荊の墓標 01

003

 エヴェルシードは豊かな国だ。
 頭では知っていたが、今眼前に壮大な王城を見せられて、ロゼウスは馬上で目を瞠った。目的地への距離はあと数刻程度で辿り着けるほどに迫っている。
「あれがエヴェルシード城か……」
 思わずそう声を上げると、前に座っているシェリダンから声が飛んだ。
「違う」
「え? だって」
「確かにあれはエヴェルシード王城ではあるが、城がエヴェルシードの名前を冠することはない。確かローゼンティアは王都に城が日一つあるだけだったか。エヴェルシードは各地の貴族も一つないし幾つかの城を所有しているから、王城がそのままエヴェルシードの名前で呼ばれることはない。あれはエヴェルシード王城である、シアンスレイト城だ」
 シェリダンの丁寧な説明に納得する。
 そんなことを話している間にも城への距離は縮まり、一行はついにシアンスレイト城へ辿り着いた。シアンスレイト城の周囲には堀が巡らされていて、外部からの入場には正門から橋を降ろしてもらう必要があるらしい。
 王の帰還の伝令を受けてまもなく、きりきりと鎖を鳴らして巨大な橋が降ろされた。馬に乗ったままでシェリダンはそこを駆け抜け、シアンスレイト城へと辿り着く。
 確かリチャードと言った侍従に馬を預けると、ロゼウスの手を引いてさっさと中へ入った。広間に足を踏み入れると、大勢の家臣が出迎える。その様子は今は亡きローゼンティア国王ブラムスと臣下との暖かく気さくなやり取りとは違って、どこかピリピリと張り詰めた空気を感じた。
 獲物を狙う獣同士がお互いの動向を探っているような、そんな緊張感。そういえばシェリダンは即位したばかりの王で、即位するなり先王、つまり自分の父親を幽閉したという凄まじき経歴の持ち主だ。
 この王宮は、ローゼンティアとは違った意味で戦場らしい。
 新しく見るものをいちいち故国と比べて、ロゼウスは微かに痛みを覚える。あの国はもうないというのに、ロゼウスの目の前で父王は殺され家族はみな死に絶え、ヴァンピルが栄える時代はもう終わったというのに。
 そんなことを考えていたせいか、ロゼウスは自分にかけられた声に気づくのに遅れた。
「そちらの方は?」
 身なりからして偉いだろう人物、後でこの国の宰相でありシェリダンと不仲である重臣筆頭のバイロンだと教えられた男が、シェリダンの斜め後ろに控えたロゼウスを見て怪訝そうに眉を潜めている。
 白い髪と肌に紅い瞳のロゼウスの容姿は一目でローゼンティア人のものだとわかる。攻め込んだ国の王家の者を何故こんなところに連れているのかと宰相はロゼウスを値踏みするような目で見ながら、無言でシェリダンに訴えていた。
 シェリダンはロゼウスが何かを言う隙も与えずに、ロゼウスを引き寄せて肩を抱いた。僅かにのけぞるようにして、瞳を細めてさも幸福に酔っているような振りをしながら、広間に控えた皆に聞こえるようはっきりと告げた。
「この女性は私の妃となるべき者だ」
 ――は?
