劫火の螺旋 02

9.少年

「どうだ。情報は?」
 執務の時間を使い、ラウルフィカはザッハールにパルシャの息子、レネシャの情報を集めさせた。
「あのお嬢ちゃん、じゃなかった。少年が陛下に憧れてるっていうのは本当ですね。ちょっと城下まで行って聞きだしてきました」
 ザッハールは宮廷魔術師長を名乗るだけあって、一国に一人いるかいないかの最高ランクの魔術師だ。大技から器用な小技まで巧みに使い分ける。
 今回はどうやって情報を集めたのかというと、まず自分の意識を小鳥に乗り移らせて城下のパルシャの屋敷の付近まで飛ばしたのだという。しかしそれだけでは近所の住民がそう折よくレネシャやパルシャ親子の話をしているとは限らない。そこでもう一つ魔術を使い、レネシャのことを相手の意識に一瞬だけ送りこんだ。
 人間の脳は言葉で刺激を受けるとそれに反応して関連した情報を連想する。小鳥の格好で民家の窓際に降り立ったザッハールが念を送ることによって、皿洗いなどしていた主婦が「そういえば最近ヴェティエル商会の……」とレネシャのことを自然と喋りだしてくれるわけである。
 炎や竜巻を出すような術と比べ、これは視覚的には魔法というには大袈裟かもしれない。しかし使い方によっては、何にも勝る最強の武器となる。
 まずザッハールは一度王国を裏切ってゾルタたちの仲間につき、次にその彼らまで裏切ってラウルフィカの味方をしているのだから、これらのことを外部に漏らしてはいけない。そのためには自分の直属の部下にすらも事情を明かさず、全てを一人でやった方が確実である。
 ザッハールほどの魔術師ではない普通の人間がこれらの作業を行うとすればどうか。城にいながらにして短時間で今日初めて出会った少年の情報を知る場合――。
 恐らく自分は仕事をしながら、部下を何人も派遣して情報を集めさせることになるだろう。だがそれでは、パルシャに知られる可能性が高くなる。いくら人の移り変わりが大きい王都とはいえ、一人の少年のことを聞きまくる怪しい男たちなどがいたらすぐに目立つ。
 もちろん中には優秀な隠密もいるだろうが、その隠密が裏切らないという可能性もないではないし、人に言えないことをするのに部下を使うのは常に危険と隣り合わせである。部下に裏切られない主、または裏切ったらすぐそれに気づくだけの有能な主でなければすぐに足元から引きずりおろされる。
 それに、当の情報を聞きだす相手本人に不信感を持たれないことも重要だ。可能ならば、相手が情報を情報としてとられたのだと気づかないうちに知る方が望ましい。
 ザッハールの魔術は、それらの点を完璧にこなすことができる。
 まず彼は高位の魔術師なので、部下を動かさずに単独で城にいながら外で情報を集められる。彼の裏切りもラウルフィカの真意もザッハールが喋らない限り明るみに出ることはないので、隠し事の共犯者としては最適だ。
 そしてザッハールのとった方法では、情報を喋らされた相手も自分が何か話したという自覚がない。そのため不審に思われることがないというのが強みだ。
 人間が人間相手に話を聞きだせば良くも悪くもそれは印象として残る。聞きだした相手が身近な人間のことであればなおさらだ。
 しかし今回ザッハールは鳥の姿で相手が一方的に喋った独り言や隣の人間とした会話を聞いただけである。聞きだされた相手の方はまさか小鳥が王の寄越した間諜などと思ってもいないだろうから、情報をとられたという自覚を与えることがない。
 相手にあとから話したことを忘れさせる忘却の魔術もあるが、それは結構扱いが難しい。記憶の空白は、多少なりとも違和感を残し、そこから誰かに術に気づかれたり破かれたりする恐れがあるからだ。
 一方相手に一瞬だけレネシャの名を送りこむような術は後にも残らないし、相手も不審に思わないだろうから痕跡を見つけられることは少ない。
 パルシャの家で真面目に働いていたメイドや、商会の店で帳簿をつけていた男、パルシャの自宅の近辺で彼の家を眺めながら皿を洗っていた主婦は、あくまでも自然にレネシャのことを思い浮かべ、彼のことについて独り言を喋っただけなのだ。
「いつもながら、お前の魔術は凄いな」
