劫火の螺旋 07

40.末路

 ラウルフィカは最後に一度だけミレアスと話をした。
 話とも言えない話を。
「王様よ、あんたは俺に言うことがあるんじゃねぇか?」
「さぁな。お前こそ、言いたいことがあるのではないか?」
 それは前日だった。プグナとの小競り合いは終わっても、軍人の出番は終わらない。若くして上級大将にまで登り詰めた男は、しかし呆気ない程簡単に死んだ。西の砂漠に現れたという、いつもの馬賊退治の仕事などで命を落とした。
 ミレアスはラウルフィカが幼いころから暴力を振るっていたし、ラウルフィカは彼に報復した。その報復にミレアスがラウルフィカをプグナに売り渡したが、それは結局ラウルフィカの計画のうちに組み込まれた。
 その時点でミレアスとしては、もはやラウルフィカと張り合う気力がなくなっていったのだろう。汚い仕事に手を貸しても正々堂々自分の力で成り上がる実力を持つ男と、何一つ持たずに荒波に放りこまれ、汚い策謀でしか何も手に入れられない少年では生きていく世界が違うのだから。恨んでも憎んでも意味がない。
「じゃあな。ラウルフィカ」
「ミレアス」
 背中を向けたまま振り返らないままの体勢で、ラウルフィカはそっと呟く。
「私はお前が憎いが、嫌いではなかった」
「そうかよ」
 短い言葉に込められた意味が重いのか軽いのか、口にした本人たちも知らない。そして、その意味が通じ合う機会は、片方の死をもって永遠に失われた。

 ◆◆◆◆◆

「ナブラが死んだそうです」
「……そうか」
 公爵領から知らせが届いたのはラウルフィカが婚儀を上げる数日前のことだ。
 皇帝への不敬から自領地への蟄居を命じられていた公爵ナブラ卿が、かねてより不仲だった妻に斬りかかって殺したあげく、自らの城に火を付けて炎の中で笑いながら狂死したという知らせを、ラウルフィカはゾルタから受け取った。
 伝えられたその死に様は、同じくラウルフィカが捨てたファラエナ王とも似ている。
「あの男には、陛下の結婚話は刺激が強すぎたようで」
「刺激が強かったのは、皇帝陛下の不興をかったことだろう」
 ラウルフィカの言葉には答えず、ゾルタは一通の手紙をラウルフィカに差し出した。
「ナブラから陛下へと宛てられた手紙です。お読みになりますか?」
「……いいや」
 ラウルフィカは何ともいいがたい顔で拒否の言葉を口にした。死んだ男の言葉なぞ、今更なぞったところで何になろう。
「では捨てますか」
 ゾルタはあっさりとそう言い放ったが、ラウルフィカにはそれも躊躇われた。迷った末に、ゾルタから受け取った手紙を封を開かぬままに、自室のチェストの一段へと放り込む。
 ――愛していると言ってくれ。私を愛していると……。
 ラウルフィカに理想を重ね、それを裏切られた男の末路は自滅。得られない愛を求め過ぎた男は、それを自分が得ることができぬと知ったことで、自らの人生に幕を引いた。
 例えラウルフィカが今更手紙を呼んだところで、もう何一つ、彼には届かない。

