第2章 薔薇の下の虜囚(2)
022*
仰のけば普通目に付くのは天井かも知れないが、生憎とロゼウスの眼には薄紫色の天蓋ばかりが映る。今ではもうかなり慣れてしまった。エヴェルシード王シェリダンの部屋の、寝台の天蓋。
「ひっ!」
だが、ぼんやりと天蓋に目を向けながら思考を彷徨わせる余裕は今のロゼウスにはなかった。シェリダンの熱い指が、肌を撫でる。太腿を撫で回したかと思うと、早急に後ろへともぐりこんできた。
「は……あっ、いや、やぁ…………」
濡れてもいない指で無理矢理探られた場所が痛みを訴える。小さな舌打ちと共に、指が抜かれた。
「きついな。まあ、私は構わないが」
「ちょっ……待て、待ってくれ。やめて、せめて慣らしてから――!」
こちらの負担も顧みず無理矢理挿入を試みようとするシェリダンの胸に縋る。もともと菊門は排泄のための器官であって、性交に使う場所じゃない。無理に挿れられて痛い思いをするのはこちらだ。
ロゼウスの脳裏に蘇るのは、数週間前、ローゼンティアの兄妹たちが死んでも甦るであろうことを黙っていたことを裏切りとみなされ、シェリダンの不興を買ったこと。あの時、シェリダンは部下のエチエンヌとリチャードに命じてロゼウスを犯させた。彼に何の恨みがあるのか、嬉々としてロゼウスを嬲ることに熱中したエチエンヌに、容赦の欠片もなく手酷くされた。
慣らしてもいない後ろに無理矢理挿入されて地獄を見たのは記憶に新しい。それまでのシェリダンとのことは、雑な時も丁寧な時もあったが、いつも僅かでも慣らしをしていたから余計に。
快楽に溺れた、だらしのない人間だと言う自覚はある。そしてわがままで身勝手だ。それでもこの苦痛には耐えられない。
「慣らして、まず、それから……」
シェリダンとこうして肌を重ねること自体には慣れた。怪しげな玩具を使うことも、恥辱を煽るような衣装を着せられることも、けれど、痛いのは嫌だ。
「お願い、なんでもするから……」
恥も外聞なく、シェリダンの白い胸に抱きついた。ロゼウスの頭を抱いて髪に手を差し入れたシェリダンが、しばし思案する様子で。
「では、何でもしてもらおうか」
そう言った。見上げたロゼウスの目に、邪悪な笑みが映る。
「はっ……ふぁ、ん」
ロゼウスは今彼の股間に顔を埋めて、奉仕させられている。両腕は細い縄できつく戒められ、足は自由に動くが逆らう気力も起きない。子どものようにシェリダンのものを咥えてしゃぶりながら、目の端に涙が溜まるのを感じる。ぽろぽろと情けなく涙を零しながら、かの王のものを舌で刺激して喜ばせる。
「はっ……」
シェリダンの満足げな吐息。彼自身が生半な美女では太刀打ちもできないほど妖艶で色っぽい。望めば何だって手に入るだろうに、何故自分などを傍においているのか。
何だって手に入る、と言う言葉で、一人の少女の面影が脳裏を過ぎる。ロゼウスは慌てて思考からその少女を打ち消した。その姫の名はもう口にはできない。彼らが殺した、何でも自らの力で手に入れてきたシェリダンが唯一手に入れられなかったもの。
必死で舌を動かし続けていると、やがて前髪をつかまれ、喉の奥の方を衝かれた。反射的にえづくのを我慢して、苦い液体を飲み込む。飲みきれなかった白濁の液は口の端から零れ、顎を伝わった。
「お前、あい変わらず上手すぎだ……しかも、毎回毎回ご丁寧に良く飲むな」
「吐いていいならさっさと言ってくれ」
「吐けとは言ってない。ただ、顔射の機会がなくて残念だと言っている」
「がん……」
思わず反復しかけてロゼウスは慌ててその言葉を飲み込む。濡れた口元からシェリダンの精液が胸元へと垂れた。それをわざわざ掬い取るようにして、シェリダンがロゼウスの胸元を弄る。
