僕の愛しい勇者様 02

18.僕の愛しい勇者様

 魔王は倒れた。だがその場に喜びはなかった。
 ソールはライアの手を取ったまま項垂れている。オルクスは幼馴染の心を想って胸を痛め、ローズベリーは呆然と自らも膝をついた。
「こんな、こんなのって……」
 嘆く僧侶の横を通り過ぎ、黒尽くめの暗殺者が勇者とは反対側からライアの身を抱こうとした。
 だが伸ばしかけたウォルフの手は、ソールの手酷い拒絶にあって払いのけられる。
 一瞬前に魔王を倒し世界を救った勇者はそうとも思えないほどに荒んだ眼でウォルフを睨んだ。
「触れるな! もう誰も、この子に――!」
 強い魔力を持つために魔物たちから力を狙われ続け、何度も辛い目に遭って来たライア。彼がいるせいで魔物たちから狙われる災いの源だと呼ばれたこともあるけれど、その罪以上に人を救った。
 魔物に肉体を奪われて死んだ弟に、ソールはもう誰も触れてほしくなかった。
 だが彼はウォルフの次の言葉に目を瞠る。
「触れなければ、彼を救えない」
「すく、う?」
 すでに死した者を相手に何を言うのだろうと、ソールは一瞬怒りを覚えてウォルフを睨んだ。だがウォルフはソールのそんな感情を処理する隙にさっと手を出し、抱きあげたライアの胸元に指と護符らしきものを置いて、何か呪文を唱える。
「古代文明の蘇生呪文? ウォルフ、なんであなたがそんなものを――」
 驚くローズベリーの声が終わる前に、ウォルフの詠唱は終わった。次の瞬間、奇跡が起こった。
「ん……うう……兄さん?」
「ライア!」
 ぱちぱちと瞬いて目を開けた弟の姿に、ソールは思わず感極まってライアを抱きしめた。しかし弟が自分のせいで深い傷を負っていたことを思い出して、慌てて離れる。
「ライア、お前怪我は……」
「怪我? 怪我なんてないよ?」
 首を捻るライアの破れた衣服から覗く肌には、確かに擦り傷の一つもない。ソールはもはや何が何だかわからなかった。けれど目の前には、これ以上の喜びはないだろう現実があるのだからそれで十分だった。
「ライア……良かった。良かったぁああ!」
「に、兄さん。ちょっとどうしたの? あれ? 僕、そう言えばどうして……」
 兄弟は置いておいて、幼馴染はこの不思議極まりない謎の状況に、これまた正体不明だった謎の暗殺者に詰め寄った。
「ちょっと! ウォルフ何よ今の――!!」
 がっくんがっくんと襟首を掴んで揺さぶって来るローズベリーに抵抗もせず、ウォルフは布を巻いた首を上下させた。オルクスが止めに入ったところで、ようやく口を開く。
「確証はなかった。だが上手くいって良かった」
 その言葉にローズベリーは疑問を覚える。
「ねぇウォルフ、あなたは何者? そして……ライアは一体何者なの?」
 自分の名前が出た事に、ライアはようやく彼らの方を見た。ついでにソールも。
「さっきあなたが唱えていたあの呪文、あれは古代の蘇生呪文よ。でもあんなもの、普通の人間が使えるわけはないのよ」
「現にこいつは使っていたが?」
 オルクスの言葉に、ローズベリーは首を横に振る。
「いいえ。使えないはずなのよ。呪文自体は簡単でも、あの呪文には仕掛けがあって、対象者がもともと体にあの呪文で反応する刺青を刻んでいなければいけないのよ。そうすれば一度だけ死から復活できるという超高等魔術よ。一体どうして暗殺者がそんなものを知っているのよ。それに……」
 ローズベリーはちらりとライアを見た。彼女の言うことが本当ならば、ライアの体にはもともと刺青が刻まれていて、それを使ってウォルフはライアを死から引き戻したことになる。
 これは一体どういうことだろうか。そう言えばウォルフはもともとライアをどこか気にしていた。夜中に少年に夜這いをかけたこともあるが、そもそもこの禁欲的な雰囲気の暗殺者とあの行動はそぐわないように思える。
 では、彼の正体は? そして彼はライアの何を知るのか?
 すっとウォルフはその場でライアの方に頭を垂れて跪く。
 蘇生呪文に刻まれた刺青は、その体の持ち主が危機に瀕すると浮かび上がってくるのだという。だからウォルフが刺青を確かめるためには、どうにかライアを傷付けずに危険に陥らせる必要があった。それもこれもすべてはこの日のため。
「これまでの御無礼をお許しください。私はあなたが“本物”かどうかを見極めるために、セレジェイル王家から派遣された密偵」
「セレジェイル王家?」
 今彼らがいるまさにここが故セレジェイル王国領だったりするのだが、それと何か関係があるというのか。
 最初に魔王に滅ぼされたという国。
「セレジェイル王家はまだ滅びてはいません。魔物たちの目を逃れて潜伏していたのです。だが十五年前、混乱の最中に王の御子の一人が失われました」
 ライアは不安な眼でウォルフを見つめながら、傍のソールにしがみついた。ソールも硬い表情をしている。幼馴染二人もだ。
 ソールとライアは本当の兄弟ではない。
「ライア様、あなたは魔法大国セレジェイルの、失われし王子なのです」

