラウルフィカはいたたまれない気分と、それだけではないもやもやとした感覚のために目を逸らしたくなった。
「ふふ、そろそろどきどきしてきませんか? 陛下」
「わ、私は……」
「隠さなくていいんですよ。むしろ、その感覚に身を任せてしまいなさい、ラウルフィカ様。そうすれば、肉体を重ねることなどなんともなくなる」
 最後の一滴をわざといやらしい仕草で舐めとりながら、ザッハールが宣言する。
「俺があなたに教えてさしあげますよ、快楽ってものを」
「結構だ!」
「まぁ、そう言わずに」
「っ」
 舐めて濡らした指を、ザッハールはラウルフィカの後ろへと挿し入れた。
「うう……」
 蠢く長い指を感じながら、ラウルフィカは抵抗もできずされるがままになっている自分に気づいた。今までと同じように逃げても無駄だからという意味ではない。ザッハールの指づかいは、これまでの他の連中とは違う。
 それが、下腹に熱を生むようでその感覚から逃れられないのだ。
「あ……や、やだ」
「気持ち悪いだけじゃなく、いろいろと感じるでしょう」
「こんなの、だめ……」
「そんなことありませんよ」
 内壁を丁寧に擦られると、たまらず高い声が漏れた。
「ん、うぅ、うん……あ、あ」
 奥の方のある一点を突いた瞬間、あからさまに声が変わるのが自分でもわかった。
「ここですね」
「や、やだ。だめ! ヒァアア!」
 ザッハールが心得た調子でその点を刺激すると、たまらずに裏返った声があがる。
「んん……んんー!」
 自分で自分の口元を押さえるが、声を殺しきれない。ここが人気のない中庭だからいいようなものの、建物の中だったら部屋中に声が響いていたことだろう。
「そろそろほぐれてきたな」
 いつの間にか二本、三本と増えていた指がいきなり引き抜かれると、今まで嫌だったはずなのに途端に物足りなくなった。
「あ……」
「そんな切ない目で見ないでくれ、陛下。これからもっといいものをやるから」
「な……」
 ザッハールが自らの着衣を脱ぎ棄て、ラウルフィカの中に自身を埋め込む。
「い、ぁ……っ」
「ああ、陛下……」
 ラウルフィカの片足を抱えながら、首筋に口づけるようにしてザッハールはラウルフィカを抱く。ずぷずぷと入り込んだものの質量に、ラウルフィカが苦しげに眉を寄せた。
「ふぁ……」
「痛いですか、陛下」
「……ううん、でも、苦し……」
「慣れて来たら、すぐに気持ち良くなりますよ」
 ザッハールはラウルフィカの呼吸が整うのを待って動き出す。
「あ、あ、あっ、ああああ、あっ」
 先程指で探り当てられた点を集中的に突かれて、一気に快感が背筋を駆けのぼった。寒気のようなぞくぞくとした感覚と共に、再び白濁をぶちまける。
 ザッハールはそれだけでは満足せず、ラウルフィカの呼吸が整うと再び華奢な身体を揺さぶり始めた。肉を打ちつけ合う音と、鈍い水音がひっきりなしに零れる。
 ラウルフィカは何度か達し、ザッハールもラウルフィカの中に出した。お互いの体力が尽きるまで、飽きもせずひたすら貪り合っていた。まだ夜が終わっていないのが不思議なくらいだ。
「は……はぁ、はぁ……」
 ザッハールは身を起こすと、裸の胸にラウルフィカをもたれさせるようにして抱きとめた。
「どうです? 今のはちょっと気持ち良かったでしょう?」
「……」
 物凄く答えづらい質問に、ラウルフィカは黙り込んだ。ここでうんと答えるのは癪な気がする。
「あなたがこれを覚えておけば、宰相殿たちとする時にも役に立つでしょう。奴らが突っ込んできても、自分でいいところに持っていけばいいんです」
「……ミレアスは殴る」
「奴は加虐趣味ですからね。だが、奴はあなたを殴ることで満足しているわけじゃない。あなたが怯えるのが楽しいんですよ。殴る相手なんて軍の中にいっぱいいますからね。あなたはそう痛くないうちに物凄く痛く感じているような演技をしておけば、それ以上の乱暴はしてきませんよ」
 ミレアスの態度を思い出し、ラウルフィカはザッハールの言葉も信憑性があると考えた。彼らはラウルフィカを屈服させるのを楽しんでいるのだから、素直に言うことに従えばそれ以上酷い目に遭うことは少ない。もっと、過剰なくらいに弱弱しく演技すればいいのだ。
「それでも駄目なら、幾つか薬を差し上げますよ。痛みを軽減するもの、感度をよくするもの」
「ザッハール」
 ラウルフィカは、自分を抱きしめる銀髪の青年を見つめた。
「お前は本当に、私の味方となるのか」
「ええ。俺はあなたの味方、あなたの臣下、あなたの奴隷、あなたの犬です。いいようにお使いください」
「何故そこまで」
「これぞ惚れた弱みってやつです」
 その代わりに、とザッハールは続けた。
「俺があなたを愛することを許して下さい」
 先程ラウルフィカを恐れさせた、あまりにも一途な瞳だった。つられるように、ラウルフィカも口を開く。
「……許す」
「ありがたき幸せ」
 取引は成立した。
 裸のままで抱き合う。再びラウルフィカがザッハールの胸にもたれる形となる。
 ラウルフィカの黒髪をザッハールの指が撫でた。微かな汗のにおいと人肌の温度に埋もれながら、ラウルフィカは空にかかる月を見上げる。
 死のうと思っていた。
 自分一人ではこの状況を覆すことも、受け入れることもできないから、と。
 けれどたった一人の男と取引しただけで、その決意は呆気なく翻ろうとしている。
(私は復讐する。私から王としての立場を奪った、私から「王国」を奪った奴らに)
 宰相ゾルタ、大貴族ナブラ、商人のパルシャ、軍人ミレアス、そして。
(そしてこの男に)
 今更忠義面をしたところで、ザッハールがラウルフィカを一度裏切ったことは間違いない。
 許すわけにはいかない。
(その日まで利用してやる。全てを利用し、自分さえも利用して生き抜いてやる)
 青い瞳は、その瞳の色とよく似た光を注ぐ月をきつく睨む。
 それは、まるでこの世界そのものを憎むような眼差しだった。

 お前たちを絶対に赦さない。私と一緒に地獄に堕ちろ――。

 ベラルーダ王ラウルフィカ、彼はこの日、自らの人生を復讐に捧げることを決意した。