劫火の螺旋 05

27.敗退

 ベラルーダとプグナの小競り合いが長引く原因は国境と首都との距離にもあった。
 ベラルーダの首都から国境まではそれなりの距離だが、プグナの首都から問題となる土地までは近い。馬で一日も走れば着く距離だ。それが争いを何年も続ける要因の一つになっている。
 プグナ側は土地を諦めきれず、ベラルーダ側はそのままプグナに奪われるのも癪だということで、応戦を続ける。だがどちらの国も、この戦いに早く決着をつけたいと思っていることだけは間違いがなかった。
 プグナ王国の方でも今回のベラルーダの宣戦布告は契機だと考えていた。
「やっとあの忌々しい国と決着をつけられる」
 十年以上に渡り小競り合いを続けて来た相手国を憎み、鬱陶しく感じるのにもはや大層な理由などいらなかった。プグナ側も何年も続ける割にはかばかしい成果のあがらないこの戦いにうんざりしていた。それほど大きな戦乱になるわけではないので一度の被害も少ないが、それでも皆無ではない。だが長年続けた戦いだけあって簡単にやめるとも言えない。
 何より途中で先王から代替わりしたベラルーダと違い、プグナの国王ファラエナはもともとこの戦いを始めたうちの一人だ。王として、自らが始めた戦いをやすやすと諦めるわけにはいかない。劇的な勝利か完膚なきまでの大敗のどちらかを結果として手に入れでもしない限り、自らが引くことは相手に弱味を見せることになる。まだ小競り合いを続けられる国力があるというのがベラルーダとプグナの不幸だったのかもしれない。
 この件は契機になる。帝国との関係に罅を入れる危険、皇帝の不審を払拭するためという口実でベラルーダの方から仕掛けて来たのだ。重臣たちを説き伏せる苦労に比べれば、皇帝の不興をかう失態を犯した若造一人潰すことなど容易い。
 プグナがベラルーダを併呑すれば、単純な国力だけで言えば南東帝国の三分の一程。しかし砂漠にそれだけの規模の国家が誕生すれば勢力図はそれだけではなく激変するだろう。砂漠の民の文化を理解せぬ帝国に睨みをきかせられるくらいなら、砂漠の小国同士で手を組もうとする国家も出る事だろう。
 プグナとベラルーダは土地だけならばそれなりに持っているが、大部分は砂漠だ。国力に関しては両国を足してようやく大陸中部のラトスピアやヘルメディア、ネモシュナ、テュスヴァと渡り合える程度。そして砂漠の他の国々は、僅かながらベラルーダとプグナには及ばない。この砂漠地域の勢力の鍵は、間違いなくプグナとベラルーダが握っていた。
「陛下、いかがなさいますか?」
 王宮の会議室で重臣たちと戦場の地図を眺めながら王は議論する。話題はもちろん今回のベラルーダとの戦いのことだ。
「向こうは国王自ら戦場にやって来るようですが」
「余はここを動かん」
「陛下」
「将軍よ、次の交戦の司令官が向こうの国王ならその方がいいだろう? 余の臣下として何十年も功績を上げた百戦錬磨の騎士であるそなたが、二十歳にも満たぬ子どもに負けることなどありえん」
 プグナの将軍、ディルゼンは王の前に頭を垂れた。プグナ王国では、会議の間も国王は玉座に着いたままだ。公務につく間の王は滅多なことでこの座を空けることはない。
「余はお前を信頼する。必ず我が元に、いいや、このプグナ王国に勝利をもたらしてくれるだろう」
「陛下のため、そしてこの国のために尽力して参ります」
 将軍は戦場に向かう前の正式な辞令とは違い、この場では国王の信頼に対し感謝を示すために軽い礼をとった。そして気にかかっていたことを王に尋ねた。
「ベラルーダの国王はいかがいたしましょう? 見つけたらその場で首を刎ねますか? 間諜の報告では武人ではないとのことで、戦場にも本人が剣を提げてやってくることはないと思うのですが」
 将軍が気にかけているのは、敵国の王のことであった。彼は自分がよもや十八歳の少年に負けるとは考えていない。傲慢な態度を見せるわけではないが、すでに勝つことが当然のものとして自らの主に意見を求めている。
「ああ、そうだな。……うむ、もともと余と馬が合わぬのは先代の王だった。正直、今の国王には何の興味もないが」
 国王は意見を言うなら今だぞ、とでも言うように意味ありげに言葉を切った。重臣のうちの一人が声を上げる。
「……いっそ、生かして捕らえるのはどうでしょう」
 長い争いを嫌い、和睦を訴え続けたうちの一人だ。
「ベラルーダ王は今年で十八でしたか、見目麗しい少年と聞いています。年頃で言えば、王女殿下の夫として迎えるのにちょうどいい」
「姫の夫か。確かに同い年だが。もちろん今更和睦などとは言いださぬよな。大臣」
「もちろんです、陛下。和睦ではなく、むしろここまで来たら完璧に飲みこむ方が確実でしょう。政略結婚とはいえ、王女殿下をベラルーダ王の妃として輿入れさせるのと、向こうの国で現在唯一の王族と言われている王を、我が国の王女殿下の婿として迎え入れるのでは違います」
「なるほど、空いたベラルーダの玉座には我が国の者を座らせればいいというわけか」
「陛下御自身が両方の国を治めるのでも良いでしょう。いっそ二国を統合して一つの玉座にしてしまえば良いのです。その時にベラルーダ国民の我が国への反感を押さえるのに、陛下の次の玉座はいずれ生まれるであろう王女殿下と向こうの王の子という話にすれば」
「帝国に反旗を翻すには、ベラルーダの戦力をそのまま取り込む必要があるからな」
 国王は交戦派であり、大臣は和睦派である。しかしここでの和睦派の大臣の意見は、交戦を望む王ファラエナ自身の意見と一致していた。
 これまで砂漠地域の争いが押さえられていたのは、南東帝国の存在が大きい。ベラルーダもプグナもお互いを滅ぼせば次は帝国と一戦交える可能性が高い。しかし両国が手を結ぶことも難しい。
 今回ベラルーダとプグナの争いに決着がつくのはまたとない機会だ。それは次に続く。こちらの戦力を削らずベラルーダの戦力までもプグナのものにできれば、帝国と渡り合うのに最低限必要な戦力を確保する目処が立つ。
 ベラルーダの少年王を懐柔するのも容易いだろう。ベラルーダの今回の交戦理由は帝国に首を押さえつけられているという事情が大きい。ベラルーダ側からすれば、死力を尽くしてプグナに勝っても残された道は帝国に屈従するだけ。それならばいっそ砂漠同士で手を組む方が良いと説き伏せれば、向こうで宰相の傀儡と呼ばれている程度の未熟で頼りない王などすぐに取り込むことができるだろう。
 そう、悪くはない状況だ。
 王たちの話がそこまで進んだ頃だった。
 会議場である玉座の備えられた部屋に、プグナの王妃であるアラーネアがやってきた。
「国王陛下、急用が――何奴!」
 彼女は室内に足を踏み入れた途端、顔色を変えて窓辺を睨んだ。しかし諸侯と国王が彼女の険しい眼差しの先を眺めると、そこには一羽の黄色い小鳥が止まっているだけであった。
「王妃よ、これが何か――」
 王妃は胸元から小刀を取り出すと、小鳥に向けて投げ付ける。武人並の早技に、小鳥は避ける間もなく餌食となった。
「いきなりなんだ。乱暴な」
「あの鳥から強い魔力の気配を感じましたもので。この部屋は観察されていたのです、陛下」
 アラーネア妃の言葉に、ファラエナ王は舌打ちでもしそうな顔で強い嫌悪を見せた。
「また薄気味悪い魔術の技か」
「!」
 魔術師の地位には国ごとに差がある。プグナでは魔術師の地位を貶める文化こそはないが、逆に彼らを取り立てることもありはしない。住民たちの中には魔術師への嫌悪というよりは、畏怖に似た恐れがあり腫れ物のように扱う。
 そしてファラエナ王は自分の妃であるアラーネアが魔力を持っている事に関し良い顔をしない男であった。魔力を正常に取り扱うためと他国で学んできて見識の広い、血筋確かな王妃の存在は彼にとっては邪魔なのだ。
「用が済んだならさっさと出ていけ」
「いいえ。用はまだこれからです」
 王と王妃は睨み合う。
 いつもの光景に、臣下たちは胸の内で密かに溜息をついた。

