劫火の螺旋 04

21.火種

 国内の重臣たちをほぼ全員集めるというベラルーダ最大級の会議が開かれていた。
「今まで通り、小競り合いを続けるしかないでしょう」
 問題は十年ほど前からこれまでずっと続いていた隣国との領土争いに関して、だ。ベラルーダと南の国境を接するプグナ王国。かの国とベラルーダは、その境界をお互いどれだけ自領地を広くとれるかで争っている。
 小競り合いの現場となっている土地は特に資源が豊富というわけでもないただの荒れ野だ。しかし砂漠が多いベラルーダとその近隣国にとっては「野」と呼べるだけの大地がある場所はそれだけで十分に重要である。できればその土地を本格的に開拓し、砦を建て、ベラルーダ、プグナ間の争いを現在は静観している諸外国からの防波堤にしたいのだ。
 小競り合いとすら呼べぬ争いを含めれば、実質十年以上両国はその問題で争っていると言っていいだろう。ラウルフィカの父王の代からだ。ベラルーダとプグナには国交がなく、和睦の気配もない。
「だが大臣よ、それでは現状と何も変わらない」
 更にベラルーダは地理的な要因でかろうじて帝国の直轄領からは外れているもの、この砂漠地域を完全に支配下に置こうと目論む南東帝国にいつ征服されるかもわからない。東地方南部砂漠地域は、現在実に緊密な均衡の上で成り立っている。
 ベラルーダが独立国としての立場を守り続けるためには、帝国に屈従させられるような隙を見せぬまま、その機嫌を取り続ける必要がある。プグナとの争い自体はいっそ膠着状態と言ってもよいものだが、この戦いを裏で見ている帝国の存在を考えた場合、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
「無理に変える必要などありますか」
「我らが変わってくれるなと望もうと、状況が動けば我らも動かずにはいられない。実際、我らも変わった。すでに父上の代ではなく、私の代に」
 ベラルーダとプグナはもう長く争い続けすぎた。これ以上決着がつかないようであれば、そのうちに皇帝が出てくる。帝国はベラルーダ寄りだが、もしもベラルーダとプグナが全面戦争になり、ベラルーダがプグナに敗北するようなことになれば容易く切り捨てられるだろう。
「プグナと和睦するのはどうだろうか」
「ミスカーシャ卿」
「我が国の国王がラウルフィカ陛下に代替わりされて以来、大きな争いは起きておらぬ。小競り合いも先王陛下の時よりも大人しい。今なら、和睦を持ちかけても無理な話ではないと思われる」
 温和そうな顔つきの老人が言った。大臣の地位にあるうちの一人だ。会議場の何人かがその言葉に賛同の色を見せるが、決定的な意見は出ない。
「いや、むしろプグナとは徹底的に争うことを提案する!」
「ミレアス卿」
 軍部の上級大将の一人、ミレアスが言った。代表者として声を張り上げているのはミレアスだが、その隣のジュドー老将軍も頷いていることから、これがミレアスの独断ではなく軍部の総意であることが伺える。
「ベラルーダとプグナの争いはそもそも帝国の目を意識したことに端を発する。今ここで砂漠地域で中堅どころの軍事力を持つ二国家が手を結ぶことは、結託して帝国に叛意を示すことと受け取られかねない」
「陛下」
 まったく対立する意見を出され、調停役、司会を任された貴族が判断に迷い国王ラウルフィカへと視線を向ける。
「私もミレアスの意見に同感だ。現皇帝は苛烈な性格と聞いている。迂闊なことをして刺激しない方がいい」
 砂漠地域を虎視眈眈と狙う南東帝国の現皇帝スワドは、それまで穏健派だった前皇帝のやり方を完全に塗り替えた。即位して三年だが、歳はラウルフィカよりも上だ。事故であまりにも早く王位を継ぐことになったラウルフィカの方が在位歴は長いが、これまでに示された手腕を考えれば実力はあちらが上ととってよいだろうと、ラウルフィカ自身がそう思っている。
「だが、“徹底的に争う”とはそもそもどちらを意味するのだ」
 腕を組んで耳を傾けていたナブラがミレアスやジュドーら軍部の人間を見ながら尋ねた。
「これまで通り小競り合いの上で勝利を狙うか、それとも――」
