劫火の螺旋 04

20.女装

 ゾルタと順番を変わったというナブラは、その翌日に苦々しい顔をしながらやってきた。
「まったく、宰相閣下の我儘にも困ったものだ」
 出迎えたラウルフィカにそう愚痴る。ラウルフィカは何も言わず、いつものようにナブラのためにと手ずから茶を淹れてやった。普通にしていても中性的な美貌と言われるラウルフィカだが、本日は更に性別がわかりづらくなるような服を着ている。これも、ナブラが来る日においては「いつものこと」だった。
「ふぅ……」
 他国から取り寄せた良い香りのするハーブティーを飲んで、ナブラはようやく人心地ついたという顔をした。彼の仕事は確かに激務であり、愚痴や不満が人より多少多くてもおかしくはない。更に彼は五年前に結婚した妻と結婚生活が上手くいかず、本来憩いであるはずの家庭に戻ってからの時間が最も抑圧を感じるらしい。
 気分が落ち着いたところで、ナブラは本日持参したものを袋から取り出してラウルフィカに見せた。
「本日の“お土産”ですよ」
 手渡された絹の衣装をラウルフィカは手に取る。
「これを私に……?」
 その衣装は、明らかに女物だった。色は純白で、神殿の聖女など清楚な女性に似合いそうだ。露出は少ないが腕や胸元の一部など、ほんのりと控えめに透ける薄布が使われている。装飾に使われているのは銀糸の刺繍と、更にナブラは衣装に合わせた銀と真珠の首飾りや耳飾り、腕輪に指輪、足首の飾りまで用意していた。
 髪に飾るのは装飾品ではなくまだ瑞々しい生花だ。緑色のがくを綺麗に取り除かれ、真っ白い花の部分だけになった純白の花の髪飾り。すぐに枯れてしまう切り花を傷めない高度な細工だ。もちろん、絹の衣装によく似合う。
「こんな高価なものを……?」
「ええ、もちろん」
 ナブラの訪問にいちいち彼を喜ばせるような過剰な演技はしていないラウルフィカだが、彼が無表情で大人しく与えられたものを受け取るだけでナブラは満足のようだった。なんでも彼の妻は結婚前の評判とは違い大層な我儘だというから、妻のように与えられた品に安物だのセンスが悪いだの失礼なことを言わねばそれで十分らしい。
 実際、ナブラが持ってくる品はどれも高級素材で一流の職人が精魂込めて作り上げた名品ばかりだ。金額的にいつもただ高価なものを持ってくるのではなく、その時々のモチーフに一番似合う組み合わせを選ぶ。
 良い物とは単に高価な物だけを指すのではなく、素材やそれを作り上げる職人の腕、用途に合わせた品や格式、耐久性など全てを合わせて判断するのである。
 ナブラは代々続く大貴族の当主らしく、良い素材を商売上の工夫の末に安値で仕入れ、信頼できる良心的な職人に作らせた衣装や装飾品などに目をつける。色やモチーフの組み合わせも全体的に上品で、身につける者に品格があればあるほどますますその魅力が引き立つような品と組み合わせを好んだ。
 もちろんラウルフィカはそれら一流の品を着こなせないような王ではない。
 もっとも、それら全てが女物だということを考えれば、それらを真剣に選んでくる方もそれらの衣装が似合ってしまう方もどうかと思われるが。ある意味では、大貴族当主が真剣に選んだ、人を選ぶような上質な衣装を持ち前の美貌と気品で見事に着こなしてしまうラウルフィカが最も罪深いのかもしれない。
 本日ナブラが持ってきた品は絹と銀、そして真珠、花の髪飾り。この中で最も高価なのは真珠だろう。黄の大陸の砂漠地域に存在し海に面していないベラルーダでは、基本的に真珠は手に入らない。オアシスが多いので水に困ることはほとんどないが真珠の養殖ができるほど河に恵まれているわけではなく、真珠は基本的に他国からの輸入に頼っているため、莫大な値がつく。
 ナブラが持ってきた真珠はその財力をただ誇示したいような大粒の真珠ではなく、小粒の真珠を幾つか連ねて銀細工との組み合わせで魅せる職人技の一品物だった。この細工であれば小指の爪の先ほどの真珠であろうとも、それこそ考えられないような値がつくに違いない。
