劫火の螺旋 03

14.軍人

 薄着の兵士たちが訓練用の木剣を振りまわす。野外の空気は常に吹き込む清涼な風に散らされるが、それでも僅かに汗のにおいが漂っていた。
「ここが練兵場だよ、レネシャ」
「お連れいただきありがとうございます、陛下」
 ラウルフィカとザッハールは、レネシャに練兵場での兵士たちの訓練の様子を見せるという名目で、練兵場を訪れていた。
 もちろんラウルフィカの権力であれば、自国の兵の訓練などいつでも見物することができる。しかしそれでは、今最も警戒するべき人物、ミレアスの目にも留まらぬはずがない。
 軍人としては上級大将、更に国内を二分する派閥の頂点に立つ男、それが現在のミレアスの立場だ。国王が訓練を視察に来るとなれば当然彼に報告が行かぬわけもなく、何を企んでいるのかと警戒させることとなる。
 レネシャの存在は、そういったミレアスの警戒を解くには最適だった。対外的にはパルシャの息子として名前を知られているレネシャが一緒にいれば、ラウルフィカがレネシャを操っているのではなく、パルシャが何かを考えていると思われるだろう。
 ゾルタをはじめとする残りの三人は、まだパルシャが息子の存在を盾に取られラウルフィカに屈したことに気づいていない。
 軍人としては仕事熱心にも今日も練兵場で汗を流しているミレアスを見ながら、ラウルフィカはそう考える。
 今ラウルフィカたちがいる場所は、練兵場を円状に囲む座席だ。むしろ座席があることを前提に練兵場は作られている。普段は兵士たちの訓練に使われているが、御前試合や剣術大会など何か大きな武舞台を必要とする催し物が開かれる時は、全てここで行うのだ。闘技場と呼んでもいいだろう。
 御前試合を見物する際にはもう少し地面から離れた高みに広く作られた座席に王として座るラウルフィカだが、本日は兵士たちの様子をよく見るために、最前列の席にいた。
「レネシャ、お前は何か気になる人物はいるか?」
 一通りあたりを見回したレネシャに声をかける。
 金髪の少年はラウルフィカに呼ばれると子犬が尻尾を振るように喜びをあらわにして振り返った。そして少し考える素振りを見せると、ここはやはりと言うべきか、ミレアスの方を指差した。
「あの方です。ミレアス上級大将。たしかバドレ家の出身でしたよね?」
「そうだ。現在この国を背負って立つ二大軍人のうちの一人」
 二大とはいっても、そのうちの一人はもはや老齢だ。彼が退役するようなことになれば、軍部はミレアスの独壇場になるだろう。ラウルフィカとしては、それだけは避けたい。
 他にまったくミレアスに匹敵する人物がいないわけではない。だがラウルフィカの敵である宰相ゾルタは彼とは逆に、自分と同盟関係にあるミレアスが軍の権力を掌握していた方が都合が良いために、ミレアスと対立しそうな候補が持ち上がるたびに潰しているのだ。
 自らの権力を維持しようと汚い事は何でもやる彼らの浅ましさが、ラウルフィカのみならず、本来ならば国で相応に実力を評価されるべき未来ある若者たちの将来まで台無しにしている。それは国王として許せることではない。
 だがなまじ、ミレアスが無能ではないからこそ生半な理由をつけて彼を排することは難しい。ゾルタやナブラはミレアスの対立候補を潰すのには一役買ったが、ミレアスが出世するのにはなんら手を貸していないという。その辺りはラウルフィカも探りを入れて聞いたことがある。
 実際、ミレアスは強い。ここでこうして見ていても、彼一人がまるで化け物じみて突出している。
 兵士たちのほとんどは一対一どころか、二対一でも彼に膝すらつかせることができない有様だ。
「噂通り、恐ろしく強い方ですね。ミレアス殿」
「……そうだな」
「父がよく褒めていました。若いうちからあれだけ強いのは珍しいと」
 パルシャはミレアスと同盟関係にあったから自然とそういった発言も口を突いて出るのだろう。だがそれに続く息子レネシャの言葉は違った。
「でも僕は、あの方がそんなに優れた人間には見えません。確かに恐ろしく強いのですが……でも、彼はそれだけの人間のような気がします」
「レネシャ?」
