23.貴族
「ここは美しい国だな」
帝国の衣装では暑すぎると、早々にコートを脱いでベラルーダの民族衣装を着こんだ皇帝スワドは言う。
「砂漠にある国など何処を見ても砂だらけのつまらない外観かと思ったが、そうではないのだな」
「ええ。特にこの王都はどこも創意工夫を凝らして飾り立てていますから」
スワドの相手をするラウルフィカは、普段より豪奢な衣装を着こんでいた。布地が一見全面生地と同色の刺繍で飾り立てられたもので、動くたびに模様がきらきらと光を反射する。あまりに派手すぎる服はかえってラウルフィカの容姿が持つ美を薄っぺらいものにしてしまうからと、針子たちが工夫を凝らして作り上げた衣装だ。紺のダルマティカの上に白いパルダメントゥムを羽織り、青玉のはまったフィブラで止めている。
対するスワドは彼の瞳よりも深い緑に、金で優美な鳥の姿を刺繍したダルマティカを着ていた。パルダメントゥムも縁を金で飾ったタイプのもので、とにかく派手だ。精緻な模様の縫い取られた帯と宝石を連ねた飾りを腰につけている。
二人並べばどちらがこの国の王かわからない有様になりそうな装いの差だったが、幸か不幸かそれはラウルフィカの持つ性質によって避けられた。黒髪の少年王はもとより人々と同じ次元に立つ生き物の生臭さとは無縁のような隔絶された雰囲気を放っているため、誰もが羨む美貌と気迫を更に派手な衣装で飾り立てた皇帝と並んでも引けを取らなかった。
これが帝国の貴族の衣装を着せられてだったらまた違っただろうが、幸いにもここはラウルフィカの国だ。むしろ完全な異国の人間でありながら、ベラルーダの衣装を颯爽と着こなすスワド帝こそが異質なのである。
「我らの方でもおもてなしの用意を整えてはおりますが、皇帝陛下の方でご希望はございませんか?」
「ありがたい申し出だが、まずはこの王宮を堪能したいところだな。ラウルフィカ王、貴殿が直々に案内してくれるのか?」
「陛下にお許しいただけるなら、喜んで」
スワド帝は皇帝とベラルーダ王としてというよりは、どうやら個人的にラウルフィカを気にいったらしい。もともとその予定だとはいえ、国内の案内を他でもないラウルフィカがするようにと命じた上、隙を見てはどう聞いても口説き文句としか思えない言葉をかけてくる。そのたびにベラルーダと帝国双方の重臣たちがはらはらと会話の行き先を見守り、ラウルフィカはその場その場で言葉遊びを返す。非常に心臓に悪い。
今日の午前中などは諸侯の招いた楽団が曲を奏で踊り子たちが舞う中で、肩を引き寄せて胸元に抱きしめられた。あの踊り子たちよりも美しいなどと言われ話の矛先をそらすために、ラウルフィカは王でありながら皇帝の前で舞いを披露することとなった。
西大陸や東でも帝国などにはない習慣だが、砂漠地域のベラルーダでは貴族が「ダンス」ではなく芸としての「踊り」を嗜むこともままあることだ。結果的には自国の文化をさりげない流れで披露した形となるが、このようなやりとりが何度も交わされるたびにラウルフィカは消耗する。
これまでのゾルタとの言い争いや、ザッハールやナブラに美しい美しいと無駄に褒められ続けて来た経験が初めてまともに役に立ったのかもしれない。彼らのような不遜な男たちのせいで自分が対外的にどう見えるかを十二分に理解していたおかげで、今のラウルフィカは皇帝のからかいにいちいち目くじら立てることもなく、うまくかわすことができている。これが蝶よ花よと箱入りで育てられた王子様ではそうはいかない。
その日の昼食は、前日の宴と違って多くの貴族たちを招かず、スワド帝とラウルフィカ王ほぼ二人のみで摂ることとなった。名目上二人きりとは言え、皇帝と王である以上もちろんそばに人がついている。帝国側では皇帝の従者と騎士が、ベラルーダでは従者たちに加えカシムと、宰相のゾルタも同席していた。同席とは言うが同じ室内にいるだけで、皇帝と王二人きりの昼餐には参加していない。
砂漠地域の文化は帝国とは大きく異なる。その日の昼食に出たものは、軽食のように手でつまんで食べられるものばかりだった。手づかみで食事をするという文化は、他の地域にはなかなかない。
「ほう、面白いな」
「お望みでしたら、召使に食事を口元まで運ばせることもできますよ」
貴族の中にはそれを一種のステータスにしている者もいる。とはいっても貴族は普通毒殺を警戒して食事に関しては用心するものだから、それよりもパルシャのような成り金が多いか。高価な絨毯の上で寝そべって奴隷たちに団扇で仰がせながら、左右に侍らせた美女に食べ物を口元まで運ばせるのが「贅沢」とされるのだ。
ラウルフィカの口からそれを聞いた皇帝は、楽しそうな笑みを浮かべながら言った。
