僕の愛しい勇者様 02

15.最後の敵

 ライアを救出し、ウォルフが合流し、心許なかった勇者一行の戦力はようやく整った。
 そして彼らは第六砦と呼ばれる、最後の冒険地域に乗り込む。
 魔術師が戻り、暗殺者を加えた一行はボス戦ならばともかく普段の戦闘においては向かうところ敵なしの強さだった。唯一、ろくな戦い方を知らないティルと言う名の少年だけはライア救出戦から後の戦いは万が一のことを考えて宿に置いてきているが、それでもソールたちの快進撃は続いた。
 ソールはまだウォルフを赦していないようだったが、ウォルフはそんなこと気にも留めずにナイフを投げ、暗器を使って彼らを援護したり、雑魚敵を倒したりする。仲間内の呼吸を見計らうその実力は大したもので、彼がいるのといないのとでは戦闘後の疲労がまったく違った。その実力に関してはソールも認めざるを得ない。
 双子の魔物に囚われたところを救出されたライアは、今では無事に戦線に復帰していた。魔物たちが死んだことで奪われた魔力も無事に戻り、相変わらず勇者一行らしくもない闇魔法を存分に振るっている。
 大地は進むにつれて荒廃が酷くなり、最初は獣や虫の姿をしたものが多かった魔物たちも、今では原型が何だかわからない異形のものが増えている。人が住まなくなった空き家に魔物が巣を作り、呪具や地図等は商魂たくましい行商人が通りがかるまで待たなければ手に入らなくなった。
 歩いても歩いても枯れ果て黒く汚染された土と木々ばかりが続く。
 この黒凍土と呼ばれる地域を越えれば、ついに彼らは魔王へと辿り着く。しかしその前にはもちろん、最後の砦デヴィエトの支配者が彼らを待ちかまえているはずだ。
 死に絶えた大地の荒野を抜けると、魔王を除いた最後の敵の居城へとソールたちは辿り着いた。
 もとは人間の王家のものだったのだろう城が、黒い闇と魔物たちに浸食されていた。美しい彫刻が施されているはずの外観はどこか不気味に禍々しい。黒い霧が生き物のようにゆっくりと流動しながら城を包んでいる。
 しかし、この城の攻略手順も恐らくこれまでの遺跡や迷宮と同じだ。ソールたちは充分に回復し、気合を新たにして城に突入した。
 赤い絨毯の敷かれた回廊をひた走る。
「あれ?」
「どうしかしたか?! ライア」
「う、ううん。なんでもない」
 ふと、周囲の景色に既視感を覚え、ライアは思わず声をあげていた。しかしそんなはずはないなと自分で打ち消し、兄にはなんでもないと答える。
 自分はこんな場所に一度だって来たことがないのだ。禍々しい魔物の居城としてはもちろん、この城が人間の王族の物だった頃だって。それなのに覚えなどあるはずがない。
 戦闘の前に余計な雑念を持つのは命取りだと、ライアはそのことを頭から振り払って走るのに集中した。
 城の地図を捜し、様々な部屋の鍵を手に入れ、中には封印されていた魔道具の一つや二つも手に入れ、彼らはようやく城の主の待つ謁見の間へと辿り着く。
 前回、そして前々回のシャギーとラギーとの戦いを思えば、謁見の間とは彼らにとって因縁の場所だ。今日こそその暗雲を払拭するぞと気合を入れて鍵のかけられた扉を開け放つ。
 中で彼らを待ち受けていたのは、意外な姿だった。
「え?」
「ティル? なんで君が……」
 ティルと呼ばれた少年は優雅に腰を折り、ソールたちの疑問に応えるように自己紹介をして見せる。
「ようこそおいでくださいました勇者御一行様。ティルこと我が真の名はシュピーゲル。――この城の魔物を統括する、魔王軍の将の一人です」
「なっ……!」
 ソールたちは衝撃を受けてその場に立ち尽くした。
 だが一方で彼らはその名乗りに納得もしていた。街の宿に置いてきたティルが、もしも本当にただの人間であれば、たった一人で魔物たちが跋扈する砦を抜けて彼らの目前に先回りなどできるはずがない。この事実が示すのは、目の前の少年が間違いなく魔物で、しかも彼らの敵ということだ。
