劫火の螺旋 06

38.婚姻

 それまで姿を消していたラウルフィカが軍本部にアラーネアを連れて戻り、更にはプグナとの和平――という名のプグナの服従の証――を示す文書を持ってベラルーダ王宮に帰ってきたことは、経過を知らない人々に衝撃を与えた。
 特に衝撃が大きかったと見えるのは、他でもない宰相ゾルタだ。今回のことに関し、ゾルタはほとんど口出しできなかった。ミレアスの手によってプグナ王宮に入り込んだラウルフィカは、勝手にプグナ王を殺し、残ったプグナの重臣たちから降伏するという言質を引き出し、あまつさえプグナの元王妃を自分の妻にすると宣言して連れ帰ってきたのだから。
 ゾルタにベラルーダの重臣たち、南東帝国皇帝スワド、そしてアラーネアの収まった謁見の間で、ラウルフィカは今回の顛末を説明していた。
「それでは、プグナ王の乱心により混乱の極致にあった宮廷を治めることでプグナ側の信頼を得、両国の和睦に関する誓約を交わした……ということでよろしいのですね」
「ああ」
 事態がほとんど自分の知らないところで勝手に動いたということに、ゾルタは怒りを覚えていた。ラウルフィカはそんなゾルタを見てこの五年間の溜飲をようやく下げる。
「その証に、陛下がプグナ王族であるそちらのアラーネア様を妻に迎える……とのことで……」
 そんな重大なことを勝手に決定したラウルフィカに対する怒りで、ゾルタの衣の内側で握りしめられた拳が震えている。さすがに顔色は変わらないが、こめかみが今にも引きつりそうだ。
 王が我儘を言って勝手に決めた妻に関してなど、通常受け入れられるものではない。しかし今回のラウルフィカの行動においては、誰もけちをつけられなかった。アラーネアは年齢的にラウルフィカよりかなり年上であることが気にされるものの、王族として王位を継ぐ可能性もある者として教育を受けた完璧な貴婦人だ。美貌もラウルフィカの隣に立って見劣りがせず、高貴な気品に生半な貴族は圧倒される。娘をすでに一人もうけている以上、子供ができないという心配もない。
 王がアラーネアを女性として見るとひとたび宣言するならば、砂漠地域の近隣の国家で確かに彼女以上に「高貴な女性」と呼ばれる存在はいない。しかも彼女と結婚すれば、もれなくプグナの利権がついてくるのだ。誰もラウルフィカの行動に異論を唱えられなかった。
「プグナ側では砂漠の国同士が争うことの無益さに気づき、今後は両国が手を取り合って友好を築き上げていこうという話で合意した」
 そうなるように仕向けたくせにしゃあしゃあとラウルフィカは言ってのける。ラウルフィカの代で直接プグナを統治出来ずとも、ラウルフィカとアラーネアの子であればベラルーダとプグナ、両方の国の継承権を持つこととなる。
「そこでゾルタ、永年宰相としてベラルーダに仕えたお前に栄誉ある地位を授けたい」
「……なんでしょう」
 不穏なものを感じて渋面となったゾルタににっこり笑いかけると、ラウルフィカは彼の「復讐」を口にした。
「プグナの王女殿下と婚儀をあげ、かの地を統治せよ」
「な――」
 またしてもゾルタは驚き、絶句し、今度のそれからはしばらく立ち直れなかった。周りの貴族たちもざわめく。
 いくらベラルーダでは色男で通していても、ゾルタは今年三十五歳。十八歳の王女の相手として、隣国の倍近い年齢の宰相は不適切なのではないか――と通常は考えられる。
 だがこれもやはり今回の事情を考えれば適切と言える範囲内の処置だった。ラウルフィカがベラルーダ王としてプグナを併呑して立つには、プグナの支配者からその地位と権力を奪わねばならない。そのためにはプグナの王女を適当なベラルーダ貴族と結婚させてしまうのが手っ取り早いが、本当に「適当」な相手をあてがっては、プグナの国民感情が悪くなる。かといって婚姻の自由を許すとそれはそれでまた、ややこしいことになる。