「それならばラウルフィカ王、私は美女よりも、あなたにその手で食事を運んでもらいたいのだが」
またもや波紋を呼ぶ皇帝の発言に、この部屋に入ることを許されていた数少ない臣下たちが凍りつく。
「おや、私を御指名ですか」
「ああ」
「生憎、美女ではありませんが」
「私はあなたがいいと言ったのだ。それとも、あなたの手では私の口に直接食事を運べぬ事情でもあるのかな?」
暗に毒殺でも企んでいるのかと言われ、ラウルフィカもここで引くわけにはいかなくなった。皇帝に一応忠誠を誓っているはずの国の王が毒殺を目論んだなどという妄言を広められるわけにはいかないからだ。
「……それでは僭越ながら、高貴なるお方の隣に侍る権利をいただきましょう」
ラウルフィカは指示を出し、自らはスワドの隣へと移ると給仕の使用人たちに料理を運ばせた。皇帝が選んだものを、丁寧な仕草でそっとその口元に運ぶ。
最初の一つは皮を剥いた小さな果物の実だった。デザートにと用意されたそれを真っ先に指定したことを不思議に思いながらも、ラウルフィカは言いつけどおりに果実をスワドの口元に添えた。
「!」
ラウルフィカの手によって果実を食べさせられたスワドは、唇に触れたラウルフィカの指をそのまま口に含んだ。果実の汁を舐めとるという名目で、行き場のないラウルフィカの指を舌を伸ばしてねぶる。
あからさまに性的な仕草で舐められた指を解放された瞬間思わず胸元まで引っ込めたラウルフィカに、スワドはくすくすと笑いながら声をかけた。
「どうしたベラルーダ王陛下」
「いえ……お次は何にいたしましょう?」
「私ばかりでなく、あなたも少しは口にするがいい。ほら」
目を輝かせた皇帝は、あえてとろりとした蜂蜜を指で掬う。器用に零さずラウルフィカの口元まで持っていき、薄く開いた唇に指先を押し込んだ。
「ん……」
甘い蜜の味と共に舌の上を、口内を蹂躙する指にラウルフィカは耐える。この流れではまさか断るわけにもいかない。それこそ皇帝の差し出したものを口にできないのかと言われて終わりだ。
「どうだ」
「……美味しゅうございます」
「そうか。では次はあれだな」
スワドの一言で、ラウルフィカはまた彼のために料理を取り始める。その食事風景は、皇帝が満足するまで続けられた。
◆◆◆◆◆
「あ~の~や~ろ~う~」
「……曲がりなりにも皇帝陛下に対し、そのような言い方はやめろザッハール」
遠視の魔術でスワドとラウルフィカの昼餐の状況を恨めしげに覗いていたザッハールを、パルシャが嗜める。
同じ室内に他にナブラがいた。そろそろ昼餐が終わり、宰相ゾルタもこちらに向かっているとのことだ。ナブラはザッハールほど露骨ではないものの不機嫌な顔をしている。ミレアスはこの先戦争になるかどうかは気になるが皇帝の来訪自体に興味はないとして、この場には来ていない。
「やれやれ。それにしても皇帝陛下は王をいたくお気に召したようだのう」
「お気に召しすぎだろうが。一国の王様になに飯運ばせてんだよ」
ザッハールはラウルフィカを気にいっていることを他の四人に特には隠していない。彼がゾルタたちに黙っているのは、ラウルフィカの復讐の協力をしていることだ。なので、この場では十分に愚痴を吐く。
「俺もあの細い指をちゅうちゅうしたいのにー」
ザッハールがその欲望を本人の前で口にした日には、冷笑と共に指どころか拳ごと口に突っ込まれて窒息させられること確実だ。
しかしその発言と先程魔術で映し出された映像を見て心穏やかでないのは、黙って腕を組み壁にもたれて立つナブラだった。共犯の四人の前では間違っても口にはできないが、彼の欲望も言ってしまえばザッハールと似たようなものだ。
この食事時だけでなく、金髪の美青年がラウルフィカを口説くようになれなれしくその肌に触れるたびナブラの心には黒い波がさざめく。彼に対する時とは違い、スワドに肩や腰を抱かれたり、頬や腕に触れられてもラウルフィカは終始笑顔を保っている。
権力と言う名の力でラウルフィカをある程度好きにできる皇帝が、ナブラにとっては羨ましくて仕方がないのだ。彼ら五人に対しては当然のことだが、ラウルフィカはあんなふうに柔らかく応対などしない。ナブラに対してもいつもどこか憂いを含んだ表情を向けるだけで、笑顔など間違っても見せてくれたことはない。
逆らうことも不機嫌な顔を見せることも許さない皇帝は、ベラルーダをというより明らかにラウルフィカ自身を気にいっている。奴隷扱いと言うよりはむしろ恋人のように食べ物を口に運ばせ合う姿は、ナブラの胸中を嫉妬でかきむしる。
