020
「どうして、すぐにロゼ兄様を迎えに行っちゃいけないわけ!?」
「ミカエラ、落ち着いて……」
眼前で繰り広げられるやり取りに飽き飽きする。エヴェルシードに攫われた第四王子ロゼウスをすぐにも救出に行こうと主張する第五王子ミカエラを、第二王女ルースが宥めている。
王族の墓所である《風の故郷》から離れ、彼らはひとまず身を隠した。悠長に身なりを整えている場合でもないといえばないが、泥だらけの墓穴から甦ってきたばかりですと言わんばかりの格好で動き回るわけにもいかない。それまで泥と埃と木屑と衣服の残骸にまみれて薄汚く貧相な浮浪者にしか見えなかった集団は、土地の者しか知らぬ泉で泥を落とし、ルースがどこから調達したものかかき集めてきた衣服を着てようやくそれなりに見られるものとなった。ルースはこれをどこで手に入れたものか、下級貴族の衣装のよう。あの妹は、ある意味兄妹で一番の謎である。
「いいかげんにおし、ミカエラ」
「ですが、アン姉様!」
「黙りや! ……そなたは焦りすぎじゃ。今我らがエヴェルシードに乗り込んでどうなると思う? あのシェリダン王に軽く捻られて終わりじゃろうが。それどころか、ローゼンティアの兵は皆エヴェルシードの監視下に置かれており、我らだけでは王城の奪還もままならん。そのような状態で飛び出してどうなる? しかもそなたは自らが何を失っても敵の懐に飛びいるのではなく、わらわたちの協力を欲しているじゃろう。ルースの言う事に不満があるのなら、そなた一人で死にに行くなり勝手にせい!」
四番目の弟は唇を噛んで黙り込む。ミカエラはきゃんきゃんと吼える子犬のように威勢はいいが、それに実力が伴っていない上に、上に兄姉が八人もいるためにどうも甘えがあるようだ。幼い頃は病弱で何度か生死の境を彷徨ったこともあるものだし、仕方ないといえば仕方ないのかも知れないが。
「アン姉様」
「なんじゃ」
今、彼らは汚れを落とした秘境の泉のほとりにある小屋の中に身を隠しているところ。ここにいるのは、ローゼンティア王家のうち九人。先程から話題になっている第四王子ロゼウスと、それを追っていち早く国を出た第四王女ロザリー、ロザリーを止めるべく後を追った長兄ドラクルは、いない。他の兄妹たちを甦らせたのは第二王女ルースと、手伝い要員として真っ先に目覚めさせられた第二王子アンリ。一番の年長は第一王女のアンである。もっとも、第一王女アンと第二王子アンリは同い年でどちらが兄とも姉とも言えないのだが。
「紙と携帯用のペンありませんか。ちょっと状況整理しようかと思って」
兄妹一の変わり者だと有名な第三王子ヘンリーが言ってきた。アンは服に入れっぱなしにしておいた懐紙とペンの存在を思い出す。死した時そのままの格好で埋められていたために、多少くたびれてはいるがその二つは目覚めた時の服に残っていた。
「持っておるが、何故わらわに聞く?」
「あなたなら常に書く物を携帯しているでしょうか」
「人をメモ魔みたいに言うなや」
「あなたがことあるごとにどこからともなくペンを取り出してメモをとっていることは有名でしょう。で、貸してください」
「……これが城から持ち出してこれた唯一の品じゃというに」
だが貸し渋ったところで仕方ない。アンは弟に懐紙とペンを差し出した。小屋の中にはさほど椅子がなく、ヘンリーはそれまで立って皆の話を聞いていた。アンはヘンリーと場所を交換し、入り口の近くに立つ。末っ子のエリサといきり立つミカエラを宥めるルースは、誰に遠慮したわけでもなく自ら立っていることを選んでいた。
誰もが不安、怒り、苛立ちと疲労によって心細いような顔をしている中、常と変わらぬ顔色のヘンリーはアンのペンを持ちながら現在の状況を一つずつ整理していく。
「まず、状況確認しましょう。我らが祖国ローゼンティアは隣国エヴェルシードに侵略されました、と」