 ◆◆◆◆◆

 ソールがライアを拾ったのは、もっと東の地方だ。ライアは魔王軍の侵攻から逃れるためセレジェイルと縁のある国の領地の一つに預けられていたらしい。十五年前にセレジェイル王家は滅びたとされていたが、実際には生き残りがいたのだ。
 残党狩りはもちろんあったのだが、十五年前、ライアはまだ生まれていなかった。だから魔王軍の目を逃れることができたのだという。
 だがそこも十三年前に魔王の襲撃を受け、多くの者が死んだ。あまりにも死傷者数が多くセレジェイル王家から預かった王子の行方を誰も気にすることができないほどに。
 そんな中、これは別の意味でどこに行こうと誰も気にしない子ども――孤児のソールがいた。ソール自身はどうしてそこに自身がいたのか覚えていない。彼が覚えている記憶は、ライアに会ってからだ。
 魔物の襲撃に遭って血塗れの館、尽きかけた炎に黒墨と化した木々、ぬるい風が運ぶ死と灰の匂い――。ふらふらとその辺りを歩いていたソールは、愛らしい赤ん坊の入った籠を見つけた。
 惨劇を理解しない乳児はまるで天使のような笑みで疲れ切ったソールに無邪気に笑いかけて来た。玩具のように小さな、けれど暖かい手のひらに指を握られて――ソールはその手を離せなくなった。
 この子を守らなければ。それをまるで、天に与えられた運命のように感じた。
 愛らしく稚く守らねばならない存在を手に入れて、ソールは急にしっかりとした少年になっていった。飢え渇き死にかけながらも、ぼろぼろの体でライアを抱いて、オルクスとローズベリーのいた村に辿り着いた。
 村人たちの言葉から、赤の他人と知られれば引き離されると知ったソールはライアのことを自分の弟だと言い張り、兄弟としてこれまで生きて来た。二人は顔も似ていないし、下手をすると人種すら違うのかもしれない。けれど本当の兄弟以上に仲が良かったので、真実に気づいた村の大人たちもあえて何も言わなかった。
 ライアに群がる魔物のことも、ソールがいつも戦って倒して来た。そのうち彼の剣は弟だけでなく村を守るほどになり、勇者へと志願しても誰も笑わない程の腕前となった。
 現状に不満がなく、あまりにもとんとん拍子に進んできた。だからソールは忘れていたのだ。良くも悪くも。何故ライアがこんなにも魔物に好かれるのかを。
 それは彼が、今までソールが弟だと言い張っていた銀髪の少年が、かの有名な魔法大国セレジェイルの王子だからだという。その危険性故に真っ先に魔王に狙われ滅びたはずの国。