 そんなカンジで一瞬完全に辺りが静まり返った。
「妃、ですか? ……それはつまり側室と言う事で」
「いや、正妃とする。彼女はローゼンティア王家の最後の姫君だ。失礼があってはいかんだろう」
 若すぎる王の思っても見なかった言動に、一瞬静まった辺りがざわめきを取り戻し、普段なら無礼とされるだろう王の目前でのひそひそ話、噂話が行われる。
「正妃に!? ですが、それでは他の婚約者候補の皆様方は」
「捨て置け」
「と言いましても、そもそも陛下はローゼンティアを侵略するためにかの地に赴かれたのでしょう。何ゆえ滅ぼした王家の王女を妃になど……」
 バイロン宰相は不服そうだ。この男はシェリダンを適当な国の王女やもしくは国内の貴族の娘と結婚させて傀儡としようとか考えていた腹だろうか。 
 難しくて腹黒い駆け引きは面倒だが、ロゼウスだって王族の一員としてそのぐらいのことは見抜ける。
 だが、どういうわけかこの男だけは理解できない。
「理由ならちゃんとある。我らが勝利したとはいえ、かの地は不老不死の魔物ヴァンピルの国。いつ牙を向くともわからない相手を上手く操るには、それなりの理由が必要だろう」
「だから、ヴァンピルの姫を娶る代わりに、ローゼンティア人を奴隷としては厚遇し姫を人質に暴動を起こさせないようにすると?」
「まあ、言ってしまえばそういうことだな。下手に全滅させてしまえばそれこそ荒れた地を治めるのに無駄な骨折りだ。さらには王族全てを滅してしまえば、かの民は民の中から新しく王を立てようとするだろう。それに」
 ロゼウスに説明したこととは逆だ。シェリダンは国民を人質にしてロゼウスを脅した。そして今度は、ロゼウスを人質にして国民を脅すのか。
 シェリダンはロゼウスを強く引き寄せて、唇で頬を掠めながら吐息のやわらかさで囁く。ロゼウスは微動だにすることができず、シェリダンは彼を抱き寄せながら、瞳で宰相を挑発する。
「この美しさなら、諸侯も反対できまい」
 バイロンは悔しげに息を飲み、形だけは優雅に挨拶を交わしてその場を辞退した。王と宰相の緊張関係は部下にも伝わっているらしく、バイロンが広間を立ち去ってようやく周りの小姓たちが一息つけた様子だった。
「陛下、荷物を運びましょう。兵士たちを動かす許可をください」
 侍従のリチャードが進み出て、王の代わりに兵士の指揮権を預かる。これまで働きづめだった兵士は休ませ、まだ体力の残っている者には戦の後始末をさせる。
「陛下、妃殿下のお部屋はどういたしましょう。連絡をしていなかったので、後宮は手付かずとなっておりますが」
 シェリダンはしばし考えるようなそぶりを見せた後。
「―――いや、今はまだいい。私の部屋で起居させる」
 事も無げにそう告げた。
「は? いえ、でも陛下、その」
「ローラとエチエンヌを私の部屋へと呼べ。とりあえずはその二人を妃付きにする」
「そうですか。ああ、ところで陛下、今更なんですが、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
 リチャードが戸惑うというより、微妙とか困ったとかいうような表情でロゼウスを見た。シェリダンに腰を抱かれたままのロゼウスは自分へと向けられた視線を訝りながらも、リチャードの言葉の続きを待つ。
「なんだ?」
「その……お妃様のお名前を、私どもはまだ窺っておりません」
「ああ、そういえば言っていなかったな」
 シェリダンは腕を組み、口元に手を当てて愉快そうに告げた。
「この姫君の名は、『ロゼ』だ」
「ロゼ様、ですか?」
「そうだ。ローゼンティアの姫君であるから、ロゼでいいだろう」
「ということは、本名は違うと?」
「覚える必要などあるまい。どうせこの国でローゼンティア王家の者の名を親しく呼ぶ者などいないのだから」
 ――こうやってローゼンティア王子ロゼウスは殺されて行くんだな。
 ロゼウスは無表情に王と侍従のやりとりを見守った。
 リチャードはシェリダンの悪ふざけに慣れているのか、この少年王に逆らわないのが利口だと知っているのか、微かに渋い顔をしたものの特に諫めることもなくそれで納得した。
「ではな。行くぞ、『ロゼ』」