 ◆◆◆◆◆

 ゾルタは諦める気などなかった。
「触らないでもらえます? 私はあなたとの結婚を承諾した覚えなど――きゃあ!」
 プグナから連れてこられた王女はゾルタに与えられた。ラウルフィカと同い年のその娘は、気位が高く傲慢で我儘だった。自分の結婚相手が十七も年上の隣国の宰相だということが許せないようで、ひとしきりゾルタに文句を吐いた。
 妻が強すぎると、男は仕事に身が入らなくなるものだとはナブラを見て知っている。しかしそれでなくとも本来誰よりも矜持の高いゾルタは、自分にこの娘をあてがった王と同い年の少女の言いなりになどなるつもりはなかった。
 手首を掴まれて寝台に放り出された少女は、憎々しげにゾルタを睨みつける。
「いきなり何をするのです! 私はこれでもプグナ王女ですよ!」
「だからどうしたというのです? 姫君。プグナ王女だからこそ、あなたは今私の妻となったのでしょう」
 美髯の宰相は十分な色男だが、十代の少女が憧れるような方向の美形ではない。彼との結婚も同衾も拒否した王女を、無理矢理寝台に押し倒す。繊細な薄布で作られた服の胸元を力任せに引き裂いた。
「ヒッ」
「ごちゃごちゃ言うと、鎖で縛りつけますよ」
 まったくの無表情で男は言うと、今度は下衣に手を入れて下着を剥ぎ取った。いきなり秘所を露わにされ、王女の頬に羞恥で赤味が指す。しかしゾルタの行動はそこで留まらず、前置きもなしに少女の割れ目へと触れた。
「ひっ、や、やめなさい! いやっ、やめてっ」
「――ちっ。何が可憐な深窓の令嬢だ。こんなに使いこんだあそこを晒して」
「や、やだぁ。やめてよっ! ああっ!」
 少女の秘部に触れるゾルタの指は決して乱暴ではない。しかし的確に刺激を加えて彼女を昂ぶらせていく。王女にはそれこそが怖かった。彼女がこれまで肌を重ねてきた若者たちとは比べ物にならない男の手つきだ。
「強いて言うなら、こちらは処女のようだが」
 翻弄される恐れと戸惑いの間でそれでも着実に快感を得ていた少女は、不意に男が濡らした指を後孔に入れたことで我に帰った。冷水を浴びせかけられたように震えだす。ゾルタが自らの帯を解く衣ずれさえも恐ろしい。
「そこは、違」
「こちらで我慢しておくか」
「いやぁああああ!」
 乱暴ではないが、手荒としか言いようのない扱いに泣きだした王女を揺さぶりながらその耳元でゾルタは囁く。
「私を恨むのは筋違いというものだ。あなたをこのような目に遭わせたのは、ベラルーダ王ラウルフィカ」
「ラウルフィカ……?」
「そしてあなたの母上だ。本来年の頃から言えば娘であるあなたの夫となるはずだったラウルフィカと結婚して、あなたを捨てた。若い男に走って夫も娘も裏切ったのだ」
「そうよ……お母様が悪いのよ! お父様が殺されるのをそのまま見ていたなんて!」
 もとより事件の詳細を知らされず、人々の憶測と噂話でしか情報を得ることのできなかった王女はゾルタの言葉にすぐに陥落した。美貌の母と顔立ちは似ているが、性格はまったく違う娘である。
「ラウルフィカ王は美しい少年ですよ。本来なら、あなたが彼と結婚するべきだったのに」
「そうよ。あんな綺麗な男の人見た事なかったのに、なんでお母様が……」
 ゾルタの吹きこむ毒に、プグナの元王女はあっさりと染まった。
「お互いの本来いるべき場所に辿り着くために……私に協力してくださいますね? 殿下」
「ええ……」
 ゾルタはこのまま諦める気はなかった。何とかラウルフィカを再び自らの「下」に置くために、策謀を巡らせ始めた。

 ◆◆◆◆◆

「ご安心ください、父上。あなたの商売にかける情熱は、このレネシャが立派に引き継ぎますから」
「レ、レネシャ。お前のその気持ちはありがたい。だが」
「ですからもう何も心配ありませんよ。そこでゆっくりお休みくださいね」
「レネシャ?! 待て! 出せ! わしをここから出すのだ! レネシャ!!」
 ヴェティエル商会では最近姿の見えない商会主のことを気にかける者が増えた。一人息子のレネシャはよくやっているが、若すぎる彼を信用できないという者は多い。
 その不足を補うのは、国王の保証だった。ラウルフィカ王はヴェティエル商会の取引の総責任者をレネシャに任命し、御曹司が父の業績を引き継いで名実共に商会の主となる日は近い。
 しかし姿の見えなくなった先代の主パルシャの行方と、これらの裏側で進行する陰謀については、まだ多くの者が知らずにいた。