「周囲の人々とのやりとりを見ていればわかります。動きの悪い人を気遣うだとか、周りの意図を汲み取って動くだとか、そういう気配が一切ありません。向こうのジュドー将軍は、事あるごとに部下に声かけしていますよね?」
 レネシャの発言はまさしくミレアスという人物の本質を指摘していた。個人としての戦闘力では群を抜いているが、集団の指導者としての才覚はそれほどではない。それがミレアス。
「個人で強い兵士は褒章を与えるなどしてそれ相応に遇するとして、軍の指導者としてはもっと適役がいるのでは……あっ、す、すみません!! 勝手なことを言ってしまって!」
 レネシャは出過ぎた真似をした自分を恥じるように赤くなったが、ラウルフィカはむしろレネシャの観察力に驚いていた。今レネシャが指摘したことは、常々ラウルフィカも思っていたことだからだ。
「よく見ているな……レネシャ。いや、かしこまる必要はない。お前の忌憚ない意見が聞けて嬉しいよ」
「ほ、本当ですか? 陛下」
 泣きだす前のように目元を薄らと赤く染めて、上目づかいでラウルフィカを見つめてくる。レネシャはいつだって反則的に愛らしい。
「ああ」
 ラウルフィカは思わず口元を緩め、自然と手を伸ばしてその金髪を撫でていた。
 しかし背後で、わざとらしい咳払いが邪魔をする。
「あー、ごほんごほん。陛下、レネシャ殿と仲がおよろしいのは結構ですが、練兵場に来て訓練を視察しないのでは、国王陛下がお出でになるからとはりきっている兵士たちががっかりしますよ」
「……そうだな」
 ラウルフィカはレネシャと共に再び兵士たちの訓練へと視線を戻した。というのは見せかけで、レネシャが訓練の様子に意識を戻したのを見計らい、背後の護衛に視線を向けた。
(何のつもりだ? ザッハール)
(いいえ。別に。俺にはなんのことだかさっぱりわかりません)
 見え透いた嘘をつく魔術師を半眼で睨み、ラウルフィカもまた視線を兵士たちが居並ぶ地面へと向ける。
 名目上はレネシャへ練兵場での訓練の様子を詳しく見せるため。だが、ラウルフィカ個人としてはもう一つ目的があった。むしろそちらが本題だと言っていい。
「レネシャ、あちらの男はどう思う」
「あちら……というと、カシム・レガイン卿ですか?」
「そうだ。ジュドー将軍の一の部下だ」
 淡い茶髪に深い緑の瞳をした、ザッハールより幾つか若い青年へと指を向ける。
「生真面目そうな方ですね。人付き合いが悪いわけではなさそうですが、一人で黙々と訓練していますね」
「そうだな」
「僕は商人ですから、ああいう裏表のなさそうな方は家業では使えなさそうと思うんですが」
 レネシャの評価は結構辛辣だ。商売に偏りすぎだとも言える。しかしその人物像自体は間違ってはなさそうだ。
「でも軍人としてはむしろそういう方のほうが好まれるんでしたよね」
「ああ。上官に虚偽報告をしたり、できないことをできると言うような奴は信用ならんからな」
 カシムという名の兵士は、目立つ容姿と実力の割に品行方正で知られていた。ジュドー将軍自身が高潔な人物で、その一の部下である彼も清廉潔白だとか。王宮に出入りする者の間では面白味がないと言われることも、いつも凛としていて素敵と言われることもある。前者は主に男性からの評価、後者は女性だ。
「陛下は彼を推すつもりなのですか?」
「その通りだ」
「最近の軍部はミレアス将軍の話で持ち切りですからね。ジュドー将軍はすでに老齢ですし、まだ若いカシム卿を盛りたてて二つの勢力を平衡に保つには有効だと僕も思います」
「お前は話が早いな」
 まだ十三歳だというのにここ五年ほどの話を差して「最近」と言ってのけるレネシャにラウルフィカは苦笑する。自分が十三の時、こんなに利口で自国のあらゆる物事に目を向けていただろうか。
 過去は遠ざかるほどに懐かしくなる。それでも思い出さなければ何を感じることもないというのに。最近はレネシャと話すせいか、昔のことを強く思い出すことが多くなった。
 だが、今のラウルフィカにはやらねばならぬことがあるのだ。過ぎ去った時間などに目を向けている暇などない。
