僕の愛しい勇者様 02

12.戦力の不足

 ウォルフが抜けてからの旅路は、勇者一行を重苦しい空気で包んでいた。
 これまで彼らは、同じ村出身の気の置けない幼馴染四人だけで旅をしてきた。だから例えほとんど成り行きで参入した相手とはいえ、仲間内から裏切り者が出るという経験に不慣れだった。
 勇者とは呼ばれていても、所詮全員が十代の少年・少女。しかも小さな村の出で、異なる思想や外見、民族の者たちが一集団に様々な利害を掲げて集うという経験に慣れてはいない。魔王が、魔物がこの世界に現れなければ、一生を村の外に出ることすらなく終わらせていたはずの者たちだ。そのくらい彼らの日常は穏やかだった。
「ちょっとソール、本当にこのまま突入するの?」
 必要以上の会話もせず、道程の踏破にはこれまでの旅路で慣れた勇者一行は特に障害もなく次の敵が棲む古城に辿り着く。
 これまで洞窟状の遺跡や迷宮に棲んでいた魔物たちとは違い、今度のボスは人間たちを追いだして城を奪い、そこを棲家としていた。セドゥム地域以降は敵も少しずつ強くなってくる。
 かつては美しかったのだろう白亜の城は、今は魔物たちの趣味で陰鬱に造りかえられてしまっている。その門前で、ローズベリーが先程の台詞を口にした。
「なんだい、ローズ。ここまで来てすごすごと引き下がれって言うのか?」
 ウォルフの裏切りの理由が分からず、また彼が手を出したのがライアだということに心を乱されているソールは昨夜から様子がおかしく、今も幼馴染の少女に険のある視線を向けた。まるで彼の理性が取り払われて本性を剥きだしにしたあの時のような態度だ。
「そうではないけど……みんな、自分で自分の調子はわかっているでしょ? こんなぎすぎすした空気の中で突っ込んでいって、もしも負けたらどうするの?」
 僧侶であるローズベリーは、人の傷を癒し、精神を落ち着かせるのが仕事だ。そのためにティルをも含めた一行の空気に誰よりも敏感だった。皆が落ち着いている時はいいが、ほぼ全員が猜疑や不安で浮足立っているこの状態に危惧するのは彼女の役目だった。
「ライアちゃんはどう? 大丈夫なの?」
「僕は……なんともないよ」
 ローズベリーに話を振られ、ライアは強がってそう返した。本当はライアも言葉にできない得体の知れない不安や予感を覚えているのだが、先日の騒動の渦中にいた人物として、軽く弱味を見せるような真似だけは避けたかった。
 ウォルフに何の目的があったのかは知らないが、彼は夜半にライアを襲い、それを弁解することもなく、不可解な言葉だけを残して消えた。そのせいでソールが取り乱し、オルクスやローズベリーが落ち込み、こうして一行の空気が乱れているのだ。ライア自身がそれを望んだわけでもなく、彼は一番の被害者であるが、もしあの時に最初から起きて自分でなんとかできていれば……という思いがあるために、ライアとしては迂闊に皆の士気に水を差すことはできなかった。
「ライア、本当にいいのか? お前がもしも辛いっていうなら、また日を改めるぞ?」
 しかしライアがそんな強がりを言っているということはバレていたのか、ソールが弟の身を案じて声をかけてくる。結局ライアはウォルフに手荒なことをされたわけではないのだが、ショックを受ける出来事であるのには変わりない。しかしライアは大好きな兄にそうして心配されたことにこそ動揺し、首を横に振ってしまう。
「だ、大丈夫だよ兄さん! 僕は全然平気! 兄さんが行く場所ならどこでもついていけるよ!」
 得体の知れない悪い予感を握りつぶして、ライアは努めて明るい調子でそう言った。
「そうか? お前が、そう言うなら……」
 ソールは弟のひと押しを受けて、魔城の門をくぐることを決める。
 ――弟は兄が行くところについて行くと言い、兄は弟の言うことなら前に進むと告げる。
 お互いを想うそれぞれの言葉は、しかしここではすれ違い、噛みあうことがなかった。
 一行のリーダーであるソールが決意したのならもう止める意味はない。それをわかっていながら、不安を覚えるのがローズベリーだ。何か、よくないことが起ころうとしているのではないかと。
