劫火の螺旋 02

12.反撃

「――この件に関する代案の提出は以上だ。何か質問のある者は?」
 ラウルフィカが問いかけると、会議室はざわめいた。経済庁の役人たちと国の主だった商会の代表者たちを集めての会議である。
 国内で持ちあがった問題に対しラウルフィカはこれまで決まりかけていた案を蹴り、その代わりとしての意見を発表したところだった。突然の変更に列席者たちは戸惑う様子だが、これと言った反対意見もあがらない。
「では、この方向で進めて良いだろうか。不足と思う部分に関しては忌憚なく意見してくれてかまわない」
 商人の一人が手を上げて意見、否、ついにその質問を口にした。
「当商会は陛下のご意見に反対する気はございません。ですが陛下……その……その案は本当に……」
「何が言いたいのだ? マティスト商会代表」
 ラウルフィカが余裕の流し眼を送ると、男は一瞬躊躇うように沈黙した。しかしまだ若い商会の跡取りは自らの感情を押さえきれなかったようで、ついに問いを言いきる。
「その案は、本当に陛下のご意見なのでしょうか?! 以前まで陛下が口にされていたお考えとは、随分方向が違う様子ですが」
 ある程度の発言を許されている立場とはいえ、ついに言ってしまったと会議参加者の何人かは目を覆う。
 しかし国王が激昂すると考えた者たちの危惧は外れ、ラウルフィカは上機嫌でマティスト商会の若旦那を褒めた。
「ああ。その言葉を待っていたのだ。貴殿の言う通り、この案は私が一人で考えたものではない。私はあとから手を加えただけ。原案制作者は他にいる」
 あっさりと自らの提出した議案を自作ではないと言ってのけた国王は、会議室の入口に目をやった。
「今日はそのことについてここに集まった一同に話をしたいと思ったのだ。では、先程の計画の発案者を呼ぼう――レネシャ、入るといい」
 会議室の中で一人が立ち上がった。ぶくぶくに肥えた肉だるま――パルシャである。
「レネシャ!」
 ラウルフィカの合図で会議室内に足を踏み入れ優雅な礼をしてみせたのは、パルシャの息子、レネシャだった。
「な、ななな何故お前が!」
「父上、国王陛下に依頼されて今回の議案を作成したのは、僕です」
「レネシャ?!」
 息子を溺愛するパルシャは今にも気絶しそうに蒼白な顔をしていた。彼にとっては大事に大事に育てていたはずの息子が、自分の知らぬ間に国王の言いなりになっていたことが信じられないらしい。
「陛下、これはどういうことですかな?」
 経済庁の現長官は思慮深く王に向かい尋ねた。国王自らが作成したと言われる計画がこんな年端もいかぬ少年のものであったことは驚きであり、また不安でもある。
「彼はヴェティエル商会のパルシャが第一子、レネシャ。まだ幼いが、その実力はご覧いただいた通りだ。今回のことは、レネシャの実力を皆に知ってもらいたくて行った」
「実力があるから彼を高官としてつけよ、と? 陛下、いくらなんでもそれは……」
「さすがにそこまでは言えないな。幾人もに指摘された通り、この計画には穴もある。視点の足りなさもある。だが、この歳の少年にしてはレネシャの手腕が優れていることも認められるだろう」
 手持ちの資料に再び目を落とし、彼らは一様に首を傾げた。その顔には戸惑いの色が大きい。
「私の名を騙らせたとはいえ、貴殿らから見れば同じく若輩者なれど曲がりなりにも五年間国王として努めて来た者が出してもおかしくはない計画だと納得したから賛成してくれたのだろう? 今すぐ官の席を与えよとは言わぬが、まずは彼が役人見習いとして城に特例として上がることを許してほしい」
「レネシャ殿、年齢は」
「今年で十三になりました」
 緊張の色を浮かべた少年は、青ざめながらもはっきりとした声で答える。
「ヴェティエル商会には子がお一人しかいないと伺っておりましたが、その後継ぎ殿が役人になりたいというのはどういうことでしょう? 彼は自らの商会を継ぐのではありませんか?」
 彼らはレネシャを見て明らかに取り乱した様子のパルシャに視線をやった。ラウルフィカが小さく笑う。
「息子思いの父親殿は、これから私が国王として説得することにしよう。貴公らの意見はどうだろうか?」
「……国王陛下のお考えのままに」
「私もです」
「異議はありません」
 経済庁の人間も商会の実力者たちも、それぞれの思惑を秘めた目で頷いた。計算高い彼らには、同じく計算高い国王が自らの名前まで騙らせてまで推薦したい少年を退けることがこの場では得策にならないことに気づいたのだ。
