荊の墓標 03

013*

 俺はあんたを愛したりしない。絶対に、永遠に、そんなことにはならない。
 朱金の瞳に、必死で告げる。酷薄とも寂しげともつかぬ笑みに、何故か、泣きたいほどの切なさを覚えながら。
 ――……いか、陛下
 誰?
 ――お目覚め下さい、皇帝陛下
 何の話だ。
 ――あの男は死んだのです。
 誰のことだ……?
 続く責めに意識が音を上げて気を失った時、エチエンヌに無理矢理頬をはたかれて起こされるまでの数分、自分は夢を見ていたらしい。
 ――どうか泣かないでください。何もかも、これは全て。

 あなたの見た夢なのだから。

 言い聞かせるこの声を、俺は知らない。

 ◆◆◆◆◆

 体中が軋む。気を抜けば全身がバラバラになりそうに痛い。
「あはは。普段は同性になんて興味ない顔して、結構やるんじゃん、リチャードさん」
 耳障りな甲高い声でエチエンヌが笑っている。華奢なくせに化物じみた体力で一晩中ロゼウスを犯し続けたこの少年と、その脇で渋い顔をしている侍従。
「だってあれは、誰だって妻によく似た少年と女性のような顔立ちの美少年が睦みあっている様を見れば……」
 妻ってどういうことだろうか。リチャードが結婚しているかどうかはともかく、エチエンヌにそっくりな女性と言うと一人しか思いつかない。だが、そんなこと今はどうでもいいことだ。
「言い訳はいらないって。どうせシェリダン様の命令の内だし」
 言って、リチャードから視線を外すとエチエンヌは身動きもできず打ち捨てられた布キレのように寝台に横たわっているロゼウスの耳元に口元を近づける。
「ねぇ」
 甘ったるい囁きは悪意に満ちていた。
「――楽しかったでしょ?」
 殺意が湧く。憎しみに満ちたロゼウスの眼光をいとも容易く受け流して、小姓は嫣然と微笑む。
「――いい加減にしなさいよね、あんたたち」
 少女の声が聞こえた。弟に服を投げたローラが、困ったように呆れたように眉根を寄せている。
「もうとっくに夜が明けてるのよ。あんたたちはさっさと仕事に戻りなさい。リチャード、妻以外にこんなことしたからには、あんた今日は私の部屋に入ってこないでよね」
「ロ、ローラ、私は」
「黙れ。この節操なし」
 青ざめたリチャードの顔面を持っていた布、たぶんリチャードの分の衣服で思い切り叩き、ローラは彼がそれに着替え終わらないうちに無理矢理寝室の外へ追い出す。手早く着替えを終えたエチエンヌがそれに続き、扉を閉めようとしたローラが驚きの表情で再び開く。
 シェリダンが入ってきた。
 もともとここは彼の部屋だ。昨夜はエチエンヌとリチャードにロゼウスを犯させるだけ犯させて、シェリダン自身はいつの間にか姿を消していた。ロゼウスは意識をたびたび失ったし、エチエンヌたちも明け方には眠りについたようなので、詳しいことはわからない。ローラが言うには、今は起床の時刻を少し過ぎたほどらしい。
 扉の近くで、二言三言やり取りするシェリダンとローラを相変わらず寝台に突っ伏したまま眺めて、ロゼウスはシェリダンの目元に薄っすらと隈ができているのに気づいた。
「シェリダン様、執務の方は……」
「七日先の分まで終らせてきた。気候が安定しているから民衆レベルでは問題も起きておらぬようだし、昨日の刺客の件はまだ警備隊が調査中だ」
「あのモリスさんがまだ手間取っているなんて珍しいですね……それより、そうまでしてここに戻ってきたということは……」
「あれに話がある」
 入り口から、シェリダンはロゼウスを一瞥してローラへと視線を戻す。
「せめて、お洋服を」
「必要ない」 
 ロゼウスは素っ裸で放置状態継続のようだ。入り口付近にローラを待機させたまま、寝台にシェリダンが歩み寄ってくる。
「気分はどうだ? 我が妃よ」