「そうじゃな、王城も占拠されておる」
「……みんなを蘇生させる前にドラクルが手の者を使って調べさせたところ、国内の貴族の九割は皆殺されているわ。今では生き返っている者もいると思うけれど……」
「九割? ってことは一割は生きてるんだな! それに生き返ってるんだろう? よかったぁ、生き残った奴がいて」
楽観的に言い放つ第二王子アンリに、全員の視線が集まる。ルースは困って眉を八の字にし、ヘンリーは常と変わらぬ無表情。ミカエラはいったん自分を抑えて周りの話に全力で耳を傾けようとする風情で、第三王女ミザリーと第六王子ジャスパーは硬い顔をしている。第七王子ウィル、第五王女メアリー、第六王女エリサは兄であるアンリの明るい声に表情を和らげた。が、しかし。
「違うよ、アンリ兄様」
強張った顔のジャスパーが水を差す。今年で十四歳の下から二番目の弟は、年齢の割に聡明だと知れている。
第二王子に、そしてこの場の全員に向けて、ジャスパーが口を開く。
「この状況で生き返ったのではなく、最初から生き残った者がいるならそれは裏切り者だ」
シン、と部屋の中が静まり返り、空気が冷えた。
「ジャスパー」
「だってそうでしょう? 市井の者ならともかく、貴族は王に忠誠を尽くし、そのために命を尽くすのが普通だ。そうして最後まで戦いきった者は、一度ぐらいなら死んでも甦るローゼンティア人の性質上まず生き残ることはありえない。それでも生き残ったというなら、それはエヴェルシードに寝返った裏切り者に他ならない。ローゼンティアの劣勢を見て寝返りを決めたか、家族や民を人質にとられてやむを得ず投降したか、最初からエヴェルシードに尾を振り間諜の役割を果たしていたのか。理由はさまざまだろうけれど、どちらにしてもそうして一度王家を裏切った者がこれから再び僕たち王族に従うわけはない。それに」
「それに、そうして裏切った者たちの手によって生き返らせられた者も、元の人格を奪われてただの死人返り《ノスフェラトゥ》にされている可能性が高い、というのね」
ジャスパーの言葉の後を、第三王女ミザリーが引き取った。賢い二人にはすでに自国の状況がここにいながらにして手にとるようにわかるのだろう。
「わらわも、そう思う」
「私もです」
アンとヘンリーもジャスパーたちの意見に同意した。そして兄妹の視線はルースに向けられる。皆の注目を一身に集めたいつも伏し目がちの妹は。
「……その通りよ」
頷いた。
「アウグスト=カルデール公爵、ジェイド=クレイヴァ女公爵、ダリア=ラナ子爵、フォレット=カラーシュ伯爵……他にも。皆、エヴェルシードに従ったそうよ。シェリダン王ではなく、セワード将軍と言う人の交渉によるものらしいけれど」
「そんな! カルデール卿やダリア殿までが裏切るなんて!!」
信じられないと言った顔でミカエラが叫ぶ。先程は怒り狂い、興奮して紅くなっていたその顔色が今は蒼白になっている。
「ルース、本当なのかえ? それは」
「ええ。アン。これはドラクルが調べた情報ですもの」
ドラクルが調べたというならそこに間違いはないのだろう。アンも他の兄妹同様、連ねられた名前に動揺を抑えきれない。それはよりにもよって、誰よりもこの国に忠誠心厚いと謳われた者たちばかりであった。
「地理がまずいですね」
そんな中、ヘンリーが一人、何か書き散らした懐紙の上に目を向けたまま呟いた。
「どういうことじゃ、ヘンリー?」
「王都の守備はダチェス・クレイヴァの仕事。ここは王族しか知らない隠れ家とはいえ、裏切り者のジェイド=クレイヴァ女公爵の警備範囲内だとすれば、すぐに見つかる。だからと言って逃げようとしても、エヴェルシードに向かう西はラナ子爵の領地、南はカラーシュ伯爵の領地、東は……カルデールの奴、よくも裏切ってくれたな……」
