荊の墓標 04

018*

 頼りない燭台の炎だけが明かりを灯す寝室。
 エヴェルシードの夜は深く、一年を通して涼しげな気候のこの国では夜になると生ぬるい中に肌を刺すような冷たさの入り混じる、なんともいえない空となる。夜は月が朧になることもないほど透き通った空気が、朝方にはしんしんと積もるような霧となって舞い降りてくる。
 そんな時、まだ眠りについていない人々の心の内は室内を照らす炎の揺らめきよりさらに頼りなくなるのだ。庶民にとって油は安いものではないからそうそう真夜中に起きている者もいないが、贅沢を許された貴族階級ともなれば別。その頂点に立つ王ともなれば、香りよい蜜蝋を灯して、人々が寝静まる頃に、淫らな遊びに耽ることもまま、ある。
 人肌が恋しいのはこの冷たく温い夜のせいか。
 それとも、犯した罪が胸のうちを締め付け、爪の先で肺をひっかくような、言葉にもできぬもどかしさを与えるからか。
 どちらでもいい。
 どちらも真実だろうから。
「……シェリダン?」
 動きを止めた彼の下で、組み敷かれた者が弱々しくその名を呼ぶ。
 闇夜に浮かぶ真白い肌は、燭台の光にほんのりと染め上げられて薄桃色をしている。褥に乱れた髪は雪よりも煌めく白銀。重たげに、億劫そうに半ば閉じられた大きな瞳は血の色の深紅。硝子の鈴を鳴らしたような美しい声。
 瞳と同じく紅い唇は艶めいて、むしゃぶりつきたくなる。欲望のままに口づけて貪り、熱い吐息を交わす。
「ん……んんっ!」
 息が苦しくなる頃にようやく解放すれば、相手は涙目で新しい酸素を貪った。
「ロゼウス」
 病ならぬ熱にうかされて上気した肌を撫で上げながら、シェリダンは彼の名を呼ぶ。シェリダンの妻。妻ではあるが、今は乱れた呼吸に合わせて上下する胸は平らであり、その身は華奢だが引き締まっている、男の体だ。
 今、シェリダンの手によってこの寝室の寝台の上に縫いとめられている少年はロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア。エヴェルシードの隣国ローゼンティアの第四王子であり、シェリダンの妻、エヴェルシード王妃。
 彼自身の名はシェリダン=ヴラド=エヴェルシード。このエヴェルシード王国の、王。
 二ヶ月と少し前、シェリダンは即位してすぐに先王である実父を幽閉し、隣国を一つ侵略した。侵略した国の名はローゼンティア。ロゼウスの故郷だ。シェリダンは己の目的のために隣国を滅ぼし、その王子を攫った。国民と言う人質をとって脅し、女装をさせ、あたかも女のように取り扱い正妃の座にこの少年を収めた。ロゼウスとのことは、それが始まり。
 始めこそ親兄弟を残らず殺し天涯孤独とした最後の王子をいいように扱っていたが、彼にもまだ切り札が残っていたと知ったのはつい半月ほど前。吸血鬼の王国であるローゼンティア、その王族たちは殺されても生き返る。ローゼンティアとのことは、これから荒れるであろう。国を継ぐ者がいなくなったからいいように蹂躙していたものが、その王族たちが甦り反撃の狼煙を上げるとなれば。
 だが、本来誰よりも早く祖国に帰りたいはずのロゼウスはまだここにいる。
「その格好、いいじゃないか。似合っている、すごく……とても、そそる」
 その体に覆いかぶさりながら耳元で囁いたシェリダンの声に、ロゼウスが屈辱だと言わんばかりに顔をしかめた。けれど何も言う事はせず、眉間に皺を寄せたまま目を閉じる。
 今の彼は女物の下着とコルセットを身につけて横たえられている。もちろん、彼が好んで着ているわけではない。どちらかといえばシェリダンの趣味だ。平生から女装姿が違和感ないほどに美しく少女顔のロゼウスだが、このような格好もまた扇情的で、劣情を煽る。
 露にされた白い胸板と、腰を締めるコルセットにガーター。
「せっかくだし、つけたままするか」
「なっ……」
 ようやく反論しかけた口を封じるように、シェリダンは薄い絹の下着の隙間から指を差し入れて彼自身に触れた。もったいぶった愛撫で昂ったそれを刺激して、獲物を嬲るように美しい少年を喘がせる。堪えきれずシェリダンの掌に精を放った彼自身のもので、後ろを解し始めた。直腸をかき回す異物感は悦楽に慣れた体ではすぐに快感へと変わり、ロゼウスの瞳がとろける。
「う……あ、ああ……やめ……」
「やめていいのか、辛いのはお前だぞ?」
 意味をなさない喘ぎにわざと真面目に取りあい、肛門から指を抜く。いきなり快感を止められたロゼウスが、もどかしげな、恨みがましい顔をしてシェリダンを見る。