「いっそプグナを潰しちゃどうでしょうな」
「ミレアス! 不穏当な事を軽々しく口にするでない!」
 常は穏やかなジュドー将軍がミレアスを嗜めた。
「陛下。軍部の現状を申し上げる限り、今の戦力でまともにプグナとやりあえば双方の打撃が大きくなるのは必至。どうか、慎重な判断を」
「ふむ。そうだな」
 確かにジュドー将軍の言う通り、ベラルーダとプグナは国土も資源もほぼ同じくらいで戦力が拮抗している。両国がこれまで小競り合いを続けたのはだからだ。戦力を全て出しつくしても勝てるかどうかわからない、勝てても国が限界まで疲弊するとわかっていて、大軍隊を動かしたくはないものである。
「その戦力に関する話ですが、増強はできないのですか?」
 まだ若い貴族の一人が言った。
「このまま小競り合いを続けても、いつかは決定的な争いが訪れるでしょう。その時を待つよりも、少しでも自分たちの優位になるように我が国が今から準備することは無駄なのですか?」
「アルザ卿、具体的にはもっと違うことが聞きたいのではないか? そう――例えば、戦力を帝国から借りれないのか、と言ったところか」
 年若い貴族アルザは、自分よりも更に若いラウルフィカに言い当てられて赤面した。当人は婉曲に表現していたが、この国で揃えるには限りある戦力を更に増強というには、実際それしか方法がないのだ。
「しかし陛下、そんなことをすれば我が国は帝国の傘下として併合されてしまうやもしれませぬ」
「問題はそこだな……」
 帝国と友好関係を保ってはいるが、それに対し何か契機があったというわけではなく、心許ない口約束。よほど明確な理由もなく戦力を貸してくれるよう頭を下げれば、それはベラルーダが帝国のお情けに縋らねば国を維持できないと宣言したも同じ。とはいえプグナと全面戦争の上で勝利したとしても、国家が疲弊した隙を突かれて他国から攻め入られてはたまらない。
「ところで、これまでの意見はどうやら開戦に傾いているようだが、和睦を提案した者たちはどうだ? 正面からの和睦ではなく何か別の意見はないか?」
 ラウルフィカが話題を振ると、ミスカーシャ卿とその周囲がざわめいた。先程和睦を提案した大臣の辺りに彼の一派である穏健派が集まっているのである。
「軍部のジュドー将軍も仰った通り、我が国の戦力ではプグナと正面からぶつかるのは厳しいと思います。そこで考えられるのは――」
「なるほど、指揮官の暗殺か」
 暗殺、と後ろ暗い単語を口にするのを躊躇った貴族たちのあとを引き継いでラウルフィカが言うと、会議場が一気にざわめいた。
「陛下……」
「とはいえ、それを論ずるにも帝国の目が気になるな。迂闊に向こうの王を暗殺してでも勢力を欲しがる国だと思われたら、今後帝国からのあたりが厳しくなるだろう」
 ラウルフィカが早くも流したその話題は、しかし皆の心に黒い影を落とした。正攻法が駄目なら暗殺してしまえばいい。
「ですがそれならば、むしろ陛下の方が危険ではないでしょうか。お世継ぎもなく他の王族もいらっしゃらない状態で開戦などすれば……」
 穏健派の別の貴族が言った言葉に、全員がまた思い出していた。そうだ、今ラウルフィカが死ねば、ベラルーダ王族の直系が途絶える。すでに妻子持ちのプグナ王よりもラウルフィカの方が余程危険な立場なのだ。開戦する場合はそのことも考えねばならない。
「ならば開戦はお世継ぎの誕生まで早くとも一、二年は避けた方が良いのでは?」
 また別の誰かが言った。その言葉はさっさと結婚し子を作れとラウルフィカに強いるも同然の言葉だったが、とりあえず室内の皆の心は、幾人かを除いて安堵した。開戦までの猶予期間に、一、二年という具体的な数字が現れたからだ。
「確かに世継ぎの問題をたてにすれば、帝国からの追求もいくつかはかわせるな」
「いっそ陛下に妹君などおられれば皇帝陛下の御側室として婚姻を結ぶこともできたのですが……」
 古参の大臣のうちの一人が思わずといった様子でぽろりと漏らした一言が視線を集めた。
「ないものねだりをしても仕方はないが……そういえば大臣、お前のところには娘が二人ほどいなかったか?」
「へ、陛下!」