好き好んでやっているわけではなく、ロゼウスにはそうすることがもはや習慣づけられているというだけのことだ。ローゼンティアにいる間、ロゼウスを毎晩のように抱いていた兄はこれが好きだった。その時に教えられたことを忠実に守っていると、上手いということになるらしい。
「今度は、私からしてやろう」
「え?」
その指がロゼウスの胸元や脇腹に与える愛撫の快楽を追っているとシェリダンはそう言った。思いがけない言葉にロゼウスが呆然としていると、シェリダンはいきなりロゼウスの体を仰向けに寝台に押し付けてきた。足を開かされ、そこに彼が顔を埋める。藍色の髪がロゼウスの生白い肌に零れて、ぞくりとする刺激が背筋を走った。
「ちょっ、やめ……シェリダン!」
悲鳴じみた叫びでロゼウスは呼んだが、シェリダンが顔を上げる気配はない。行為に専念し、時々上目遣いでこちらの顔色を窺う。
「あ、ああっ、あああああ」
ロゼウスは縛られた両腕の不自由なのをもどかしく思いながら上半身だけで必死に悶える。男に自分自身をしゃぶられて、気持ち悪いのではない。逆だった。あのシェリダンがあの美しい顔で、自分の下腹に顔を埋めている。とても官能的で倒錯的な色気と背徳感が漂う。背筋を冷やすそれと同時に、快感が全身を駆け巡る。
そして何故か、この状況は自分が相手に奉仕するよりずっと恥ずかしい。
「ああ……うあ、もっ、やめ」
呆気なく限界が来て、ロゼウスはシェリダンの口の中で達してしまった。一瞬思考が弾けて視界が真っ白になる。放心状態に陥りそうなロゼウスを現実に引き戻したのは、シェリダンが咳き込む音だった。
「……お前が私にやってどうする」
むせたせいで目元が赤くなっている彼に怒られた。母親譲りだと言う美貌が、ロゼウスの白濁で汚れている。
ロゼウスはカァッと頬が熱くなるのを感じた。口元を手で隠す。
「ご、ごめん」
「はっ……それでもまだ、こんなに元気なくせに」
ロゼウスのモノを強く握って、シェリダンがそう嘲った。淫乱。節操なし。与えられるだろう、幾つもの侮蔑の言葉が頭の中でぐるぐる回る。だが実際は、彼は何も言わずロゼウスに口づけた。
「んっ!」
絡ませた舌から伝わる苦味。やたら楽しそうに唇を離したシェリダンが告げる。
「『自分』の味はどうだった? ロゼ王妃」
シェリダンの口内にはまだロゼウスの出したものが残っていた。だから彼はそんな風に言うのだ。
「さて、そろそろ本番に移らせてもらうか」
自らの手に残った白濁をロゼウスの後ろに塗りこめながら、シェリダン自身も自らを固くして準備する。
「ふ、う、あああ、あああああ!」
ぐちゅぐちゅと卑猥な音をさせて交わりあいながら、快楽に弱い自分はまた流される。ロゼウスの中で達したシェリダンが自分を引き抜く頃には、体中が汗ばんでぐったりとしてしまう。寝台もすさまじく汚れている。
「どうした、ロゼウス」
ロゼウスが言いたいことがあると察したのか、ことを終えて体こそ汚れているが少しだけ満足げな表情のシェリダンが、ロゼウスの耳の後ろを舌で優しく舐めながら尋ねる。もっとも、彼の場合は何でも叶える力がありながら、尋ねるのと叶えるのは決して同じではないのだが。
「俺、ここ最近、あんたの顔とこの寝台の天蓋しか見てないよ」
どこか、外へと出たい。
◆◆◆◆◆
シェリダン王は美しい。それはこのシアンスレイト城の者なら誰でも知っていることだ。
夜の蒼い月光を紡いだような藍色の髪。柔らかに波打つその髪にそっと彩られる輪郭は繊細で、髪の色が濃いだけに肌の白さが際立つ。僅かに物憂げな瞳は赤でも黄でも橙色でもない不思議な朱金で、炎の揺らぎを覗き込んでいるような深みがある。通った鼻梁。涼しく孤を描く眉は柳眉と呼ぶにふさわしく、睫毛はけぶるほどに長い。唇は淡い珊瑚の色をしている。