「……いいわけないだろ」
 酷くしゃがれた、自分でもみっともないと思うような声でロゼウスは答える。ふらつく頭を叱咤しながら、無理矢理上半身を起こす。隠すもののない惨めな姿で睨み上げるロゼウスをシェリダンは冷ややかに見下ろし、手を伸ばす。軽く肩を突かれただけで、ロゼウスは呆気なくまた寝台に倒れ付した。上にシェリダンがのしかかり、ロゼウスの身体の下へと指を伸ばす。
「痛っ!」
 昨夜さんざん酷使されて腫れ上がったそこに指を入れられて、ロゼウスは思わず悲鳴を上げる。体内に残ったままの精液が体温でぬるくなって、どろりと流れる感触。
 ぐちゃぐちゃと内壁をかき回すシェリダンの指を払いのけたいのに、できない。昨日の昼間にカミラを蘇生させ、夜にはさんざんいたぶられたせいで身体に力が戻ってこない。今のロゼウスは人間の少女よりも非力だ。
 シェリダンを払いのけたいのにそれもできず、痛む肛門を弄くられてまた昂り始めながら、彼は。
「兄上」
 零れた言葉にぴくりと、シェリダンの手が止まる。異物が引き抜かれて、それでもロゼウスは楽にはならない。中途半端に燻らされた熱が疼いて、どうしようもなくなる。
「……お前をここまで淫乱にしたのは、その兄か。どの兄だ。第四王子のお前には兄が三人いるはずだろう」
 シェリダンの言葉に答えないでいると、前をきつく握られた。さんざん甚振られたそこも軽く触れられるだけで激痛が走り、ロゼウスは仕方なくしぶしぶとその人のことを口にする。
「第一王子……ドラクル、兄上」
「長兄、王位継承者か。国を継ぐべき王太子が弟と関係を持つとはな」
 はっきりと口にしないまでも、シェリダンの口調からは馬鹿にする気配が伝わってくる。睨み上げるロゼウスの視線などなんとも思わないようで、彼は自分のモノを取り出すと、やすやすとロゼウスを貫いた。
「あああああっ」
 腫れ上がった肛門の痛みと待ち望んだ快感の狭間でロゼウスは彷徨いながら、シェリダンにされるがままになる。
「エチエンヌの言うとおり、本当に、どうしようもない売女だな」
 一通りロゼウスを犯した後、彼は昨夜からの行為で精液まみれのロゼウスの顎を掴み、顔を持ち上げさせた。
「質問に答えろ、ロゼウス」
「あ……」
「これがお前に与える最後の機会だ」
 断れば昨夜のような目に再びあわせるつもりか。
 疲れ切った身体は、もう思い通りには動かない。頭もくらくらして、視界が僅かに翳っている。一晩会わなかっただけで、目の下に隈を作りまるでやつれたような印象を与えながらシェリダンは苦々しく言う。
「お前は、私との取引を破棄し、ローゼンティアへと戻るつもりなのか?」
 兄妹が生き返ったと聞かされた。まさか全員ではないだろうが、それでも十分だ。ドラクルもルースも妹のロザリーもいるのなら、自分がわざわざこうしてシェリダンに囚われている必要はない。
 寝台に爪を立て、必死で自分の体を支え、最後の力でもって、ロゼウスはシェリダンを睨み付ける。口元に笑みが込み上げる。何故だか嗤いたくなってしまう。なのに。
 それが喜びによるものかはわからない。
 むしろ、泣きたくなるような気持ちに似ている。
「言っただろう。俺はあんたの味方なんかじゃない」
「そうか」
 つかんでいたロゼウスの顎をシェリダンは離し、彼は寝台の上に崩れ落ちる。立ち上がったシェリダンが、懐から懐剣を取り出すのが見える。
 ああ、そうか、ようやく。
「ローゼンティア人が本当に墓下から蘇るのかどうか。一番早いのは試してみることだろう」
「陛下、何を!?」
 戸口で待機して一部始終を見ていたローラが慌てて駆けつけてくる。だが、間に合わない。シェリダンが短刀を振り上げる。
「私に従わない奴隷など、いらない――」