 ささやかな意趣返しにラウルフィカがそう言うと、大臣がさっと顔色を変えた。百を越える美女を納めた後宮を持つと言う南東帝国皇帝。しかもその性質は残忍で冷酷だと言う。いくら大陸最高レベルの権力者と言えど、その皇帝に娘を献上したいと思う親はなかなかいない。しかもよくて側室止まりなのだ。
「二人いるならば、一人は帝国に、一人はプグナ王にでも差し出せば問題はほとんど解決しますね」
「ファーゼ卿! 悪趣味にも程があるぞ!」
 ラウルフィカに追従して笑みを浮かべる貴族に対し、大臣は顔を真っ赤にして反論した。
「まぁ、冗談だ。そう怒るな。私に姉も妹もいないことは仕方がないが、どちらにしろ帝国の皇帝は向こうから求めでもしない限りベラルーダ貴族の娘を受け入れはしないだろう。それに暗殺の問題に関しては、私には優秀な騎士がついている――宰相」
 ラウルフィカはそれまで黙ってやりとりを聞いていたゾルタへと話を振る。
「お前はどう考える?」
 ラウルフィカの治世を実質的に支えていると言われる宰相の発言のために、ざわめいていた室内がいきなりシンと沈黙した。ラウルフィカがゾルタに尋ねたのは、娘を差し出すだのどうのといった程度のことではない、今までの内容すべてを吟味した決定的な意見だ。誰もが宰相が何か画期的な意見を持ち、それによってこの実りのない会議に決着をつけてくれるものだと信じ切っている。ベラルーダにおいてゾルタの影響は大きい。
「保留ですな」
 しかし、ゾルタの答は意外なものだった。一度は静まったざわめきが復活し、困惑の波紋を広げていく。
「やはりそう来たか」
「へ、陛下?」
「もとより慎重派のお前がこの時期にこの議題を持ちだして安易な決着などつけるはずもないと思っていた」
「よくおわかりで。それならばこの場は不要でしたか」
「いや」
 余人にわからぬやり取りを交わす国王と宰相を、周囲が不安げに見守る。
 やがてラウルフィカが会議室に集まった面々の顔を見遣り宣告した。
「これより十日後、南東帝国皇帝陛下がこの国を訪れる」
「皇帝陛下が?!」
「一部の者たちにはすでに通達が行っているだろう。この時期に皇帝陛下が我が国を訪れる理由は定かではないが、十中八九プグナとの境界に関することだろう」
 先程までとは一転して、今度は集まった人々にも理由の確かな不安が広まった。これまで一度もベラルーダに来訪したことのない、この砂漠地域の影の支配者がこの国にやってくる――。
「戦いを望む者、和睦を望む者、各々の意見はあるだろうが、帝国の意向によってはそれが叶えられるとは限らないこと、各自胸に留め置くように」
「陛下」
 貴族の一人が声をあげた。
「陛下のご意志は……その……」
 気弱そうに語尾が掠れたが、彼の言いたいことはラウルフィカにも伝わり、また、ここにいる他の貴族たちもそれを知りたがっていた。
 帝国の思惑はともかく、このベラルーダの意志はどうなのか。それを、国王であるラウルフィカに問いかける。
「私は、戦おうと思う。小競り合いではない、プグナを倒す」
「陛下」
 ゾルタが咎めるような声をあげた。しかしラウルフィカは聞かなかった。
「だが、帝国に叛意を向けたと受け取られるような事態をもたらすのは本意ではない。また。プグナと戦うとはいっても、双方の被害を大きくするのは好ましくない、とだけ今は言っておこう」
 大事なのは、どう帝国に弱味を握られずに、プグナを落とす大義名分を作るかと、実際にプグナをベラルーダの戦力で落とせるかどうかだ。
「宰相の意見通り、今回の議論の決は保留とする。各自、今後の事態の進展に備えよ」
 その問題の結末は、皇帝の訪問まで持ちこされた。

 ◆◆◆◆◆

「ちっ」
 会議室に残った四人と新たに招かれた一人。赤毛のミレアスは忌々しげに舌打ちする。
「まだるっこしい。帝国なんざ気にせずにさっさとプグナをやっちまえばいいんだ」
 戦い好き殺し好きのその乱暴な意見に、後からこの部屋に招かれたパルシャが青い顔になって反論した。
「滅多なことを言うでない。戦争なぞ起こらねば起こらぬ方がいいに決まっている」
「あんだよ肉だるま。戦争になったら儲かるんじゃなかったのか?」