 ◆◆◆◆◆

「いっでぇ!!」
 いきなり額を押さえて叫んだザッハールの姿に、砦の同じ室内にいた者たちはぎょっとした。これは戦いを始めた数日前の会議のことだ。
「どうした、ザッハール」
 代表してラウルフィカが問いかける。
「……ぐっ、術を破られました。遠視の術で向こうさんの軍事会議の様子を探ってたんですが」
「頼んでいたあれか」
 ザッハールの力は戦場の敵を炎で吹っ飛ばすというような方向ではなく、こういった小賢しい使い方にこそ向いている。しかし今回はそれが完璧には通用しなかったようだ。
「破られたというのは?」
「向こうの王宮に魔術師がいました。一目で俺の術を見破ったんですから、少なくとも俺より高位の魔術師です」
 もたらされたその情報に集まった人々がざわめいた。プグナ王宮にいる人物でザッハールより高位の魔術師と目される人間は限られている。
「プグナ王妃は魔術師だったのか」
「ええ」
「だが、戦場に出て来たことはないのだな?」
「そんな凄い相手がいれば、我らとの戦いなどすぐに決着がついたはずです」
 ラウルフィカの問いにこれまでも国境で攻防を重ねたことのある大将の一人が答えた。
「王妃か……」
 ラウルフィカの脳裏には、この時点である計画が組み立てられていた。
 すでにプグナでも、ベラルーダ側はついに国王自らが戦場に乗り込むと知り、相応の準備を整えているとザッハールは知らせた。
 プグナの方が首都から戦場まで近いために、ベラルーダ側が先に動いた場合、移動に兵士たちの体力が削られる分不利となる。ましてやラウルフィカはいまだ若く、不利な状況で戦いを初めても勝てる見込みは少ないということは、今までベラルーダ側がプグナとの全面戦争を躊躇う一因にはなっていた。
「具体的には、どのように攻め入りましょう」
 戦場に至るまで、夜毎諸侯を集めての作戦会議がある。ラウルフィカは、目的地に到着するまでに開かれたそれでは、作戦を取り仕切る隊長一人一人に細かい指示を出していた。彼らはラウルフィカの指示を聞いてはいたが、その作戦の全体図が何を示すものかまでは知らされていなかった。
 ついに国境に到着、明日は交戦という頃合いになって国王が各部隊にどういう指令を出したのか全員が総体を知って愕然とした。
 集まった者たちを見回し、ラウルフィカははっきりと声を張り上げてこう言った。
「負けてこい」