 そんなものをこんな夜の遊びのために贈ってしまうのだから、ナブラがゾルタからラウルフィカに入れ込みすぎだと忠告されるのも、事情を知る者からすれば当然だろう。幸いこの真珠と銀の装飾品は男女兼用できるデザインで、大貴族が国王に献上したという名目がつけばそれほどおかしくはない。
 典型的な女衣装――ドレスの方はもちろん誰にも見せるわけにはいかないが。
 ナブラにせがまれて、ラウルフィカはその場で贈られた衣装に着替えた。見る者を惑わすような中性的な美貌の国王は、女物の衣装に花の髪飾りをつければ、とてつもなく美しい女性にしか見えなくなる。
「ああ、思った通り、よくお似合いですよ」
 律儀に顔を背けていたナブラは、着替え終わったラウルフィカを見つめ感嘆の声をあげた。黒髪に青い瞳と白い肌のラウルフィカに、ナブラの用意した純白の衣装は確かによく似合う。しかし、全体的に白と銀でまとめ、青い瞳だけをアクセントとするはずだったその格好に一点だけ余計な輝きがある。
「む」
 自分の選んだ服装が完璧には思ったような効果を発揮しなかったのを見て、ナブラは不機嫌に眉根を寄せた。原因はわかっている。彼はラウルフィカの腕をとった。
「宰相殿め、どこまでも忌々しい」
 思わずゾルタへの明らかな敵意を口にしながらナブラが睨んだのは、ラウルフィカの細い手首にはまった金の腕環だった。白い肌に白い服の中で一点だけ自己主張強く輝きを放つ黄金の腕環は、ゾルタによるラウルフィカ所有の証だった。
 ラウルフィカに自分の贈った衣装を着せてまさしく自分色に染め上げたいと考えていた男にとって、その腕環は二重の意味で忌々しいものでしかなかった。
「いえ、愚痴はよしましょうか。そんなことで一日遅れたあなたとの貴重な時間を浪費するのは馬鹿らしい」
 そうしている間にも時は刻一刻と過ぎているのだと、ナブラは頭を切り替えたようだ。ドレス姿のラウルフィカを抱きかかえ、寝台の脇に座らせて自分はその足元から彼を見上げる。
「ああ……あなたは本当にお美しい」
「ん……」
 ナブラはラウルフィカの、銀の足飾りがはまった足をそっと両手でおし抱いた。夜毎召使の手で隅から隅まで磨かれるラウルフィカの肌はどこをとっても肌理細やかで滑らかだ。足首からふくらはぎまで、ゆっくりと唇でなぞっていく。
 不自然に足を広げられて下衣がめくられるのが恥ずかしいと、ラウルフィカが足の間の布地を手で押さえこむ。恐らく女性がその格好で感じる恥じらいとは違い慣れない女物でそのような格好をすることに抵抗があるという意味なのだが、ナブラはそうはとらなかった。ラウルフィカの反応を見て、本物の女性を見ているかのように興奮を覚えた。
「私のラウルフィカ……」
 手を取り、その甲にゆっくりと唇を押しつける。ナブラは寝台脇に屈んでいた姿勢から立ち上がると、正面からラウルフィカと唇を合わせた。決して性急にも乱暴にもせず、ねっとりと舌と舌を絡め合う。
ラウルフィカも自分が下手に抵抗しなければこの男の場合は妙な気は起こさないと知っているので、大人しく口付けを受けた。どうせ自分は彼に幻想を抱く男たちが思っているほど清純ではないのだから。痛くせず気持ちよくしてくれるなら、誰でもいいのだ。
 しかしラウルフィカの容姿がそう思わせるのか、どこまでも清純に見られる彼を相手にする男たちはそうは思わない。
「あ……」
 寝台に押し倒されて、ラウルフィカは小さな声を上げた。ナブラは薄らと笑み、敷布に散らばる黒髪や、乱れた衣装の裾から覗く白い足を見ている。熱っぽい視線を感じ、ラウルフィカは思わず顔を背けた。その髪の間から覗くうなじがまた、男の視線を引き付けるのだとは知らず。
「綺麗だ……本当に、あんな女とは大違いだ」
 あんな女というのは、ナブラの妻のことだ。そこそこの家柄の貴族であり美姫として名高かったが、実際に結婚した後のナブラからすればあんな最悪な女はいないとのことだった。
 ラウルフィカが本当にただの子どもだった頃には、ナブラは国王の身分にある少年を弄ぶ快感は得ていても、それ以上の価値をラウルフィカに見出していたわけではなかった。