 ◆◆◆◆◆

「――というわけだ、行くぞ、野郎共!」
「「おう」」
 頷く二人のうち一人は女だったが、そんなことは気にせずにソールは号令をかけ、オルクスとローズベリーは頷いた。ライアは不安げな顔をし、この状況を止めるべきウォルフは自分に火の粉が降りかかるのを避けるために賢明にも押し黙っていた。
 ウォルフから全ての話を聞き終えた勇者一行のとる行動――それは、セレジェイル王家の生き残りをぶっ飛ばしちまおうぜ☆ということだった。
「今更出てきて血縁だのなんだの言われても納得できるか! ライアは渡さない!」
 ウォルフの案内で辿り着いた現セレジェイル宮に辿り着いたソールたちは、周囲を吹き飛ばしそうなほどの気合を込めて歩いていた。ある意味魔王戦以上にぴりぴりとした殺気を放つ彼らの姿に、すれ違う使用人たちが皆度肝を抜かれている。
 もう謁見の間なんてそれこそ飽きるほど見たという彼らがやっぱり通された仮城の謁見の間に、ライアの血縁――父親だという王がいた。
「おお……よくぞ生きて戻ったくれた」
 王は両手を広げたが、ライアはソールの背に隠れていて出て来ない。
「本当に血縁か?」
「似てないわよね」
 オルクスとローズベリーが後ろでこそこそと言い合う。音量はこそこそだが、他の者たちが静まり返っているのでまる聞こえだ。もちろん二人もそれがわかって言っている。
「ふーん。っていうかぁ……」
 居並ぶ面々の顔立ちを見比べ、ローズベリーは何かを察したようだった。そんな風に後ろ手二人がまったくこっそりとしていないこそこそをやっているうちに、ウォルフがライアとソールを王に紹介する。
「わかった。王子……今はライアと呼ばれているのだったな。そなたをこの国の第二王子として迎えよう」
「僕は……!」
 複雑な状況に上手く気持ちを言葉にできないライアが泣き出しそうな顔をする。ソールが大きく口を開いたのは、怒鳴り出す前触れだ。助け舟を出すように、ローズベリーが口を挟んだ。
「断った方がいいわよ、ライアちゃん」
「ローズ」
「だってここの人たちの様子を見るに、ライアちゃんって第二王妃の息子か何かなんでしょ? それにすでに世継ぎの王子がいるわけでしょ? そんな中に第二王子として今更入っていったら、うっかり殺されかねないもの」
 ローズベリーの無邪気を装った指摘は、この場に集まったセレジェイル王国重鎮たちの思惑を見事言い当てていたようだった。何人かが顔色を変える。特にライアとは似ていない方の王妃と、その王妃の子どもらしいライアより少し年上の少年が。
 しかし国王その人は違った。
「ま、待て! 我々としては、やっと見つかった王子を手放したくはないのだ」
「でも王子として存在されたらまずいのでしょ?」
「そ、それは」
 不意打ちにすっかりたじたじとなった国王に、ローズベリーは畳みかける。
「じゃあ、話は簡単よ。ライア、あなた女の子に、王女になりなさい。それでもってソールと結婚すればいいじゃない」
「はぁ?」
 セレジェイル王宮の者たちは一様に首を傾げたが、オルクスはぽんと手を打った。
「そうだな。名目だけでも王女だと公表しておけば王位を争うことにはならないし、世界を救った勇者であるソールを結婚って形で繋ぎとめておくなら、それだけで十分国に貢献したとして評価してもらえるもんな!」
 この幼馴染コンビは、兄弟をよく知るだけに何か物凄いことを言いだしている気がする。
 ソールとライアは顔を見合わせた。
「そうだな。それがいいでしょう、陛下」
「ウォルフ! あんたまで!」
 意外な人物の賛同に、ソールが目を丸くする。だがライアは静かに頭の内で計算しだした。
「そういえば僕、前にシュピーゲルに女体化の魔術をかけられたよね。その気になれば、王女でもいけるかもしれない。――よし、わかった! 僕は兄さんと一緒にいるためなら、男を捨てる!」
「ら、ライア」
 ある意味最も男らしいライアの発言に、ソールがじ~んと感動している。このノリについていけないセレジェイル王国の人々はもちろん唖然としている。
 ローズベリーが王家の面々を横目に、ぱちんとウィンクを飛ばして見せた。
「だってこんな奴らでも、私たちの大事な幼馴染なんだもの。権力なんてほしいと思ったこともないのに、みすみす不幸になるのを見過ごせないわ」
「だがいいのか。僧侶がそんなことを進めて」
 ソールとライア兄弟を引き離すことができないことを、幼馴染二人はよく知っているのだ。しかしよくこんな悪知恵が働くものだと感心するオルクスの疑問に、ローズベリーはきっぱりと答えた。
「大丈夫! 愛と正義のためなら神も御許しになるわ!」
「……欲望と処世術の間違いでは?」
 ウォルフの静かなるツッコミは黙殺された。
「ふ、ふざけるなよ。だいたい女体化なんてどうやって」
「そういえば昔、西のサイレイン山脈に妖しい魔女がいて性転換の魔術をかけてくれるって聞いたことが」
 第一王子らしき美形だが我儘そうな少年の言葉に反応し、兵士の一人がぽろりと言葉を零す。そこにローズベリーは食いついた。
「それよ!」
「じゃあまずは、性転換の魔法探しか」
「やれやれ、また旅が続くんだな」
「その間は僕、まだ兄さんといられるんだ!」
 すっかり怪しい魔法を捜す気満々のソールと、それを喜ぶライア。ソールは弟に微笑んだ。
「その後だって、ずっと一緒だよ。――俺たちは、兄弟なんだから」
「……うん!」

 こうして、勇者は魔王を倒し、世界には平和が取り戻された。
 何故か彼らは魔王を倒した後も数年旅をしていて、その間に残党の魔物をばったばったとなぎ倒していったので随分世の中の平和に貢献したとか、しないとか。

「行ったぞライア! あの魔物を倒せば薬の材料が揃う!」
「任せて兄さん!」

 勇者の幸せな冒険は続く。

 了.