僕の愛しい勇者様 02

17.最終決戦

 彼らは最後の確認をした。武具に剣、回復薬に地図、ありったけの護符と隠し武器、もろもろの装備を後腐れなく使いきるつもりで、有り金をつぎこんで現在の戦力を補強する。
 これが正真正銘最後の戦いなのだ。本当ならこの後、各地に巣食った魔物たちをどう追い払うかなどの問題があるはずだが、そんなことは考えない。後の事など考えず、ただ目前に迫る魔王との最終決戦に備えるのみ。
 旅の途中でまだ現実感があった頃は、魔王を倒した後の世界も想像していた。だが今はもう、そんなものは見えない。そんな夢は見られない。
 彼らにあるのは、例え討ち死にしてでも魔王を倒すという覚悟のみだった。ライアが攫われたその時から、まずソールが雰囲気を変えた。
 弟を無事に取り戻せる保証がない以上、ソールが未来を望むはずがない。彼はこの戦いに命を燃やしつくすつもりでおり、オルクスとローズベリーもそれに付き合う覚悟だった。一人彼らと事情の違うウォルフは何も言わないが、少なくともライアが攫われたこの状況に焦りは感じているらしく、表情が厳しい。
「――みんな、行くぞ」
「……ああ」
 最後の戦いが始まる。

 ◆◆◆◆◆

 雑魚敵を蹴散らして黒い城の中を進むと、構造のせいか案外すんなりと魔王の待つ謁見の間まで辿りついた。
 大きな両開きの扉を開け放つと、中には玉座に坐した黒髪の青年と、その膝に縋りつくように頭を乗せた銀髪の少年の姿が見える。
「ようこそ、高潔なる勇者たちよ。そしてさらばだ。勇気ある愚か者たちよ。我が名はクラントル。死に急ぐ貴様らへの餞別に名乗ってやろう」
「我が名は勇者ソール。この大陸を救い、そしてお前を殺す者だ! 魔王に死後の魂の平穏が約束されているかは知らないが、一応名乗っておいてやる!」
 剣を構えたソールだったが、視線は魔王と銀髪の少年の間を行き来する。
「ライア……!」
 あどけなさの残る顔に不相応に妖艶な笑みを浮かべるあの様子は、ライアではなくシュピーゲルだ。魔王の膝にもたせかけていた頭を持ちあげ、杖を片手に立ちあがりソールの方を見つめる。
「いらっしゃい、“兄さん”。よくここまで辿りつけたね」
「シュピーゲル! ライアを返せ!」
「イヤだね! もうわかっているんでしょう、勇者様。ここまで来たなら、私たちもあなた方も、全力で戦うしかないってね!」
 シュピーゲルのその言葉が、戦いの開始の合図となった。
 確かに彼の言う通り、今更ライアを素直に返したからといってソールたちが彼を赦すわけがないからだ。
 操られていたティル少年の話からシュピーゲルが実体を持たない魔物だと知ったソールたちは、魔王城に向かいながら、魔術に関して詳しいこの故セレジェイル王国領で出来る限りの情報を集めた。だがシュピーゲルからライアを無事に救い出す方法はついに見つけられなかった。それどころか、憑依型の魔物にとりつかれた人間が解放される術は、ほぼ例外なく死だというのだ。
 恐ろしい噂ばかりで実体の掴めなかったデヴィエトの支配者、シュピーゲルは、確かに「実体」を持たぬモンスターだった。だがその名を持つ魔物が各地で人間たちを苦しめた話は聞いた。それだけでも彼を赦してはおけないと思うのに、更に彼は、ソールたちをも裏切った。
 ウォルフの裏切りにも動揺したソールたちだったが、ウォルフには何らかの事情があるらしいことも知った。それにウォルフはライアが攫われたとどこかから聞きつけそれを救うために戻ってきたが、ティルの肉体を奪ったシュピーゲルは、少年を利用してもともとソールたちを騙すために近づいてきたのだ。赦すも赦さないもない。
 もちろん魔王に関しては、赦すことなど初めから選択肢にはない。
 もはや勇者と魔王は戦い合い、殺し合うしかないのだ。
 ソールはライアの姿をしたシュピーゲルから無理矢理にでも視線を外し、魔王に向き直る。
 クラントルは酷薄に笑った。魔王の恐ろしさは伝えられるものの、実際に彼がどういう性格かなどソールは知らない。だが大陸を征服して人間を魔物が支配する世界にしようなどという輩を、人間であるソールが好きになれるわけがない。
「大陸と弟を天秤にかけて、大陸をとったのか? 勇者よ」
「!」
 ソールがカッと目を見開く。それは今、彼が一番言われたくない言葉だった。
「魔王よ! お前は殺す!」
「やってみるがいい。できるものならな」