「それではこの計画に関する役割分担へと話を移そうか。レネシャ、お前はまだ見習いであって国を実質的に動かす者ではない。下がり、この後の指示を待て。パルシャ、貴殿は席に着くように」
「で、ですが陛下」
「会議はまだ終わってはいないぞ。まぁ、私もこの後は貴殿と話しあうために時間を空けねばならぬわけだが、な」
 顔面蒼白なパルシャにラウルフィカはあくまで国王然とした穏やかな笑みをたやさず着席を促した。レネシャにいたってはラウルフィカに声をかけられた時点で礼をして下がっている。
 パルシャの胃の腑を縮めるような会議が再開された。

 ◆◆◆◆◆

「こ、こく、国王陛下!」
 蒼い顔のまま意を決して部屋を尋ねたというのに、ラウルフィカは自室にいなかった。パルシャは慌てて国王の姿を求めて城中を走り回った。
 話し合いなどと言いながらさっさと姿を消した国王を探しながら、パルシャの頭にはちらりと、ゾルタやナブラを頼るという考えが頭を掠めた。しかしすぐに放棄する。
 お互いの利益のために一時的に手を組んだとはいえ、彼らは真の意味でパルシャの味方というわけではないのだ。こんなことを知られれば、息子くらい切り捨てろと言われるかもしれない。パルシャにとって、それだけは耐えられないことであった。
 先週息子を国王に預けた時から、パルシャは嫌な予感を覚えていた。それが現実となってしまった。レネシャは家では大人しくしていたが、国王について話す口ぶりはこれまでの比ではないほど浮かれていた。
「どこだ。一体どこに……」
 とにもかくにもラウルフィカの姿を探し求め、彼は人気のない寂れた一角へとやってきた。
 壁の色もくすみ、掃除もほとんどされていないような寂れた空間。昔の使用人部屋がまだ改築されずに残っているらしい。人気がないはずのそこから、微かな声が漏れ聞こえる。
 パルシャは声の聞こえる方へと足を向けた。
「おっと、お早いお着きで」
「ザッハール。何故貴様が」
「俺のことなんざ今はどうでもいいんじゃない。それより、あっち見てみなよおっさん」
 国王傀儡計画の最も歳若い共犯者は、唇に指をあてて声を潜めるよう指示しながらパルシャを自分のいる場所まで手招きした。その方向に近づくほどに声が大きくなる。
 パルシャの背に嫌な汗が浮かんだ。
「ま、まさか……」
「そのまさか。ほら」
 ザッハールが指さす扉の隙間から狭い室内を覗き見ると、そこからは睦みあう二人の少年の姿が見えた。一人は彼が探していた国王で、もう一人は。
「ああ、ラウルフィカ様……」
「ん、いいよ。レネシャ」
 思わず声をあげそうになったパルシャの口を、ガッと乱暴な手つきでザッハールが塞ぐ。
「気をつけろって。陛下はともかく息子にバレた方が今の場合、ヤバいんじゃないの?」
「だ、だが今のは、レネシャが!」
「無理強いならともかく合意だって言われたら誰も止めらんねぇし」
 じゃ、あとは自分でどうにかしてね。と気楽に無関心にそう言って、ザッハールは姿を消した。あとには扉の外でへたりこんでいるパルシャと、部屋の中で何も知らず肌を重ね合う二人の少年が残される。
 否、何も知らぬ、ではない。
 レネシャの上に覆いかぶさっていたラウルフィカが、扉の隙間から覗くパルシャに気づいた。唇の端を静かに持ち上げて不敵な笑みを見せる。
「レネシャ」
「はい?」
「これ、……してくれるかな?」
 ラウルフィカがやわらかく頭を撫でると、レネシャはその手の感触にうっとりとして応じた。
「はい、僕……陛下のものを綺麗にします」
 レネシャは寝台を降り、端に腰掛けるラウルフィカの足元に跪いた。そして先程まで彼の中を突き白濁をぶちまけた男根に愛おしげに口付けすると、そのまま唇を開いてラウルフィカの欲望を口内に招き入れた。
「ん……」
「そう、いい子だね。レネシャ」
 ラウルフィカは口淫に夢中なレネシャの頭を撫でながら、視線は部屋の外で覗き見しているパルシャへと向けていた。
 息子の痴態に父は蒼白な顔をしている。それも他の誰かではなく、「あの」国王と情を交わしているのだ。恐慌状態に陥らぬわけはなかった。
 ラウルフィカはそれから更にもう一度レネシャの体内に精を放ち、先程彼のものを舐めとったことも構わず少年の唇に深く口付けてからレネシャを解放した。
「先に湯を使うといい」