「確かに儲かるが、同じくらい危険に晒されるものだ。わしの売りは戦争一歩手前の状態で膠着した二国の間でどちらにもいい顔しながら商売することよ」
 パルシャは王宮に出入りする商人だが、役人ではない。そのため会議には参加していなかった。しかし彼ら五人は盟約を結んでいるために重大な情報はこうして交わし合っている。どうせ戦争が始まれば武器の補充をするのはパルシャのヴェティエル商会だ。
「とは言うものの、本当に戦争になるのかねぇ」
「可能性は高いな。王が明言したことにより周囲の士気も上がったようだし」
「王が明言? どういうことじゃ?」
 会議でのラウルフィカの発言を聞いて、パルシャが目を丸くした。彼の知る限り、この五年でラウルフィカがそんな大胆な発言をしたのは初めてである。
「あれもカシム辺りの入れ知恵か?」
「あれも?」
 どれを指しての「も」なのかと、カシムを目の敵にして上記の発言をしたミレアスをゾルタが嘲笑う。
「あの発言はどちらかと言えば、ラウルフィカ自身の考えだろう」
「それでなんで呑気にしてられるんだよ、宰相閣下」
「籠の中の小鳥がどう囀ろうと、私には関係ないからな」
 暗にラウルフィカの相手など必要ないと言いきる宰相にはミレアスも逆らえず、苛立ちの矛先を変える。
「ザッハール、てめえの魔術で何とかならねーのかよ」
「は? 何が?」
「魔術とやらで簡単にプグナを一掃できないのか? あの国を簡単に滅ぼすだけの戦力がこっちにありゃ戦争が始まるだろ。こう、がーっと炎でも出す魔術を使って国を焼き払うとかよぉ」
「無茶言うなって……国どころか小隊一つ吹き飛ばすのだって、律名を戴いた魔術師でもなけりゃ無理だっての」
「なんだよ役に立たねーな。宮廷魔術師長なんて御大層な呼び名をもらっても、所詮は孤児あがりの三流魔術師か」
「ああ?」
 ミレアスの暴言に対し、ザッハールも普段より柄悪く侮蔑の言葉を返す。
「お前なんぞに魔術の深淵の何がわかるんだ。脳みそまで筋肉でできた体力馬鹿が。だいたいそんな人間兵器がどこの国にもいたらてめーら一般兵の出番なんざなくなるわ」
「なんだと?」
「まぁまぁ待て待て。喧嘩はやめよう」
「落ち着け、二人とも。――我らから見れば、お前たち二人とも下品で馬鹿だ」
 パルシャの仲裁とナブラの呆れた台詞に、ミレアスとザッハールは渋々ながらもこの場では敵意を収める。だが、お互いの方を見ようとはしない。
 また子ども並の口論が始まってはたまらない、とパルシャがゾルタに話を振る。
「それで、もし万が一戦争になったら勝ち目はあるのか?」
「ある」
 あっさりとゾルタは言った。
「あるのか? そんな簡単に断言できるものか?」
「やりようなどいくらでもあるさ。正面から戦おうとするから被害が大きくなるんだ。それこそ、穏健派が口にしたように向こうの王族を軒並み暗殺してもいい。ザッハールの力も戦場で兵を蹴散らすというよりは、そちら向きだ」
「まぁね」
「それより、今は他に面白い話題があるだろう」
「面白い話?」
 ナブラの不思議そうな視線を受けて、ゾルタが冷たく笑う。
「会議で問題にされていただろう? ラウルフィカの結婚だ」
「なっ!」
 その言葉に過剰に反応したのはナブラだった。
「一体何の話だ!」
「先程の会議でも問題になっていただろう、後継者がいない国王に何かがあったらどうする、と」
「それと俺らが何の関係があるんだ?」
「国王陛下の結婚相手は、国の一大事。慎重に選んでやらないとなぁ、私たちが。そうでないとそこ伴侶選びに失敗した公爵のようになるからな」
 ミレアスの問いに、ゾルタはナブラへの嫌味を含んだ視線を向けながら答えた。人口密度の低い室内に、嘲笑が巻き起こる。
「それともナブラ、何か問題でもあるのか? 国王の結婚に」
「そ、それは……」
「ラウルフィカの相手である以上、私たちにも都合のよい相手であることが必要だ」
「共犯者、ということか?」
「あるいはその逆かもな」
 パルシャの問いに、ゾルタはくすくすと笑いながら言う。
 あれがいい、いやこれは面倒だ、などと言い合う男たちを眺めながら、ナブラは一人話の輪に入らず拳をきつく握りしめていた。