劫火の螺旋 02

8.親子

 ベラルーダを支える屋台骨の一人、国内の商いの手綱を握る商人のパルシャは五年かけて王宮に出入りすることを不自然でなくしていた。
 宰相のゾルタや軍人のミレアスと違い、いくら国の有力者の一人とはいえ一介の商人風情が王宮に部屋を与えられるなど不遜である。そういった声を彼はこの五年で鎮め、自らが王の私室に出入りしてもおかしくない状況というものを作り上げた。
 ラウルフィカ王の予定に合わせ、商人の目線から経済を教える時間というものを持たせたのである。対外的にはそれで通しているが、もちろんその時間を使って行われているのは紙とペンによる勉強などではない。
「陛下、お待たせいたしました」
 部屋へと通されたパルシャは気だるげに窓の外を眺めていたラウルフィカへと声をかける。
 まだ日は高く、部屋の外の人の行き来もある。それだというのにラウルフィカは窓を閉めて布を引き、護衛の兵士は扉の外に立たせて誰も部屋に来ないように指示した。
「今日は面白いものを持ってきたんですよぉ」
 ぐふぐふ、と相変わらず潰れたヒキガエルのような醜い顔でパルシャは笑い声を立てる。彼はラウルフィカと初めて顔を合わせた五年前から少しも痩せていないわけだが、この醜さはただ単に人間の限界を越えて太っているからというだけではない。いやらしい内面が表情にまで現れている。
 内心怖気だつのを堪えて、ラウルフィカはパルシャの前に立った。召使に運ばせるわけにもいかず、パルシャ自ら持参した箱の中には怪しげな道具がこれでもかと詰め込まれている。
 その中の一つ、不自然に白いものがラウルフィカの目に留まった。
「――骨?」
「ええ。そうです」
 こともなげにパルシャは肯定するが、ラウルフィカとしては嫌な汗をかくばかりだ。
 それは獣か何かの骨であろう、白く細長い塊。細いといっても両端は丸く膨れていて、それなりの大きさがある。まさしく子どもが絵に描くような、海賊旗なら髑髏のちょうど後ろに描かれる大腿骨のような形の骨だ。
 それをどう使うつもりなのか。
 ラウルフィカはその骨が具体的にどんな生き物の骨なのか頭の中の知識に照らし合わせて当てようとするが、上手くいかない。それよりも嫌な予感の方が強くて邪魔をするのだ。
「さぁ、今日は陛下にはこちらを着ていただきましょうか」
 顔を引きつらせている間に、パルシャの手がラウルフィカの帯を剥ぎ、持ってきた衣装を押し付ける。
 与えられたのは衣装とは名ばかりの、局部を露出した卑猥な型。銀砂漠の民にしても特に色白なラウルフィカの肌を、黒い革が淫らに引きたてる。そのまま臀部を晒すように四つん這いの姿勢を強要された。
「うう……」
 前戯に時間をかけるのはまだるっこしいとばかりに、パルシャがいきなりぐいと指を突っ込んできた。
「や、やめ……まずは、慣らして、から……」
 首だけ振りむいて懇願するラウルフィカに対し、パルシャは醜悪な笑みで応える。
「だからこうして慣らしてさしあげているではないですか」
「あう!」
 さらにグイッと指を押し込まれ、ラウルフィカは苦鳴をあげた。まずは指一本などとパルシャは言うが、ぶくぶくに肥えたこの男の指は普通の人間のものより太い。ほっそりとしたラウルフィカ自身の指先と比べれば、ゆうに二本分はあるだろう。
「ん……、んっ、んっ」
 芋虫のように丸い指が、中を乱暴にほぐしていく。ラウルフィカは腕で身体を支えられていなくなり、尻だけを高く上げる格好となった。
 潤滑油も何もなしに指を入れられた場所は、この五年で嫌というほど慣れさせられただけあって幸いたいした痛みはない。それでも異物感と圧迫感は消せず、腹の奥に鈍痛を与える。
「んっ、んん、ぅ……」
 指が滑らかに行き来するようになった頃、ぐったりしたラウルフィカの身体を抱えてパルシャが言った。
「そろそろ頃合いですなぁ」
 その手が掴みだしたのは、先程ラウルフィカが顔を引きつらせたあの骨だ。
「な、何を……それは、何の骨だ?」
「さぁ、何の骨でしょうなぁ?」
 僅かに黄ばんだ骨をべろりと舐めながら笑うパルシャの姿はすでに妖怪じみている。
