花は根に鳥は故巣に

3.依頼

 翌日、二人は再び父親によって呼び出された。
「新しい依頼ですか。お次はどのような」
「そう先走るではない、交喙。今回の話は、ただの退魔の依頼ではない」
 そして父親は言った。
「依頼主は、お前の婚約者となるお嬢さんだ。笹谷魅亜嬢」
「…………は?」
 兄妹は沈黙し、数秒も経ってからようやくのことで交喙が声をあげた。
「え? え? お、お兄様に婚約者って……」
 花鶏は驚きのあまりにきょろきょろとあたりを見回した。当然どこかにこの状況を懇切丁寧に説明してくる字幕などがあったりするはずはない。兄の交喙に婚約者がいるなどと、そんな話彼女は聞いたこともなかった。それどころか、兄の反応を見てみれば彼自身もまた、自身にそのような相手がいることを知らないようだった。
「父上、俺にそのようなお相手がいるとは初耳なのですが」
「ああ、まだ伝えていなかった。昨日決まったことだ」
 確かに昨日花鶏と交喙が篠家の長男を殺した一つ目の桜魔退治をしている間の時間、父に誰か来客があるとは聞いていたが、それがまさかこんな内容だったとは。
「笹谷家の跡取り娘の魅亜嬢は、お前と同い年だそうだ。ところが彼女はここ数日、桜魔に狙われて困っているという。ちょうど我が家と縁を結んだところだし、その桜魔退治の依頼をお前たちに頼みたいのだと」
「俺一人では、到底桜魔を倒すほどの力はありません」
「だから、お前『たち』と言った。交喙、花鶏、二人で笹谷家に向かい御令嬢の身を狙う桜魔から守れ」
「わ、私も行くのですか?!」
「当たり前だろう」
 花鶏と交喙は顔を見合わせた。二人からすれば今回の依頼に関する父の態度は世間的な考えからはズレていると思われるのだが、どうにもそれが伝わらない。元よりこの父は一度思い込んだら融通の利かない性格なのだ。
 笹谷家と言えば、退魔師の家ではないが首都でも古くから続く名家の一つだ。退魔師は一般人には敬遠されるので、そうせずに天望の跡取りでもない交喙と婚約する少女というのは貴重な存在かもしれない。
 けれど、それとこれとは別だ。
「婚約……結婚……お兄様が、女の人と」
 父から簡単に笹谷家の場所だけ聞かされて部屋を出された二人は、肩を落としながら廊下を歩いた。花鶏の言葉に、交喙が先刻起きたばかりだというのに疲れたような顔で混ぜ返した。
「その言い方には語弊があるだろう。まるで男だったらいいみたいじゃないか」
「そういう意味じゃありません。私は……お兄様が、誰か他の人にとられるのは嫌です」
「……花鶏」
 花鶏は涙ぐみながら兄を見上げる。
 花鶏は兄である交喙を愛している。
 そして交喙は、妹が自分を男として愛していることを、知っている。

 ◆◆◆◆◆

 依頼内容は本人と笹谷の当主から聞くようにと指示され、花鶏と交喙はまず笹谷家へと赴いた。
「ようこそいらっしゃいました! 交喙様、わたくしがあなたの婚約者である笹谷魅亜ですわ」
「はじめまして」
 話も知らされていなかったこの婚約に乗り気でないため、いつもなら笑顔でそつのない対応をする交喙が、珍しく素っ気ない対応をする。
 魅亜は美しい少女だった。交喙も花鶏も、確かにそれは認めよう。けれど二人が同時に感じたのは、この少女は交喙の好みの女性像とはかけ離れているということだった。はきはきとものを口にする割に、思慮深さが足りていないのか、それともよほど自分に自信があるのか。話をしたこともなかった婚約者に突然会うというのに、それも理由が桜魔に狙われているからだというのに、やけに明るすぎるのだ。正直に言ってしまえば、能天気に見える。
 いつもは人見知りをする花鶏に代わって依頼人との直接交渉には積極的に前に出る交喙だが、今日はこれ以上魅亜に興味を持たれないよう次期当主として花鶏を前面に出し、自分はその斜め背後に控える形をとった。
 通された笹谷家の応接間には魅亜と、その父親である笹谷家の当主がいる。
 花鶏を前に座らせることで今日は婚約の話よりも退魔師として話をしに来たのだという態度を露わし、とにかく二人は笹谷親子に今回の桜魔退治についての説明を始めさせた。
「肉体? 桜魔はそんなものを欲しがっているのですか?」
「そんなものって、ひっどーい。これでもわたくしの大事な体ですわよ?」
「すみません。けれど、あまりにも珍しい話でしたので」
 花鶏は主に笹谷の当主から、今回の桜魔退治の依頼について、詳細を聞きだしていた。茶々を入れてくる魅亜はほとんど無視して、桜魔が要求したというものについて考える。
「人の肉体を欲しがる桜魔、ですか……」
 桜魔は人間の発する邪念や負の感情と瘴気が結びついた存在だ。そのため、彼らはあらゆる残酷な方法で人を殺す者が多い。甚振りながら被害者を殺す桜魔たちの中にあって、人間の肉体を欲しがる桜魔とは珍しい。
 その桜魔がどのように肉体を奪うのかは定かではないが、まずその被害者は助からないだろう。そういう意味では殺人と同じだが、桜魔の目的によっては攻撃方法や捕獲方法が異なってくるので、そういったことはしっかり聞き出しておかねばならない。
「それにしても驚きましたな。こんな若いお嬢さんが退魔師だなどと」
 考えをまとめようとした花鶏の耳に、笹谷の当主の言葉が滑り込んでくる。
「あの……」
「あ、いえ。天望家のお嬢さんならば、素晴らしい退魔の腕をお持ちなのでしょうと」
 とってつけたような褒め言葉に、花鶏は逆に沈みこんだ。
「……桜魔は夜に魅亜様のお身体を狙ってくるとのことでしたね。それに対する作戦を練りますので、一度席を外させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ。夕餉は当家の方で用意させますので、ぜひ泊まっていってください。何か入用なものがあればどこからでも取り寄せましょう」
「お気づかいいたみいります。お嬢様は我ら兄妹が必ず守りますのでご安心ください」
 花鶏は当主に礼を言い、応接間を辞した。