若く美しい、しかも強大な権力を持ち自信に溢れた独身皇帝。これまで自国内ではナブラは人から称賛を受ける男の頂点に立っていた。その自信があの皇帝を見た瞬間簡単に覆されてしまった。しょせんこちらはどんなにえらぶろうとも一介の小国の公爵、向こうはこの大陸の五分の一を支配する皇帝。劣等感に加え、彼のここ数年の癒したる相手まで皇帝は何の抵抗もされずに好きにしているのだ。これで嫉妬しないはずがない。
実際にスワドのラウルフィカに対する態度は度を越している。伽をしろと迫るのも時間の問題かもしれない。当面のプグナという敵を持つベラルーダは、ここで皇帝の機嫌を損ねるわけにも行かず、それにつけこまれる可能性は十分にある。
ナブラが自分の想像に自分で腹を立てる頃、ようやく昼餐が終わったらしいゾルタがやってきた。昼餐とは言っても宰相自身はまだ昼食を食べていないので、彼への食事がすでにこの部屋には用意されている。
「見ていたか」
「見たともさ」
不機嫌なザッハールの様子に聞くともなく答は知れている。ゾルタは飲み物で唇を湿らせながら言葉を発した。
「皇帝は我らが王を“御所望”だ」
「さすがにあれは止めたほうがよかったんじゃないか? 宰相」
「皇帝のからかいなら、何度か口を挟んださ。しかし“このような御遊びも許さないとは、ベラルーダの宰相閣下は随分な堅物らしい”と言われてはどうしようもあるまい」
ゾルタは全てを黙って見ていたわけではない。あまりにもラウルフィカがはいはいとスワドの言うことを聞くのでは、ベラルーダの威信に関わる。そう考えて何度か口を挟むが、皇帝は口が上手くいつもかわされてしまうのだ。長年の「調教」の成果か、ラウルフィカが皇帝のからかいに素直に従うか無難にかわして弱味を見せないことだけが救いだが、それもいつまで通用するかわからない。
そういったゾルタの思惑と、先程までナブラの考えていた心配は違った。
「やれやれ。今度ほど、あの王子が姫であったらと思ったことはないな。女であれば遠慮なく皇帝に差し出せるというものを」
「……何?」
ラウルフィカをスワドに渡すことに関しては何も思っていなさそうな宰相の言葉に、ナブラは半分ほど眉をあげる。
「……宰相閣下、まさか貴公は陛下を皇帝に差し出すつもりではなかろうな」
「そこまで要求されるかは皇帝次第だが、そう言われれば差し出すしかないだろうな。しかし王女ならばともかく男の王が皇帝に身売りして便宜を図ってもらうなどと言われるのは外聞が良くないだろう。王女であれば理由を考える手間が省けるのに、男王の場合はこの表向きの理由を考えるのが面倒だ」
「……!」
「いや、まぁちょうどよい理由さえ思いつけば逆に好都合とも言えるか。わざわざ皇帝の機嫌を取る手間が省け、小僧の身体一つで問題が片付くのだから。持つべきものは、美しいだけで中身のない、御しやすく無能な主君だな」
あっさりとそう言って食事を始めたゾルタに、ナブラは背後から怒りのこもった眼差しを向ける。ワイングラスを持つ手を止めて、ゾルタが不意に思いついたように言った。
「そうだな……今回皇帝が来訪された返礼として若い国王を留学させるという名目ならば、二、三年は王子を帝国に預けても良いか。即位して五年、成人直後のこの時期であれば今更我らが簒奪の機会を伺っているという噂も立たぬであろうし。むしろそろそろ一人立ちのための修行だとでも言えば諸国には通じるだろう」
「え……ちょっと待った宰相。まさか本当に陛下を帝国に差し出す気なのか?」
ザッハールが心底驚いたように言うのに、ゾルタは笑いながら返す。
「何か不都合でもあるのか?」
「だってせっかくここまで……」
「何ならお前も帝国に行けばいいだろう、宮廷魔術師長。孤児あがりの魔術師であるお前はこの王宮に縛られているわけでもあるまいし。それにどうせラウルフィカが皇帝と手を結んだり完全に我らの手を逃れようとしないように監視は必要だ」
「あ、そか」
ザッハールは無責任にもそれで納得したらしく、ゾルタの意見に反対はしなかった。だがナブラは二人のこの会話に内心で冗談ではないと叫んでいた。
「……だが宰相、やはり成人を迎えた国王を何年も留学させるなど不自然ではないか?」
魔術師長という役職以外に身分を持たないザッハールとは違い、世襲貴族の公爵であるナブラはおいそれと自国の領地を離れるわけにはいかない。つまり、ラウルフィカが帝国に行ったら離れ離れだ。
「それはそれで、プグナへの宣戦布告程度にはなる。この時期に国王が帝国と親密さを強調するのだ、そう不利益でもなかろう。帝国とのつながりを強くすれば、自然とプグナへの牽制になる」
まだ皇帝がラウルフィカをどうするか肝心の答を得てはいないわけだが、ゾルタの頭の中ではすでに幾通りもの計算が巡らされていた。こう言う時のゾルタを止める手立てがないことは、長い付き合いのナブラたちにもわかっている。
ナブラの中に、言葉にならない焦燥が芽生え始めた。