「何の骨でも構わないでしょう。これは所詮道具。ああ、強度については御心配なさらずに。きちんと加工されていますから」
 肉厚の掌がラウルフィカの尻を掴んで、小さな穴を開かせようとする。
「やめろ! そんなものを入れるな!」
「またまたぁ。そんなことを仰ったところで、ここはもうたまらないって、ヒクヒクしてますよぉ」
「あっ、くぅ――」
 白い塊を容赦なく押し入れられ、ラウルフィカは息を殺した。ごろりとした感覚に、背筋が総毛立つ。
「あ、ああっ、駄目だっ、こんなの……」
「身体はそうは言っていないようですよぉ」
 下卑た笑みを絶やさずに、パルシャが突き入れたものを捻る。
「ひっ!」
 命のない物体は無機質な感覚をラウルフィカに伝えてくる。肉の器を亡くした骨は、それこそ鉄や木の道具のように無慈悲な強度でラウルフィカを攻める。
「あ、あ、あん、ああ、んっ」
 目の淵に涙を浮かべて悶えるラウルフィカの痴態を楽しむように、パルシャはごりごりと正体不明の骨で容赦なくラウルフィカの内壁を擦る。
 生身の男のモノと違って、道具は受け入れた内壁の狭さによってほんの少しも形を変えたりはしない。それどころか硬い硬い道具はその形でもって内壁を押し広げるのだ。ある意味では、男のものを受け入れさせられるよりもよほど犯されていると感じる。
 今挿入されているものは以前使われたような鉄の張型ではないが、おぞましさはその比ではなかった。
「は、ぁ、……ああ……」
 拭えぬ背徳感すら快楽に変換し、ひっきりなしに熱い吐息を零すラウルフィカの尻を乱暴に掴みながら、パルシャが夢心地に呟く。
 壮年の男は美しい少年王を無慈悲な道具で犯しながら、その媚態を眺めるだけですでに下着を先走りで汚していた。
「わしは商人ですからなぁ。商品の仕上がりはきちんと確認せんと」
 抗えぬラウルフィカの、汗をかいた背を見下ろしながらパルシャは舌舐めずりする。
「人は道具に頼って生きるものですよ。そう、寝所の中まで。人が道具に頼れば頼るほど、わしの儲けが増えるのです……」
 これまで以上に強い力でパルシャはラウルフィカの中に得体の知れない「道具」を押し込んだ。
「ぁ、ああああ!」
 腹の奥に巣食う怖気ごと吐きだしてしまおうかというほどに叫んで、ラウルフィカは達した。

 ◆◆◆◆◆

「おーっす。朝ですよォ、陛下。それに商人殿」
 昨夜は結局この部屋に泊まり込んだパルシャを叩き起こす目的で、ザッハールがやってきた。
「陛下、ご無事ですか? 昨日もまたエロ商人にさんざん苛められたんじゃないでしょうね」
「失敬じゃな。ザッハール」
 銀髪の魔術師は商人の巨体を寝台から蹴り落とし、黒髪の少年王に関しては優しく揺り起こした。
「ん……」
「お目覚めですか? 陛下。僭越ながらこのわたくしが身支度を手伝わせていただきましょう」
 まだ昨夜の処理もしていないラウルフィカの身体を敷布に包んで抱き上げると、ザッハールは寝室に備え付けの浴室へと向かう。広さで言えば王族が本来使うべき浴場の四分の一にも満たない狭さだが、魔術の技がそこかしこに活かされていつでも湯が使えるようになっている。
「エロジジイのお相手“御苦労さま”です」
「ふん……いつものことだ。あのヒキガエルめ、真っ先に潰してやる」
 王族らしからぬ生活をこの五年送ってきたラウルフィカは、侍女たちの手を借りずとも一人で風呂に入ることができた。
 ザッハールに着替えの用意をさせながら、目隠し布越しに話し合う。
「何かいいネタでも仕入れてきたか? ザッハール」
「残念ながら、そう簡単には。ですが陛下のお考えになった計画自体はうまくいきそうですよ」
「そうか」
 しっかりと身体の汚れを落としてから浴室を出ると、部屋の中でパルシャと侍女の一人が何か言い合っていた。
「どうした?」
「陛下。それが、ヴェティエル様にお客様で……」
 ヴェティエルとはパルシャのことだ。ヴェティエル商会のパルシャ・ヴェティエル。
「客? わざわざ王宮まで来てパルシャなんぞに会おうって奴がいるのかい?」