 そして世界は、暗転する。

 ◆◆◆◆◆

「陛下、……シェリダン様、少しは何かお口になさらないと、身体に悪いです……」
「ああ」
 ローラが背後から声をかけても、シェリダンは振り返らない。ずっと視線を同じ方向に向けて微動だにしない。その眼差しは寝台に横たわる一人の少年に向けられている。
 シェリダンは三日前からずっと、こうして寝台の傍らに座っている。
 ロゼウスが横たわる寝台の傍らに。
 敷布も毛布も全て清潔な物に変え、ロゼウスの身体も清めた。どろどろになった体液と一緒に血を洗い流して美しい衣装を着せ、広い寝台にその身を横たえると、まるで眠っているように見える。
 けれど彼の心臓は止まり、その紅唇は軽く閉じられたまま、息をしない。
 それはこの世で最も美しい屍。
 両手を胸の上で祈りの形に組ませたその姿はまるで、昏々と眠り続ける荊姫。見えない荊に取り巻かれて、誰もその身に触れることはできない……。
 そしてシェリダンはそのロゼウスの傍らに、昼夜なくつきっきりで居続ける。眠るように横たわっている死に顔を見続けている。
「シェリダン様」
「……お前も休め、ローラ。私に付き合ってお前までこの部屋に詰める必要はない」
「シェリダン様が休まれるのならば、私も休みます。ですけど」
「私なら休んでいる」
「どこがですか!」
「仕事もせずにこうして、ただ妃の寝顔を眺めているだけなんて、休むと同じだろう」
 嘘だ。明らかにシェリダンの顔色は悪い。豪奢な部屋の様子も衣装も、何もかも他のものは変わっていないのにただ彼一人がやつれた様子を見せている。
 通常の政務は数日先まで終らせてしまったから問題はないと、この部屋に篭もりっきりで飽きもせずロゼウスの姿を眺めているシェリダンの様子は他の者の目にもただただ見ていて痛々しかった。
 シェリダンが部屋の外に出ない代わりに、様々な雑務はリチャードとエチエンヌがこなしている。先日の刺客の件は、とうとう尻尾がつかめなかったと警備隊長のモリスが報告に来た。側近たちが寝室から出てこないシェリダンに焦って予定より早くバイロンを地下牢から出し、自宅で数日養生した後今までどおり宰相としての執務をこなしにシアンスレイト城へ来させるらしい。
「目覚めないな、これは」
 ぽつりと、ほんの微かに、零すようにシェリダンは囁く。
「ヴァンピルは殺しても生き返るのではなかったか。何故、お前は目覚めない……」
 あれ以来、彼はロゼ王妃の名前も、ロゼウス王子の名前も呼ばない。白い肌に白い髪、深紅の双眸を今は滑らかな瞼に隠すロゼウスの目覚めをただ待ち続けている。
「陛下」
 ローラは、エチエンヌもリチャードも告げるのを躊躇われることを、それでも言わなければと無理矢理口を開く。
「シェリダン様ぁ……」
 啜り上げた彼女の声を聞いて、シェリダンはようやく少しだけ振り返る。
「シェリダン様……一度死んだ者は生き返りません。ローゼンティア王家のことは、何かの間違いで、きっと墓は何者かに荒らされたんです。……ロゼウス王子は、目覚めません」
 永久に。
 だって彼は死んだのだから。
「もう目覚めるはずはないんです。死んでしまった人間は生き返りません。ロゼウス様も」
あなたが殺してしまったのだから。
「冷静になってください、陛下。いくらヴァンピルと呼ばれる種族でも、生物である以上死を超えられるわけがありません。――世界皇帝でもあるまいし。……ロゼウス様は、死んだのです……彼の容貌が好きであるなら、似たような顔立ちをローゼンティア人から探して召し上げましょう。だから」
「ローラ」
「どうかいつものシェリダン様に戻ってください!」
ローラは叫ぶ。その様子にシェリダンも哀れみを湛えた表情を浮かべるが、それはローラに向けてのものだ。彼自身が自分の身を顧みる様子は一向にない。
 横たわるロゼウスの顔色はただでさえ白い肌がいまや蝋人形のように冷たく、それでもその美しさは消えない。胸に深く穿たれた刃の傷は衣装で隠されている。
 人はこんなにも簡単に死ぬ。
 簡単に死ぬのに、その面影はいつまでも消えない。
 忌々しいことだ。忌々しいと思っていたはずだ。だから必要ないと。
 自らの出生と父王の虐待により傷ついたシェリダンは、誰も信用しない。実の両親でさえ彼を愛してくれなかった。彼は誰にも、本当の意味で好かれるとは、人の心を手に入れられるとは思っていない。だから利用できるものは利用して、自らさえも削り取り切り売りするようにして、他人に自分を差し出すことで全てを買ってきた。