 ◆◆◆◆◆

「先の戦いで、気づいたことがある」
 戦闘が始まる前、ウォルフは一行にそう助言していた。
「あのティルと名乗った少年も、魔術師殿も、彼ら自身の肉体が持つ以上の力を使えるわけではない」
「つまり、シュピーゲルに操られたライアが攻撃を仕掛けてきても、それは普段通りのライアの実力分しか発揮できない、というわけだな?」
「そうだ。操られた者に魔物の分まで力が上乗せされるわけではない」
 もしもシュピーゲルという魔物自身が勇者一行を殲滅できるほどの強さだったならば、彼らは内側からとっくに全滅させられていただろう。だがシュピーゲルはそうしなかった。と言うよりも、できなかったのではないかとウォルフは語る。ティル少年は多少の魔術が使えるとはいえ非力な少年だし、ライアの身体を使っても、残り四人全員を倒せるほどではない。だからあの時ライアの肉体を奪ったシュピーゲルは、猫だまし的な攻撃を一つ繰り出した程度で撤退したのだ。
「ライアちゃんを倒すには、私とオルクスが行くわ」
「ローズベリー、だが」
「ソール、あなたの剣とウォルフのナイフでは、一つ間違えば大怪我を負わせてしまうもの」
「でも君の神聖魔法だって、火や水では……」
「そうならないよう、ありったけの退魔呪文を試してみるつもりよ」
「俺の拳でも、一度心臓を止めてもやりようによってはまた復活させることができるだろう」
「二人とも」
「だからソールは、とにかく魔王を倒すことに集中して」
 その時の打ち合わせ通りに、ソールは魔王へと向かっていった。ウォルフがナイフを投げてそれを援護し、ローズベリーとオルクスの二人は、シュピーゲルに操られて攻撃を仕掛けてくるライアへと向かう。
「正気に戻れ! ライア!」
 ローズベリーが結界を張り、二人はその中でライアの魔術を避ける。オルクスが隙を見ては拳を繰り出すが、なまじライアは彼の戦法を知りつくしているだけにかわされやすい。しかし相手の実力を見知っているのはこちらも同じだ。オルクスは段々と、シュピーゲルを追い詰めていく。彼に仕掛けられる魔術攻撃は、ローズベリーの魔法が相殺した。
 しかし一方でローズベリーは完全には芳しい結果を出せてはいなかった。どんな神聖魔法も、ライアの身体からシュピーゲルを追い出すには至らない。
「このままじゃまずいわよ!」
「くっ!」
 その時、広間の中央で動きが起きた。
「魔王陛下!」
 ライアの姿をしたシュピーゲルが、主君のもとへと駆けつける。