「あなた方との生活は、楽しかったですよ」
「君は……魔物たちのスパイだったというわけか。生贄にされたという話も嘘なのか?」
「本当の“ティル”の話に関して言えば、生贄にされたことは真実ですよ」
「?」
 ティル少年――シュピーゲルと名乗った魔物の言葉に、ソールたちは首を傾げる。第一、目の前のティルの体からはやはり人間の気配しか感じない。彼が魔物だなどと、一体何の冗談なのだろう。
 けれど相手が敵意を放って来ている以上、勇者としてはそれを放っておくわけにもいかなかった。
「お疑いになりますか? ならば私を斬ってみれば良いでしょう、その剣で。ねぇ、勇者様。もっとも、それがあなたにできるのであれば、ですがね」
 そう言って最後の敵ことシュピーゲルは彼らに襲いかかってきた。
「ライア、結界! ローズ、守護を!」
「了解!」
「わかったわよ!」
 ソールの声に応え、ライアが魔術の防御壁を構築し、ローズベリーがそれぞれの肉体に防御と補助の術をかける。
 シュピーゲルが使って来たのは、今までティル少年が見せたことのない魔術だった。だが威力はそれほど強いわけではない。
「何だ……何かがおかしい……」
 汗で滑りそうになる剣の柄を握りながら、ソールは優勢の戦闘にこれまでにない奇妙な焦りを感じていた。何かがおかしい。だがそれを上手く言葉にできない。
「弱い……のか?」
 オルクスが自分でも疑問のままを口にした。それだ、とソールたちも思う。
 デヴィエトの支配者と名乗ったわりには、シュピーゲルが弱すぎる。彼の実力はせいぜいシャギーとラギーの双子レベルで、魔王の城に近づけば近づくほど強くなる魔物たちの法則からは外れている。
「油断するな、勇者殿。直接攻撃に優れない敵は、必ず裏がある」
「そんなことはわかってるさ。だが……」
 ウォルフのもっともな意見に頷きつつも、ソールはやはり不安を拭いさることはできなかった。シュピーゲルがこれまでに使ったお決まりの攻撃以外の必殺技を繰り出す様子もない。
「だったらこれでどうだ! 闇の獣よ! 喰らいつくせ!」
 ライアが得意とする闇魔法を放つ。すると、あろうことかシュピーゲルはその攻撃を防ぐのに力を使い果たしたようにばったりとその場に倒れた。
「え……勝った、の?」
「ええ?!」
 場がしんと静まりかえる。ローズベリーが呆けたようにそれを見守り、攻撃を仕掛けたライア自身が誰よりも驚いた声をあげた。まさかこれであっさりと勝ててしまうなんて予想外だ。本当に自分たちは、デヴィエトの支配者に勝てたのだろうか。
「やった――」
 誰かが歓声をあげかけた、その時だった。
「え――――」
 ライアは己の肉体が、急に己の意志で動かなくなるのを感じた。ぴんと張った糸で操られる傀儡人形のように、腕が勝手に上を持ちあげて攻撃呪文を紡ぎ出す。
「――避けて!」
「うわぁ!」
 咄嗟にその一言を絞りだすのに全力を要した。ソールたちが慌てて広間を横切るように避難する。
「いきなりどうしたんだよライア!」
「違う、今の攻撃は、僕の意志じゃ――ああっ」
 頭の中を何か黒い手のようなものが這う。そんなイメージにライアは見舞われた。恐怖と驚愕に引きつっていたその表情がやがて笑みを形作る。だがその禍々しい笑い方はライア本来の笑みではない。
「ライア――まさか」
「そうですよ、勇者様」
 その唇も声もライアのものなのに、そこから語られる言葉はライアのものではない。
「この身体――私が、このシュピーゲルがもらいました」
 次の瞬間、ライアの肉体を使ってシュピーゲルはソールたちを攻撃してきた。
「がはっ!」
「ぐあ!」
「きゃあ!」
 ライアが得意とする闇の術だ。その効果は実体を持つ獣や、人間にこそ有効だった。だから先程のライアもシュピーゲルに向けてこの術を放ったのだが、今はそれを逆手にとられた。