 ベラルーダが完全にプグナを併呑し、その王位はラウルフィカとアラーネアの子が継ぐことになる。一方アラーネアの娘である王女方の血は、ベラルーダの宰相位を持つ男と結婚させることによって、高貴ながら「王の下」という位置に混ぜて支配する。
 プグナをベラルーダの支配下に置くが、ベラルーダ側としては最善の行動を尽くすというのが最も丸く収める方法だ。そのためには、ベラルーダの世襲宰相をプグナ王女と結婚させるという発案は悪くはなかった。
 当事者の考えを除けば、だが。
「どうだ、ゾルタ。これは命令だが、一応お前の意見も聞こうではないか」
 宰相としてゾルタが断らないだろうことをわかっていてラウルフィカはそう言った。これがラウルフィカの、ゾルタに対する復讐だった。
 ゾルタは怒りのあまり赤くなるを通り越して青ざめながらも礼をする。それは承諾の証。
 幼かったラウルフィカを犯し、傀儡とした男はこれ以降もラウルフィカを支配し続けるつもりだった。王妃として適当な貴族の娘をあてがい、世継ぎが生まれればその教育にも口を出し――。
 しかしラウルフィカの方が早く動いたことにより、その目論見は潰え去った。ゾルタ自身がやろうとしていた、妃をあてがいその血の行く末までも支配するという方法を、ラウルフィカの方が行ったのだ。
 自らより「下」に置いたはずの相手に出し抜かれたという屈辱。しかも多少の評判が落ちることを覚悟で断ればいいというものではない、絶対に断ることができない案件。見知らぬ女、それも自分の半分ほどしか生きていない小娘と結婚させられる苦痛。それらがゾルタにのしかかってくる。
 これまでパルシャやナブラのように身内によって困らされたことのない冷酷なゾルタには、弱点などないように思われていた。ゾルタはいざとなれば家族でさえあっさりと見捨てられる人間だからだ。しかし彼の弱点は、弱味がないことそのものだった。例え名ばかりの妻でも結婚さえしておけば、この期に及んでラウルフィカに妃を押しつけられるなどということはなかっただろう。
 話し合いは、ラウルフィカの今回の一連の行動、勝手に姿を消したことから皇帝の望みを叶えるためにどのような功績を上げたかまで全て含め、それを認めるという形で終了した。
 表向きは穏やかに、しかし水面下ではあちらこちらで大きな思惑が動いている。
「……後悔しますよ、陛下」
 人を遠ざけてラウルフィカと二人きりになると、ゾルタは口を開いた。
「後悔などしないさ、宰相殿。これまでご苦労だったな」
「――私の助力なしに、あなたのような無鉄砲な子どもが国の統治などできるとお思いか」
「やってみせる。私にはもう、お前は必要ない」
 五年前に一言そう言えるだけの実力があればまったく違ったものになったであろうラウルフィカの人生。その言葉をようやくはっきりと言いきったラウルフィカに、ゾルタは苦々しさと、一抹の期待を込めた先程の台詞で答えた。
「後悔しますよ、陛下」
 ラウルフィカはただ微笑む。ゾルタは動揺を押し隠し、完璧な礼をしてラウルフィカの前を辞した。
 ラウルフィカは一人謁見の間に取り残され、玉座へと腰を据える。
 初めてこの椅子が自分のものだと感じた。今はこの背後に、人形の操り手のようにいつも控えていた男たちの姿はない。それは空虚ささえ伴う、――解放。
 今回のことは五年間の戦いの末に、ラウルフィカがようやくゾルタから取った「勝利」であった。
 一人で、自分の力で頂点に立つことができるようになり、ラウルフィカ・ベラルーダは、真の意味でこの国の王となる。
 ――復讐劇の終わりが近付いていた。