滅多なことでは動揺をあらわにしないヘンリーが、苦い顔をした。アウグスト=ミスティス=カルデール公爵は、ヘンリーの友人だ。
「北はどうじゃ? ローゼンティアとセルヴォルファス王国は同じ魔族同士の国交がある」
「謀反者の領地を避けて行くとなると、天険クエマドロを通らねばなりません。途中で資金を得ることもろくにかなわないこの状況で、あの山を越えることができると思いますか」
「無理じゃな。それができる化物など、ドラクルとロザリーぐらいのものよ」
ここにいない二人の名を上げてわらわは溜め息をつく。どうにもならない。
「ねぇ、お姉さまたち、わたしたち、どうなるの?」
不安そうに震える声で問いかける末っ子のエリサに、誰も答を返すことはできなかった。
◆◆◆◆◆
お世辞にも綺麗とは言いがたい泉のほとりの小さな小屋に身を寄せた彼らは、隣国エヴェルシードに侵略されたローゼンティアを取り戻すために王城の奪還、そしてエヴェルシード王シェリダンに連れ攫われたという第四王子ロゼウスの捜索のために計画を練っていた。
王城が占拠されエヴェルシード兵による虐殺が行われた際、王族のほとんどがその犠牲となって死んだ。けれどヴァンピルには蘇生能力がある。死んでも、その身に魔力が残されている限り甦ることができるという、神秘の力だ。彼らヴァンピルは世界皇帝より王国を興す許可を与えられた選ばれた魔族なのである。
けれど、それは人界の王には通用しなかった。エヴェルシードで一月前……彼らは一月以上も眠ったままであったと言うから、もう二月以上前になる。隣国で王の代替わりがあった。新たに即位した若き王、まだ十七歳の少年王シェリダンは譲位後すぐに父王を幽閉したという苛烈な性情の持ち主だとの噂がこの国にまで流れてきた。その時はまだ、彼らは自分たちの身に危機が迫っているなどとは、考えにも及ばなかった。父王を幽閉して軍での発言力を強めたシェリダン王が、自国に攻め入ってくるまで。
性情苛烈な王の大胆不敵な攻撃の前にローゼンティアは容易く敗れ、王城にまで敵兵が侵入した。王城の者は皆力を尽くして戦ったが、大多数が襲われて犠牲になったようだ。
彼らも、その時に一度死んだ。王族はほとんどの者が殺され、生き残ったのは第二王女であるルースと、連れ攫われたと聞く第四王子のロゼウスだけのようだ。けれどこの国に死者の蘇生をする者としてルースが残されたのはまだ幸運だったのだろう。ルース、それからロゼウスと長兄のドラクルも、ノスフェル家の血を継ぐ者だ。
ヴァンピルの能力が血筋に偏ったものだというのはローゼンティアでは公然の事実である。つまり、個人差が大きいのだ。それは生まれや環境によって左右される。ほとんどただの人間と変わらないようなヴァンピルもいれば、まさに魔物としかいいようがない者もいる。
その中でもさらに特殊能力を発揮するのは第一王妃の生家であるノスフェル家だった。と、言うのも、ノスフェル家の血脈は《死人返りの末裔》と呼ばれ、使者蘇生の能力が強い一族なのだ。ローゼンティアの吸血鬼はその祖先がそもそも死人返りだったといういわくつきの一族でもある。
ルースは多少気の弱いところがあるが、死者蘇生の腕にかけては確かだ。でなければ、国王夫妻、第二王妃、第三王妃までは叶わなかったとはいえ、これだけの人数を無事に甦らせるのは無理だっただろう。特に第五王子のミカエラは、その気の強さとは裏腹に体が弱くそれほど魔力も強くない。彼は幼い頃からなんどもその病で死に掛けている。
アンから受け取った紙とペンで、ヘンリーが簡単な地図と現在の状況を事細かに書き記す。一人だけ生き残り、一番早く蘇生したドラクルの指示で国内の反逆者を浚っていたというルースの言に寄れば、ローゼンティア国内の重鎮がすでに何人も祖国を裏切りエヴェルシードに与しているとのことだった。その情報は彼らに衝撃をもたらした。