 何もせずに手に入るものなどないから。誰も何も与えてくれないのだから自分で手に入れるしかない。ローラもエチエンヌもリチャードも他の者たちも、その駒で、玩具の一つだった。彼らは結果的にシェリダンに忠誠を誓ったが、それは別にシェリダンが望んだわけではない。彼らが勝手にシェリダンに惹かれたのだ。
 ロゼウスは、そんな他の者たちとは違った。シェリダンが初めて欲し、そして攫ってまでも手に入れた相手。なのに、いくら抱いてもその身体に触れても、その心は手に入らない。
 今まで他人の心など必要としなかったシェリダンが、ロゼウスの心だけは手に入れようとしている。
 先日も、最後の情事も、身体は悦楽を追って火照っても、シェリダンの表情はどこか苦しげだった。
 すれ違い、痛みを重ねるだけの交わりだと知っていたのに、どうして彼は止まれなかったのだろう。こうなるとわかっていたなら、最初から手を出さなければ良かったのに。
 いらない。何もいらない。この手にあるから失うのだ。何もないものはもとより誰も奪えない。だから何もいらなかった。そのはずなのに。
 シェリダン自身、自分が不思議でしかたがない。
「シェリダン様……」
 自分を案じてくれるローラの声にもほとんど反応できない。すまないと思いつつ、彼女が泣きやむまで何も言えないままただその柔らかな金髪を撫でていた。
 ロゼウスは死体のままで目覚めない。シェリダンはまた無言でその顔に見入る。ローラはやがて涙をふいて立ち上がった。
 ひととおり収まったところへ、次の嵐が舞い込んでくる。
「シェリダン!!」
 足音荒く、扉も乱暴に開け放って顔を出したのはシェリダンの妹であるカミラだ。
「ロゼ様をどうしたの! 最近誰もお姿を見ていないと……ロゼ様!?」
 部屋の主であるシェリダンの許可も得ずに無遠慮に入り込んだカミラは、ロゼウスの眠る寝台へと近付く。傍らの椅子に座っているシェリダンを押しのけてロゼウスへと手を伸ばした。
「ロゼ様!」
 彼女は腕を伸ばし、ロゼウスに触れようとして、途中でハッと一度伸ばした手を引っ込めた。再び恐る恐る指先を伸ばして、横たわる人の頬に触れて、顔色を変える。
「冷たい……、息、していらっしゃらない。そんな! ……ロゼウス様!!」
 その名前にシェリダンが微かに反応した。
「カミラ」
「……なんてこと、この方に何をしたのよ!? シェリダン! ローゼンティアの王子を略奪して妃になどしたばかりでは飽き足らずに、今度は何を……!!」
 どうしてカミラがそんなことまで知っているのか。 
 シェリダンは椅子に座ったまま妹を見上げた。
「久しぶりだな、カミラ」
 まずそう告げた。カミラはシェリダンが侵略から凱旋してもなんだかんだと理由をつけて少しも顔を見せなかったのだ。婚礼の式典の時にはヴェールで顔を隠していたし、状況が状況だけに披露目の宴などはなく本当に式典だけで終わった婚礼だったから祝辞が述べられるということもなかった。だからシェリダンとカミラが顔を合わせたのは、随分と久々のことになる。
「……できれば、あなたとなんか二度と顔を合わせたくなかったわ!!」
 経緯はよくわからないが、何らかの事情があってバレたか、もしくはロゼウスが自分から教えるかして、カミラはロゼウスが男であることをすでに知っているようだ。そして、シェリダンたちが知らない間に二人はよほど想いを深めていたのか、これまでは人前では兄王への敬意を払っている素振りだったカミラが、今では理性を失って逆上し、シェリダンへの敵意を剥き出しにしている。
「一体この方に何をしたのよ! 答えなさい! シェリダン=ヴラド!!」
「殺した」
 いともたやすく告げるシェリダンの様子に、カミラは目を白黒させる。
 ああ、そういえば、とシェリダンとローラは思い出した。カミラとロゼウスは確か薔薇園で出会ったのだ。カミラからロゼウスへ大量の薔薇が送られたことがあった。まさかあの時からローゼンティアの王子だと知っていたわけではないだろうが……。今確かにわかるのは一つだけだ。
 カミラはロゼウスが好きなのだ。
 妹姫は、兄王へと掴みかかる。
「……っ、ヴァンピルの魔力を持っているから、ロゼウス様はきっと生き返る! ……でも、シェリダン! その時はあなたなんかにこの方を渡さない!」
 これまでは包み隠していた憎悪が、ロゼウスという存在によって引きずり出され、カミラは大胆にシェリダンへと宣言する。
「あなたになんか渡さないわ! この方も! この国も!」
 そして一度、ロゼウスの屍の両手を握り締めると、後は振り返らずに駆け出していった。
「カミラ、あれもこの者のことを想っているのか……」
「シェリダン様……」
 シェリダンは何をか思いながら、妹が開け放した扉を見つめる……。