「え? ですが陛下……」
「急に用事ができてな。すぐに終わらせていくから。お前が無理しない範囲で待っていてくれれば後から行く」
 暗に浴室での二度目の行為を示唆すると、レネシャは嬉しそうに肌を染め先に体を洗い流しに向かった。その間にラウルフィカはとるものもとらず立ち上がると半開きだった部屋の扉を開け放ち、部屋の前で腰を抜かしているパルシャの前へと立つ。
「盗み見とは品が良くないぞ、パルシャ」
「へ、陛下! わしの息子になんてことを!」
 掴むものもない裸の胸に、パルシャは必死で縋りつく。ラウルフィカは鬱陶しそうにその手を払って言う。
「勘違いしてもらっては困るな。レネシャとは合意の上だ。それとも私があの子を強姦したとでも?」
 パルシャが盗み見ていた短い間にも、レネシャがラウルフィカを慕ってあのように肌を重ねていたことは明らかだった。しかしパルシャはそう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「あの子はまだ十三歳なんですぞ! し、しかも女ならばまだしも少年相手にあんな」
「だからどうした」
 女性ならばまだ辱めを受けてもそれを盾に婚姻を迫るという手段がある。それが許されるかどうかはおいておいて、相手が国王であるということを考えれば、それは悪い取引ではない。だが男が相手では、どう言い募ったところで愛人、それも非公式の日陰の身である愛人にしかなれない。
 幼い息子を弄ぶ王に必死で訴える父親をラウルフィカは冷たい眼で見下ろした。
「お前がそれを言うとはな、パルシャ。五年前、十三歳だった私を無理矢理犯したのはお前ではないのか?」
「ッ――」
 パルシャは言葉を失った。
「それとも、お前の望み通りにしてやろうか。私からレネシャに別れ話でも持ちかけるか? まぁ、あの子は気弱そうに見えてなかなか、そう簡単に引き下がる性格でもないようだし、何故私がこうなったか、一から全てを説明しなければならないかもしれないが」
「や、やめてくれ! それだけは!」
 全てを話すということは、パルシャがしたことが息子に知れるということだった。ここまで清く美しく育ててきた息子の耳に、その憧れの国王の口から、今の息子と同じ年だった彼をパルシャが犯したことが知れるのは耐えられない。
「レネシャは私に相当の好意を抱いているようだ。なぁ、パルシャ」
 相当も相当だろう。何せ身体まで差し出すのだから。最初に顔を合わせて以来、レネシャは何度も王宮にラウルフィカへと会いに来た。媚薬を使ったのは最初の一回だけだと言うのに、それ以後も少年はラウルフィカが求めるままに足を開いた。
「私が言えば、レネシャはどんなことでもやると思うぞ。例えば犯罪に加担したり、余興だと言って不特定多数の男に一度に抱かせることもできるな」
「やめてくれ! あの子を傷つけるようなことはしないでくれ!」
 レネシャが普段からどれだけラウルフィカに憧れているか骨身に染みて知っているパルシャとしては、息子を傷つけるようなことをラウルフィカがするのも許せなかった。こうして関わってしまったのであれば、せめて、国王が彼を愛しているという夢を見せたままで。
「いいとも。その願いを聞き届けよう。パルシャ・ヴェティエル。私は優しい王様だから、自分の臣下の願いは聞いてやらなければ。なぁ?」
 ラウルフィカは腕を組んで壁にもたれ、跪いて請うパルシャを見下しながら笑った。その笑みは残酷で、しかしこれまでの従順で気弱な少年の仮面を剥がした彼の素顔は誰よりも美しい。
「けれどパルシャ、この世は何も無償では成り立たないということ、商人のお前ならわかるよな。お前がもしもゾルタたちにしろ別の人間にしろ援軍を得て私に逆らうと言うのなら、私がレネシャをどうするか――わかるね?」
 問いかける形で念押しするラウルフィカの声音はぞっとするほどに涼やかだ。パルシャは凍りついたようにぎこちなく頷いた。
「は……はい、陛下……わしはけして、あなたを裏切りはいたしません……」
「いい返事だ」
 ラウルフィカは踵を返した。
「それではそろそろ私は浴室に向かうとしよう。可愛い恋人を待たせているからね」
 パルシャが膝から崩れ落ちる音を聞きながら、ラウルフィカは五年前のあの日以来浮かべていなかった笑顔を浮かべる。
「ハハハハハ。ハーッハハハハ!」
 反撃の一手は投じられた。あとは全ての盤面を覆すばかりだった。