14.仲間
かつては人間の王が坐していた玉座のある広間まで、勇者たちは一気にやってきた。
「ライアを返せ!」
オスム砦に辿り着いたソールは、途中で手に入れた鍵で玉座のある謁見の間の扉を開け放ちながらそう口にした。そして凍りつく。
「ライア!」
「兄さ、ん……」
荒縄で縛りあげられた弟が、赤と青二体の魔物たちの後ろにいる。身に纏うローブはところどころ破れていて、その裾からズボンを穿いていない素足が覗いていた。
「お前たち、よくも俺の弟を……!」
見る者が見れば、ソールの周りに赤い光のような闘志が立ち昇るのがわかっただろう。琥珀の瞳が強い光を湛えて獣のような金に煌めく。勇者としてではなく、兄としての怒りを乗せて彼は剣を抜いた。
「おっと。それはなしだぜ勇者さんよ」
しかし彼の行動は、ラギーのそんな言葉によって封じられた。
「うぐっ」
「大事な大事な弟の命が惜しければ、お前たちはそこから一歩たりとも動いちゃいけない」
銀髪を無造作に掴まれて無理矢理顔をあげさせられ、ライアが苦痛に呻く。その姿に、各々武器を構えたソール、オルクス、ローズベリーの動きが鈍る。
「武器を捨ててもらおうか」
三人の手から、軽い音と重い音、金属音、それぞれ手にした武器別の音を立てて得物が滑り落ちた。
「駄目だ! みんな! 僕のことはいいから反撃し……うわぁ!」
思わず声をあげたライアの襟首をラギーが掴みあげる。
「無駄だぜ。お坊ちゃん。お前がこちらにいる限り、勇者たちは我らに反撃はできない。お前が奴らの足枷となってるんだよ」
「うう……兄さん!」
ラギーに羽交い締めにされたままで、ライアはもどかしげに兄を見遣る。だがそれはこの場では逆効果だった。ライアの姿を目にして覚悟を決め、ソールは魔物たちの前に腕を広げて立つ。
「駄目だ兄さん! こいつらは僕の魔力を吸い取って強化され……兄さん! 逃げて! 避けてよ!」
シャギーの放った火焔を、振り払うこともせずソールは身に受ける。魔力で強化されているはずの手甲が焼け落ち、ソール自身も火傷を負った。鎧の効果ですぐには傷を負わず、徐々に火傷が広がっていく。
「こんなの……嫌だ! やだよ、兄さん……」
オルクスが壁際に叩きつけられ、ローズベリーが地に伏せる。傷つき倒れていく仲間たちの姿にライアはたまらずその目に涙を浮かべた。シャギーに殴られて、ソールの体が吹っ飛ぶ。それでも彼は、ライアがラギーの手の内にあるうちは何の抵抗もしない。
「誰か……」
ライアは自分を拘束しているラギーの腕を振り払おうともがく。
ソールたちの心配をしている場合ではなく、ライア自身も今は命を青い魔物の手の中に握られている。それに彼は表面上は傷を負っていないように見えるが、その実とても危険な状態だった。魔物たちに繰り返し犯されて魔力と生気を吸われ、今は動くのもやっという容態だ。
だが、それでもライアは自分の命を引き換えに仲間たちを見殺しになどできない。
「誰か! ……ウォルフ!」
ライアはここにいない仲間の名を呼んだ。
まるでその言葉を合図としたかのように、突如飛んできた光がライアを拘束していたラギーの腕を斬り裂いた。
「ぎゃああああ!」
「何だ! どうしたラギー!」
ラギーの悲鳴に驚き、シャギーが彼の方を振り返る。しかしその時にはすでに黒尽くめの攻撃手の狙いはシャギー自身へと移っていた。
顔を狙った一撃に、流れ出す緑の血でシャギーの視界が潰れる。その腹部に、今度は大振りの剣が投げ付けられた。
「な……」
勇者の持つ剣が、魔物の体を内側から焼き尽くす。
「うぉおおおお!」
「シャギー! おのれ貴様ら、よくも!」
腕を斬り落とされたラギーが魔術でソールを狙う。だがその一瞬の隙に脱出したライアが、兄の危機を見逃すはずはなかった。折しも彼の目の前に、ウォルフが杖を投げ付けたところだ。
「闇の力よ、かの者をそなたの糧とせよ!」
中途半端に人型の魔物であるラギーには、ライアの使う闇呪文も効くのだ。ライアにトドメを刺され、ラギーは口を開いた闇の顎の中に消えた。
あとには壮絶な静けさだけが残される。
「兄さん、僕……」
何事か口にしかけて倒れ込んだライアの身体を、ウォルフがその腕の中に優しく抱きとめた。
◆◆◆◆◆
「……イア、ライア! しっかりしろ!」
誰かが必死で彼の名を呼んでいる。
ライア、と聞こえる。だがそれは誰だろう。一体誰の名なのだろう。だって僕は……。
銀髪の少年は目を開けた。
「……だ、れ?」
「ライア!」
漆黒の髪に琥珀の瞳を持つ少年の姿が開いた目に飛び込んできたことにより、ライアの意識は一気に覚醒した。
