17.決闘
翌日、カシムが訪れたのは宮廷魔術師長ザッハールの部屋だった。
「は? 試合の援護をしてほしい?」
さすがに彼が自分の所に来ると予想していなかったザッハールは驚いた。確かに昨夜カシムがラウルフィカたちの姿を見つけるよう用事を言いつけたのはザッハールだが、表向きザッハールとラウルフィカの間にはただの国王と魔術師以外の関係はない。
とはいえその後ザッハールはラウルフィカの傷の手当てにも行っていたのだ。カシムから見ればザッハールはラウルフィカの腹心ということになるのだろう。
魔術関係の資料や怪しい薬、何かの生き物の骨、羽根。怪しい蝶の標本に怪しい魚の泳ぐ水槽。などなどが置かれた怪しすぎる自室でカシムを出迎え、ザッハールはその話の内容に声をあげる。
「なんでまたそんなことを……」
カシムがザッハールに依頼してきたのは、この月の終わりに開かれる剣の大会で、自分がミレアスに勝てるよう援護をしてほしいということだった。
王の前で試合を演ずるその大会は、御前試合とも呼ばれ一年に一度開かれる。優勝者にはそれなりの褒章が与えられ、兵士たちの士気を盛り上げる行事の一つとなっていた。
しかし、この大会で実際に褒章が支払われたことは数少ない。
何故ならここ五年ほどは一人の男が大会で優勝し続け、その褒章にいつも特に願うことがないと返し続けているからだ。軍人が王にねだるのだからあまりにも不道徳で非常識なものはありえないが、それでも一角の地位や領地程度ならば、何度も優勝したならば望んでおかしくはないと言われるこの大会。五年連続の優勝者こそミレアスだった。
カシムは前回の大会でミレアスに破れていた。老齢のジュドー将軍はすでに若者と腕を張りあう必要はないと参加を辞退し続けているため、彼らの派閥の中ではカシムが最高の地位と能力を持つ者である。だが去年はカシムの実力は惜しくもミレアスに及ばなかった。
今年もこの二人の一騎打ちが見ものとなるだろうと噂されているのだが、ここにきてカシムがミレアスにだけは負ける訳にはいかないと、ザッハールに不正を依頼する。
「規則違反どころの問題じゃなく……根本的に駄目なことだってことは……わかってるよな?」
剣術の試合で魔術師による援護などもちろん認められるはずもない。そんな規則もない。カシムはもちろんそれを知っており、わかっていてバレないようにザッハールを頼ったのだ。
普通ならば生半な魔術師による試合の妨害など禁じられているし、その対策もなされている。だが、この国最高の魔術師であるザッハールの手によれば、衆人環視の中でも余人に気づかれずカシムがミレアスを倒す援護をすることができる。不正は不正だが、そうと誰も気づかないのであればそれはカシムの実力として扱われる。
「私がとてつもない犯罪に貴公を巻きこもうとしていることはもちろんわかっております。そのことで貴公にご迷惑をおかけすることも。ですが、私はどうしても次の御前試合、あの男に負けるわけにはいかないのです」
ザッハールの目を真っ直ぐに見つめ、カシムはそう言った。ザッハールは更に尋ねる。
「前回優勝寸前までいったあんたのことだ。あんたがミレアスに勝つ。それはあんたの優勝を意味することになるんだが」
「そうです。私はあの大会で優勝したい。そして国王陛下に褒章を願うのです」
ラウルフィカの名が出たことで、ぴくりとザッハールの眉が上がる。
「……へぇ? 清廉潔白で知られる高潔な大将カシム様が、不正までしてミレアス卿に勝って、何を手に入れたいって言うんだ?」
「国王陛下の騎士の身分を」
カシムは淀みなく言った。ザッハールが表情を引き締める。
「ザッハール卿、貴公も知っておられるのでしょう。国王陛下があのミレアスに、手酷い扱いを受けておられることを」
ザッハールがスッと目を細めた。思案げな様子でカシムの話を聞く姿勢をとる。
「確かに俺はそのことを知ってはいるが……そんな重要な話を、そう簡単に口にしていいものかな?」
カシムはカシムで真剣だが、ザッハールもここでカシムのことを見定める必要があった。ラウルフィカの騎士となれば、四六時中、それこそザッハールが傍にいない間も国王の傍らに控えることになる。
「あなたは陛下の味方だと判断します」
「何故?」
「昨日私をあの場所に向かわせたのは、偶然などではないでしょう」
「まぁ、確かにな」
「そしてあなたも、本心では陛下とあの男が関係するのを止めたがっているのだと感じました。私をあの場に差し向けたのは、こうなることを予期してではないですか?」
カシムは馬鹿ではない。ザッハールの行動からそのように彼の意志を導き出した。ただ一つ違うのは、それがザッハールというよりも、ザッハールを従わせたラウルフィカの意志であることだ。
「他の者ではなく、ミレアスに対抗できるだけの力を持つ私ならば何か行動を起こすだろう――そうお考えになってのことでは?」
「……それがわかっているのならば、何故わざわざ俺のところに来た。不正などせず、実力でミレアスから勝利を奪えばいいじゃないか。その方が誰かにつけいられる隙もない」