これから一体、どこに行けばいいのだろうか。どこにも逃げ場はない上に、国を取り戻すとなればさらに見込みがない。しかも、初めはローゼンティアに殉じて死を選んだ者でさえ、死から甦って後まで彼らとその国に忠誠を誓っているという保証はないのだ。もはやこの国の中にいても、安全な場所はなく、誰が敵か味方かもはっきりわからない。
「ねぇ、お姉さまたち、わたしたち、どうなるの?」
末っ子の第六王女エリサが大きな瞳に涙を溜め、彼らはどうすることもできずにただ小屋の中で沈黙を聞いていた。誰も彼も顔色が悪く、見かけは冷静に見える者も胸中は嵐が吹き荒れている様子だ。いつも飄々としていて掴みどころがなく、逆に言えば周囲に惑わされず冷静でいられるはずのヘンリーまでもが、親友であるアウグスト=カルデール公爵の裏切りに衝撃を受けている。ルースが名を挙げた反逆者の中には、彼ら王族に特に親しい者たちも何人かいた。それは全てこの時の裏切りのための偽りの親愛だったのだろうか。今となっては判断できない。
「とにかく、これからどうするかを考えるのじゃ」
アンが言った。第二王子であるアンリと数ヶ月しか違わないとはいえ、ここでは彼女が一番の年長だ。不安に揺れる彼らの心を叱咤するように、アン王女は言葉を連ねた。
「いつまでもここにいるわけにはいくまい。すぐに力尽きるであろうし、《食料》やその他の備品も足りぬ。さらに、一箇所に留まれば足がつきやすい。国内に留まればさらに敵に見つかる可能性は高くなり、国内の謀反の貴族たちがわらわたちを逃がさぬよう包囲する時間を与えてしまうことにもなろう。なれば、できるだけ早くここを離れることじゃ」
「けれど、姉上、わたくしたちはどうすれば……」
「どうするかなんて、どうしたいかによるだろ」
周りの者たちを押しのける勢いでミカエラが声を出した。確かにその通りだ。けれど、この緊迫した状況下でそんなことがいつまで続けられるか、彼は言葉を重ねる。
「僕たちの前に今示された状況は二つ、一つ目は国内に留まるのは危険であり、この国の人間は誰も信用できないということ」
そうなのだ。見張りこそ撒いたとはいえ、国内に裏切り者がいる以上死者蘇生のことはすぐにエヴェルシードにも伝わるだろう。王族の墓地を掘り返して死体の数が足りなければ、さすがに彼らにもこの復活が知れてしまう。そうなれば、終わりだ。
「そしてもう一つは、ロゼウス兄様がエヴェルシードに連れ浚われ、それをロザリーと、ドラクルが追っていること」
ここにいない人々の名を挙げてミカエラが言う。さらにジャスパーが付け加えた。
「もう一つ、大事なことがあります」
「言うてみよ、ジャスパー」
「ブラムス王はもういない。となると、この国の王位はどうなりますか」
全員がはっと息を飲んだ。そうだ、彼らの父王はもうすでに……亡くなっているのだ。そうなれば次の後継者は。
「つまり、今はドラクルお兄様がローゼンティアの王ってこと?」
第七王子ウィルの素直な言葉に、皆は一様に困惑を示した。いつかは来る未来と言えども、あまりにも急すぎる。
だが彼らが兄妹で話ができたのはそこまでだった。
「いたぞ! 小屋の中だ!」
「馬鹿! 聞こえたら逃げられるだろうが!」
全員が扉の外から聞こえてきた声に体を緊張させた。あれは、追っ手の声。まさかもう気づかれるなんて!
彼らは息を潜めましたが、この人数では気配を消すこともままならない。しばしの、胃を引きちぎられるような緊張の後、小屋の扉が勢いよく開け放たれた。
胸に紅い軍章――エヴェルシードの兵隊!
素早く動いた第二王子アンリが、兵士の脇腹に一撃を食らわせる。そして叫んだ。
「逃げろ!」
それが、彼らそれぞれが無事である兄妹の姿を見た最後となった。