 重苦しい空気は振り払われないまま、彼らはセドゥム地域の人々を苦しめる魔物が棲みついた古城の最奥部の部屋へと辿り着く。
「「ようこそ、勇者たちよ」」
 しかし玉座にいたのは、一人の敵ではなかった。彼らを出迎えたのは重なった二つの声だ。
「二人?」
「双子?!」
 付近の村で話に聞いていたこの城のボスは、人間に近い姿をしているがところどころ肌に鱗があり、白目の部分がない瞳をした蜥蜴風の魔物だった。その魔物が赤と青、二体この場に揃っている。
「君たちの快進撃は聞き及んでいる。我らもそう簡単に負けてやるわけにはいかなくてね。私たちは二人で一つの魔物だ。セドゥムのシャギーとオスムのラギーだ。お見知りおきを」
「オスム? まさか、次の地域の支配者がわざわざ出て来たって言うの?!」
 ローズベリーがハッとして叫ぶ。赤いシャギーと青いラギーは頷いた。彼らの仕草はやけに人間くさい。
 ソールたちの一行は、よほど魔物たちからも実力を買われていたようだ。まさか一つの砦の敵を相手にするつもりでやって来て、その次のダンジョンのボスとまで相対するとは思わなかった。
 きつい戦いが始まった。
 ティルは戦闘にほとんど参加せず、後方で支援に徹している。ソールが剣で斬りこみ、オルクスが手甲をつけた腕で殴りかかる。ライアは魔術で遠距離から攻撃し、ローズベリーは三人に補助の術をかけ、敵に彼らの力を削ぐような術をかけようとする。
 しかし魔王軍の中でも中堅級の魔物ともなればその実力はこれまでの魔物とは格段に違う。特殊な魔術も、爪で斬りかかるという普通の攻撃も、そこらのモンスターとは比べ物にならない威力だ。
「くっ!」
 滅多に苦戦などしたことのないソールが苛立ったような声をあげる。体力自慢のオルクスでさえ息を荒げ、ローズベリーの顔色は紙のように白い。ライアも放った魔術を防がれて反射を防壁でふせぎながら、このままではまずいと感じていた。
 誰もが気づき始めている。これまでの快進撃は、そもそも彼らだけの力ではなかった。ソールたちが危うくなる前に、一つ一つは些細ながらも最もそれが必要とされる絶妙な場面で差し出されていた助けの手。ウォルフの援護があったからこそ、これまで順調に進んで来れたのだ。
 けれど、いきなり大敗を喫するというわけではない。セドゥム古城の主とオスム地域の敵がまとめて出て来たのは予想外だが、魔王はもっと強いのだ。この程度で負けるわけにはいかない。
 彼らはそう考えていた。
 だが、四人は気づいていない。ウォルフなどよりもっとはっきりとした裏切り者が、彼ら一行の中に巣食っていることに。
 ライアは突然、足元が何かに引かれるような感覚を覚えた。魔術を放った直後の力が抜けた隙を突かれ、その場で転ぶ。まるで示し合わせたかのようにその一瞬、シャギーとラギーと名乗った双子の魔物の注意が集中した。
「ライア!」
 ソールがハッとして駆け寄ろうとして時には既に遅く、ラギーがソールを引きつけている間に、シャギーがライアをかっさらう。その際にこめかみを殴られたライアは、すでに気を失っている。
 ここで先程ライアにしたように、オルクスとローズベリーにも気づかれないようティルの足止めの力が働いていた。術をかけられた本人にもわからないほどさりげなく、彼らがライアのもとへ駆け寄れないように、疲労だとでも勘違いする程度に少しだけ体を重くする。
「ライア!」
 ソールの手が宙をかく。勇者はあと一歩のところで弟に手が届かなかった。赤い魔物はこれ見よがしに、意識のないライアの柔らかい喉首に鋭い爪を突きつける。
「どうした勇者様? 先程の勢いがないようだが。おっと、後ろの二人、お前らも動くなよ?」
「くそっ! この卑怯者が!」
「我らは魔物だ。このくらいは当たり前のこと」
 そしてシャギーとラギー二体の魔物は、ライアを手中に収めたまま部屋の奥へと後退する。ラギーの方が空間に円を描き、異界へと通じる穴を開いた。
「弟を救いたくば、この次の砦、オスムの我が城へ来るのだな!」
 高笑いを浮かべ、ラギーが明らかに罠とわかる言葉を口にする。しかしソールたちにそれを無視するという選択はない。
「畜生……!」
 敵が去り静まり返った城内に、ソールの悲痛な声が響き渡った。