「こんな地味な術で、そう言って下さるのは陛下だけですよ。たいていの奴はやれ炎を出せだの水を出せだの言ってきますからね」
 もちろんいくらザッハールが高位魔術師でも自分の体から離れた場所に意識を飛ばして魔術を使うのは困難である。今回はパルシャが城下の屋敷に住んでいたので彼の術の有効範囲だったから使えた手だという制限はあるが、それでもザッハールが有能であることに変わりはない。
「私だけではなく、どうせゾルタたちも知っているのだろう。あやつらは、それを知っているからお前を仲間に引き込んだのだろうし」
 戦争ででも威力を発揮する攻撃的な技は、平穏な世にあっては無用のものだ。しかも、単に威力が凄い攻撃というだけなら、いつか技術が進歩して道具がそれに代わるかもしれない。そうなれば火を出すしかできない魔術師など用なしだ。
 ザッハールのような宮廷魔術師長の強みはそこではない。もちろん有事の際は堂々と攻撃に力を奮ってもらうが、それ以上に普段の生活で何ができるかが重要だ。
「あんなおっさんたちに認められてもねぇ」
 眉を下げて情けなさそうな顔をするザッハールの頬を白い手で撫で、ふふ、とラウルフィカは笑う。
「ならば今回のことが上手くいけば、私が直々に“ご褒美”をやろうか? ザッハール」
「え? 本当ですか?」
「ああ」
 飼い主に褒められた犬のようにきらりと瞳を輝かせ、ザッハールが執務室の机に身を乗り出す。さりげなく書きかけの書類を逃がしたラウルフィカは、求められるままに口付けを返した。
「これ以上は、今日は駄目だ」
「酷い!」
「言っただろう? 今回のことが上手くいけば、と。私は今日はあの可愛らしい少年の相手をしてやらなければいけない」
「ああ、はいはい」
 今頃はラウルフィカが仕事を片付けて来る昼となるまで、城の者と話をしているはずのレネシャのことを思い浮かべてザッハールも乗り出した身を下げる。
「でもいいんですか? 陛下。最初に突き落とすのはミレアスだって言ってませんでしたか?」
「確かにな。あいつの加虐趣味に付き合うのはもううんざりだ。だがそちらはすでに良い駒に目星をつけてある。それよりもこれまで弱点といった弱点が見つからなかったパルシャの弱みが、自分からこの城に飛び込んで来てくれたんだ。これを活かさない手はない」
「どうしても彼を先に回したいんですね」
「パルシャはゾルタやナブラに比べて、おどけてはいるが本来かなりの切れ者だ。あの二人にも劣らないほどのな。でなくて国一番の商会を一代で成すことなどできるものか」
 肉だるま、ヒキガエルとさんざん悪し様に形容してきたパルシャのだぶついた顔をラウルフィカは脳裏に浮かべる。
「商人だからな、目的の品を相手に買わせるまでには強気にも弱気にもなれるし、誠実ぶることもできる。それにゾルタたちと違って貴族の矜持などないから、下手に出ることも厭わない。商売で大損させても自力で取り戻すだろうし、それをするにはこちらの危険度の方が高い……」
 だからこそ、商売や矜持に絡まない部分で上手く相手の抵抗力を削ぎ敗北を認めさせ屈服させるというのが至難の業なのだ。
 殺すのは簡単だが、それでは面白くない。どうせなら、死ぬよりも酷い苦しみを与えてやらなければ。
「妻を亡くしてからは特定の女の影もなく、あったとしても貴族のように正妻の顔を立てる必要もないからそこを突くことはできない。ではどうするかと考えていたが……そうか、息子が奴の弱点か」
 くく、とラウルフィカは笑う。
「あの可愛らしい、奴が目に入れても痛くないほどに可愛がっている息子が奴よりも私を選んだら、それは最高の復讐だろうな」
 レネシャの姿と自分に対する憧憬と敬意を確認した時から、ラウルフィカの頭の中では着々と計画が立てられていた。パルシャがこれまで彼を王宮に連れて来る様子がなかったのは、レネシャがラウルフィカに近付きたがっているのを知っていたからだろう。
「パルシャの方は?」
「話し合いにはまだ何時間もかかるみたいですね。というか、午後は俺も呼ばれてます。ちょっと大がかりな計画ですしね」