「兄さん……それに、みんなも……」
夢の中で何か別の名前で誰かに呼ばれていたような気がするけれど、そんな感覚はすぐに遠ざかっていった。
「ライアちゃん、あなたすごく危険な状態だったのよ。魔力がほとんどゼロで。生気まで使い果たしてて」
オルクスが、ローズベリーが、心配そうにライアの顔を覗き込んでいた。二人ともローズベリーの力で治療したらしく、衣服の悲惨さに比べて傷は浅い。もちろんソールもしっかりと元気を取り戻している。
そして彼らの姿の向こうに、ライアはもう一人この場にいるはずのなかった人物の姿を見つけた。
「ウォルフ……戻ってきたの?」
黒尽くめの暗殺者は、相変わらず寡黙な眼差しでライアを見つめて来た。ライアは彼に何をされたか忘れたわけではないが、それでも再びウォルフの姿を見れたことに安堵した。
「ウォルフが俺たちを助けてくれたんだ。覚えてるか?」
オルクスの言葉に、ライアはようやく合点がいった。ラギーの腕を斬り落としシャギーの顔を裂き、ライアの杖を彼の目の前に投げ付けたのはウォルフの仕業だったのだ。そしてシャギーに勇者の剣を投げ付けてトドメを刺したのがソールで、ラギーを闇の魔術で呑み込んだのがライアだった。
「でも、どうしてウォルフが?」
「まさかライアが呼んだから出て来たってわけでもないんだろう?」
じろりとウォルフを睨むソールは、まだ彼を赦してはいないようだった。オルクスやローズベリーには決して向けない、けれど何度も見せたことのある表情でウォルフをきつく見据える。
「私は私の目的のためにやってきた」
ウォルフは静かな眼差しをライアに向ける。
ライアはどきりとした。彼にこんな眼差しを向けられる覚えというものがないのだ。
情慾や、恋情とも違う何か。思慕でもなく、それはあえて言うならば、懐かしさ。そして憐れみに近いもの。
「そのために今一度、あなた方の仲間に加えてもらいたい」
「あんなことしておいて、誰が仲間になんて」
「兄さん!」
ソールの言葉をライアが遮った。普段の彼らの仲睦まじさを知っている者たちにとっては、これは大変珍しい光景だ。ライアはソールに絶対逆らわない。あくまでも兄命の弟だと思われていた。
「それでもウォルフは、僕たちを助けてくれたよ」
「ライア」
結局のところ、ソールは「お前がそう言うなら」で絶対に二度とライアにああいったことをしないようにウォルフに約束させて、弟の意向により彼を赦した。
「さて。それで兄さん、改めて僕、兄さんに話があるんだけど」
「なんだい? ライア」
弟の名を呼んだ途端、兄はその頬にぺしんという音と共に衝撃を感じた。痛みというほどのものはないが、それは確かに衝撃だった。
「ま、まさか」
「あのライアちゃんが、ソールの頬を叩くなんて!」
それが先程の比ではないほどにどれほど稀有な事態かを知っている幼馴染二人が青ざめる。
「兄さん……僕は、怒ってるんだよ」
「ら、ライア。どうして」
「さっき、僕なんかのために敵に攻撃するのを躊躇ったでしょう」
先程の戦闘のことを持ちだして、ライアはソールをなじる。兄としては弟を救うつもりだったのだが、弟にはそれが耐えられなかった。
「僕だって勇者ソールの仲間の一人だ! みんなに守られるだけのお荷物なんかになりたくはない! 僕が足を引っ張るなら、遠慮なく捨ててよ! 僕なんかのために傷ついたりしないで!」
そこまでを一気に涙目で言うライアにソールは呆然とした。オルクスもローズベリーも気まり悪げな顔をしている。
「兄さん、あなたは勇者だ。守るべきは世界であって、僕じゃない。だから――もしも次に今みたいなことになったら、僕が皆の足枷となったなら、僕を捨てて」
「ライア、俺はそんなことはできない」
「駄目だよ!」
ライアが泣き笑いの表情で言う。
「僕の大好きな勇者ソールは、そんな弱い人じゃないでしょ? あなたはきっと、魔王を倒して世界を救うんだ。だから――」
約束だからね、とライアは念を押した。
ソールは返事をしない。彼に出来るわけがない。以前シェストの遺跡主にかけられた理性を吹き飛ばす魔術で、本音は世界よりもライアのことだけをただ救いたいのだと口にした彼に出来るはずもないことだった。
それでもライアは言う。勇者の弟として。勇者である兄は勇者になりたがるわけではないけれど、勇者ではない勇者の弟は、自らをあくまでも勇者の弟たらしめんとする。
「約束だよ、兄さん」
ライアは無理矢理兄の手を握ると、その小指に自らの小指を絡ませて誓った。