 ◆◆◆◆◆

 全てを失う覚悟のソールの実力は、これまで誰も見たことがないものだった。
 光の力を秘めた剣は、魔王の繰り出す闇の魔術を無理矢理斬り裂いてでも勇者を前へと進ませる。軽い攻撃なら金色の鎧が跳ね返し、それでも避けきれないものにはウォルフの援護のナイフが跳んだ。
 遠距離から魔術攻撃を繰り返していたクラントルは、懐に入り込んできたソールの存在についに武器を手に取る。闇そのものをかたどったような黒い剣が、ソールの刃を受け止めた。
 斬り結んでは離れ、避けてはまた間合いを詰め、二人の男たちは一撃一撃に殺意を込めて刃をかわす。
 ローズベリーが対ライア戦の鍵としてオルクスと行動を共にする以上、ソールとウォルフだけでは魔術攻撃に対して備えが薄くなる。ソールたちはそれすら計算に入れて、防ぎきれない攻撃や深くなりすぎた傷には惜しむことなくアイテムを投入した。魔王相手にもソールが剣を離した隙を見計らい、ウォルフがあらん限りの攻撃手段を投げ付ける。
 小規模な爆発や竜巻ではびくともしないクラントルも、そういった攻撃が続けば煩わしさに手を振り払うような仕草をする。その隙を見計らってソールは攻撃を仕掛ける。何度かその繰り返しだった。
「小賢しい――」
 あからさまに大技を繰り出そうとしたその隙に、ソールは魔王の懐に飛び込んだ。
「今だ!」
 光の力を秘めた剣が、闇で作られた魔王の体を斬り裂く。
「ォオオオオオオオ!!」
 目の前にいるのにここではない場所から響くような咆哮を魔王が上げる。
 続いて、その姿がぐずぐずと崩れていくのをソールは目の当たりにした。
「それがお前の本当の姿か!」
 美しい黒髪黒瞳の青年の姿は影も形もなく、残ったのは黒い体毛の醜悪な獣。毛むくじゃらの体に蜘蛛のような手足と真っ赤に光る九つの目を持ち、頭頂部には山羊の角が生えている。
 ふと、ソールは思った。彼は人間にただ憎しみを抱いているのではなく、どこかでこの醜い姿の自分に劣等感と呼べるものを持っていたのではないかと。だから人の世界を乗っ取り、自らは美しい青年の姿を保ち、そのまま魔物が人間に成り変わろうとした。
 だが、同情などしない。彼の悲しみに共感するには、この魔物はあまりに多くの命を無慈悲に奪い過ぎたのだ。
 ソールは剣を引っ提げたまま、じり、と再び間合いを詰める。
 その様子に、これまでオルクスとローズベリーを相手にしていたライア――否、シュピーゲルがこちらへとやってきた。
「させない!」
「くっ……!」
 トドメを刺そうとしたソールは、その姿に剣を止めざるを得なくなる。その隙を突かれ、シュピーゲルの魔術によって跳ね飛ばされた。
「ぐあ!」
「ソール!」
 戦う相手を失くしたオルクスたちも急いで駆け寄って来る。だが彼らは、魔王を庇う様子のシュピーゲルに手が出せない。その体は依然ライアのものだった。

 ――兄さん、あなたは勇者だ。守るべきは世界であって、僕じゃない。だから――もしも次に今みたいなことになったら、僕が皆の足枷となったなら、僕を捨てて。

 剣を支えにして体を起こしながら、ソールは以前にライアと約束させられたことを思い出した。次はたとえ何があっても、ライアではなく世界を選ぶと。
 だけど。
「できない……。できるはずがない……!」
 黒髪の少年は、勇者ではなく弟を案じる兄の顔で口にした。
「俺が救いたいのはお前なんだ! 世界なんかじゃない!」
「――だからってこの大陸を魔物に渡していいの?」
 ハッとソールが顔をあげると、魔王を背にして立ちながら、奇妙に静かな表情のライアをそこに見た。明らかな正気の眼差し。兄にとっては見慣れた、無邪気で、少しばかり困ったような笑み。
 これはライアだ。シュピーゲルではない。肉体はいまだシュピーゲルの支配下にあり自然と魔王を守る体勢となってはいるが、自らの言葉を紡ぐだけの意識は取り返している。
「約束だよ、兄さん――いいや」
 震える唇が持ち上がると、一瞬だけ苦痛の表情を緩め、ふんわりとした笑顔を浮かべる。
「僕の愛しい勇者様」
「……ッ!」
 促す声に、ソールは剣を構えた。
「おい、待てよ!」
「待ちなさい、ソール。あなたまさか」
 幼馴染二人が血相を変えて止めに走る。一人無言で兄弟を見つめていたのはウォルフだ。
 もはやこれしか方法がないのだ。
「うわぁあああああああ!」
 裂帛の気合というにはあまりにも悲痛な叫びと共に、ソールは光の剣でライアごとその後ろの魔王の体を斬り裂く。
「馬鹿な……」
 酷く何か言いたげな素振りの魔王が聖なる剣で渾身の一撃を受け、端から灰になっていく。その前に立つライアの細い体は、大量の鮮血を吹き出しながらゆっくりと後ろへ倒れていった。
「ライア!」
 勇者の命とも言える、今まさに魔王を倒した剣を無造作に放り出し、ソールは弟のもとへと駆け寄る。呆然としていたオルクスとローズベリーも慌てて後に続いた。
「兄さん……」
 ソールの方に顔を向け、ライアは弱弱しい声で呟いた。翡翠の瞳が嬉しげに細められ、残り少ない力で自然と笑顔を作る。
「ありがとう」
 それが、少年の最期の言葉となった。