一度不正を行えば、何かの事情でそれが明るみに出た際、その他全ての功績が他者の目から見れば実力とは信じられなくなる。すでにミレアスと拮抗した実力を持つカシムがわざわざそんな危険を冒すことこそ、ザッハールにとっては意外だった。
「もちろん私も試合には死力を尽くします。けれど、それでもミレアスに勝てるかはわからない。そして、私はあの男に勝てずとも、負けることだけは許されないのです」
許されない――誰が許さないというのか、あるいは誰が許すのか。
勝てずとも、負けることだけは許されない。実力で勝てなくともいい。ただ、負けたという事実を残さなければ。
カシムは言う。
「国王陛下は、その身を犠牲にしてまで国を守ろうとしておられるのです。陛下をお守りしようとする私が、ささやかな名誉に拘るわけにはいきますまい」
要人の騎士となるのはカシムの長年の夢だが、現在カシムがラウルフィカの騎士を目指す理由は違う。今回不正を働いてまで騎士の座を欲する理由は、その方がラウルフィカを守れるからだ。
カシムが一人でラウルフィカに忠誠を捧げ、その身をお守りすると誓ったところで、実質的には何の拘束力もない約束にしかならない。それは彼ら本人にとっても、対外的にも。カシムがどれほど強固にラウルフィカを守ろうとしても、例えば宰相ゾルタのように彼より上の身分の者がカシムを追い払おうとすれば、すぐにそうされてしまう。
そうならないためには、カシムがラウルフィカの一番近くで彼を守ることが不自然でない地位が必要だ。それこそが国王の騎士の座。
「協力していただけますね?」
頼みこむというよりももはや念を押すようにして言うカシムに、ザッハールは溜息で返した。この青年はあまりにも真っ直ぐ過ぎる。
言いかえれば、ラウルフィカを神聖視しすぎている。使い方を間違えなければ心強い味方となるだろうが、もしも何かあれば面倒なことになるだろう。
それでも今のところ、ザッハールにはこの申し出に頷くしかないようだ。
「だったら――作戦を詰めようぜ」
◆◆◆◆◆
御前試合の日は眩しい程の晴天だった。太陽がじりじりと照りつけ、濃い影を落とす。
国王であるラウルフィカの目前で開かれる剣術大会は、あらかじめ人々が予想していたように、ミレアスとカシムの決勝となった。
場所はあの練兵場だ。市民の観戦者も訪れ、結構な人出となっている。この機に食べ物や飲み物を売り歩く者や露天も開かれ、国中の一大行事と化していた。
何も知らない国民たちにとっては、ミレアスが今年も優勝するのか、それとも他の者が彼を打ち破るのか期待が高まるところ。そして国内の情勢を知る者たちにとっては、ミレアスが勝つか、ジュドー派のカシムが勝つのかで今後の対応が分かれるところであった。
ジュドー将軍はもはや老齢であり、数年のうちに引退することが決まっている。次にその座に上るのはカシムだと言われているが、彼は先年の大会でミレアスに負けた。
いまだ表だった話にはなっていないが、実はベラルーダは近頃隣国との交友関係が怪しい。領土を接して小さな小競り合いをし続けた国の一つが、何か裏で工作している気配があるのだ。近いうち戦争になる可能性がある。その時にどの派閥の軍人を支援するかが、貴族たちにとっても大きな問題だった。その判断をするのに、今回の大会は有用なのだ。
目の前で開かれる大会、兵士たちが純粋に体を鍛え技を競い合わせる。その裏では様々な醜い思惑が動いている。
ラウルフィカは皮肉な気分になった。物事の裏側の醜さにも、それを冷静に見つめている自分自身にも。昔はこんなことばかり考えていたわけではないのに、と。
ミレアスとカシムの試合が始まる。
開始の合図に、人々は息を詰めてそれを見守った。これだけの人数がいると、小さく声を漏らしただけでも大きなどよめきとなって聞こえる。
試合開始直後、優勢だったのはミレアスだ。相手のあらゆる反撃の手を塞ぐ剛の剣で、カシムに攻め込む。ミレアスの剣を打ち返すカシムの手つきに危なげなところはないが、やはり反撃は難しい。
二人は力も体格も拮抗していて、あとは純粋な技術の問題だけだった。あとは、性格。いつ攻め込みどう守るのか。相手の隙を見つけられるか。
――と、それまで何も問題なく剣を振るっていたミレアスの手が一瞬止まった。そこから、今まで防戦一方だったカシムが反撃に転じた。
何も知らぬ人々は、ミレアスの手が止まったのはカシムが攻撃の素振りを見せたからだと考えるだろう。だが違う。さりげないほんの一瞬だったが、ミレアスの動きが不自然に止まったからこそカシムが動き出したのだ。
あらかじめザッハールからそれを教えられていなければ、ラウルフィカもそれに気づくことはなかっただろう。
試合はカシムが勝った。あの一瞬の隙の後、ミレアスはついにカシムから優位を取り戻せなかった。
「お前の望みは何だ?」
ラウルフィカは国王として、大会の優勝者であるカシムに尋ねる。カシムはかしこまった姿勢のまま、頭を上げて答えた。
「陛下の騎士の座をください。私を御身を守る剣であり盾としてお使いください」
この五年、試合終了後はミレアスの淡泊な返事を聞き続けるばかりだった褒章のやりとり。この答に、周囲は湧き上がった。
あらたな大会の優勝者と、その望みによって生まれた国王の騎士という存在に、国中が湧きあがったのだ。