 その後もレネシャと意見を交わし、兵士たちの訓練の様子をしっかりと視察した後でラウルフィカは宮殿に戻った。

 ◆◆◆◆◆

 ふいに視線を感じ、彼は振り返った。
 普段は御前試合でもなければ人のいない観客席、今は数百を超す兵が訓練をしているのだから当然閑散としているべきそこに、今日は三つの人影がある。
 一人は銀髪の魔法使い、一人は金髪の少女のような面差しの少年、そして最後の一人は、この国の国王。
 国王ラウルフィカ陛下が視察に来るという話は聞いていた。遠目に眺めれば、隣に佇む金髪の少年と何事か言葉を交わしている様子だ。恐らくあの少年に訓練の様子を見せに来たというところだろう。
 訓練は時間を決めて行われる。かなりの広さの練兵場とはいえ兵士全員が一度に入れる訳もなく、交替で鍛錬するのだ。
 折しも休憩時間に入ると、若い兵士たちが皆して今日の見学者たちの話で持ちきりだった。
「おい、見たか! 陛下のお姿!」
「ああ。見た見た。それに隣にいた金髪の子も可愛かったよなぁ」
 十代から二十代の若い兵士にとって、貴人の護衛は憧れの職の一つだ。特に王宮勤めの兵士ともなれば、誰もが一度くらいは王族の護衛という夢を見るもの。
 王の騎士という言葉はそれだけで庶民の心を踊らすものだが、更にこのベラルーダの現在唯一の王族、ラウルフィカ王の美貌が兵士たちの憧れを倍増させていた。
 艶やかな黒髪をうなじが見えるほど短くしているラウルフィカ王は女性に間違われるということこそないが、その容姿に関しては間違いなく女性的な美しさを持つ美少年だと言わざるをえない。女っぽいというのではなく、男とは思えないほどにただ美しいのだ。中性的とも、あるいは性別を超越した美しさとも言われる。涼やかでしなやか、清らかでどこか儚げな空気はその年代の少年にしか持ちえない硬質さを持っているものの、洗練された物腰から漂う気品が彼をどことなく色香の漂う存在と見せている。
「一度でいいからあの白い御手に触れてみたいよなぁ」
「ああ。こんな視察なんかじゃなく、もっと近くでお目にかかりたいよ」
「――こら、お前たち」
 若い兵士の憧れが一歩間違えれば無礼な方向にまで暴走する前にと、カシムは彼らに声をかけた。聞き耳を立てていた者や、今まさに国王の姿を眺めていた者たちが皆一様にどきりとする。
「か、カシム大将!」
「王族への憧れを抱くのは良いが、あまりに過ぎた会話をするなよ。不敬罪で宰相閣下に首を斬られるぞ」
 カシムもまだ二十四と若いが、ここにいる兵士たちはそれこそまだ十代。上官に叱られて、首を竦めた。
「し、失礼いたしました!」
「へ、陛下のあまりのお美しさについ!」
「馬鹿! 何言ってんだよ!」
 若い兵士たちは、またうっかりと口を滑らせる。カシムは苦笑し、ここに彼らよりももっと年上の熟練兵などがいないのをいいことに、少年たちの憧れに理解を示した。
「確かに陛下は美しい方だ。昔から整った顔立ちの御子だったが、最近ますます美貌に磨きがかかってきたな」
「そうですよね!」
「ばっ、だから何言ってんだよ!」
 調子のよい一人を、もう一人の兵士が宥める。カシムは半分笑いながら言った。
「だがお前たちも男ならわかるだろう? 同性に綺麗だの可愛いだのと言われて嬉しいかどうか。それに陛下はお美しいだけではなく、五年前より立派にこの国をその才気で治めておられるお方だ。そのことを忘れないように」
 美しいだけの王族なら、まぁそれなりに存在する。権力者の元に美姫が送られて来るのはありふれたことで、正妻の子ではなくとも貴族の地位を与えられて可愛がられる王族などいくらでもいるからだ。
 しかし、ラウルフィカ王はそれらの見かけ倒しとは違う。あまりに美貌だけを湛えるのは、それしか彼の取り柄がないようで失礼だとカシムは若い兵たちを諭した。
 カシムの言葉に、二人の兵は納得した。確かにただ美しいだけの王族ならば、こんなにも多くの民の憧れとなることはないだろう。ラウルフィカ王は十三歳で玉座についたということ以外は特に目立つことをしたわけではないが、五年の治世の間、荒事の一つもなく国が穏やかであったために評判はそれなりに良い。