「……なんで」
「やめろ、と言ったのはお前だ」
 恥辱に歪みつつも本能に流され欲を止められない、乱れきった雄の顔でシェリダンを睨むロゼウスをあしらいながら、新しい玩具を取り出す。
「そ、れは」
「知っているか? 知っているだろうな。これだけ経験豊富なら」
 見せ付けるように張型を咥え、唾液で濡らす。我ながら今ほど淫猥な仕草をしていることもないだろう。こちらを見ながら唾を飲み込むロゼウスに、艶やかに微笑んでやる。
「お前は私が嫌いなのだろう? 私に抱かれるのなんてまっぴらだと」
「それは、でも、これとは」
「だから望みどおりにしてやると言っているのだ。大人しくしていろよ」
 腰が逃げるロゼウスを押さえつけて、シェリダンは濡らしたそれを彼の体に押し当てる。ガーターは穿かせたまま下着だけをずらし、ゆっくりと貫いた。
「ふ、ぐっ……うあ、あああ!」
 卑猥な水音と、美しい少年の軋む喘ぎと。
 疲れを知らない玩具で表向きは「隣国の王女」と偽った王子を嬲り続ける。達して脱力しきった体を気だるげに抱き上げながら。
「この……性悪っ!」
 切れ切れの息にそんな他愛もない罵りを聞く。
「今更だ。知っているだろう」
「そうだけど」
 ロゼウスは言いよどむ。
「そう、だけど……」
 消えた語尾に閉じられる瞼。透き通るように白い肌だが、実際に透き通ってその瞳が見えると言う事はない。
 あまりにも美しくて、どこまでもはまる麻薬のようなこの少年が今もシェリダンの傍にいるのにはわけがある。
「あんたは、本当に酷い男だ」
「お前もだろう? 淫乱でマゾヒストで最低だ」
 どれだけ酷いことを、人には言えないような行為を強要してもロゼウスが本気で抵抗せず、口では嫌がりながらも受け入れるのにはわけがあるのだ。
 シェリダンは半月前、血のつながった異母妹を罠にはめた。その時に、無理矢理協力させた相手がこのロゼウス。
 結果的に、妹は……カミラは死んだ。シェリダンはロゼウスに手伝わせて妹を犯し、自殺へと追い込んだ。
 共犯者。
 その言葉がロゼウスを縛る。そして罪悪感と。
 ロゼウスはカミラに好意を持っていたらしい。そしてカミラもこの男が好きだった。シェリダンは最も非道なやり方で二人の仲を引き裂いた。
 後悔はしない。今もしていない。それでも。
 カミラへの罪悪感から逃れたくて、自らが酷い目に合うことで償いでもするかのように、ロゼウスはシェリダンの気狂じみた要求を受け入れる。シェリダンは逃避と怒りと苛立ちと、自らに沸きあがり抑えきれない暴力の衝動をひたすらにロゼウスにぶつける。
 二人して肌を合わせるたびに、自分たちの中で何かが音をたてて崩れていくのがわかる。
 それでも、エヴェルシードの夜は、この国の闇は深く寂しいから。
「続きをしようか、王妃殿」
 心を通わせあうことのない自分たちは、ただお互いの体の熱だけでも貪るように、その肌に溺れた。けれど抱いている相手は、愛した相手ではない。好意の欠片すら持ってはいない。
 どんなに肌を合わせても、唇を重ねても、そのために余計寂しくなるのだとわかっていても。
 ただ溺れ、闇に飲まれ。
 何処までも深く堕ちていく。

 ◆◆◆◆◆

 朝靄の中、石畳を走る車輪の音だけがやけに響く。
 ガタゴトと音を立てて、フリッツは一台の馬車でエヴェルシードの王都近い街道を走っている。国内の主要な都市と都市を結ぶ道は整備されて、これまでのぬかるんだ地面よりよほど走りやすい。
 後ろに荷台には雑多な荷を無造作に詰め込んでいて、気を抜くと何かが零れ落ちそうになった。しかし荷物をぽろぽろと落すわけにもいかず、霧や靄の深いエヴェルシードの明け方に慎重に馬車をただ走らせる。言葉もなく、歌もない。蹄が石畳を穿ち不安定な荷が打ち合う規則的な音だけが響く。
 唇は無意識の内に引き結んでいたし、顔も固い自覚があった。きっと今の自分は、とても三十代半ばには見えない顔をしているだろう。最後に鏡の中で見た自分だって表情は硬く、陰鬱な陰を落としていた。そこに映っていたのが年齢の割には疲れた顔をして眉間に皺を寄せたくたびれたエヴェルシーンで、多少がっかりしたのを自分で覚えている。
 力仕事で鍛えたために、適度な筋肉のついた体だけはたくましく、体格だけは人にも誇れる。だがそれをいかにも陰湿そうな印象に裏切るのは、この顔全体に溜まった疲れだった。それはただの肉体的疲労ではなく、精神の。何事かを堪えるような、これから出会う何事かに対して強い決意を固めるかのような、引き締められた表情。我ながら怖い顔をしている、と思いながら長く世話になった親戚の家を引き取った。