 ロゼウスはシェリダンに淑女よろしく手を引かれて城内を歩く。借り物の女衣装はくたびれてみすぼらしいのに、何故か誰もお前男だろうと看破してはくれない。いっそそうなってくれればどれほど楽か。ロゼウスが女装をして妃に納まるなど無理だとわかれば、この男も無理な取引をしようなどと考えずにおくかもしれないのに。
 だがシェリダンが怖いのかこの城のヤツラの眼は節穴なのか、今のところ誰もそれを指摘しては来ない。
 長い回廊を抜けて別棟に入る。シアンスレイト城は幾つもの建物から構成された大きな城で、王の住まいは表に見える城の裏側にあるらしい。そのさらに奥に見えた建物がでは後宮だろうか。そして王の住居の両側には、それぞれ警護のためか兵舎があるらしい。つまり、エヴェルシードの王城では国王の住居が他の全ての建物の中心にある。
 その最も奥深く最も華美で壮大な建築物の中にロゼウスは足を踏み入れた。シェリダンの真っ直ぐな背中を見つめながら歩く、ふいに彼が立ち止まったと思ったら、それはこれまで見たどの扉よりも豪奢な浮き彫りのされた両開きの扉の前で、そこが彼の寝室なのだろうと思った。
 案の定シェリダンは扉を開いて中へと入り込む。ロゼウスは入り口付近で足を止め、部屋の様子を見回した。こんなに広いのに窓は意外と小さく、寝台は外から見えないような場所に置かれているのは狙撃の危険を減らすためであろう。
 寝室ではあるが、衣装棚も応接用のテーブルと椅子も書き物机も、そして本棚まで置いてある。ローゼンティアのロゼウスの自室とは比べ物にならない立派さで、確かにここならロゼウス一人ぐらい寝泊りさせることはなんでもないのだろう。
「何をしている。こちらへ来い」
 入り口で部屋の中を見回していたロゼウスに気づいて、シェリダンが寝台の上で手招きする。旅装のマントを自分の手で外したシェリダンは、ロゼウスの分も自ら脱がせた。
 他の国では恐れ多いことだが、この国の国王は何でも一人でやるらしい。ロゼウスも気ままな第四王子だったから身の回りのことはそれなりに自分でできるようになっている。だがそのロゼウス以上に、シェリダンは器用だ。
 普通だったら侍女が飛んできて身支度を手伝うのに、シェリダンはさっさと一人で着替えた。終わった頃になってタイミングよく、部屋の扉が叩かれる。
「シェリダン陛下、ローラとエチエンヌです」
「入れ」
 そうして、先程シェリダンが呼んだ二人の人物がやってきた。

 ◆◆◆◆◆

 シェリダンの部屋に入ってきた二人を見て、ロゼウスは驚いた。
その二人は金髪に青みがかった緑の瞳という典型的なシルヴァーニ人の容姿を持ち、髪の長さは肩を過ぎるほどまでとおそろい。そして男女で衣装こそ違えど、二人同じ顔をしていた。その気になれば丸一日衣装を取りかえっこして過ごしても疑われない見た目だ。
ロゼウスは力なく腰掛けた寝台で呆然と眼を瞠る。同じ顔が同じ表情で並んで立っているのだ、これで驚かないはずがない。
「陛下、こちらの方は?」
 同じ顔の二人のうち、小姓らしき衣装を身に纏う少年が尋ねる。
「私の妃となる者だ」
「……は?」
 五秒ぐらい固まってから、少年が声を上げた。
 それを素通りして、シェリダンは少女のものらしき名を呼ぶ。
「ローラ、この者の世話はお前に一任する」
「はぁい」
 上機嫌で答えるローラと呼ばれた少女を余所に、不機嫌な少年、エチエンヌが険しい眼差しでさらに王に問いを重ねた。
「何者なんです、そのヴァンピルは? それにローラに世話を一任ということは、他に侍女をつけないという意味ですか?」
 彼らの王であるシェリダンは隣国であるローゼンティアに戦争をしに行った。それが何故その国の民を妃に迎えるなどという話になるのか。エチエンヌという少年は自分の知らないところでとんでもない決め事がされていたのが気に入らないらしい。十七歳で即位したばかりの新王がいきなり先王幽閉、隣国侵略、正室まで娶ったなどと言われても確かに普通の人間なら寝耳に水だろう。
 しかしこの二人、双子らしき姉弟は普通とは少し違うらしい。 
「ローラ=スピエルドルフです。よろしくお願いします。王妃様」
 少女がロゼウスの方に近寄り、握手を求めてきた。彼女の勢いにつられ思わずのように手を差し出すと、ローラはロゼウスの手を握ってうん? と首を傾げる。