 彼らが何をやろうとして、その苦労をしているかはラウルフィカも知っている。だがもともとその役目をラウルフィカから取り上げたのも彼らだ。だから容赦はしない。
「では午後から数時間は余裕があるだろうな。その間にあの少年を手懐けてしまえばいい」
 ラウルフィカはパルシャも参加する会議ができるだけ長引くようザッハールに指示を出す。
「えー、そんなのつまんないですよ」
 普通、会議が好きだという人間はいない。会議が物凄く好きだという者は珍しい。
 だが、会議に心から真剣に参加している者となればどうだろう。
「お前のことだ。どうせ魔術で私の様子を覗き見するつもりなんだろう?」
「あ、え? ばれました?」
 ぺろりと舌を出すザッハールに嫣然と笑いかけ、ラウルフィカはそろそろ約束の時間になり、書類も書き終ったのを確認して部屋を出る。

 ◆◆◆◆◆

「いや、彼は凄い才能の持ち主ですな!」
 レネシャの待つ応接間に赴く前に、ラウルフィカは午前中彼と話をしていた経済の教師を呼び出した。
 いくら暇つぶしを与えたところで何時間も一人で待つのは退屈だろう。しかし普通の召使は用事があるし、案内もなしに王宮を歩きまわるのは迷う危険がある。午後からラウルフィカが直々に案内をするのだと言ってあるのだからその楽しみがなくなる。
 そういうわけで、他者が見れば半ば軟禁のような形で一人待ち続けたレネシャのもとにラウルフィカは自分の教師の一人を送り込んでいた。
「そんなに優秀なのか?」
「ええ。ああ、もちろん陛下も最高の教え子でありますし、その才能を否定するようなことはありませんが」
「もちろんわかっていますよ、先生。それに経済に対する私の考えはそれこそパルシャの影響も大きいのですから、その直接の息子である少年が優秀なのは当然でしょう。どうか、感じたままをそのまま話してください」
 ラウルフィカは王となってから、ゾルタたちに執務をほとんど預けながら王としての勉強と仕事のやり方を学び続けていた。皮肉なことにあの五人に直接関わったおかげでどの科目も急速に実力を伸ばした今ではほとんど授業を受けることはないが、それでも世話になった教師陣とはこうして交流を続けている。
 彼らの裏をかくためには、彼らの考えにはない部分を自分で構築する必要があるからだ。そのために優秀な教師たちは厚遇し、機嫌をとっている。今でも頼みごとがあればたびたび融通を利かせ、その代わりにこちらも用事があれば頼むといった具合だ。
「陛下はなにより人格的に公平なのでお話もしやすいですよ。大きな声では申し上げられませんが、私が担当した貴族の子弟の中には他の生徒を褒めると不機嫌になってしまう方も大勢……いやいやこれは余計な話でしたな」
 無駄口を一度閉じて、教師はレネシャに対する印象を話した。ザッハールが集めて来た情報と合わせて、これがレネシャの存在を今後どう活用するかの仕上げとなる。
「大商人パルシャ様のご子息だけあって、商売に関する熱意は並々ならぬ方です。しかしご本人は、家の紹介を継ぐのではなく王宮の財務庁に努めたいのだとか」
「王宮に? 役人になるということか?」
「はい。そうそう、彼はなんでも陛下が憧れの人だそうですよ。今の自分と同じ年齢で玉座につき、これまで国を支えて来たなんて凄い、と」
「ということは……彼は十三歳なんですね?」
「ええ。そうだとお聞きしましたが」
「なるほど……」
 そのくらいだとは思ったが、改めて聞くと感慨深い。十三歳。ラウルフィカがこの終わらない悪夢に足を踏み入れた頃。
 他にも教師はレネシャがどれだけ優秀かを説明した。王宮で王子の、引いては王の教育官を勤めただけあって、その話しぶりは見事の一言につきる。要点を纏めて話の根拠となる出来事を語り、わかりやすく結論を告げる。おかげでだいたいラウルフィカの中でレネシャに対する認識ができあがりつつあった。
 あとは本人と直接話して確かめればいいだろう。
「ありがとうございます、先生。それではまた今度、何かあったらお願いします」
 この後仕事があるという教師を見送り、ラウルフィカは応接間へと向かった。
「待たせたな、レネシャ」
 彼が入るなりぱっと顔を輝かせた少年相手に、いかにも優しそうに微笑みかけて見せた。