 ザッハールが疑問を口にした。いくらパルシャが王室御用達の商人であることを知っていても、わざわざ王宮で彼と顔を合わせようと思う人間は少ないはず。王宮とは文字通り王族が住まう城のことなのだ。用もないのに軽々しく出入りする場所ではない。パルシャに会うことが目的ならば、城下の彼の屋敷に向かえばいいだけの話だろう。
「は、はい。それが……ヴェティエル様に忘れ物を届けに来たと仰る、お若い方で。レネシャ・ヴェティエル様と名乗られましたが」
「な、何っ! レネシャがここに?!」
 パルシャは驚いたようだったが、ラウルフィカたちはそのパルシャの慌てようにこそ驚いた。侍女がレネシャという名を出した途端、彼の顔色が変わったのだ。
(レネシャ……どこかで聞いたことがあるような)
 黙考するラウルフィカの横顔に、侍女が声をかけてくる。
「こちらへお通ししてもよろしいでしょうか。それとも」
「客間で。その方がいいだろう、パルシャ」
「あ、ああはい。いえあの」
 侍女はすでに相手には客間で待つように伝えているという。つまりこれから彼らがそちらへ向かえばいいのだ。
「ヴェティエルということは身内だろう。追い返すのか?」
 性が同じで語感が似た名前。ここまではっきりしていてまさか赤の他人ということもあるまい。そう言ってラウルフィカは何か慌てている様子のパルシャを置き去りに、自分からさっさと部屋を出て行く。
「へへへ陛下! レネシャはわしに会いに来たと!」
「別に私が自分の国民に会いに行ってもかまわないだろう。なぁ、ザッハール?」
「そーれすねー」
「ザッハール! 貴様こそ何も関係ないじゃろう!」
 ここが彼ら三人きりの空間ならばまだパルシャも強気に出られたかもしれないが、今はこの報せを持ってきた侍女の目が邪魔だった。ゾルタたち五人は裏ではいいようにラウルフィカを操っているが、一国の王が四六時中おどおどしていては困るということで、人目があるところでは若くて自信に充ち溢れた王の態度をとるように指示されている。
 他でもない彼ら自身がラウルフィカに常日頃よりそう求めているのだから、ここでそれを覆してみせるわけにもいかない。
「あ、あの、あの……!」
 いつも不敵で傲岸な狸おやじの顔を崩さないパルシャの滅多にないうろたえぶりにラウルフィカとザッハールは内心笑いながらも、客間の扉を開けた。
 二人は尋ねて来た人間の「レネシャ・ヴェティエル」という名からその人物がパルシャの身内であると信じていた。
 その扉を開けるまでは。
「あ……」
 小さく一声上げて立ち上がったのは、この短い距離を息を切らしながら必死で走ってきた肉だるまとは似ても似つかぬ美少年だった。
 ラウルフィカたちは目の前の少年をじっと観察した。
 春の日差しを思わせる柔らかな色味の金髪に、澄んだ水色の瞳。肌は白く、体つきはほっそりとして華奢で、しかし頬は健康的な薔薇色に染まっている。年の頃は十三か、四か。知性の輝きを瞳に宿した、古代の神に愛された寵童もかくやという容姿の美少年。
「もしかして、国王陛下……!」
 可憐な少年は口元に手をあてると、慌ててその場に跪いた。ラウルフィカの顔を知っていたらしく、頭を床に擦りつけて平伏する。
「し、失礼いたしました! わたくしはヴェティエル商会パルシャが第一子、レネシャ・ヴェティエルと申します! 本日は父に書類を届けに参じました!」
「おっさんの娘?」
「いや、息子だ。わしの息子のレネシャだ」
 下手すると男にすら見えない可憐さを前に、ザッハールが呆然と尋ねる。パルシャがしぶしぶと答える。
 ラウルフィカとザッハールは、背後のパルシャを振り返った。
「養子か?」
「おっさん、ついに人身売買にまで手を」
「正真正銘この子はわしの子じゃ!」
 目の前の美少年とこの潰れヒキガエルを血縁と見るのはどうしても無理があった。
「レネシャと言ったか、顔を上げよ」
「は、はい」
「近う寄れ」
 ラウルフィカに招かれて、レネシャは円卓のこちら側へと回ってきた。目の前に来てもますますその輝かんばかりの美貌と細さが明らかになるばかりで、どう見てもパルシャの息子とは思えない。
「本当にパルシャの息子なのか? 似ていないぞ?」
「はい、よく言われます」