 彼がラウルフィカに入れ込むようになったのは、結婚して二年も経った頃か、妻との生活にほとほと嫌気がさして彼が心身ともに弱っていた頃だ。離婚しようにも妻は外面だけは完璧で、下手な理由を出せばナブラの方が悪く言われかねない。そもそも、貴族や王族は庶民と違ってそう簡単に離婚できるものではないのだ。
 庶民も世間体や利害などを考えればそう簡単に離婚できるものではないが、それでも貴族ほどのしがらみはない。
 妻の方としてもナブラが世間の評判から想像した性格に比べ期待外れだったらしく、二人の結婚生活は顔を合わせるだけで不愉快になるぐらいの話だった。美女と評判で周囲からちやほやされて育った彼女は、自分を一番に、姫君のように扱ってくれない夫に不満を抱いていたらしい。言葉にすればそうでも実際のところ不満を抱くなどと言う可愛らしいものではなく、何かにつけナブラに文句をつけてくるとの話だった。
 ラウルフィカのもとを訪れても彼を抱く気になれないほど消耗していたナブラがその頃頻繁に漏らしていた愚痴に、ある日ぽろりとラウルフィカが同意したことがある。
 ――まぁ、それはそうだな。
 程度のさして気の利いた台詞でもない本当にただの同意だったのだが、ナブラはその頃からラウルフィカへの態度を徐々に変えるようになった。理由のあることもないことも、訳の分からない因縁をつけられてまで妻に否定され続ける毎日だったナブラにとって、ラウルフィカの称賛でも感謝でもなんでもないただの同意が心に響いたらしい。
 そこに関してはラウルフィカが特に意図したわけではなく、考えてみればただの必然で当然だった。ナブラの仕事は自領地の管理以外に、未熟な王であったラウルフィカの仕事の一部を引き受ける形になっているのだ。あるいはナブラの仕事の行きつく先がラウルフィカであったり、またその逆もある。まったくの部外者である妻と違って仕事に関しては事情が同じラウルフィカは、それに関して妻に責められるという愚痴には例えナブラ自身を嫌っていても同意せざるを得ない立場だったのである。
 ついでに言えば聞いていて同じ男なら誰もが不憫に思うような夜の生活をも強いられているらしいナブラの話自体には、ラウルフィカも同情せざるを得ない愚痴というのも多々あった。
 しかしそこから、ナブラのラウルフィカへの態度に決定的な変化が訪れるようになったのだ。妻には何度言って聞かせても理解しない事情を、ラウルフィカは自然と理解している。当たり前のこととはいえ、それがナブラには酷く気楽で心地よかったのだ。そしてナブラはラウルフィカに、まるで恋人のように接し始めた。
 妻に睨まれているナブラは、下手に名を汚すような娼館通いなどできない。使用人に手を出すのもご法度であり、貴族の恋愛は結婚してからが本番などという言葉を信じて迂闊に行動すれば莫大な慰謝料を奪われて即離婚か、結婚したまま不名誉を被る二重苦だ。
 その点、ラウルフィカのもとに赴くのは国王陛下のもとに馳せ参じるという名目で誰にも文句は言われないし邪魔はされない。おまけにラウルフィカは、下手な貴族令嬢や高級娼婦など太刀打ちできないほどには美しい。
 そして何より、口数多く豪奢な衣装に派手な化粧と贅沢を好み、性格は明るいが言い換えれば八方美人で、夫の浮気には目くじらを立てるくせに自分は愛人を多数持ち、容姿は美しいが限りなく女性的で何処にいても女臭いほどの色気を放つ妻とは対照的だった。
 無口ではないがどちらかと言えば口数のそう多い方ではないラウルフィカ。物の良しあしを見る目は確かだがあまり派手に飾り立てることは好まず、化粧などしなくとも十分に美しい。立場と彼らの関係が関係であるために常にどこか憂いを湛えた表情をしていて、あまり性別を感じさせない。そして何度も彼を抱いたナブラ自身こそがよく知っているはずなのに、どれほど心無い手に犯されようともその姿にはどこか清らかなものを感じる。
 男だから当然だとしばらくは自分に言い聞かせていたはずのナブラも、戯れにラウルフィカに女装をさせてみてからはもう駄目だった。それはあまりにも彼の理想すぎた。段々とラウルフィカに贈る物は本格的に、そして豪華になっていく。