 ◆◆◆◆◆

「俺はこの家の間取りを調べて結界の設置位置と対策を練ってくる。花鶏、お前は?」
「お庭でも見ています」
「わかった。いい子にして待ってろ」
「はい」
 結界を作るのは花鶏の役目だが、それが最も効率よく働くよう計算するのはいつも交喙の役目だ。そうして花鶏は兄と別れ、笹谷家の広い庭園を見ていた。誰かに何か聞かれたら、退魔師として桜魔の侵入口を探っているのだと答えるつもりだった。
 けれど彼女のもとにやってきた相手は、そのようなことを気にする性格ではなかったようだ。
「あら、さっきの退魔師さんじゃない? 別名わたくしの義理の妹」
「魅亜、様」
 この件の表向きの依頼主であり交喙の婚約者、笹谷魅亜だった。
「お仕事ご苦労様。でも“お兄様”と一緒じゃなくていいのかしら」
 魅亜は先程の快活さが嘘のように意地悪げに笑うと、花鶏を品定めするように近づいて顔を覗き込んできた。
「あなたと交喙様って全然似ていないのね。交喙様はあんなに格好いいのに。あなたはどうしてそんなに頼りないの? こんな人にわたくしの命を預けるなんて不安だわ」
 あまりにもはっきりと失礼なことを言われて、花鶏は目を白黒させた。彼女の常識にここまで面と向かってものを言うということはないので、一瞬何が起きたのか本気でわからないくらいだ。人は自分の常識にない考えは咄嗟に出てこないものだ。気が小さい分善良な花鶏には、初対面の人間に嫌味を言う神経が理解できなかった。
「ちょっと、何かいいなさいよ。あなたは頭の回転が鈍いの? そんなんでよく退魔師なんてやってられるわね」
「……私に、何か用ですか」
 向けられた敵意に敵意を返すのは得策ではない。今は仕事の最中で、魅亜は守るべき対象だ。こんな女が交喙の婚約者だと思うとはらわたが煮えくり返りそうだが、花鶏は自制してなんとか普通の対応をした。
「わたくしがお話したかったのはあなたではなく交喙様よ。あの方どこに行かれたの? あなたと違って、とっても綺麗なお兄さんよねぇ。退魔師なんて不気味な人と婚約っていうから嫌々だったけど、あんなに格好いいなんて期待以上だわ」
 魅亜は勝手なことを言って、悪意が一周したような無邪気さで笑う。花鶏は表情が引きつっていくのを止められない。
 こんな、こんな女なんかがお兄様の婚約者だなんて!
 たぶん花鶏が交喙のことを想っていなくとも、全世界の妹が兄の嫁になって欲しくない人物だろう、魅亜は。
「あなたと交喙様ならあなたの方が強いらしいけど、とてもそうは見えないわね」
「だから、なんですか? 退魔師としての私たち兄妹の能力に不満でも?」
「いいえ。呪力なんて不気味な力を操る退魔師なんて気味が悪いですもの。交喙様がそんな人ではなく安心ですわぁ」
 あまりの言いぐさに、さしもの花鶏も憤慨した。それは遠回しに花鶏のことを気持ち悪いと言っているのか。それに交喙だって弱いだけで呪力自体は持っている。
 魅亜は今にも高笑いしそうな表情で告げた。
「まぁ、あなたはせいぜいわたくしと交喙様の幸せの礎となるために、わたくしを精一杯護衛してくださいな」
 花鶏は退魔師になって初めて、仕事を拒否したくなった。