 やがて、王都の入り口が見えてきた。国の要である王城を擁すシアンスレイトの警備は硬く、その出入りはきつく制限されている。街の門が開くまでその関を通過することはできず、このように霧も深い朝方からそれが開いているわけでもなかった。
 見えてきた関所にフリッツは苦味のある笑みを浮かべて、その入り口の様子を見た。門には夜間であろうと朝方であろうと警備員が常駐している。とくにここは大きな街道のある街の要所とも言える道だ。
 けれど、入り口の警備室の中の兵に男は見覚えがあった。深い朝靄に目眩まされた視界も確かになる頃、フリッツと警備兵はそれぞれ驚きの声を上げた。
「フリッツ!」
「久しぶりだな。まさかお前が警備兵だなんてなぁ」
「俺のことよりお前の話だろうが! ……帰って来たのか。この街に」
 フリッツと呼ばれた彼は、疲れ、眉間に寄った皺を緩めながら警備兵を見る。警備兵も、どこか皮肉に歪むのに慣れた口元と垂れた目でフリッツを見る。二人は同じ年頃で、顔見知りであった。
「お前、だってこの街は」
「まあな。でもいつまでも逃げ続けているわけにもいかないだろ。親父たちの店、そのままなんだってな。建物こそ取り壊されたっていうけど、あの土地を買う奴もいなくてさ」
「ああ、お前が戻ってくるとは……戻って来れるなんて誰も思ってなかったし」
「まあな。……俺も、あの時は二度と帰れないだろうと思っていたよ」
 フリッツは元々、この王都の住人だった。十八年前、あの悲劇が起こった時、唯一親戚の家に預けられていて難を逃れたただ一人だった。
「王が代替わりしたからか? ジョナス陛下はもういない」
「それもあるな。一つのけじめだろうよ。あの王様とのことは。今のこの国を治めているのは、あの人の息子だろうが……」
 フリッツと警備兵はお互いに複雑な視線を交わす。言葉が上手く出てこない。わかるのは、これから王都へと、自分が一人帰還するということだけ。
「ところで、ここを通りたいんだが」
「ああ、すまない。今門を開けるよ」
「言っておいてなんだが、開けちまっていいのか? 俺は今から王宮に突っ込んで言って、王の首を狙うのかもしれない人間だぞ?」
「しないだろ、お前は」
 鎖を巻く音がして、重たい鉄の門がゆっくりと開いていく。門、とは言うがその実態は巨大な鉄格子だ。そして警備兵が一人でも楽に開閉できるよう工夫された、エヴェルシード王都の守りの要らしい。
「やっぱり、店を再興して親父さんたちの仕事を再開するのか?」
「ああ、そうするよ。たまには飲みに来てくれ」
「ああ……頑張れよ」
「お前も」
 短い言葉を交わして、時間外にもかかわらず自分のためにと門を開けてくれた警備兵と別れ王都内部へ入る。とは言ってもしばらくはまだ石畳の道が続き、街並みが見えてくるのはまだ先だが。
 しばらく今までどおり馬を走らせていると、急に視界を何かがよぎった。
「うわっ!!」
 フリッツは慌てて手綱を引いて馬車を急停止した。いくらそれほどの速度ではないとはいえ、馬の足蹴にされたら人間などひとたまりもない。飛び出してきた人物に怒鳴りつける。
「何してやがんだ! 危ねぇだろうが!!」
 馬に蹴られてはいないようだが、地面に跪いた人影は起き上がることも声を発することもしなかった。心配になり御者台から降りて駆け寄ると、飛び出してきた相手が少女だと知れた。
 やけにくたびれた衣装の、白髪の少女。
 しかもその両目には目隠しでもするように布が巻かれている。
「盲目、なのか……?」
「あなた、は……?」
 小鳥のような愛らしい声で、フリッツの声だけを頼りに顔を上げた少女が方向をなんとか定めて尋ねてくる。
「俺はこれから王都に戻るところのエヴェルシード人で、しがない酒屋のせがれだ。わけありか? お前さん?」
 フリッツが尋ねると、少女は途端に唇を引き結んで押し黙った。幾度か迷うように顔を上げ下げしたのち、心を決めたように顔を上げてフリッツのいる方向へと向ける。
「人を捜しているの。とても綺麗な男の子、知らない?」
「知らねぇっていうか、そんな説明じゃわからねぇんだが」
 盲目の少女は普通とは言いがたく、わけのわからないことばかりを紡ぎ続ける。言っていることはよくわからないが、困っているのだけはよくわかってしまった。フリッツは彼女に手を差し伸べかけて、慌てて目隠しをした少女には見えていないことに気づいて言葉をかけなおした。
「……一緒に行くか?」