 関係を持ち始めた十三歳の頃はいつも抵抗と侮蔑の眼差しで睨んできた少年も、諦めが支配した頃からはミレアスのように目に見えて暴力を振るわない限り素直で従順だった。
 ナブラにとってラウルフィカは、恋人ごっこをさせるにはあまりにも都合が良すぎたのだ。
「あ……ナブラ……」
「ラウルフィカ……」
 寝台の上に押し倒したラウルフィカの身体をナブラは撫でまわす。
「こちらもはいてくださったのですね」
「み、見るな。見ないで」
 ナブラが用意したのは衣装だけではなく繊細な刺繍で飾られた薄い布地の下着もだった。こちらももちろん白に銀糸の刺繍の女物だ。中でラウルフィカのものが窮屈そうにしている。不自然に膨らんだ部分を、じらすようにナブラが指でなぞった。
「んっ」
 次第に布地の中に手を突っ込み、遠慮なくまさぐるようになる。手にしたものの感触よりも顔を赤くして快感を耐えるようなラウルフィカの表情にこそ欲情するのだと、ナブラはひっきりなしに吐息を零すラウルフィカの唇を見ながら考えた。平素は淡い桃色の唇が噛みしめられて赤くなる。その様があまりに色っぽくて、ナブラは下を弄る手は止めずに再びラウルフィカへと口付けた。
「ん、んんっ、ん――! ああっ、あっ」
 口付けの途中で射精まで導かれたラウルフィカは、途中でナブラの胸板を押して彼の口付けを振り払った。その瞬間に一際高い声が漏れて、ナブラの気分を逆に良くする。
「一人でイくなんてひどいですね。それでは、どうかこちらも……」
 すでにはちきれんばかりに膨らんで硬くなったものを取り出し、ラウルフィカの可憐な唇の前に差し出す。先程は舌で蹂躙した場所を、今度は彼自身で犯すのだと思うと異様な興奮がナブラを包んだ。
 何度もそれを目にしているはずのラウルフィカは、しかし初めの一瞬ばかりは何度やっても慣れぬとばかりに躊躇いを見せた。それも一瞬で、濡れた唇が男の欲望を咥えこむと、今度はこの五年であらゆる男たちから仕組まれた熟練の娼婦並の手管を見せる。
「くっ……、ああ、いいっ」
 女衣装を身につけたラウルフィカに口で奉仕させるのは、本物の少女に口淫させる以上の快感だった。あまりにも美しい理想と、これは少女の格好をした少年なのだという背徳の落差が、ナブラに酩酊させるほどの快楽をもたらす。
 ラウルフィカは眉尻を下げて困ったような顔で上目遣いにナブラの様子を伺っていた。慣れた舌使いとまるでもの慣れぬ少女のようなその差が見る者を惑わせる。
 舌で、頬肉で、あるいは喉まで使ってさんざんに刺激されたものが達する直前にナブラは自身をラウルフィカの口から引き抜いた。咄嗟に目を瞑ったラウルフィカの顔に、白濁の液がかかる。
「……!」
 しどけなく乱れた姿で敷布に手を突き、いささか放心したような様子で見上げてくるラウルフィカを見て、ナブラは完璧だと思った。白い肌、白い衣装の清らかなる乙女を自分の白で穢す。完璧だ。
「……ラウルフィカ!」
 恋人の名を呼ぶように熱っぽくその名を呼んで、ゾルタはラウルフィカの両手首をまとめて掴むと再び寝台に押し倒した。男同士だと腰を随分と高く上げなければならない分手間だというのに、わざわざ正常位へと体勢を持ち込む。
「あ、まだ慣らしが……んむぅ!」
 ラウルフィカの口に指を二本まとめて突っ込み、唾液を絡ませる。その指を後ろの蕾にあてがうと、丁寧に入口をほぐした。例の下着はつけたままで、その隙間から指を差し込む形だ。
「そろそろいいですか? ラウルフィカ。――いきますよ」
「ああっ、あん、んっ、ん、んんっ」
 ナブラが自らのものを押し込み、夢中で動く。熱心な腰の使い方にはラウルフィカもたまらず声をあげた。下着に押し込められた前が苦しいが、そんなことを考えられないほど後ろで感じてしまう。
「な、ナブラ、もう……!」
「ああ、ラウルフィカ、私のラウルフィカ」
 ラウルフィカの中にも精を放つと、ナブラは先程の自分の考えが間違っていたことを実感しながらこれ以上ない恍惚の笑みを浮かべた。
 乱れた白い衣装から覗く華奢な白い手足、引きちぎられた銀刺繍の下着。そこからさらけ出された尻穴から零れて太腿を伝う白い液。
 これで本当に完璧だ。