女であれば求婚者が後を絶たず、貴婦人は手巾を噛んで悔し涙にくれるのではないかと思う容貌だが、彼は男だ。そしてその性別の差異など何ほどのこともないと思わせるほどに彼は美しい。男であれば貴婦人たちは頬を染めその眼差しの先で黄色い声をあげ、紳士たちは性別を超越した美しさの前に嫉妬を催すどころかすすんで彼の虜となる。
母親である第二王妃ヴァージニアがいかにも下町の酒場の看板娘と言った笑顔の明るい美少女であったことを考えれば、同じ顔立ちでもシェリダンの美しさは魔性の美だ。黙ってそこに立っているだけで人の目を引き、軽く手を動かすだけの仕草でも気品が漂う。両者の顔立ちは似ているが、その印象は真逆だ。
バイロンは、若かりし日のヴァージニアの美しさを知っているからこそなお思う。否……訂正しておこう。彼女は永遠に若いままだ。わずか十七で死んだ少女。
今のシェリダン王は、あの頃のヴァージニアと同じ歳なのだ。
だが、バイロンはもう彼を見てもそれほど胸が痛まない……あれほど強く暗く凝っていた憎しみは、この少年の心の傷を知って以来、嘘のように呆気なく跡形もなく、春の陽にさらされた雪のように溶けていってしまった。
バイロンの浅慮とジョナス王の暴虐によって生まれた悲劇の王子を、彼は見守っていこうとただ今は考えるだけである。ヴァージニア、彼女の代わりに。
「バイロン」
謹慎が解かれ、バイロンは再びシアンスレイトに登城するようになった。復帰後最初の仕事は、先王陛下と王妹殿下の葬儀の段取りであった。
「シェリダン陛下」
それほどまでに追い詰められていたのですか、シェリダン様。
「遅くなったが、お前に我が妃を紹介しておこうと思ってな」
実の父を殺し、異腹の妹を殺し。……元々エヴェルシードは子種の少ない家系なのか、王族はこの第一系統だけで傍系もいないというほど細々と続いている。シェリダンは家族を全て殺してようやくこの国を手に入れようとしている。
妹姫カミラのことはともかく、ジョナス王を殺したことは……バイロンには何も言えない。許せ、友よ。許してください、主よ。私は貴方を最後の最後で裏切った。
「ローゼンティアのロゼ王女ですか? 初めのときにお会いしましたが。ご紹介もされたはずでしょう」
「表向きはな」
そしてシェリダンはただ、侵略した国から奪った姫君と、かつてある貴族から奪い取った双子人形と、今は没落した貴族の息子だけを連れて死への行軍を開始しようというのか。
「私の部屋へ来い」
「陛下、それは」
「ロゼを余り表に出すわけにはいかぬ。例え城のなかでもな。あれを『紹介』するならなおさらだ。それとも、貴様は私の妻になど興味はないか……」
「いいえ、謹んでお受けさせて頂きます。今、これからすぐにでよろしいでしょうか。本日の執務は」
「私は自分の分はすでに終らせている。今日は……午後から出掛けようと思っていてな」
「出掛ける、とは……」
「城下に。貴様もついて来い、バイロン」
「私が?」
「ああ。……こういう言い方では違うな。そうだな……お前が案内しろ、バイロン」
「私めなどが陛下をご案内するような場所が……」
「『炎の鳥と赤い花亭』」
「……」
バイロンは思わず廊下を歩む足を止めて立ち止まった。それは聞き覚えのある名前だった。何も言う事ができない。バイロンより数歩先で立ち止まったシェリダンが振り返って横顔だけで告げる。
「また、新たに開かれたそうだぞ。前の店主の、親戚に長い事預けられていた息子が戻ったとかで」
息子……フリッツか!