「お嬢ちゃん、このおっさんに脅されてるとかだったら正直に言ったほうがいいよ。ここには国王様もいるからね」
「本当に親子です」
 ザッハールは胡乱な眼でパルシャを見た。
「なんじゃ! なんか文句があるのか!」
「えー、別にぃー」
「まぁ……目と髪の色は……似ているな……」
 ラウルフィカはパルシャとレネシャを見比べ、無理矢理そう結論付けて自分を納得させた。逆にいえばこの二人は、そこしか似たところがないわけだが。
 当のレネシャ少年は、父に書類を渡すのも忘れて、きらきらした瞳でラウルフィカを見つめている。
「憧れの国王陛下に拝謁できるなんて、感激です」
「憧れ?」
「はい! 御不幸にも負けず、若くして玉座につき、このベラルーダを支えてきた賢王ラウルフィカ陛下。目上の者の意見をよく聞き、目下の者の意見も吸い上げ国の舵を取り発展に努めて来た希代の名君だと評判です」
 レネシャの言葉に、ラウルフィカはそっと目を伏せた。
 今この国を支えている力のほとんどは、ラウルフィカのものではない。それはゾルタやナブラの手腕が物を言ったのであり、ラウルフィカはただ彼らのやることを見つめ、腕をとられるままその動きに許可の印を押しただけだ。
 今でこそゾルタやナブラたちのやることの意味がわかってきたが、即位当時は本当に何もわからぬ子どもだった。学問と現実の狭間で惑い、操られるまま裁可の印を押し続けた結果が今のこの国の繁栄だ。
 彼ら五人に復讐しようという気持ちは衰えていないが、成し遂げたその瞬間に国の舵取りを誤り転覆させてしまうのではないかという恐れもある。
 そんな自分に対し、憧れなどと……。
 今のレネシャはラウルフィカが玉座に着いた頃と同じくらいの年齢だろう。その歳の子どもからすれば同じくらいに王となったラウルフィカの存在は確かに憧れとなるのかもしれないが、ラウルフィカはその賛辞を素直に受け取ることはできなかった。
 腹の底に湧いたどすぐろい感情を、この五年で慣れ親しんだ笑顔の仮面で覆い隠す。そしてかけられる言葉を待ち望んでいるレネシャに、いかにも機嫌良さそうに向き合った。
「王宮は初めてか?」
「はい。今日は父上が国王陛下とお話合いをなさるための書類を忘れているのを見つけ、届けに来ました」
 もちろんパルシャにとってそんな書類は不要のものだ。しかしラウルフィカは助かったというように表情を作ってみせる。
「大義であったな。ではその礼に、あとで私が直々に王宮を案内してやろう」
「ええっ! 本当ですか?! で、でもそんな、恐れ多い……」
「何、パルシャの息子ともなれば将来私と取引する商会の主となるのは必定、今のうちから親しくしておくのに越したことはない。なぁ、パルシャ」
 思わぬ展開に青くなっているパルシャに余裕の笑みを浮かべてみせ、ラウルフィカは強引にレネシャを王宮に引きとめる。
「へ、陛下! 息子は不調法なものですから、もっと作法を覚えてから!」
「構いはしないだろう。先程の挨拶も淀みないものだった。お前の息子なら機転も利くであろうし」
 パルシャを持ちあげる風でいてその実親子を引き離しにかかったラウルフィカは、控えの侍女に命じてレネシャを客間で昼まで待たせておくようにした。
「そういやおっさん、今日は宰相殿に大事な大事な取引の話があるんじゃなかったっけ?」
 良い具合にザッハールがパルシャを追い詰める。もともとパルシャはその話のために昨日、この王宮に泊まったのだ。ラウルフィカもそれは計算済みだ。
「う、うううう」
「早く行かないとゾルタが煩いだろうな」
 ラウルフィカに昼まで息子に何もしないと誓わせてから、パルシャは何度も渋りながらゾルタの待つ部屋へと向かった。
「何もしないさ。昼間は……ね」
 パルシャを追い詰めるのに、あの愛らしい息子を使わない手はない。傍目から見てもわかるほどに、あの男は息子を溺愛している。
 ラウルフィカが仕掛けるのは昼からだ。昼を過ぎたら、あの息子本人に、ここから帰りたくないと言わせればそれでいい。
「ザッハール、今から私がいう物を用意しろ」
「はぁい、陛下」
 大商人パルシャ、彼を突き崩す鍵はその息子の存在が握っている。