 非力で幼くはあるが、一行の中では間違いなく最強の魔術師の力に四人は成す術がない。咄嗟にローズベリーが僧侶の守護結界を作るが、ライアの闇の力とは同等に相殺しあうばかりで埒が明かなかった。
「これはいい。勇者一行の一人が闇魔術師など何の冗談かと思ったが、我らにとっては喜ぶべきことだ」
 立ち上がりかけたソールたちにもう一発闇の術をお見舞いし、シュピーゲルはライアの顔で笑いながら、彼らにくるりと背を向けて半身だけ振り向く。
「魔王陛下の城で待っていますよ、勇者様。決着はその時につけましょう」
「待て! ライアを解放しろ! シュピーゲル……ライア!」
 シュピーゲルは振り向くこともなく、自らを闇の魔方陣の中に消した。

 ◆◆◆◆◆

 ソールは呆然としていた。ライアの体が魔物に乗っ取られるなど、何の悪い冗談かと思う。
 だが弟が彼自身のものとは到底思えない顔で笑い、彼らに攻撃を仕掛け、去っていったのは事実だった。彼はソールたちに、魔王城で待つと告げた。
 シャギーもラギーも単体ではソールたちに敵わなかったが、敵が二体手を組めばその強さは実証済みだ。最後の城の敵であるシュピーゲルは、ライアの体を使い、魔王と共に彼らと戦うつもりなのだ。
 だがそうなれば、ライアはどうなる?
 自分たちの戦力よりも、ソールはまずそこを案じていた。ライアは自分の肉体がただ乗っ取られるのを黙って受け入れるような性格ではない。ではライアは――。
 考えても答は出なかった。真実を知り、弟を無事に取り戻すためには、魔王の城へと赴かねばならない。そこがこの旅の終着点であるという目標だけは変わらない。
 何の裏もなくただライア自身を攫われた時とはまた違う絶望感がソールを襲う。そんな彼の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「ん……ここは……?」
 ぼんやりと、まだ夢から覚めやらぬような眼差しを宙に彷徨わせて起きあがった少年は、これまでティルと名乗りソールたちと行動を共にしていた人物だ。だが彼の体を動かしていたシュピーゲル自身はライアの体に移ったのだ。ではこの少年は?
 怖い顔をした勇者一行(内一名黒尽くめ暗殺者)に詰め寄られ、半泣き状態になりながら少年は答えた。
「ぼ、僕はティル。町の人たちに魔物への生贄にされて……あ、あれ? ここはあの洞窟じゃないよね? 僕、なんでこんなところに……」
 すっかり混乱している少年は、普通の人間に見えた。ということは……。
 ソールたちは顔を見合わせる。
「シュピーゲルと戦って勝てば、ライアを無事に取り戻せるってことか?」
「だが確証はないぞ。肉体が受けたダメージはそのまま本人に還るんだ」
 ローズベリーの癒しの術によって治療されたが、ティル少年はその身にライアの闇魔法によるダメージを負っていた。闇を打ち消す神聖魔法で治療のできるローズベリーがいたからいいものの、そうでなければ成す術なく死に至るという凶悪な魔術だ。
 それにソールの剣やウォルフのナイフによって急所を刺して即死させてしまってもライアは取り戻せないだろう。どの程度でシュピーゲルが離れるかなど、具体的なことは何一つわからないのが現状だ。
 ソールは胸中で、先日ライアが思いつめたように言った言葉を思い出す。
 ――兄さん、あなたは勇者だ。守るべきは世界であって、僕じゃない。だから――もしも次に今みたいなことになったら、僕が皆の足枷となったなら、僕を捨てて。
 選べるはずなどない、世界をとるか弟をとるかというその選択。それを迫られる日は、思ったよりも早くに来てしまった。
「それでも、行くしかない。ライアを取り戻すために」
 思いもかけない最後の敵への動揺をそのままに、ソールたち勇者一行は、旅の最終目的地である魔王の城へ向けて旅立った。