「だから、お前が案内せよ、バイロン。その前に我が妃に会っていけ」
「は……」
だから、バイロンでなければならないのか。例え城下でもあの場所だけは、王家の紋章入り馬車で乗り付けて行って入れる場所ではない。
それにしても、フリッツが戻ってきたのか。そして……継いだのか。バイロンは彼の面影を思い出そうとして、上手く行かないことに胸中で歯噛みしたくなった。もう何年も会っていない昔馴染み。彼に、王都へ戻ってくるなと手紙を出したのは他の誰でもないこの自分だ。それ以来十八年間会っていない。
「ですが、何故陛下が――」
そんなことをご存知なのか。あの土地で生まれたバイロンですら知らなかったことだ。慎重に人の手を経て相続問題を片付けたのか、最近片付けた書類の中にその名前を見たと言う事も、『炎の鳥と赤い花亭』の名を聞いたこともない。
「ジュダ=イスカリオット伯爵が知らせてよこした。奴のことだから、ただの退屈しのぎだろうな。私の身辺なぞ調べまわって」
「あのイスカリオット伯爵ですか?」
イスカリオット家の若き伯爵。彼は反王権派ではなかったのか。バイロンと共謀してシェリダンを陥れようとしていたカミラから、その名を信用できるものとして聞いていたのだが。
そしてバイロンは、そもそも何故自分がこの少年に敗北を悟ったのか思い出す。思いもかけないところからの裏切り。予想外の人脈。
「彼もあなたの手駒の一つだということですか」
前を行くシェリダンの口元が微かに見えた。彼は、口元に小さく笑みを刻んでいた。
まさか反王権派の筆頭が誰よりも国王を信望しているなど誰も夢にも思うまい。
そうこうしている内にシェリダンの部屋の前に辿り着いた。本来なら宰相とはいえ身分低いバイロンがまず扉を開かねばならぬところだが、シェリダンはなんら気にすることなく自身で取っ手に手をかけた。開け放たれた扉の向こう、部屋の中には幾つかの人影。その中に一際目を引く姿がある。
元ローゼンティアの王女……ロゼ王妃。
「シェリダ―――」
その唇がシェリダンの名を呼びかけ、背後のバイロンの姿を認めて急に凍りつく。応接用のテーブルで侍女と向かい合って話していたらしき王妃陛下は、今日も麗しい。その美しさは、シェリダンとはまた別の意味で圧倒的だ。
だが、初めてその姿を目にした時とは違い、今日は何故かその姿に違和感が芽生える。何だろう。小さな違和感。何か歯車が上手く噛みあっていないような、釦を一つ掛け違えているような。ヴァンピルだと知ったからだろうか。それとも、初めの時は粗末な村娘の衣装を身につけていたから?
「入れ、バイロン。扉を閉めるぞ」
「は」
繊細な浮き彫りを施された重い扉が硬く締め切られ、中にいた人々の視線がこちらへと集中する。金髪のシルヴァーニの双子人形に、侍従。それから王妃。
「宰相のバイロンだ。こやつには、ロゼウスのことを教えておこうと思ってな」
「ロゼウス?」
聞いたことのない名だ。王妃陛下の名と酷似していることはしているのだが――。
そして真実を告げられる。
バイロンはこれまで女性的な美しさを持つ少年とはシェリダンのような人物を言うのだと思っていた。しかし、ロゼウス殿下……ロゼ王女ではなく、ローゼンティアのロゼウス第四王子殿下を見て本気で考えが変わった。
シェリダンもかなり細身でそれでありながら均整の取れた体つきをしているのだが、ロゼウスはそれ以上だった。折れそうに華奢、というのはこの人のための言葉なのであろう。
白銀の髪は暁の雲を透かした陽光を紡いだようで、白い肌は本当に血が通っていないように思えるほど、透けるほどに白い。女衣装を身につけたその様子はどこからどう見ても少女にしか見えず、口を開かなければ完璧だ。細い首、手首、腰。胸こそないが、全身が細いのでむしろ気にならない。浮き出た鎖骨が艶かしく覗き、顎に当てられた指の先の、爪の形まで美しい。全体的に繊細な面立ちで、唇だけが薔薇のように紅い。
そして何より印象的なのは、血のように濃く暗い深紅の瞳。
絶句。もはやその美しさは言葉にはできない。
「美しいだろう? なあ、バイロン」
「あっ」
ロゼウス殿下……ここはあえてロゼ王妃と呼ばせていただくが、その腰を背後から抱いて、シェリダンが同意を求める。バイロンは子どものようにこくこくと頷くことしかできない。そして告げる。
「確かに美しいですが、その方に御子を望むことはできません」
「当たり前だ」
「って……」
当の本人は絶句し、シェリダンは面白そうに笑って頷く。
「言っただろう、バイロン。お前には感謝していると」
ああ、陛下。
「私は、子どもなどいらない」
それがあなたの選択なら、何故城下になど……あなたの母上のご両親が営まれていた、『炎の鳥と赤い花亭』になど行きたがるのです。