 叱られた二人も、カシムとのやりとりを傍で聞いていた他の者たちも、観客席のラウルフィカに思わず視線をやって思いを馳せた。
 ラウルフィカ王という存在には、大成した少年と美しき貴人という二種類の憧れを向けるに相応しい器量がある。美しくも有能で決して人当たりも悪くない王の存在は、ますます少年兵たちの憧れを強めたようだった。
 カシムは内心でこっそりと溜息をつく。嗜めたはいいが、王の美貌に魅せられた者たちの根本は変わってはいない。
 無理からぬことだと、カシム自身も思う。ラウルフィカ王は美しい。昔は整った顔立ちとはいってもまだ普通の子どもだった気がするのだが、年頃になってからの彼は生半な令嬢など相手にもならぬような涼やかな美しさを誇っていた。
 王族に近付きたいという願望があるのはカシムも同じだ。彼は、貴人の護衛という役目につきたくて兵士になったと言っても過言ではない。
 この人だと心定めた相手に、自分の全てを捧げたい。否、自分が全てを捧げたいと思うような相手に出会いたい。その相手を自分が守るという栄誉が与えられたら、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。カシムが願うのはそれである。
 カシムは何も貴族に取り入って騎士という肩書を得たいわけではない。相手が王侯貴族と言った貴人ならば誰でもいいわけではない。否、もしかしたら誰でもいいのかもしれない。しかしそれは、守るべき相手が自らの理想に適う相手であれば、貴族でなくても構わないという意味でだ。
 美しく有能な国王と言う存在は、そのような相手を欲するカシムにとっても憧れではある。だがカシムは立場上ラウルフィカ王と二言三言言葉を交わすことはあっても、親しく腹の内を割って話したことなどない。国王が人当たり良く気品に溢れ能力的に優れていることは知っているが、それだけとも言えた。憧れはあるが、それはあくまでも憧れであり、全てをかけて守りたいと言えるほどの熱情ではない。
 自身がそういった気持ちであることをわかっているからこそ、カシムは若い兵士たちのはしゃぎように複雑な思いを抱いていた。憧れとは逆にいえば、手に届かない物の名だ。身近に感じるものではなく、自分と遠い存在のことなのだ。だが人が真に守りたいものというのは、行き着くところは結局身近なものなのではないか。
 とはいってもカシム自身、ラウルフィカを彼らと同じく遠い存在だと認識しているのだからあまり偉そうなことを言える筋合いではない。王国のために、王のために命を懸けろと命が下れば躊躇うことなく従う自信はあるが、それはやはり自分が兵士としての理想を貫くだけであって、理想に手が届くこととは違うだろう。
 この人でなければ、と思わせるものがほしい。この人だからこそ命をかけ、自身の全てで守りたいのだと思えるような……そんな存在に出会いたい。
 カシムの願いはそれだけだ。剣の道を極め、それを自分が信頼できる人のために振るいたい。
 彼と並び称される、否、栄達の早さから言えば彼の方がその相手と並び称されるというべきだろう存在に、ミレアスと言う軍人がいる。
 しかしカシムは自分より先を行くその男を嫌悪していた。彼の振るう剣は全てを破壊するだけだ。何を守ることもない。あんな男のようにだけはなりたくない。
 そのためにも、自分は守るべき人が欲しい。
 それだけならば恋人を作れと言われて終わりそうなのだが、カシムは自分が求めるものは、それとはなんとなく違うような気がしていた。それ――恋ではなく、自身が求める熱情は、むしろ……。
 一度だけこの理想を上官であるジュドー将軍に話したことがある。その時ジュドーは、自分にとってその相手とは前王だと言った。ラウルフィカ王の父王こそが将軍にとって守るべき存在だったのだと。誰よりも敬愛する主君に出会えたことこそが、自分の人生の最大の幸福だと。
 カシムも叶うならば、そのような相手に――生涯の全てを懸けてもいいと思える主君に出会いたい。
 それがラウルフィカ王なのかどうかは、彼にはまだわからない。

 しかし転機は、すぐそこに訪れていた。