「剣だこ……? 陛下、この方は何者なんですの?」
 一発で見抜かれたそれに驚き、ロゼウスは思わず、険しさと怪訝さの交じる声をシェリダンに向けてしまう。
「この国では女まで兵士として採用しているのか?」
「してはならぬのか? もっとも、ローラは兵士ではないがな」
 ローラがぱちくりと瞬き、エチエンヌがあ、と声をあげる。
「男の方?」
 ローラが緑の眼を真ん円に見開いて不思議そうに尋ねてくる。ロゼウスは居心地の悪い思いを感じた。 
先程もそうだった。彼女が近付いてきた時、思わずどう対応するべきかわからなかった。見知らぬ国の王の寝室で同性の侍女が近付いてきたら、普通の囚われの姫君は落ち着くか怯えるかどちらかだろう。しかしロゼウスは戸惑いが勝った。
「……」
「ローゼンティア第四王子、ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア殿下、だ」
 シェリダンによって、ロゼウスが口を開く間もなく彼の素性が勝手に明かされていく。自分で滅ぼしておいていけしゃあしゃあと。ロゼウスの顔色はシェリダンの一言ごとに悪くなるが、その説明で双子は大体の事情を掴んだらしい。
「陛下! 男を側室に据えるなんて!」
 つかつかとこちらまで歩んできたエチエンヌがシェリダンに詰め寄る。だがシェリダンはどこ吹く風という調子で、もっと凄いことを言い出した。
「側室? 誰が側室にすると言った?」
 室内全員の背筋をいやな予感が伝う。
「これは私の正室に据える」
 ロゼウスの白銀の美しい髪を無造作に掴んで無理にのけぞらせながら、シェリダンは事も無げに告げた。ここで抵抗しても意味がないと諦めきった表情で、ロゼウスは白いうなじを晒し、その苦痛を受け入れる。
「でも陛下、この国では同性との結婚は認められてませんが?」
 誰も突っ込まない中、ローラは現実的なことを問いかける。エヴェルシードでは同性との結婚は認められていない。宗教上の問題とかそういうのが普通はあるのだろうが、とりあえず王族に関してはもっと単純な話だ。
 同姓同士で婚姻を結んでも、子どもはできない。男と結婚して子どもができずに家系が途絶えたらどこの王家だって困る。同性愛は非生産的だ。王族でもなければ単なる変な人で終っただろうが……そちらの方が問題かもしれない。
「男だと知らせなければいい。ローラ。だからお前に一任すると言った」
「ははあ。なるほど」
 傍目から見れば荒唐無稽な計画に聞こえるが、シェリダンは何故か自信満々だ。確かにロゼウスなら化粧どころか着飾りすらしなくたって、多少男勝りな女性で通るだろう。常人以上の鋭さを誇るローラとエチエンヌでさえ、一瞬男だと気づかなかったくらいだ。
「じゃあ、私はひとまずこの方……ロゼウス様? なんと呼べばよろしいのかしら?」
「『ロゼ』だ。バイロンにもそう告げた」
「そう、ロゼ様ですか。ロゼ様の身の回りを整えればよろしいんですね? まずは衣服をそろえましょうか? 適当にツテを辿って今はそれなりのものを集めますから、あとは並の仕立て屋を呼ぶわけにも行きませんし、どうにか適当な方法で服をあつらえなければなりませんね。お部屋の方はどうします?」
「ここで起居させる。落ち着いたら適当に準備させてくれ。間に合わせで構わない。どうせ飾りだ」
「ああらま、おあついことで」
 部屋が飾りになると言う事は、つまりたいていここに居座ると言う事だ。つまり、シェリダンの側を片時も離れない、ということだ。
 敗国の王子に対して、これが適切な扱いかなどと勿論ロゼウスにはわからない。だが一日中、逃げる場所もなくこの少年王と顔を合わせ続けなければいけないのは辛い。 
「せっかくの“戦利品”だ。楽しまなければ損であろう」
 シェリダンが寝台の上から手を伸ばしロゼウスを自らの傍らへと抱き寄せる。
 この国において、ロゼウスは人間でも、王子でもない。ただのシェリダンの所有物。彼の戦利品だ。
「それでは私はロゼ様の服を集めに行ってまいります」
 主君の無法ぶりに眉を潜めることもなく、ローラが眩しいばかりににっこりと笑顔を向けると、さっさと部屋を出た。